1.春:出会い、そして___-01-
12の僕に、春が舞い込んできた。
四季の美しいこの地では、当たり前のように毎年春は訪れるけれど、この年は例年とは一味違った春だった。
「これからお世話になります。アーベルと申します。」
ふわり、とスカートの裾を持ち会釈をする少女は、百合のように笑っていう。
「会えて嬉しいわ私の旦那様!」
「は?」
この日から僕の歯車は動き出したのだと思う。
【君と僕の結婚ごっこ】
***
"はい、お父様。"
"はい、父上。"
記憶の許す限り、ハノ・シュルツは父親の命にNOを返したことは無い。
これは、彼なりの処世術であり、自由奔放な兄を反面教師に成長した故であった。
しかし、その事を煩わしく感じたことはなく、勉学も、教養も、全て父の言う通りにしていれば心安らかな予定調和な日々を送ることが出来た。
思考は止まっていたのだ、ずっと昔から。
そう思えば、この日は朝から予定不調和な日だった気がする。
「縁談ですか?」
「ああ。」
「また急な…」
父に呼び出され、神妙な面持ちの末言われたのは、12歳の自分への縁談話だった。
「(珍しいことでもないみたいだし、何より父さんが言うんだ。きっと正しいことなんだろう。)」
ハノは分かりました、と返すと先程までの神妙な面持ちはどこへやら、父は分かりやすく上機嫌になると、ではさっとく支度を始めよう!と執事やら召使いやらを呼ぶように自身の秘書に頼んでいく。
「ありがとうハノ。実はユノへの縁談だったのだが、昨日まで返事をよこさないと思ったら急に"無理!"と手紙をよこしてきてな…。」
「兄さん………」
はぁ、と頭を抱える。
ハノの兄は自由奔放な人間で、現在は1人遠くの学校へ通っている。寮で1人で暮らすこともとても楽しいといつしか手紙が来たことがあった。
ハノはそんな周りに迷惑ばかりかける兄が嫌いだった。
「ほら、ゆっくりしている暇は無い。さっそく着替えてきなさい。」
「ん、?えっ!?着替えるって何にですか、?」
心の中で兄への恨みつらみを吐き出していると、満面の笑みの父はぐいぐいと部屋からハノを追い出す。
「何ってこれから会うというのに、普段着ではいけないだろう?」
「会う!?誰にですか!?父上!!?」
「お前の婚約者に決まっている。」
「はぁ!?!?」
大声を出しなれていないハノの精一杯の叫び声が館中に響き渡った。
______
「(ほ、本当に着替えさせられた…。え、本当にこれから会うのか?)」
ドタバタと着替えさせられている間に執事に詰め寄れば、実は兄の返事が無いことを"肯定"だと受け取った父が準備を進めてしまっていたらしい。
そのことに気がついた兄さんが、慌てて手紙を送ったというのだ。
そして、僕はそれに巻き込まれただけだと。
結局アイツのしわ寄せが自分にきただけかよ!やってらんね〜!と思わずタイを投げ捨てそうになるも、グッとこらえて父さんの後ろを歩く。
「(…いや、まあ、良いか。僕にとってはあまりデメリットのある話では無いし。好きな人も、いないし。)」
むしろ可哀想なのは相手の方だ。
長男に嫁入りするはずが、急にその弟にすり変わってしまったのだから。
父さんは、破談になるよりお互いにずっと良い、メリットの方が大きいと言っていたけれど、そこに本人達の気持ちは一度も話題に出さなかった。
年相応に緊張するハノをよそに、父は扉を力強く開けると、そこにはちょこんと自分より一回りも小さい少女がふわふわのドレスに身を包み、そわそわと体を揺らしていた。
そして、今に至る。
「父上。私はもう12です。それなりの覚悟はしておりましたが、そちらのお嬢さんはまだ齢2桁も過ごしていないように見受けられます。この会合がなんなのかも分かっていない年齢では………」
それになりより、僕が困る。
ハノは未だ目の前の少女と目を合わせられていない。
兄はいるが、妹も弟もいないハノにとって、自分より幼い存在は初めてであり、もう既になんて話しかけたら良いのかも分からずにいた。
それが、婚約?結婚?いや無理だろう!とハノは焦りを顕にした。
しかし、当の本人は澄んだ瞳でニコニコと可愛らしくハノを見つめている。
「あら、分かっていますよ?」
「えっそれはそれで…」
自分のことを棚に上げ、一体どんな教育を…と訝しげに少女の父を見る。
「貴方が私の旦那様♡ですよね?」
「いや、ええ、、、?私ではなく、、」
実は僕の兄が_と口にしようとすると、ガッと父が思い切りハノの口を覆う。
この子には話してないのか!?と目を見開くと、父は目を泳がせて暗にすまないと顔に出した。
「え…それって…
略奪!?」
「はあ!?いや違…
まぁ…
じゃあそれで良いです。」
彼女は何故か嬉しそうに顔を手で覆うので、諦めた方が得策だと思い、ハノはここで折れた。
のちのち聞くと、少女の父曰く、「リリーはロマンス小説が好きで…」という恋に恋する女の子のようでこの婚姻話も喜んで受けたそう。
なら、結婚とはどういうものか知らないのでは無いか?
キラキラとした夢のように思っているのではないか?
御伽噺のように。
そんなのまるでごっこ遊びじゃないか。
「(その期待に答える自信は、僕にはないのだけれど。)」
でも、兄さんだったらこの子をきっと笑わせることが出来る。きっととびきり幸せにするのだろう。それが出来る、そういう人だ。僕には無理だ。
ニコニコと笑うアーベルにズキリと罪悪感を抱きながら、歪な笑顔で笑い返した。
「僕はハノ・シュルツ。よろしく、アーベルさん。」
「…ええ、よろしくお願いしますハノ様。」
「リリー!」
軽率に下の名前を…!と怒る彼女の父に大丈夫ですと返し、手を離そうとするとガバッとアーベルに抱きしめられる。
「やっと捕まえた!私の王子様!」
「えっ!?ええ…」
またまた上がったハードルにハノはもう絶望を隠せなかった。