表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風恋文  作者: 村野夜市
14/18

14

いつのまにか、日が落ちて、辺りは暗くなり始めた。

一日中、霧で薄暗かったけど。

夜はさらにもっと暗かった。

ねっとりとした闇が、絡みつくような暗さだった。


花守様の作った結界の中で、その夜は休むことになった。

ここなら万が一、怪物に襲われても、大丈夫だ。


保存食でさっさと食事も済ませてしまった。

だけど、花守様は、物足りないようだった。


昔のわたしは、食べることにあまり執着はなかったんです。

でも楓が来てから、すっかり食いしん坊になってしまって…


そんなことを言って、花守様はちょっと笑う。


楓はわたしに、生きることは楽しい、って教えてくれました。

楓といると、当たり前の世界は当たり前じゃない。

とても、素晴らしい世界に変わるんです。


…まあ、それは、オレも同意する。


楓と出会う前、わたしは生きることに無頓着でした。

なんとなく、生きていただけなんです。

けれど、楓といると、もっと懸命に生きたくなりました。

あの仔はほら、いつもどんなときも、全力疾走だから。


月も星もない。

暗い空を見上げて、花守様は淋しそうに笑った。

きっと、お前に会いたいんだろうな、ってオレは思った。

まだたった一日、離れていただけだけどさ。

なんと言っても、昨日、婚姻したばかりの新妻だからな。


あんな怪物、さっさと封じて、島に帰りましょう。


気休めじゃなく、オレはそう言った。

そう自分に言い聞かせたかったのかもしれない。


花守様は、オレを見て、ちらっと微笑んだ。


わたしの力は、植物と呼応しやすいでしょう?

その理由をね?

わたしはずっと、自分が狐ではないからだと思ってたんです。


は、い?


素っ頓狂に聞き返すオレに、花守様は、また少し笑った。


思い返せば、なんとも愚かしいことだと思うんですけど。

いやでも、わたしは、本気でそう思ってたんですよ。


花守様は照れくさそうに肩を竦めてくすくす笑った。


郷の山吹の木がありますでしょう?

仔狐のころ、わたしは、あの木に命を救われたんですけど。

それをね。

自分はあの山吹の精霊で、倒れた狐の姿をもらった。

そんなふうに思っていたんです。


…花守様は、どこからどう見ても、狐だと思います。


オレは大真面目に断言した。


ええ、まあ、狐なんですけどね?


花守様は、また、くくっ、と笑った。


けどまあ、そんなことがあったものですから。

わたしは、楓とは結ばれてはいけないって思ってたんです。


それで、あいつのこと、振ったんですか?


お前が花守様に失恋したのは、オレも知ってるからな。

あのときのお前は、そりゃあもう、見てられなかった。

まあ、そんなこんなで、お前が都に来て。

大王とのあれこれやら、長生族とのあれこれやら。

そういうこともあったんだけれども。


花守様はひどく悲しそうな顔になって苦笑いした。


振った、だなんて、そんなこと、できませんとも。

振った、なんて、そんなこと、思いもしませんでしたとも。

ただ、それはいけないことだ、って。

ちゃんと、断らないといけない、って。

楓には幸せになってもらわないと、いけないんだから。

楓の幸せを、このわたしが壊すわけにはいかないんだから。


楓の幸せは、楓自身が決めることですよ、花守様。


始祖様相手に、また偉そうなことを言ってしまった。

けど、花守様は、怒りもせずに、ちらっと笑ってみせた。


それ、楓にも、言われました。

ええ、それ、実は、わたしも、よく分かってました。

楓の幸せは、わたしが決めることじゃない。

楓がそれを幸せだと言うのなら、って。

だけど、それでも、わたしには…

不幸になると分かっていて、楓にはさせられない、って…

ずっとそんなふうに思い込んでいて…

つまりは、わたしが愚か、なんでしょうけど…


まあ、気持ちは分からないこともないけどね。

なんだかんだ言って、結局、結ばれたんだし。

だからもう、いいんだと思うけどね。


けど、島のご神木がね?

教えてくださったんです。

わたしは、狐だ、植物じゃない、って。


花守様は泣き笑いになっていた。


もう、わたし、なあんだ、って思ってしまって。

そしたら、気持ちが溢れてしまって。

わたしは、楓のことを不幸になんかしない、って。

それが分かって、もう、嬉しくて嬉しくて。

ええ、もう、こんなわたしでもいいって言ってくれるなら。

なにもかも、まとめて全部、差し上げたい、って。

ええ、もう、押し付けてしまいましたよ。


よくもまあ、そんなこと、堂々と惚気られるもんだよな。

オレ、ちょっと、呆れたけどね?

まあ、花守様の本心なんて、とっくにお見通しだし。

郷の全員が、呆れかえっていたのにさ。

たったひとり、花守様だけ、無駄に抵抗してたからね。


だからね、わたしは、ご神木に、恩があるんですよ。


花守様はしみじみおっしゃった。


狐は、受けた恩は忘れません。

あ、ほら、わたしも、自分のこと堂々と狐と言いますよ?

言えるようになったんです。

なんて、喜ばしいことでしょう。

わたしは、ちゃんと、狐だったんです。

楓と同じ、妖狐なんですよ。


何回も言わなくても、知ってます。

という意地悪は言わないでおいた。

花守様にとって、それは、そのくらい大事なことだった。

そういうことなんだろうから。


あの怪物はね、ご神木にとって、大事な方。

その方の変じたモノ、なのです。


ああ、やっぱり、とちょっと思った。

あの、徹底的にご神木の痕跡を踏み潰したあたり。

怪物はご神木に深い関わりがあったんじゃないか、って。


島を護っていたご神木を、邪魔に思っていた。

それだけじゃなかったんですね?


もっと、暗くて冷たく深い怒り、のようなもの…

とでも言いますか…

いいえ。怒りではなく、悲しみ。

そう、悲しみ、という方が、より近いかもしれない。


花守様は、遠く遠くを見つめて呟いた。


ご神木は、わたしに何もおっしゃいませんでした。

それどころか、嘘を貫き通そうとしていらっしゃいました。

結果的に、それで、精霊の力を失うことになっても。

これだけは、本当のことを話すわけにはいかないと。

そう決心しておられたのでしょう。

そのお気持ちも、分かる気がしてしまうのです。


花守様は、ちょっと困ったように視線を逸らせた。


母君に先立たれ、誰にも愛されず、味方もなく。

魑魅魍魎のなかで、育つしかなかった。

卑しい血と蔑まれ、何故にお前だけと憎まれて。

それでも、生き残ったのは、神の血を引いていたからか。

母の出自を恨んだかもしれません。

海人族の血を憎んだのかもしれません。

それでも、大王位を継いだのは、父王への思慕でしょうか。

父王に愛されたかったのでしょうか。

それゆえに、父王と同じ、修羅の道を歩んだのでしょうか。

けれども、彼は、自らの血は次代に遺そうとしなかった。

おそらくは、いずれかの時点で、真実に気づいてしまった。

自らが、大王の血は引いていない、と。

たったひとり、肉親だと信じた人。

その人を、母と自分は裏切っていたのだ、と。

死してなお、恨みと憎しみの塊となってしまった彼を。

助けてほしい、とはおっしゃいませんでしたけれども。

実の父君にとっては、どれほどに、悲しいことだったか。

己が滅ぼされることで、彼の気が済むのなら、と。

おそらくは思われたのでしょうけれど。

徹底的に破壊してなお、彼の悲しみは癒えていません。


花守様の語っているのは、なんの話しだろう?

オレはそんなことを思いながら、ただ黙って聞いていた。

とても、悲しい話だと思った。

彼、とは誰のことだろう?


せめて、彼の痛みの癒えるまで。

これ以上、悲しみを増やさせないように。

それくらいしか、受けた恩を返す方法はないのです。


花守様は、オレをじっと見つめた。


わたしは、世界一の宝物をいただきました。

この上なく、幸せになってしまいました。

この恩は計り知れません。

狐は義理堅い。受けた恩は忘れない。

ただ、以前のわたしなら、己をもっと軽んじていました。

自分より大切なものは、この世界にたくさんあるから。

己はいつかその代わりになれればいいと思っていました。

けど、今は、それはちょっと違うのです。

わたしはもう、わたしのものではありません。

この世界一大切なヒトのものになってしまったのです。

わたしの命も魂も、もうわたしのものではありませんから。

わたしはそれを軽はずみにどうこうはできません。

わたしは、もう、隅々まで、楓のものですから。


そう宣言した花守様は、ちょっと憎らしいくらい幸せそうで。

だから、オレはちょっとだけむっとしてしまった。


もう、早く、寝ましょう。


そう言って、背中をむけたのだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ