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ひなたの暖かさはあなたの

 それは、突然のことだった。いつも通りの朝だったのに。

 

「明日花。言いにくいんだけど……あなた、今日で解雇だそうよ」

 

 伝えてくれたのは、あの親切なメイドのお姉さん。でもあたしは、それを聞いたとたんまわりから色が消え去ったような感覚に陥った。

 

「エース様が昨夜ね……ってあら、大丈夫? 明日花」

「はい……。大丈夫、です」

 

 聞こえるか聞こえないかの声でやっとそれだけ返すけど、うまく考えられない。今、あたしはどうなっているんだろう。

 

「私も今日は休みだから、あなたの家まで送っていってあげるわ。すぐに部屋を空けてくれって、荷物も今日中に家へ届けられるそうよ」

「はい……」

 

 ぼんやりした思考で自分が持てる荷物だけをまとめて、屋敷を出る。気づけばもう家に着いていて、先生がお姉さんにお礼を言っていた。あたしもぺこりと頭を下げて見送った。

 

「明日花、あそこはどうだった? どんなふうに過ごしたか、教えてくれよ」

「えっと――」

 

 いつものこの時間は、エースが勉強や仕事をするのを見ながらあたしは本を読んでいて、ときどき会話を交わしていた。

 それから逃げ出すエースを捜して、追いかけっこが始まる。勝っても負けても、エースは最後には必ずあたしの前に現れる。

 午後も同じように過ごして、たまに外に出掛ける。エースは気分転換って言ったけど、あたしも楽しめそうなところに連れていってくれた。

 

 思い出すだけで胸を満たす、この感情は何だろう。

 

「先生、あたしエースに会いに行きたい……」

「行ってきな、明日花」

 

 あたしに視線を合わせて、先生がそう言った。

 

「正面から向き合ってみな。女は度胸だ。あんたが帰ってくる場所は、ちゃんとここにあるんだ」

「うん……!」

「明日花は、自慢の娘だよ」

「ありがとう、先生っ。いってきます!」

 

 あたしは、いつだってエースを追いかける側だ。今だって、彼のいる場所へと走っている。

 ねえ、勝てば言うこと聞いてくれるんでしょ? だったら、あたしが勝ったらそのときには――。

 

 意を決して、あたしは屋敷の扉を開ける。最初の日は、ここでエースに会ったんだっけ。

 あの日の繰り返しみたいに、開けた扉の先にエースがいた。いないはずのあたしを見て、黄色の瞳が見開かれる。

 

「あ、明日花? どうして……?」

「追いかけっこしよう、エース。今度は、あたしが逃げる番ね」

 

 不敵な笑みで言うなり、エースの横の隙間から屋敷内へ飛び込む。すれ違う間際、夜色の髪がほんの少しだけ触れた。それが何より、エースの近くにいるのだと実感させてくれる。

 

「待って、明日花!」

「なら、捕まえてみなよ!」

 

 前とは逆の立場で、あたしたちは追いかけっこをする。子供っぽいけど、そこが何か楽しい。

 

 付かず離れずの足音。届きそうで届かない距離。目に映るのは、追いかける側ならきっと逃げる相手の姿だけ。見失わないよう、置いていかれないよう。次はどこへ曲がるか。どれだけ逃げても離れない。

 どうしてエースが追いかけっこを仕掛けてきたのか、今少しわかった気がする。ただ、自分を見てほしい。きっとそれだけだった。

 

「言ってくれればよかったのに……」

 

 ううん、言えないからこそ行動したんだ。逃げてごまかすことで主張してみせた。どこまで自覚してたのかはわからないけれど。

 

 曲がり角で、一瞬あたしの姿がエースからは見えなくなったタイミングで魔法を使う。エースが走り去るのを待って窓から飛び出したら、風の魔法で空を飛んで庭への出入り口の屋根に座る。

 誰かの足音が聞こえるたび、ひやりとする。見つかりたくないような、見つかりたいような。鼓動が速くなるのは、追いかけっこの高揚感と、エースを想うから。

 

 あたしは、エースが好き。きっと、今よりもっと前から。

 

 待ち人がようやく下に見えた。あんまり時間は経ってないけど、待ち遠しかったから長く感じた。エースは腕の時計を見て、一つため息をついた。

 ここで時間切れ。追いかけっこはあたしの勝ちだ。

 

「エース、受け止めて!」

「!?」

 

 言葉と共に、ぴょんと飛び降りる。そのまま驚いた表情のエースが、反射的に開いてくれた腕の中へ。重いと思われるのは嫌だから、風の魔法を使ってふわりと降りた。お姫さま抱っこで受け止められる。

 

「エース」

「……わかってるよ。君がオレのこと、怒りに来たってことくらい」

「全然わかってないよ」

 

 怒りに来たんじゃない。あたしは、エースに切り捨てられたと知った時でさえ、怒りよりむしろ寂しさを感じていた。エースの傍に、いたかったから。ずっといられると思っていたから。

 後悔しているように逸らされた黄色の瞳に、目を合わせる。そんな顔するくらいなら、最初から素直になればよかったのにね。いつだって素直じゃない、臆病で寂しがり屋な人。

 

「あたし、エースのこと好きなんだよ」

「え……」

 

 驚いても、綺麗な顔。深い紫の前髪がかかる瞳は、夜空に浮かぶ月みたいだ。近くで見たくて、額をこつんとぶつける。

 

「好き。エースが好き」

「君は……オレの欲しい言葉も、して欲しいことも、全部簡単にくれる……」

 

 そうなの? ならよかった。一方通行って、寂しいから嫌だもんね。

 でもエースだって、あたしのために色々してくれたでしょ? 退屈しないようにとか、迷わないようにって手をつないでくれたの、嬉しかったんだよ。

 

「オレも、明日花が好きなんだ。何ならあげられるかな……」

 

 数秒考えたエースの顔が、ふと近づく。さっきから近かったから、今はさらにだ。

 

「……!」

 

 触れるだけのキスが、儚い温もりを残していく。

 

「好きだよ、明日花」

「あたしも!」

 

 捕まえた暖かさを、今度こそ離さない。

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