第13話「辛口の後輩、甘口の先輩」
春樹は自分の皿を少し彼女のほうへ寄せた。
「ほら、こっち食べてみろよ。」
「……えっ?」
「普通の辛さなら大丈夫だろ。」
「でも、先輩の分が……。」
「いいよ。俺はまだほとんど食べてないし。」
美紀は少し迷ったあと、春樹の皿からひと口すくった。
「……あ、おいしい。」
「だろ?」
「こっちのほうが、ちゃんと味が分かります。」
「最初から普通にすればよかったのに。」
「……うう。」
美紀は情けない顔をした。
その様子がおかしくて、春樹はまた笑った。
「じゃあ、皿交換するか?」
「えっ! でも先輩、激辛食べられます?」
「……。」
春樹は真っ赤なルーを見た。
そして、静かに自分の皿を引き戻した。
「やっぱりやめとく。」
「ひどーい!」
二人は顔を見合わせて笑った。
そのあと、美紀は追加でライスを注文し、辛さを薄めながら何とか食べ進めた。
春樹はそんな彼女を眺めながら、ふと口を開いた。
「そういえば、昨日の資料、どうなった?」
「あっ! あれですか?」
「うん。先方から修正頼まれてただろ。」
「今朝、営業の佐藤さんと確認しました。だいたい大丈夫そうです。」
「そうか。よかったな。」
「ただ、ちょっと気になるところがあって……。」
美紀はスプーンを置いた。
それまでのふざけた雰囲気が、少しだけ変わった。
「お客さんが言ってた入力作業の削減時間なんですけど、あの数字って、現場の人が慣れるまでの時間は入ってないですよね?」
春樹は顔を上げた。
「……ああ、そうだな。」
「やっぱり。」
「何か言われた?」
「いえ。でも、お客さんが本当に気にしてるのって、導入してすぐ楽になるかどうかじゃないですか。」
美紀は少し考えながら続けた。
「今までの作業が減っても、新しいシステムの操作を覚えるのが大変だったら、最初は逆に忙しくなると思うんです。」
春樹は美紀を見つめた。
普段は冗談ばかり言っている後輩だが、こういうところは意外と鋭い。
「……確かに、そのとおりだな。」
「ですよね?」
「導入初期の教育時間と、実際に効率が上がるまでの期間も説明に入れたほうがいいな。」
「はい!」
「相良、いいところに気づいたじゃん。」
美紀はぱっと表情を明るくした。
「本当ですか?」
「うん。そこ、俺も見落としてた。」
「やったぁ!」
「帰ったら、その部分を追加しておくよ。」
「私も手伝います!」
「助かる。」
春樹は素直にうなずいた。
美紀は少し照れたように笑った。
「……先輩に褒められると、何か嬉しいです。」
「何だよ、それ。」
「だって先輩、普段は私のこと、子供扱いするじゃないですか。」
「そんなことないだろ。」
「ありますよ。」
「そうかなぁ。」
「あります!」
美紀はきっぱりと言い切った。
そして、少しだけ視線を落とした。
「……私だって、ちゃんと仕事してるんですからね。」
その声には、いつもの冗談めいた響きがなかった。
春樹は少し驚いた。
美紀は入社して数年になるが、年上の社員たちからは今でも新人の頃の印象で見られることが多い。
明るく愛嬌があり、誰にでも甘える。
その性格のせいで、仕事に対しても軽く考えていると思われがちなのだろう。
しかし、実際には違う。
春樹は、彼女が営業先で必死にメモを取り、夜遅くまで提案資料を修正している姿を何度も見てきた。
「……分かってるよ。」
春樹は静かに答えた。
美紀が顔を上げる。
「相良が頑張ってるのは、ちゃんと見てる。」
「……。」
「だから、あんまり無理するなよ。」
美紀は一瞬、何も言わなかった。
やがて、ゆっくりとうつむいた。
「……先輩。」
「ん?」
「そういうこと、さらっと言うの、ずるいです。」
「何が?」
「……何でもありません。」
美紀は再びスプーンを手に取った。
そして、残っていたカレーをひと口食べた。
「……辛っ!」
春樹は吹き出した。
「まだ食うのかよ!」
「だって、もったいないじゃないですか!」
「もうやめとけって!」
「負けた気がするんです!」
「誰と戦ってるんだよ!」
美紀は涙目になりながら笑った。
そんな彼女を見ていると、春樹まで楽しくなってくる。
結局、美紀が激辛カレーを完食することはできなかった。
店を出る頃には、すっかり肩を落としていた。




