表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

第3話:『神に見捨てられた日と、光臨する第六位』

第3話:『神に見捨てられた日と、光臨する第六位』

 深い、深い闇の底だった。

 意識の混濁する中で、九歳のリゲル・ブレイズは、自らの胸に突き立てられた赤黒い魔石が、熱いドロドロとした液体のように溶けていく感覚を味わっていた。

 親友のカナタを奪われた絶望。そして何より、自分を庇って目の前で冷酷に殺された父親ダンセルへの、引き裂かれそうなほどの激しい怒りと悔しさ。その負の感情が、リゲルの胸の奥底に眠る魂の器を、無理やり限界を超えて押し広げていく。

 ドクン、とリゲルの心臓が大きく跳ね上がった。

 次の瞬間、リゲルの体内に埋め込まれた魔石は、体細胞と、血流と、そして魂の奥底の魔力回路のすべてに、一滴の残渣も残さず『完全同化』を果たした。

 それは、既存の世界の最高峰である第十二級魔術すら遥かに超越する――【第二十級魔術を千発同時に行使できる】という、神の領域の魔力が少年の肉体に宿った瞬間だった。

 しかし、あまりにも巨大すぎるエネルギーは、自衛本能によってリゲルの精神の奥深くへと完全に隠蔽され、沈黙してしまう。外側から見れば、魔力の光が完全に消え失せたようにしか見えなかった。

「……む? これは……」

 リゲルの胸元を観察していた『腐蝕』のサルバザールは、黄色いうごめく瞳を細め、酷くつまらなそうな声を漏らした。

 リゲルの身体からは、先ほどまで微かに感じられていた魔力の気配すら、完全に消失していたからだ。拒絶反応の激しい閃光の後、まるで燃え尽きた炭のように、魔力回路が完全に沈黙している。

「フン、完全に魔力回路が焼き切れたか。魔石のエネルギーを受け止めきれず、器そのものが内側から崩壊したな。やはり拒絶反応を起こさぬ上質な素体など、そう何人もいるわけがないか……。チッ、期待外れの廃棄物め」

 サルバザールは吐き捨てるように言うと、意識を失ってピクリとも動かないリゲルの身体を、冷酷に地面へと蹴り転がした。

「まあよい。一人目のサンプル(カナタ)は完璧な適合を見せたのだ。今回の収穫としては十分すぎる。万象の魔王様への素晴らしい報告の手土産になるだろう」

サルバザールが不気味に喉を鳴らして笑い、カナタを閉じ込めた闇の魔法陣を連れて撤退しようとした、まさにその時だった。

 ――キィィィィィィィンッ!!!!

 突如として、大気をツンと突き刺すような、極めて高密度で神聖な魔力の波動が、森の全域を包み込んだ。

「何っ!?」

 サルバザールが目を見張る。彼が展開していた闇の魔術の結界が、まるで薄い氷がパリンと割れるように、一瞬にして全方位から霧散させられたのだ。

 鬱蒼とした木々の隙間から、夜の静寂を思わせる深い藍色の光が差し込んでくる。その光の中心から、一人の女性が静かに、だが圧倒的な存在感を放ちながら歩み出てきた。

 年齢は二十八歳ほど。ミステリアスな文様が刺繍された美しいローブを身に纏い、手には星の瞬きを宿したかのような美しい長杖スタッフを握っている。

 冷徹なまでに整った美貌。浮世離れした、静謐で気高きオーラ。

 それこそが、世界中の子供たちが、そしてこの村の子供たちが英雄名鑑をボロボロになるまで読んで憧れ続けた、本物のヒーロー。

 オリオン騎士団キャブ本部が誇る精鋭部隊の長であり、村の人気ランキング第6位――『封魔ふうま』のアナルシアだった。

「魔王軍の残党、そして『万象』の手先ね。国境の街キャブの喉元で、これほど醜悪な真似をして、ただで帰れると思っているの?」

 アナルシアの声は、冷たい鈴の音のように森へ響いた。彼女が長杖を軽く地面に打ち付けると、それだけでサルバザールの足元の影が生き物のように蠢き、彼の身体を縛り上げようと迫る。

「くっ……! オリオン騎士団の師団長クラスが、これほど早く……!? あの逃げた小娘、ギルドだけでなく騎士団にまで繋ぎおったか!」

 サルバザールは顔を歪め、魔導書を激しくめくって応戦しようとした。コモドドラゴンのような凶悪な魔力を練り上げ、アナルシアへ向けて漆黒の腐蝕魔術を放つ。

 だが、アナルシアは眉一つ動かさない。

「――我が前で、歪な魔を紡ぐことなかれ」

アナルシアが凛とした声で呪文を唱え、長杖を水平に一閃する。

次の瞬間、サルバザールが放った漆黒の魔術は、アナルシアの身体に触れることすらできず、まるで最初から存在しなかったかのように、虚空へと完全に『封じられ』、霧散した。

常人の理解を遥かに超える、高度な封印魔術。それこそが、彼女が『封魔』と呼ばれる所以だった。

「バ、カな……! 私の『腐蝕』の魔術を、一瞬で封殺しただと……!? これが、世界最高峰の猛者……!」

サルバザールは本能的な戦慄に身を震わせた。まともに戦えば、数秒と持たずに自分がこの場で封印されると瞬時に悟る。

彼は懐から煙幕のような闇の魔道具を破裂させると、背後の空間を無理やり抉り開けた。

「今日のところは退いてやる! だが実験は成功だ! この果実は、いずれ世界を腐らせる毒となるぞ!」

「待ちおれ……っ!」

アナルシアが追撃の魔術を放とうとしたが、サルバザールはカナタの捕らえられたカプセルと共に、歪んだ空間の裂け目へと滑り込み、文字通り煙のように消え去ってしまった。あとには、激しい戦闘の痕跡と、静まり返った森の静寂だけが残される。

「逃げられたか……。空間転移の魔道具まで用意しているとは、用意周到なことね」

アナルシアは悔しげに息を吐くと、すぐに長杖を収め、地面を見渡した。

そこには、胸を深く貫かれて冷たくなっている大柄な男の遺体と、その傍らで意識を失って倒れている、小さな赤髪の少年がいた。

「……可哀想に。手遅れだったか。ですが、この子はまだ息があるわね」

アナルシアはリゲルの元へ静かに歩み寄ると、その小さな身体にそっと手をかざした。高度な魔術の使い手である彼女の知覚が、リゲルの体内の状態を隅々まで調べ上げていく。

だが――アナルシアの超一流の目を持ってしても、リゲルの精神の最奥に、完全に、完璧に隠蔽された「第二十級魔術・千発」という神域の魔力を見抜くことは不可能なことだった。

彼女の目に映ったのは、魔石の暴走によって、本来あるべき魔力の通り道(魔力回路)が、めちゃくちゃに破壊され、粉々に焼き切れてしまっている痛々しい少年の姿だけだった。

「なんてこと……。命は助かるけれど、これでは……」

アナルシアの美しい瞳に、深い同情と悲しみの色が走った。

       * * *

 それから、数日の時が流れた。

 村の中心部にある、いつもなら肉やスープの美味しい匂いと笑い声で溢れているファンシーの食堂。しかし今のそこは、お通夜のように重苦しい静寂に包まれていた。

 リゲルは、ベッドの上で目を覚ました。

 枕元には、目を真っ赤に腫らした母親のファンシーと、小さな手をぎゅっと握り締めて泣きじゃくる妹のフィラ。そして、学校から急報を聞いて死に物狂いで戻ってきた、長男のアデルと次男のナーダが、悔しそうに歯を食いしばって立っていた。

 そして、部屋の隅には、申し訳なさそうにうつむくガイルと、自分の服の裾を破れんばかりに握り締めて涙を流すミリィの姿があった。

「父ちゃん……は?」

 リゲルが、掠れた声で呟いた。

 誰も、答えることができなかった。ファンシーがリゲルを抱きしめ、声を上げて泣き崩れた。それが、すべての答えだった。

 リゲルは涙が枯れるほどに泣いた。大きくて、温かくて、自分たちを守るために命を投げ出してくれた父親は、もうどこにもいない。そして、一緒にオリオン騎士団になろうと誓い合った親友のカナタも、魔王軍の手に落ちてしまった。

 数日後、リゲルは村の診療所の前で、一人、呆然と佇んでいた。

 そこへ、青いローブを翻したアナルシアが、静かにリゲルの前に歩み寄ってきた。リゲルは、英雄名鑑で何度も見た憧れのヒーローを見つめる。だが、彼女の口から告げられたのは、リゲルの少年としての未来を、残酷に打ち砕く言葉だった。

「リゲルくん。……辛い現実を伝合つたえなければなりません」

 アナルシアはリゲルの目線に合わせて屈み、その細い手をリゲルの胸へと当てた。

「あなたの命を救うため、私の持てるすべての高度な魔術を尽くしました。ですが……魔王軍の残忍な実験によって、あなたの体内の魔力回路は、完全に破壊されてしまっています」

「魔力回路が……破壊?」

「ええ。今のあなたの身体は、リンステン式の魔法陣に魔力を流そうとしても、回路が耐えきれずに、魔法陣そのものを拒絶して粉々に壊してしまいます。……残酷な告知ですが、あなたは、一生、魔術を使うことができません」

 アナルシアの言葉は、静かに、リゲルの胸に突き刺さった。

 一生、魔術が使えない。

 それは、世界中の誰もが当たり前に魔術を使い、魔術によって魔物から世界を護るこの時代において、『最弱の落ちこぼれ』として生きていくことを意味していた。

 大好きな父を殺され、親友を奪われ、その仇を討つための、カナタを取り戻すための力すら、神は自分から奪い去ったのだ。

「そんな……。じゃあ、俺は……オリオン騎士団には、なれないのか……? カナタを助けにいくことも、できないのか……!?」

 リゲルはアナルシアのローブを掴み、泣き叫んだ。

 アナルシアは何も言わず、ただリゲルの小さな身体を優しく抱きしめることしかできなかった。どれほど高度な魔術を操る『封魔』であっても、焼き切れた少年の夢を修復する魔術など、持ち合わせてはいなかった。

 診療所の影で、その様子を見ていたミリィは、血が出るほどに拳を握り締め、静かに涙を流していた。

(リゲルの魔術が使えなくなったのは、アタシが弱かったからだ。アタシが……二人の代わりに、戦わなきゃいけないんだ……!)

 ガイルもまた、親友の背中を見つめながら、静かに己の盾を強く握り締めていた。

 ――リゲル・ブレイズ、九歳。

 彼はこの日、父親を失い、親友を失い、そして『魔術の才能』をも失った。

 周囲の誰もが、そして世界最高峰の『封魔』のアナルシアですら、彼のことを「哀れな落ちこぼれ」だと同情した。

 だが、彼らは誰も知らなかったのだ。

 アナルシアの診断は、半分正しく、半分は間違っていた。

 リゲルの魔力回路は壊れたのではない。体内の『第二十級魔術・千発』という神域の質量に耐えるため、世界の常識であるリンステン式(第一級〜第十二級)の魔法陣を、すべて内側から拒絶して破壊する【規格外の怪物】へと、新生していただけなのだということを。

「――俺は、絶対に諦めない」

 アナルシアの胸の中で、リゲルの瞳の奥の炎は、まだ一ミリも消えていなかった。

 ここから、世界の常識を全てひっくり返す『千暴の魔術師』へと至る、少年の長きにわたる泥臭い「落ちこぼれ修行時代」の幕が、静かに上がるのだった。


『面白い!』、『楽しかった』と思って頂けましたら、『評価(下にスクロールすると評価するボタン(☆☆☆☆☆)があります)』を是非宜しくお願い致します。


感想もお待ちしております。


今後も本作を書いていく強力なモチベーションとなります。感想を下さった方、評価を下さった方、本当にありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ