第57話 不思議な縁
ある日、善次郎たちが、いつもの如く夏を見舞って帰ろうとしたとき、診察を終えた先生に呼び止められた。
今日、木島さんと菊池さんが見舞いにきていたらしい。
菊池さんは初めてだったが、木島さんは三度目だった。
最初に木島さんを見たとき、先生はどこかで見たことのある人だと思った。
だが、思い出せなかった。
それが、今日、思い出したのだという。
それは、先生がまだ開業する前のことで、ある動物病院で働いていた時のことだ。
一匹の黒猫が、急患で連れて来られた。
連れて来たのは、髪の長い、清楚な感じの女性だった。
手の空いているのは先生だけで、先生がその猫の治療に当たった。
その猫は肺炎に罹っており、もう老齢で、連れて来られたときには、手の施しようがなかったという。
二日入院して、いよいよ駄目だとなったとき、先生がその女性を呼び出した。
女性は、急いで病院に駈けつけてきた。
その時には、まだ、その猫は意識があった。
「風三郎」
女性が猫の名を呼んで、目の前に一枚の写真をかざしてみせた。
「ニャア」
風三郎が、弱々しい声で、嬉しそうにひと声鳴くと、そのまま息を引き取った。
その死に顔は、とても安らかだったそうだ。
「主人です」
女性が、先生にも写真を見せながら、そう言った。
「今は、訳あって、別々に暮らしていますが、主人は、とても風三郎のことを可愛がっていました。わたしが、妬けるくらい」
問わず語りに、女性が話し始めた。
「風三郎の死に目に遭えず、主人はきっと悲しい思いをすると思います」
先生は、女性の威厳に打たれて、話を遮ることができなかった。
「でも、風三郎は、主人に拾われて、きっと幸せだったと思います。先生、ありがとうございました」
女性が、先生に向かって、深々と頭を下げた。
「直ぐに呼んでくださったおかげで、風三郎に主人の写真を見せることができました。風三郎も、心安らかに、天国へ行くことができるでしょう」
先生は、胸が詰まってなにも言えなかった。
「写真だけだけど、どう見ても、ヤクザにしか見えない人だったが、あんな素敵な奥さんに恵まれ、風三郎くんも慕っていたようです」
先生が、感慨深げに、述懐を締め括った。
「あなた達が、どういう関係かは知らないが、これもなにかの縁だ。このことを、あの人に伝えてもらえませんか」
先生に頼まれて、善次郎は、ふたつ返事で引き受けた。
それにしても、不思議な縁だ。
まさか、風三郎を看取った医者が、先生だったなんて。
木島さんを善次郎と引き合わせたのは、風三郎だったんじゃないかと、善次郎は思った。
きっと、このことを、木島さんに伝えてもらいたかったのだろう。
美千代と洋平を先に帰して、善次郎は、木島さんの家へと向かった。
「今日も、見舞いに来てくれたそうだな。ありがとう」
まずは、木島さんにお礼を言った。
「おう、いいってことよ。俺も、夏の顔を見たかったんだからよ」
木島さんが、屈託なく手を振る。
「それより、どうした? わざわざ、お礼を言いにきただけじゃないんだろ」
「そうなんだ、実は…」
善次郎は、先生から聞いた話を伝えた。
善次郎の話を聞く木島さんの目からは、大粒の涙がぽろぽろこぼれ落ちている。
「そうか」
話を聞き終えた木島さんが、袖で涙を拭った。
「風三郎のやつ」
そう言ったきり、暫く言葉が出せないようだった。
「善ちゃんと出会ったのも、風三郎の導きだったのかもな」
そこまで言ったとき、急に木島さんの顔が暗くなった。
「だが、夏の病気まで、風三郎の仕業だったら…」
「馬鹿なことを言うんじゃない」
善次郎が、木島さんの言葉を遮る。
「しかし、夏が病気にならなけりゃ、こんな話は…」
「あんた、自分が可愛がってた猫が信じられないのか? 夏の病気は、誰のせいでもない。そんなくだらないことを言うんだったら、友達の縁を切るぜ」
「悪かったよ」
善次郎の剣幕に圧されて、木島さんは素直に頭を下げた。
「わかってくれれば、それでいい。あんたは、何度も夏の見舞いに来てくれた。飼い主でもない、あんたが。俺は、そんなあんたと友達だってことを、誇りに思ってるんだぜ」
「ありがとうよ。もう、馬鹿なことは言わないよ」
「それでいい。もう、そんな湿っぽい話はよして、今夜は呑まないか」
善次郎が、途中で買ってきた日本酒を、木島さんの前に置いた。
「お、いいね」
二人は、つまみもなしに、ちびちびと飲みだした。
「それにしても、縁ってやつは不思議だよな」
木島さんの言葉に、善次郎は黙ってうなづいた。
善次郎も、強く、それを感じていたのである。




