第37話 前進
美千代は、すっかり活と夏が気に入ってしまったようだ。
最初はあんなに恐々と触っていたのに、今では二匹に語らいながら、優しく腹を撫でている。
満足したのか、二匹は同時に起き上がり、部屋の隅へと行ってしまった。
後は、二人でどうぞといわんばかりだ。
美千代は、名残り惜しそうに二匹の姿を眼で追っていたが、やがて善次郎に、その眼を向けた。
これまでと違い、その眼からは、善次郎に対する敵意は消えていた。
まともな話し合いができそうだ。
まずは、美千代に謝る。
自分がこれまでどんなに酷い人間だったか、美千代と洋平にどんな仕打ちをしてきたか。
活と夏を飼ってから、そのことがよくわかった。そう伝えた。
「私たちは、猫と一緒なのね」
美千代の眼が、すっと冷たくなる。
「違う」
善次郎が、静かに首を振る。
「おまえたちと猫を一緒にしているわけではない。あいつらと生活を共にしていて、家族の大切さが身に染みてわかったんだ」
自分の想いをうまく伝えられず、善次郎はもどかしい気持ちで、訥々と話す。
「今更どんなに謝っても、済んだことは取り返しがつかない。しかし、自分にはただ謝ることしかできない。謝って済むことではないが、許してほしい。ここから出ていけという、おまえの気持ちはわかる。こんな俺の顔なんて見たくもないだろう。なるべく早く出ていくようにするから、もう少し待ってほしい。洋平とも会わないようにする」
ふと、自分が泣いていることに気が付いた。
なぜだろう?
自分でもわからず、困ったように活と夏を見た。
二匹は、冷めた眼で善次郎を見つめている。
その眼は、「自分で撒いた種なんだろ。だったら、自分で刈り取れ」そう言っているようだった。
「もう、済んだことよ」
美千代が、ハンカチを差し出した。
「男が、そんなことで泣かないの」
たしなめる美千代の眼も、潤んでいるように見えた。
「昔のままのあなただったら、絶対叩きだしてやろうと思っていたんだけど。今のあなただったら、洋平に会わせないわけにはいかないわね」
美千代が、大きなため息をひとつついた。
善次郎が、エっという顔をする。
「さっきも言ったけど、本当にあなたは変わった。私たちと一緒に暮らしている頃のあなたが今みたいだったら、離婚することなんてなかったのに」
美千代が、寂しそうに笑った。
「すまん」
善次郎には、それしか言うべき言葉がみつからなかった。
「ところで、今、どうしてるんだ?」
これ以上、こんな話を続けるのが苦痛になり、善次郎が話題を変えた。
「今は、とある会社の事務をしているとわ」
再婚はしていないのかと訊いたが、暫く結婚はこりごりだと答えられて、自分の不甲斐なさのせいで迷惑を掛けて申し訳ないと、また善次郎が謝った。
「謝ってばかりだけど、一方的に出ていったことに腹は立てていないの」
「その時は腹も立ったし、情けない思いもしたが、さっきも言ったように、自分が全て悪いのだと気付いてからは、そんな感情は一切ない。今では、美千代と洋平に済まないことをした、その気持ちで一杯だ」
そう答える善次郎の顔には、後悔の念がありありと浮かんでいる。
善次郎が嘘を言っているのでないことは、その顔を見れば一目瞭然だった。
美千代に、善次郎の気持ちが伝わったようだ。
もう美千代と呼んでも、怒られることはなかった。
「猫が、こんなに、あなたを変えるなんてね」
そう言って、感慨深げに二匹を見た。
善次郎は、木島さんの話をした。
「ヤクザでも変わるんだ、俺なんかいちころさ」
「そうかもしれないけど、あなたも、たいがい自分勝手な人間だったわよ。私に謝る姿なんか、想像もできなかったわ」
美千代に言われて、俺もだと、善次郎がうなづく。
「でも、わかる。私も、こんな短時間で好きになってしまったもの。まさか、私が猫を触るなんてね。動物の力って不思議よね。頑なな人の心まで変えてしまうんだもの」
「そうだな」
結婚してから、いや二人が出会ってから初めて、二人の意見が一致した。
お互い顔を見合わせた。
はにかんだように善次郎が笑うと、釣られて美千代も微笑んだ。
活と夏は部屋の隅に蹲って、そんな二人に眼もくれず、大きなあくびをしていた。




