クロエの決意
「主様!」
クロエは駆け寄り、力なく倒れ込む主を受け止めた。
「お前、主様に何をした!」
「見て分かるだろう、呪ってやったんだよ。まあ、こんなもんでいいか。それじゃあな」
「逃げるな、卑怯者!」
ショウは肩を竦めながらダンジョンの入り口へ消えていった。古参組が追いすがろうとするも、殺戮蜂の増援が邪魔をする。今も敵軍がダンジョンに侵入してきており、さしもの戦士達も数の暴力を抑えきれなくなりつつあった。
「クロエさん、戻りましょう。まずはヒロト様の治療が優先です」
「分かった……皆も戻るよ」
クロエはヒロトを抱きしめたままダンジョン内転移を行った。
「主様……」
クロエは、ヒロトの体をコアルーム隣の仮眠室に横たえさせる。弱々しい呼吸、手を握ると冷え切った指先に驚く。
クロエは敬愛する主人の衰弱に動揺した。ヒロトが今にも消えてしまいそうで怖くなった。
「ディア、主様は……」
「失礼……」
ディアは言って、ヒロトの左胸に触れる。その奥、心臓に絡みつく邪悪な存在を感じ取る。
「彼のダンジョンマスターの言った通り、<呪い>の類のようです……幸いな事にDPで各種耐性スキルを取っていたため呪詛ではヒロト様を殺す事は出来ません」
逆に言えば高い呪術耐性を持つヒロトでさえも昏倒させるほどの強力な呪物なのである。砕けた指輪から飛び出した黒い塊は神代の遺物と見ていいだろう。
呪術はガイアにおいて禁術指定されており、DPによるスキル取得が出来ない。またガイア神族が禁止したことによりその技術は地上でも廃れてしまっている。
一介のダンジョンマスターでしかない<ハニートラップ>の主がこれほどの逸品を手に入れる事はまず不可能だ。
そもそも何故、<ハニートラップ>のダンジョンマスターがヒロトの存在を知っていたのか。掲示板に個人情報を漏らすほどヒロトはまぬけではないし、サポート役は他ダンジョンマスターの情報を流す事を禁じられている。
古代の呪物を所有し、密かに情報を流しても文句を言われないような存在。もはや犯人は一人――正確には一柱というべきか――しかいない。
――やはり、迷宮神が手を引いていましたか……。
ヒロトのダンジョン<迷路の迷宮>はダンジョンの全体会議で注目を浴びていた。あの悪趣味な神の目に留まったのだとしたら。
――いえ、今はそんな事を言っている場合ではありませんね。
ディアは頭を振って意識を切り替える。今はヒロトを復活させるほうが先だろう。
「ディア、どうしたらいい?」
「呪いには聖水が有効ですが……」
クロエはすぐさまDPを使って聖水を手に入れ、ヒロトの体に降り掛けたが、体に触れた途端、音を立てて蒸発してしまう。
「ダメ、全然効いてない……」
「ええ、神々でさえ警戒するレベルの呪物です。その辺のアイテムでは消し去る事は出来ないでしょう」
聖水を飲ませてみるが結果は同じであった。ヒロトの体に触れた途端、聖水は煙になって消えてしまう。
「……治せないの?」
「すいませんが、ダンジョンマスターへの直接的な手助けは禁止されています。ヒロト様自身に呪いを克服してもらうより他にありません」
ディアは言いながら唇を噛んだ。ガイア神族である権能を持ってすれば解呪を出来ないこともない。しかしサポート役は助言する事は出来ても、手を貸す事は出来ないのだ。
「そんな……」
蒼ざめるクロエ。
ディアはしばらく目を瞑る。指先には儚くも神聖な白銀の光が灯る。その指でヒロトの額を優しく撫でた。
銀光がすっと吸い込まれて行くとヒロトの表情が目に見えて和らいだ。
「気休め程度にはなるでしょう」
ディアは自身が持つ神聖な力を、ヒロトに分け与える。邪悪なる呪詛には大ダメージだろう。強力な神代の呪いを消し去る事は出来なかったが、その活動を制限する事ぐらいなら出来たはずだ。
術式を使って治療を施したわけではないためギリギリ禁止事項にも抵触しない。もちろん明文化されていないだけでマナー違反には違いないが、今回は相手側が明確にルール違反を起こしている。このくらいは大目に見てもらえるはずた。
「ディア……いや、ディア様、ありがとうございます……」
「お気になさらず。ヒロト様の事は私にお任せを。クロエさん達はダンジョンの防衛に全力を注いでください。ヒロト様が復活した時、ダンジョンコアを奪われていましたではお話になりませんからね?」
クロエは大きく頷くとコアルームへと駆け出して行った。
「お爺ちゃん! 状況は!?」
「むぅ、クロエか。かなり不味い状況じゃ」
コアルームに飛び込んだクロエが見たのは悪夢のような光景だった。モニターには何千という<殺人蜂>が迷路内を飛び回っている。蜂特有の羽音が否応なく不快感を増幅した。
「あいつら、もう二階まで来てます!」
ルークが叫ぶように告げる。ダンジョン<ハニートラップ>は以前に戦ったランカーダンジョン<コープス共済>と同じ戦略を取っていた。
物量戦。大量の魔物を用意して全経路を人海戦術で走り抜けるという作戦である。それはダンジョンを一つの巨大迷路とすることで時間切れを狙う<迷路の迷宮>を攻略し得る唯一の戦略でもあった。
<コープス共済>の主力はゾンビやスケルトンなどの下級のアンデットモンスターだった。その知性や移動能力は低く、一般的な冒険者よりも遥かに劣っていた。その時でさえ<迷路の迷宮>はダンジョン中層部にあたる五階層まで到達されてしまっていたのだ。
そして今回、敵主力は<殺人蜂>を始めとした蜂系モンスターだ。彼等は希少な飛行型の中でも小回りが効き、移動距離にも定評がある。
例えばキイロスズメバチは巣から五キロメートルもの広範囲を活動圏内に収めるという。しかもその長距離を一日何度も往復するのだ。体長五センチにも満たないスズメバチでさえそうなのだから、体長五〇センチを超える魔物となれば一体どれほどの距離をひ飛べるだろうか。
「不味いぜ、爺さん。まだまだ増えてやがる」
キールが告げる。ダンジョン内に侵入している敵モンスター数は既に五〇〇〇を超えており、そして今もなお増え続けている。全く衰えの見せない戦力投入ペースだ。万を超える軍勢が背後に控えていると言われてもクロエは驚かないだろう。
その進攻速度は正に圧巻であった。第一階層が僅か一五分で踏破されてしまっているのだ。全階層の中で最も狭く、関係者エリアに多くのスペースを割かれてしまっている第一層とはいえこれは異常なまでの攻略速度だった。
――今、私に出来る事を……。
クロエは内心の不安を隠し、マニュアルを開いた。ヒロトは、年末に続いたダンジョンバトルの監視役をクロエにお願いする際に不測の事態にそなえてた作業手順を用意していたのである。
「第三層から罠を変更していく……皆、手伝って」
クロエ達はマニュアルを読み込みながら眷属達に指示を出していく。
まずは各階層の罠を変更させた。<落とし穴>や<飛び出す槍>などの地面設置トラップや<毒沼>、<灼熱床>などの地形ダメージを解除する。代わりに<飛び出す矢>や<火を吹き壁>などの飛行可能なモンスターにも有効な罠に差し替えた。通路上の侵入者を丸ごと踏み潰す<大岩転がし>を設置する事で出血を強いる。
「後はボス部屋の設置、ボスモンスターは<シルバーゴーレム>にする」
ボス部屋は五階層ごとに設置できる特殊施設だ。ボスに任命されたモンスターのHPやMP、ステータスを増大させて侵入者を狩る事を目的としている。
「しかしこの軍勢が相手ではそう持たぬぞ?」
いくらステータスの上がったボスモンスターといえど、数百数千という敵が相手ではどうにもならない。しかしボス部屋はボスを討伐しないと次の階層へ進めないという特性もあるため、敵の進攻を遅らせる事に繋がる。
「分かってる。これは主様が帰って来るまでの時間稼ぎ」
「良かった! ご主人様、無事なんですね? いつ帰って来るんですか!?」
「問題ない。今、ディアが診てくれてる」
ルークの問いははぐらかしつつ、ダンジョンを変更していく。
「ダンジョンの変更はいいじゃろう……後はどうする?」
クロエはしばし考える。マニュアルはこれで終わりだ。敵の主力や戦術に応じたダンジョン変更についてしか記述はないのだ。
これ以降は全てクロエの独断となる。
「……ルークとキールで部隊を率いて先頭集団を襲撃する」
「なるほど、先頭集団を倒せば進攻速度を鈍らせられるのう」
「分かった、俺はジャリ共に声を掛けてくる」
「僕も行きます!」
一緒に転移出来る人数には限りがあるため連れていくメンバーを選抜する必要がある。
「深追いはしないで。あくまでも狙いは時間稼ぎ」
「はい、クロエさん」
「仕方ねえ、従うよ」
「安心せよ、クロエ。ワシも付いておる」
「お願い。誰か一人でも死んでしまったら……きっと主様は自分を責める。傷ついてしまう」
その光景を容易に想像できてしまった眷属達はやれやれと首を振った。
「……絶対に死ねませんね」
「全く手のかかる主人じゃのう」
「大将は根暗だからな、仕方ねえよ」
「違う。主様は根暗じゃない。少し悲観的で物静かなだけ」
「世間じゃそれを根暗って言うーー痛ぇ!」
「さっさと働け、馬鹿野朗!」
クロエはキールの背中を蹴り飛ばして送り出すと、モニターを睨みつける。
「私達は、負けない……お前なんかに絶対に屈しないぞ……」
クロエは呟き、ヒロトが眠っているであろう仮眠室へと視線を移した。
――だから、主様も絶対に負けないで!




