エピローグ
「終わった……」
ショウが崩れ落ちる。
大量召喚した殺人蜂は全滅し、貴重な殺戮蜂も死んでしまった。虎の子の鏖殺蜂さえも失っている。
手持ちの魔物は一〇〇匹を切っており、明日のダンジョン防衛に関わる程の戦力不足に陥っていた。新たに召喚しようと手持ちのDPを確認し、愕然としてしまう。
この二年間、必死になって稼いできた資産が今は十分の一以下になっていたからだ。このダンジョンバトルに入れ込み過ぎた結果、ショウは破滅寸前にまで陥っていた。
「や、お疲れ様!」
ショウが顔を上げると、視線の先には朗らかな笑顔を浮かべる金髪碧眼の美少年――全ての原因たる迷宮神――が立っている。
ショウは迷宮神を睨みつける。
「悪いが、今、アンタの相手をしてやれる余裕はないんだ」
「まあまあ、そう言わないで。用事が済んだらすぐに帰るからさ」
「……用事?」
「預けた物を返してもらおうと思ってね」
勝利報酬として置いていった<原典の渦>の事だろう。四ツ星級モンスターを量産出来る至高のレアアイテムである。
「ハッ、あれならもうないぞ、使っちまったからな」
「えー困るよー。あれは成功報酬なんだから」
全く困っていなさそうに――むしろ円らな瞳を輝かせながら――迷宮神が言う。
「知らねえよ、勝手に置いてったお前が悪い」
ショウは開き直って言い切る。高位の神々相手に喧嘩を売っているようなものだが、敗戦のショックで自暴自棄になっていたのだ。
「まあ、確かに僕にも落ち度があったかもね……ところでその渦ってどこにあるの?」
ショウはコアルーム横の産卵部屋――殲滅女王がいるだけの部屋――を顎で示す。奴はとてとてと音がしそうなあざとい歩き方で産卵部屋に入っていった。
「じゃあ、ルールだからね? 返してもらうよ?」
迷宮神は言って渦の中に手を突っ込む。
「ほい!」
渦の中から<殲滅女王>が引き摺りだされてきた。中身の取り出すと渦は以前の金色のチケットへと戻っていった。
「――なっ」
ショウは驚愕を隠せない。一〇メートルを超える巨大なモンスターをどうやって掴み上げ、引きずり出したのかも不思議だったが、それ以上に渦が元のチケットに戻ってしまったのが意味不明だった。渦は吐き出すためだけのものであり、内部に触れる事なんて出来ないのだ。
「えへ、やっと驚いてくれたね。僕ぐらいの権限があればこの程度は思うがままさ!」
自慢げに胸を張る迷宮神。
「さてと、残りは渦が生み出した殲滅女王や待機部屋にいる殺戮蜂の卵達だけどね、これも成功報酬を使って得たものだから返してもらうよ」
迷宮神が指を鳴らす。すると渦によって生み出されていた百匹近く居た殲滅女王達が光の粒子となって掻き消えた。
「……殺した、のか……?」
「いやいや、元に戻しただけさ。ああ、渦の元になった個体だけは残しておいてあげたから感謝してよね」
確かにそこは感謝すべきところであろう。殲滅女王さえ残ってくれれば戦力不足は解消出来る。強化された殺戮蜂が量産出来るからだ。これを元手にDPを稼ぎ、鏖殺蜂を召喚。再育成に取り組む。時間は掛かるだろうが、やってやれない事はなかった。
――結局、全てはこいつの手の平か……。
そしてある事に気付いて絶句した。ショウを始めとするダンジョンマスター達が必死になって召喚し育てている魔物達はこの化物の指先一つで消されてしまうという事実に。
それはつまりダンジョンマスター達がどれほど力を得ようとも、この神にだけは絶対に逆らう事が出来ないという事を意味する。
「さてと、用事も済んだし、帰ろうかな?」
「ああ、もう来るなよ、この疫病神め」
ショウは内心の怯えを必死に隠し、強気の発言をする。下手に出てはならないと直感で悟る。一度でもそんな素振りを見せたら最後、奴はショウを玩具のようにして弄んでくるはずだ。
何せこの神は異世界から一〇〇〇人の罪なき人々を浚い、ダンジョンマスターに仕立て上げた張本人である。今も愚かな人間達が騙しあい、殺し合うこの状況を愉しんでいるのだ。
もしもこの迷宮神が飽きてしまったら?
唇を噛んで震えを隠す。その時、ショウを始めとするダンジョンマスターは指先一つで消されてしまうのではなかろうか。そんな恐怖を見せないようにする。
「ああ、そういえばダンジョンバトル負けちゃったね」
「それが何だ……」
「<迷路の迷宮>のダンジョンマスターはこのダンジョンから一体何を持っていくのかね?」
「――ッ!」
振り返る。産卵部屋に走っていく。最後に一匹だけ残されていたはずの殲滅女王の姿がなかった。
玉座に戻る。ダンジョンバトルのリザルト画面が浮かび上がった。大量のDPと四ツ星級のモンスターが奪われてしまっていた。
「……嘘、だろ」
「ふふふ、また来るね」
迷宮神は後ろ手を組んで楽しそうにコアルームを出て行った。
その横顔にニタリという笑みを浮かべながら。
かつての最高位、<ハニートラップ>の凋落は始まったばかりだ。
十二月二五日、奇しくも五年前と同じ日にヒロトはまた家族を失った。
ウォルターが息を引取った後、ヒロト達はウォルターの遺体を屋敷へと運び入れた。そしてディアにガイア流の葬儀の段取りを教えてもらいながら粛々と準備を進めていく。
全てが終わったのは翌日の夜だった。葬儀はガイアでも宗教や地方によって特色があるらしく、火葬であったり、土葬であったり、遺体を魔物に食べさせる魔物葬なんてものまであるようだった。
ヒロトは馴染みのある火葬によって弔う事にした。遺体を棺に入れ、ウォルターが大事に保管していた妻子の遺髪を握らせる。
「ごめんね、ウォルター。僕が不甲斐ないばかりに」
ヒロトはそう言って白い百合に似た花――ウォルターの妻が大好きだったそうだ――を棺に捧げた。
「おじいちゃん……さようなら」
クロエが続いて献花をする。声は未だに掠れていた。
「師父、貴方の教えは忘れません」
「爺さんには最後まで勝てなかったなあ……」
ルークとキールはそんな風に見送った。続く子供達は泣きじゃくりながら言葉にならない声で最後の別れを済ませた。
全員で棺を閉じる。
「ディアさん、お願いします」
ディアはそっと頷くと、手の平を掲げた。
瞬間、棺から火の手が上がった。火炎は徐々に大きくなり、轟轟と燃え上がった。それは一筋の巨大な火柱だ。巨大な炎が天高く舞い上がっていく。
熱風が頬を焼く。
炎が周囲を照らし出す。
皆、泣いていた。
――僕はこの日を忘れない……絶対にッ!
誓いを立てる。
ヒロトは奥歯をかみ締めた。涙がこぼれないように必死に耐える。
涙を流す事で悲しみは薄れるという。まるで悲しみを忘れるために、ウォルターとの思い出を捨て去るみたいに思えるからだ。
ヒロトは今日を忘れない。だから今日も明日もこれからも絶対に涙は流さない。この悲しさを、この悔しさを、命ある限り忘れない。
徐々に小さくなっていく光の柱をずっと見詰め続けていた。
葬儀というのは死者のためではなく、残された人のためにあるのだと思う。
大事な人を失う悲しみは相手が大切であるほど深くなる。しかし残された人々は日々の生活がある。今という時間をきちんと生きて行かなければならない。故人の供養にもなるだろう。
葬儀とはつまり死者を想い、悼み続ける日々にピリオドを打つための儀式なのだろう。
「棺を見たら灰も残ってなかった。そうしたらもう、お爺ちゃんは戻ってこないんだと思った」
クロエはそんな事を言って、仕事へと戻っていった。ゆっくりとだが普段の調子を取り戻しつつあるという。今日もお庭番衆を率いて屋敷や区画への不法侵入者を捕縛していた。
ルークとキールは<メイズ抜刀隊>の遠征準備に追われている。年末には恒例となりつつある<クリスマス大作戦>は始まっているらしいし、数日後には<初日の出暴走>も予定されている。
<メイズ抜刀隊>を出陣させ、王国中のダンジョンから溢れ出す魔物の群れを討伐させる。この遠征は今後ダンジョン経営における収益の柱として期待されているわけで、いくら辛いからといって中止させるわけにもいかない。
子供達もメンバーに召集されるよう日々の修練に気合を入れているようだ。人間誰しも目標があるほうが頑張れる。本当に真面目な良い子ばかりなのだ。
奴隷達と同じくヒロトもまた精力的に働いている。ダンジョンの構造を一から見直し、攻略難易度を高めていく。
更に子供の教育に悪いと拒否し続けてきた魔物の<変異>――あえて特殊な環境を作り、それに適応した魔物を作り出す――や<交配>――異種族を無理矢理に掛け合わせて両方の特性を受け継いだ魔物を作り出す――の実験を積極的に行うようになった。気分はさながらマッドサイエンティストである。
本業の傍ら<掲示板>を使って情報収集も行っている。効率的な罠の作成方法や組み合わせ、特殊モンスターの作成条件、ランカーダンジョンの動向や編成、知りたい事はいくらでもあった。
ディアに協力してもらいながらダンジョンシステムの仕様調査も行っている。今は更に世界の物理法則なども調べている最中だ。<奴隷の奴隷>のような裏技や、クランク通路を作り<火を吹く壁>を使って威力を上げる<クランクバズーカ>のような特殊な組み合わせを考え出せればライバル達に差を付けられる。
そうして年末は忙しなく過ぎていき、気が付けば大晦日になっていた。
ヒロトは玉座の間に作った<慰霊碑>に手を合わせる。祈る事に意味は無い。ディア曰く、ウォルターの魂は間違いなく天界へと送られたそうだ。
ディアが責任を持って運んでくれたのだから間違いはない。むしろ案外あの世で楽しくやっているかもしれない。そうであって欲しい。
ヒロトはウォルターの安寧を願った。ウォルターの為の祈りではない。自分はそんな殊勝な人間ではない。自分が罪悪感に押し潰されないために故人の安寧を願っているだけだ。
「ヒロト様……」
「こんばんは、ディアさん」
振り返った先、銀髪碧眼の美女が立っていた。ディアはヒロトに手を伸ばしかけ、引っ込めた。
「何か?」
「いいえ、すいません……ヒロト様、大丈夫ですか?」
「何がです?」
「ウォルターさんの事です……随分気落ちしているように見えますが」
「そんな事はないですよ。家族を見送るのは慣れてますから」
ヒロトは乾いた笑顔を浮かべた。目の下の隈が痛々しいとディアは思った。
「嘘ですね」
「本当ですよ。僕は……僕は……冷たく利己的なダンジョンマスターです」
ヒロトは魔物を使役し、凶悪な罠を仕掛け、侵入者を屠殺していく人類の敵である。<迷路の迷宮>はダンジョンを一般公開こそしていないが、金で買った子供達を鍛え上げて戦場へと送り出すという鬼畜の所業を行っている。
「貴方は優しい人ですね」
「違います、優しくなんてない。優しいだけじゃ子供達を守れない」
ヒロトは奥歯をかみ締める。犠牲者はこれからも増えていくだろう。手駒の一つが失われたくらいでいちいち悲しんではいられない。
ウォルターから子供達の行く末を任された。ヒロトは全身全霊を持って約束を守ると誓った。子供達を守るために、子供達を戦場に送り出さなければならない。そんな矛盾に苦しんでいた。
「変異に手を出しているのもその一環ですか」
ヒロトはこれまで倫理感から止めてきた<変異>に手を出すようになった。特定の条件下にモンスターを配置し、特殊な環境に適応する個体を抽出。特殊な進化を促すという生体実験だ。
「もう手段なんか選んでいられません。もうこんな思いは沢山だ! 例え悪党になっても、僕は」
「相変わらず優しいですね」
ディアは穏やかに微笑んだ。
「いつかヒロト様が思い余って世界を滅ぼしてしまわないか不安になります」
「僕は魔王になるつもりはありませんけど」
「でも、冷酷なダンジョンマスターになるんですよね?」
「……なるほど、要注意人物だ」
ここでようやくヒロトは笑った。
「ディアさん、僕は悲しくなんてないんです。むしろ後悔の方が強い。ウォルターが死んだのは全て僕の所為です。
僕が油断したから、人の話を聞かなかったから、弱いから、危機感を持っていなかったから、信じたいものだけを信じたから、こんな事になった。もっと真面目にやっていたらきっとウォルターは死ななかった」
「ヒロト様がダンジョンバトルを断っていればこんな事にはならなかった。全員で年越しを迎える事が出来た。そういう事ですか……」
「はい、その通りです」
パン、と乾いた音がした。
「自惚れるな! 二〇年も生きていない若造が! 貴様は神にでもなったつもりか!」
頬を叩かれたのだと気が付いた。
驚いて顔を上げればそこには大粒の涙を流すディアの姿があった。
「なんでディアさんが泣いてるんですか?」
「貴方が泣かないからです」
「……ごめん、ディアさん」
「真に受けないでくださいよ……私が勝手に泣いてるだけです」
ヒロトは気が付けばディアを抱き寄せていた。
「……ヒロト様?」
「ご、ごめん……ディアさんを泣き止ませたくて……」
嘘だった。それは衝動的な行動だった。自分のために涙を流してくれる事実に何となくたまらなくなっていたのだ。
抱き寄せてから慌てた。ディアの体が恐ろしいほど魅力的だったからだ。腰は折れてしまいそうなほど細くて、胸にあたる柔らかな感覚には魔性が伴っている。
「あの、今離れますから……」
「その必要はありません」
慌てて距離を取ろうとして、逆に引き寄せられてしまう。ひっついている分、先ほどよりもずっと女性っぽさが感じられてしまって頭がおかしくなりそうだった。
「私は悔しいです。貴方にそんな顔をさせてしまっている事が。貴方から悲しみを拭い去ってやれない事がたまらなく悔しい。
私にもっと力があったら、今よりも賢かったなら、貴方を苦しみの淵から救い出せていたかも知れない……そう思うと悔しくてたまらなくなる!」
何て温かいのだろうとヒロトは思った。赤の他人でしかない自分に、どうしてここまで優しくしてくれるのだろうか。思い遣ってくれるのだろうか。果たして自分は他の誰かに同じ事が出来るだろうか。
静まり返ったコアルームでは吐息さえ五月蝿く、心音でさえ騒々しい。
遠くで子供達の声が聞こえたような気がして二人は慌てて離れた。
「あ、ありがとう、ディアさん」
「ど、どういたしまして」
俯いた先、艶やかな銀髪から覗いた耳は真っ赤に染まっている。多分、自分の顔も同じ事になっているのだろうと思った。
ディアの真っ直ぐな言葉が今のヒロトには辛かった。
優しくされる資格なんてないと心苦しくもあった。
でも、それ以上に嬉しかったのだった。




