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終戦

「……ギ」

 <鏖殺蜂>は生まれて初めて恐怖を覚えた。


 数万からなる魔物の群れの頂点に立っていた彼からすれば人間というのは単なる獲物でしかなかった。奴等はいつだって逃げ惑うだけの矮小な生物であったのだ。前回の遠征では敵の小細工のせいで大きな戦果こそ挙げられなかったが、正面から戦いさえすれば負ける事は絶対にないと確信している。


 だからこそ目の前の戦士が得体の知れない化物のように思えた。この人間は一体何者なのか。二時間近く単独で戦い続け、全身の至る所に毒針を受けてなお旺盛な戦意を保っている。


 内心に恐れを抱きながらも歴戦の勇士たる鏖殺蜂は冷静であり続けた。化物の攻撃をいなし、指揮に専念する。殺戮蜂をけしかける事で少しずつ手傷を負わせていく。


 ――何故、死ナヌ。


 致命傷は既に与えたはずだった。幾度となく攻撃し、深手を負わせている。それなのにどうして立っていられるのか。まだ戦っているのか。どうやったら死ぬのか。これは本当にどうやったら殺せるのか。


 鏖殺蜂が後退する。

 それは初めて感じた恐怖心故の不用意な行動だった。





 ――ここだ!


 その隙をヒロトは見逃さなかった。

 ダンジョンメニューから<シルバーゴーレム>と<巨大蜘蛛ヒュージスパイダー>を投入する。<巨大蜘蛛>はレアガチャチケットで手に入れてから死蔵されてきた蜘蛛系のレアモンスターである。体長五メートルほどの巨大な蜘蛛でそれなりに高い耐久力を持つが、動きは鈍く、魔法も使えないため攻撃手段に乏しいという弱点があった。特に遠距離攻撃手段といえば蜘蛛の糸を撒き散らす程度の事しか出来ない。非常に使い勝手が悪い――否、使い所の難しいモンスターであった。


『ゴアアァァァ――ッ!』

 斧をぶん回しながらシルバーゴーレムが蜂共へと襲い掛かる。鏖殺蜂は更に後退しながら部下の殺戮蜂達を迎撃に当たらせる。


『シャ!』

 <巨大蜘蛛>は自身への注目が消えたのを見計らって殺戮蜂の群れへ大きく膨らんだ臀部を向ける。


 そして白い砲弾を次々と発射される。高く舞い上がった砲弾は中空で花のように開いた。足元から飛来する美しい六角形の文様、それが自分たちを陥れるための罠だと気付いた時には狩りは終わっていた。


 非常に粘着性のある蜘蛛糸の網が天井付近で密集していた殺戮蜂達を捕らえる。団子状にまとめられ、自由に翅が動かせなくなった殺戮蜂達は次々に地上へと落ちていく。そんな敵部隊をシルバーゴーレムが自慢の斧で叩き潰す。


 この瞬間、数的優位が消える。


 指揮官たる鏖殺蜂は僅かに迷った。一旦仕切りなおすか、入り口を確保して増援を呼び寄せるか。


 ボス部屋の前にはまだ沢山の殺戮蜂部隊が控えている。しかし、今は不利だ。そして生まれて初めて経験する数的不利という状況に抑えていた恐怖心を増幅させる。


 一瞬の機能停止パニック


『ギッ!?』

 そして気付く。


 ――あの化物は何処へ行った……?


「余所見はいかんぞ?」

 振り返る。いつの間にか自らの影に潜む暗殺者ウォルターの姿を見つける。


「ふむ、別に剣士だって暗殺者の技を使っても構わんじゃろう?」

 その瞬間、鏖殺蜂の首は飛んだ。




「ボス部屋解放!」

 ヒロトはメニューを操作し、ダンジョン機能でウォルターを<回収>する。


 ボス部屋の扉が開く。


「突撃!」

 ルークが吼える。<決戦場>で鬨の声が上がったかと思えば入り口に待機していた精鋭部隊一〇〇名がボス部屋に突入した。


「<火球>、詠唱開始ですわ!」

 抜刀隊が一斉に<火球>を放つ。魔法連鎖による一斉射撃。巨大な爆発がボス部屋のみならず休憩所に待機していた後続部隊までも焼き尽くす。一斉射撃は寝食を共にする抜刀隊の得意技でもあるのだ。


 指揮官を失い、先の魔法攻撃で前線部隊も壊滅。敵部隊は大いに乱れた。そして陣形もない所に魔剣を携えた腕利きの剣士達に突撃されたのだからたまったものではない。


「ギギ!」「ギー!」

 後退しようとする前線部隊と援軍に駆けつけた後続部隊が入り乱れ、身動きの取れない状況に陥ってしまう。いかに高位の魔物とはいえ身動きの取れないような相手に遅れを取るような抜刀隊ではない。狭いダンジョンの壁や天井を蹴り上げながら高速で敵陣を駆け抜け、すれ違いざまに首を刈り、胴を切断していく。


『師父の仇だ!』

 特に圧倒的だったのは二振りの魔剣を抜きながら疾走するルークだった。固まった殺戮蜂達に踊りかかると、その場で独楽のように高速回転する。殺戮蜂達は身を守る暇さえ与えられずに屠られていった。


 そのままルーク達は通路に移動し、後詰部隊にまで攻撃を仕掛けていく。前線部隊が壊滅し、指揮官たる鏖殺蜂を失った状態ではいくら精強な殺戮蜂達とはいえ前線を維持する事はできなかった。


 徐々に押し込まれていく前線。一部が逃走を始める。それは群れ全体に伝播し、壊走へと変化していった。殺戮蜂達はその性質から本能的に集団行動を取ってしまう。そのため誰かが変った動きを始めると皆それに倣ってしまう事があるのだ。


「逃がすな!」

「追え! 一匹だって残すな!」

 抜刀隊が追撃戦を開始する。ヒロトは味方の進行状況に合わせて通路上の罠を無効化していく。


「逃がさない、お前等だけは絶対に許さないぞ!!」

 ルークが叫ぶ。

 抜刀隊の先頭に立ち、壊走する魔物へと執拗に追いすがる。


 その瞳は凄惨な復讐者の色を宿していた。





「いいか、絶対に生かして帰らせんな! 奴等はここで根絶やしにするぞ!」

「はい!」

 キールは二〇〇〇名の戦闘要員を率い、関係者エリアから第九層へ先回りしていた。


 三〇名ほどの部隊に分け、迷路の中に放つ。狭い通路に影に隠れ潜み、逃げ惑う蜂達を暗がりから奇襲させるのだ。


 そして自らは逃走する敵の先頭部隊へ突撃する。自慢の槍で敵を貫き、振り被って地面へと叩き付け、鉄靴でもって踏みつける。


「どうした、ハチミツ野郎! 掛かって来いよ!」

 強烈な殺意を向けられて魔物達はたじろいだ。その隙を見流さず更に一歩踏み込み、敵を刺し貫いた。キールの脇を通り抜けようとする個体は子供達が背後から弓矢や魔法で攻撃した。


「お前等は一匹たりとも逃がさねえ、絶対に殺してやる!」

 勝敗は既に決している。このまま放っておいても奴等はダンジョンから逃げ去っていくだろう。しかしキールはもちろん子供達だって大切な仲間を傷つけた敵を許すわけがなかった。


「いくぞ、ジャリ共! ここで奴等を根絶やしだ!」

 先頭部隊を全滅させ、キール達は更に進むのだった。


 こうして<ハニートラップ>の部隊は全滅した。逃走中の激しい追撃と、迷路内を知り尽くした奴隷たちによる待ち伏せにより、須らく殺害されたのであった。





 ヒロトは眷属達からの逆進撃案――<ハニートラップ>内部に部隊を進攻させる――を却下させると子供達に帰還命令を出した。


「これでいいのかな……」

「ええ、賢明な判断でした」

 ディアは、ヒロトの行動を肯定する。


 相手は腐ってもナンバーズである。きちんとした攻略準備もせずに踏み込めば痛い目を見るに違いない。こんな所で新たな犠牲者を出すわけにもいかない。今は子供達はおろか眷属達さえも冷静な判断が出来ない状態だ。ヒロトはダンジョンマスターとして断固として戦いを終わらせる必要があった。


 それに復讐心に駆られ、殺戮に酔い始めた子供達をこれ以上見ていられなかったというのもある。ヒロトは復讐を否定しない。復讐は何も生まないなんて綺麗事である。復讐を果たさなければ前に進めない事だってあると思う。それでも子供達には綺麗なままで居て欲しい。


 そんな事を思うのはきっと大人の身勝手な都合なのだろう。


「よく冷静でいられました。安心致しました」

「いや、僕も冷静じゃないよ。今のクロエを見たら、ね」

 ヒロトの視線の先には、ウォルターにすがり付くクロエの姿があった。


「主様! どうしよう、お爺ちゃん、治らない……血が止まらなくて……血が……全然、利かない!」

 大きな瞳に涙を浮かべたクロエが振り返る。空になった薬瓶が転がっている。それは生きていれば死人でさえも生き返らせるというのが謳い文句のダンジョンショップの<エクストラポーション>だった。しかし魔法薬は傷口の上を流れていくばかりで、傷を癒すばかりか止血さえも出来ていなかった。


 その謳い文句に嘘はない。要するにウォルターは既に生きていないのだ。


 ウォルターの命脈はとっくの昔に尽きていた。きっと鏖殺蜂と戦い始めた頃には既に壊れていたのだと思う。


 ウォルターは眷属化により老いから解放され、新たな力を得た。戦闘能力は四ツ星級を超え、五ツ星級――神々にさえ届こうというレベルにまで高まった。人の身でありながら神のきざはしにまで到達した能力に肉体が耐えられなかったのである。


 穴の開いたコップにどれだけ大量の水を注いだところでこぼれてしまうのと同じである。治すべき体が存在しないのだからいくら高級な薬だろうが癒しようがない。


 だからウォルターは死ぬ。必ず死ぬ。どんな手立てを講じても人間の手では治せない。


「お願い、主様、お爺ちゃんを、お爺ちゃんを助けて!」

「クロエ、ごめん、本当にごめん……」

「あるじ……さま……」

 クロエは大粒の涙を零し、ディアにしがみついた。


「ディア、お願い! お爺ちゃんを治して! お願い、何でもするから! あたしの命でも何でもあげるから、持っていっていいから、お願い!」

「ごめんなさい……私には出来ません……そして例え私が最高神の地位にあっても彼を癒す事は許されないでしょう」

「嘘だ! 神様なんでしょ! 何だって出来るんでしょ! お願い、お爺ちゃんを助けてよ、誰か……だれかぁ……」

 クロエが嗚咽する。


 ――僕の所為だ……僕が間違ったから……。


 ヒロトはクロエの慟哭を聞きながらウォルターの体を毛布で包んだ。洞窟の冷たい空気は容赦なく体温を奪っていった。蒼く変色した体。かさつき黒ずんだ唇。弱々しい呼吸。何故死んでいないのか分からないほどの状態だった。


「師父!」

「お爺ちゃん!」

 掃討を終えた子供達が帰ってくる。敬愛する師の体にすがり付いた。


 子供達の泣き声が響く。その声はこの世のどんな悪罵よりもずっと強くヒロトの心を苛んだ。


 ヒロトは何も出来ず、見守り続ける。

 ウォルターの死を待ち続ける。


 握り締めた拳からは血が滴り落ちてきていた。

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