迷路のゴールは
ショウは貧相な麦わらベッドに寝転がり作戦を練っていた。手に嵌めた指輪を見る。禍々しい漆黒の宝玉を抱えた指輪であった。
――これで決めてしまいたいが、期待薄だろうな……。
手付け金の一つである<始祖の呪詛>は神代の呪いを封じ込めたマジックアイテムだ。使い捨てだが、時に神々でさえも恐れるほどの呪詛を吐く。
しかしヒロトに通用する可能性は極めて低い。ダンジョンマスターはDPで各種耐性スキルを得られる。慎重なアレが取得していないはずがない。呪い殺す事は出来ないだろう。昏倒させるのが関の山だ。
出来るならヒロトにはダンジョンバトルが終わるまで眠っていて欲しい。どうせ殺されるなら眠っている方が苦しまなくて済むんじゃないかなんて親切心が二割だ。残りはダンジョンマスターの不在により敵の抵抗だって弱くなる事への期待感で占められている。
ヒロトのダンジョン<迷路の迷宮>は全一〇階層にも及ぶ巨大な迷路だ。そしてその防衛に当たるのは二〇〇〇を超える奴隷戦士達。ほとんどが星付きであり、五〇〇名が二ツ星級だ。
正面からぶつかり合えば倒せない事はないだろう。手元にはこの二年間に溜め込んだ大量のDPがある。更に手付金として受け取った大量のDPまである。これ等を使えば一〇万匹を超える殺人蜂を用意出来る。
「問題は……時間か」
一〇万対二〇〇〇では勝負にならない。しかし、腕利きの戦士達に防衛に回られると流石に二四時間で全滅させるのは難しいというのも事実だ。そもそも迷路の踏破するのにも時間が掛かる。探索に殺人蜂達を大量動員したとしても半日残せるかどうか。いや、妨害も考えれば決戦に使える時間は良くて六時間ぐらいだろう。
これは数ではなく質の問題だ。火力が足りないのである。決戦には二ツ星級である<殺戮蜂>を使用したい。数だって一万は確保したいところだ。しかしコストの高い<殺戮蜂>を大量に手に入れる事は難しい。
――難しいだけで、出来ない事はないんだよな。
逆に、可能だからこそ<ハニートラップ>にクエストが発行されたのだ。
『これは君に預けておくよ』
クエスト受諾後にやってきた迷宮神の言葉を思い起こす。
ショウの手には既に<原典の渦>が握られていた。
「預けておく、ね……」
要するに使え、という事だろう。このアイテムを利用すれば二〇〇〇の戦士達を圧倒するだけの戦力が手に入る。
しかしこのアイテムを使った上でクエストに失敗すればどんな酷い目に遭わされるだろうか。
悪魔と契約した魔術師の末路はいつも悲惨だ。
つまりここが分水嶺。
喉を鳴らす。随分といがらっぽい。
緊張しているようだ。
そして捨て鉢にもなっている。
この孤独が続くならいつか自分は壊れてしまうだろう。
ショウは自らを冷静に分析する。
「毒を食らわば皿までってか」
薄く笑う。
ショウが顔を上げた先には巨大な蜂が寝転んでいる。体長は一〇メートルを超えた巨躯、大きく膨らんだ腹、ギチギチと鋏を鳴らす。魔物を五〇体は配置出来る大部屋がそれだけで狭く感じられるほどの圧迫感。
四ツ星の魔物。
厄災の生む魔物。
その名は<殲滅女王>。
ショウは大きく息を付くと、<原典の渦>を近づけていった。
<渦>が殲滅女王を生み出していく。
殺人蜂や殺戮蜂を始めとする蜂系モンスターの頂点に立つ存在だ。戦闘能力は四ツ星級としては下位に入るが、彼女には他のモンスターにはない特徴がある。
スキル<産卵>。
殲滅女王は一日に五個から一〇個の<卵>を産む。ただそれだけの特殊能力だが、これこそがかのモンスターを四ツ星級に押し上げ、また<ハニートラップ>をランキング上位に君臨させ続けてきた最大の要因であった。
殲滅女王の卵から生まれるのは二ツ星モンスターである<殺戮蜂>だった。飛行能力を持ち、毒針を飛ばし、大きな鋏状の顎で大木さえも断ち切ってしまう攻撃力を持っている。正に二ツ星級に相応しい戦闘能力を持つ魔物だ。ベテラン冒険者でも苦労するそれをDPなしで生み出し続けるのである。
そして一番恐ろしいのが<殲滅女王>の子供として生まれる事だろう。一流アスリートから生まれた子供の運動能力が高いのと同じように、産卵によって生まれた殺戮蜂は召喚した時よりも通常よりもステータスが高く生まれてくる。四ツ星級のモンスターたる殲滅女王の子供である殺戮蜂達は通常召喚のそれに換算してレベル一五に相当するステータスを持って生まれてくるのだ。これは三〇名近い星付き侵入者を倒してようやく至れる強さである。
更に<卵>は厳密には魔物ではないため、維持コストが掛からないというメリットがある。孵る直前に待機部屋――部屋に入りきらない魔物を格納しておく謎空間で維持コストだけがかかる――に移動しておく。待機部屋に移動された魔物は仮死状態に入るらしく、羽化を中断させる事が可能なのだ。
これこそがショウの見つけたシステムバグ<卵待機>だった。つまりノーコストで大量に<殺戮蜂>を保持し続ける事が可能となったのである。
<奴隷の奴隷>と同じくダンジョンシステムの仕様漏れを突いたものである。先日の邂逅で迷宮神はこのシステムバグに気付いていたであろう。しかし、見てみぬ振りをした。少なくとも<迷路の迷宮>を始末するまでは目を瞑ってくれるらしい。
複数の殲滅女王を維持し続けるのはDP的に辛いが、年明けに<進攻>で過剰戦力を吐き出してしまえばいい。
新たに生まれた殲滅女王が卵を生み出す。
ショウはそれを待機部屋に放り込むだけだ。ダンジョンバトルでは強化された<殺戮蜂>の大群が<迷路の迷宮>の戦力を打ち砕くだろう。
ショウは目を瞑り、息を吐いた。
体が重い。
息が苦しい。
それでも逃げなければならない。
追いかけてくる。
『待テぇエェぇぇ――』
それはどこかで聞いた声だった。
叔父や叔母、歳の離れた従兄弟達、名前も知らない遠縁の誰か、彼等の声が重なり合ったような声だった。
「ハァ、ハァ――ハァ――」
迷路の通路を右へ左へ更に右へ。
現在位置なんて分からない。
ヒロトはただただ走っている。
あの声が遠ざかった。
そろそろ撒いただろうか。
ヒロトは膝に手を置き、呼吸を整えた。
影からそっと通路を覗く。
『どぉこ、ダァァ――ひロとオォぉ――』
この世の光を全て吸い込んだような黒い塊が粘液が脇を通り抜けて行った。
腰が抜けたように崩れる。壁に背中を預けて倒れこんだ。
――結局、僕は逃げてばかりだ。
膝を抱える。
不意に泣きそうになった。
立ち向かえない自分、勇気を持てない自分、逃げてばかりの自分、弱くて脆くて情けないどうしようもない子供。中学生の頃から全く成長していない。
高校生になった。
ダンジョンマスターにもなった。
強くなったはずなのに。全然強くなれていない。
いつだって誰かに守られて、助けられて、そうじゃなければ自分なんて――
「ひぃ!」
『見ィつケたアあぁァァ――』
気が付けば黒いのは目の前に立っていた。
『寄ォ越せエェェ――』
「だ、誰か……」
下がる。背中に壁の気配を感じる。
『寄ォ越せエェェ――』
「たす、け……」
先ほどまであったはずの左右の曲がり角はいつのまにか消えている。
迷路は、ヒロトを助けてくれるはずの複雑怪奇な迷宮は壊されてしまっていたのだ。
『喰ワせろぉオォォ――――』
黒い塊が粘液状の体を広げ、踊りかかる。黒いのに取り込まれれば終わりだ。きっと肉は食われ、骨まで溶かされるだろう。
「…………――――ッ」
いつまでも来ない苦痛にヒロトは腕の隙間から覗き込んだ。
「これは……」
ヒロトの目の前に銀色の玉が浮かんでいる。美しく清冽な白銀はその眩いばかりの光によって影という影を消し去り、黒を退けていたのだ。
「ディア、さん……?」
銀色は答えない。ただ強い輝きでもって通路の先を照らすだけだ。
この先へ行け、という事だろう。
「あの、付いてきてくれますか?」
銀色が一振りの剣へと姿を変える。
装飾のない無骨な剣だ。刀のような美しさはない。鈍器に近い鉄の色合い。ただ刀身は肉厚でちょっとやそっとじゃ壊れそうにない。
頼りがいのある剣を握り締め、ヒロトは通路を歩いた。
曲がり角のない一本道を行く。
ヒロトの迷路は黒いのに壊されてしまっている。
薄暗く長い道をずっとずっと歩いていく。迷路の曲がり角をすべて真っ直ぐに伸ばしたらこんな感じになるんじゃなかろうか。
十分経っただろうか、それとも一時間だろうか、もしかしたら一日中歩いていたような気もする。不安感に押し潰されそうになるが、手の平にかかったずっしりとした感触が意識を取り戻してくれる。
その先に黒いのがいた。
『ヒろトおぉオォぉ――!』
黒いのはゆっくりと近づいてきたが、不意に止まった。どうやら剣を気にしているらしい。剣先を向けると恐れるように身を捩った。
斬ればいいのだろうか。
倒せるだろうか。
そうすれば殺せるだろうか。
殺していいのだろうか。
殺せばこの悪夢は終わるのだろうか。
剣に怯える黒を見る。
力関係は逆転した。
殺したらどうする。
また黒が来たらどうする。
また殺せばいいのか。
毎回毎回殺していくのか。
薙ぎ払って行くのか。
それが正しいのか。
ヒロトは剣を振り被った。
黒い粘液は逃げるようにずるりと這った。
道が空く。
ヒロトは走った。
黒を置き去りにして通路を走る。
真っ直ぐな迷路を走る。
終端が見えてくる。
光が包んだ。




