第16話「恋愛禁止なのに交流推進?」
翌日の午後一時五十五分。
春樹は七階の会議室Aの前に立っていた。
手には、午前中に印刷した営業企画部の資料が数枚。
昨日届いたメールによれば、今日の会議は部署間コミュニケーション改善プロジェクトの初回打ち合わせということだった。
(しかし、何で俺なんだろうな……。)
春樹は首をかしげながら扉を開けた。
「失礼しまーす。」
「あっ、足立さん。お疲れさまです。」
会議室には、すでに小泉美奈が座っていた。
テーブルには人数分の資料がきれいに並べられ、ホワイトボードには会議の議題が書かれている。
「早いですね、小泉さん。」
「準備がありますから。」
「相変わらず真面目だなぁ。」
「会議の準備をするのは普通のことです。」
「いや、そうなんですけど。」
春樹は苦笑しながら椅子を引いた。
すると、美奈が顔を上げた。
「あ、足立さん。そちらではなく、こちらへお願いします。」
「えっ?」
「プロジェクトの進行役をお願いする予定ですので、私の隣に座っていただけますか?」
「……俺が進行役?」
「はい。」
「聞いてないんですけど。」
「今、お伝えしました。」
「そういう問題じゃなくて!」
美奈は不思議そうに首をかしげた。
「営業企画部の主任でいらっしゃいますし、適任だと思いますが。」
「いや、まあ……。」
「それとも、何かご都合が悪いでしょうか?」
春樹は少し考えた。
「……小泉さんの隣に座ると、また妙な噂が立ちません?」
美奈の眉がぴくりと動いた。
「会議の席順で噂になるようなことはありません!」
「いや、この会社ですからねぇ。」
「仕事と私生活は別です!」
「はいはい。」
「返事は一回!」
「はい。」
春樹は笑いながら、美奈の隣に腰を下ろした。
そのとき、会議室の扉が勢いよく開いた。
「お疲れさまでーす!」
相良美紀だった。
彼女は室内を見回すと、春樹の姿を見つけて満面の笑みを浮かべた。
「あっ! 春樹先輩!」
「おう。」
「私、先輩の隣に座りますね!」
美紀はそう言いながら近づいてきたが、春樹の隣に美奈が座っていることに気づいた。
「……あれ?」
「相良さん、お疲れさまです。」
「あ、小泉主任。お疲れさまです!」
美紀は笑顔で挨拶した。
しかし、その視線は二人の距離を測るように動いている。
「……先輩、どうして小泉主任の隣なんですか?」
「進行役をやれって言われたんだよ。」
「えーっ! じゃあ、私も進行役やります!」
「何でだよ。」
「補佐が必要じゃないですか!」
「進行役に補佐って必要なのか?」
「必要です!」
美紀は即答した。
美奈は少し困った顔をした。
「相良さん、今回はまず各部署から意見を出していただく予定ですので……。」
「じゃあ、意見をいっぱい出します!」
「それは助かります。」
「その代わり、次の会議は私も先輩の隣で!」
「……席は自由で構いませんが。」
「やったぁ!」
春樹は額に手を当てた。
(……何で会議が始まる前から席取り合戦なんだよ。)
そこへ、今度は神崎勇人が入ってきた。
「おう! みんな揃ってるか?」
その後ろには黒瀬早紀の姿もある。
「神崎君、声が大きい。」
「いやぁ、こういう会議は元気よく始めないと!」
「まだ始まってないでしょう。」
「それもそうだな!」
勇人は豪快に笑った。
早紀は呆れたようにため息をつきながら席に着いた。
すると勇人が、当然のようにその隣の椅子を引いた。
「あら、神崎君。」
「はい?」
「どうして私の隣なの?」
「えっ? いや、空いてたからですけど。」
「向こうも空いてるわよ。」
「……。」
「何?」
「……別に。」
勇人は少し肩を落としながら、反対側の席へ移動した。
その様子を見ていた春樹は、思わず吹き出しそうになった。
(神崎課長、分かりやすすぎるだろ……。)
全員が席に着いたところで、美奈が立ち上がった。
「それでは、時間になりましたので会議を始めます。」
彼女は資料を一枚めくった。
「今回の目的は、部署間の交流を活性化し、社員同士がより円滑にコミュニケーションを取れる職場環境を整えることです。」
勇人が元気よく手を挙げた。
「はい!」
「神崎課長、どうぞ。」
「じゃあ、まず全社員参加のバーベキュー大会なんてどうですか?」
「いきなりですか?」
「やっぱり社員同士、肉を焼きながら語り合うのが一番でしょう!」
早紀が冷静に口を挟んだ。
「誰が準備するの?」
「……えっ?」
「三百人分の食材、会場、交通手段、後片付け。予算はいくら?」
「……。」
「まさか、言い出しただけ?」
勇人は咳払いをした。
「……まあ、細かいことはこれからだな。」
「でしょうね。」
春樹は笑いをこらえた。
美紀も手を挙げた。
「じゃあ、私は社員同士のランチ交流会がいいと思います!」
「なるほど。部署を越えて昼食を取るということですね。」
「はい! 男女ペアで!」
美奈の手が止まった。
「……男女ペア?」
「そのほうが仲良くなれそうじゃないですか!」
「相良さん。」
「はい!」
「それでは、別の目的の交流会になってしまう可能性があります。」
「えーっ! 別の目的って何ですか?」
「それは……。」
美奈は言葉に詰まった。
春樹が横から口を挟んだ。
「お見合いみたいになっちゃうってことだろ。」
「そう! それです!」
美奈は勢いよくうなずいた。
美紀はにやりと笑った。
「へえ。小泉主任、お見合いは駄目なんですか?」
「そういう問題ではありません!」
そのやり取りを聞いていた早紀が、静かに口を開いた。
「ねえ、小泉さん。」
「はい?」
「そもそも、社員同士を仲良くさせたいのに、社内恋愛は禁止って、ちょっと矛盾してない?」
会議室が静かになった。
美奈は資料へ視線を落とした。
「……それは、交流と交際は異なるものですので。」
「もちろん、そうだけど。」
早紀は小さく笑った。
「でも、誰と仲良くなるかなんて、会社が決められるものじゃないでしょう?」
春樹は隣の美奈を見た。
美奈は少し考え込んでいるようだった。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「……確かに、その点については検討が必要かもしれません。」
春樹は思わず目を丸くした。
(……へえ。小泉さんが規則に疑問を持つなんて。)
そんな春樹の視線に気づいた美奈が、こちらを向いた。
「足立さん。」
「はい?」
「何かご意見は?」
春樹は少し考えた。
そして、真面目な顔で口を開いた。
「とりあえず……。」
「はい。」
「男女でプリンを食べても問題にならない会社にしたいですね。」
「……。」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、勇人が机を叩いて笑い始めた。
「ぶはははっ! お前、まだプリンを引きずってんのか!」
美紀も声を上げて笑った。
早紀は口元を押さえている。
そして美奈は、額に手を当てながら深いため息をついた。
「……足立さん。」
「はい。」
「お願いですから、少しは真面目に進行してください!」
春樹は笑いながら頭を下げた。
「すみません!」
こうして、ミナトリンク株式会社の部署間コミュニケーション改善プロジェクトは、何とも先行きの怪しい幕開けを迎えた。




