スタンピードと出兵
答えを出せぬまま、二ヶ月が過ぎてしまった。十一月も半ばまでくると秋もすっかり深まってそろそろ冬の準備な気温になった。人々は軒先に果物を干したり、野菜を塩に漬けたりして保存食を用意したり、暖炉に使う薪を用意したりと中々に忙しそうである。
その間、ダンジョンの収益は激減している。地脈から齎されるDPや二週間に一回のペースで行われるダンジョンバトルによって僅かながら収益は出せているものの、一五位まで上がっていたランキングも今では三五位にまで落ち込んでしまっている。
「はぁ、憂鬱だ」
ヒロトはダンジョンの玉座で呟いた。傍らのクロエがよしよしと頭を撫でる。
「どう? 気分は良くなった?」
「うん、ありがとう……はぁ」
これは重傷だとクロエは肩を竦める。仕方ない、ここは膝の上にでも載って甘えさせてやろうかと動き出す。
ちょうどそんな時、コアルームの入り口が歪んだ。
「……来たな、お邪魔虫」
クロエがそう呟くと同時、サポート役のディアが姿を現した。
「おはようございます、ヒロト様」
いつもよりも早い時間だ。どうやら担当しているダンジョンマスター達が軒並み留守にしていたらしい。
十一月十一日、ダンジョンによる一斉蜂起が起きた。スタンピードと呼ばれるそれはダンジョン内でしか生息出来ないはずのモンスターを外に進攻させて数の力で人類を蹂躙する事の出来るいわばボーナスタイムであった。
前回のシステムメンテナンスに際してスタンピードを行うための<進攻チケット>に仕様変更が入った。
有効期限が付けられるようになったのだ。チケットは年度初めに各ダンジョンに配られるのだが、発行から一年以内に使用しなければ単なる紙切れに変わってしまう。
進攻チケットを使わないまま死蔵しているダンジョンが多い事に業を煮やした運営側の策略だったのだろうとヒロトは思っている。既に配られているチケットにも発効日から一年という有効期限が付けられてしまった。
結果、初年度に配られた進攻チケットが使用できなくなってしまった。不満はほとんど上がらなかった――チケットを死蔵させていたのは侵入者を呼び込まないいわゆる隠れダンジョンだった――にも関わらず、運営はその補填をしたいと言って本年度中に使用可能なチケットを全ダンジョンへ配った。
そして大半のダンジョンの手には二枚の進攻チケットが残った。<クリスマス大作戦>か<初日の出暴走>といった年末のために取っておいているからである。
ダンジョン側からするとスタンピードは各ダンジョンが一斉蜂起したほうが戦果を挙げやすい。各地域でスタンピードが起きると他地域にいる軍隊や冒険者などの援軍が入らないからである。敵兵を殺すより、村を壊滅させたり、砦を占拠した時に手に入るボーナスのほうが効率がいいのである。
スタンピードの有効期間は発動から一ヶ月だが、更にチケットをを使うことで二ヶ月まで延長する事が可能だ。
手元にある年内有効のチケットが二枚。更に新年度に一枚手に入るため、最大三ヶ月もの動員が可能となるわけだ。
掲示板でその話題が出るとすぐさま日取りが決められた。そして選ばれたのが十一月十一日、決まった理由は何となくだ。ポッキーの日だから、ぞろ目だから、何となく気分がいいから、そんな所だろう。
<ポッキー賞味期限騒動>と名付けられたそれに参加するダンジョン数は五〇〇を超えると予想されている。過去最大の参加数であり、その背景には日本人特有のもったいない精神が働いたんだろうと思われた。初めて参加するダンジョンも多く、掲示板では進攻のコツだとか、有効な戦術などが議論されていた。
「おはようございます、ディアさん。よかった、間に合って。一緒に来てくれますか?」
「はぁ……それは構いませんが……」
ディアが連れてこられたのはダンジョン内にある大広間だ。関係者専用スペースに作られた一画で薄暗く岩肌が剥き出しの迷路内とは事なり、白い大理石の壁や床で作られ、毛足の長い絨毯の敷かれた明るく広々とした空間であった。
そこには長テーブルが一〇卓ほど並んでおり、柔らかく焼き上げられた白パンやら豚の丸焼きやら海産物をふんだんに使われたブイヤベースやら貴族のパーティに出てくるような豪勢な食事が並んでいた。
「クロエさん、これは何のパーティですか?」
「激励会、抜刀隊の」
「なるほど、遠征ですか」
ディアの問いにクロエが短く答えた。
「総員、整列!」
ヒロトの到着に気が付いたキールが号令を発する。総勢三〇〇名、完全武装した奴隷達が立ち上がり、姿勢を正した。
ヒロトは広間の奥にある主賓席まで移動すると口を開いた。
「みんなご苦労様、とりあえず座って楽にしてよ……よし、食べよう」
「ダメ、主様。まずは抜刀隊への激励が先」
子供達がなんだかなぁという顔をする。途端にヒロトが顔を歪めた。元から目立つ事が嫌いな性格なため大人数を前にして――気心の知れた子供達であっても――話なんかしたくないのだ。
「抜刀隊ってルーク達が勝手に言っているだけで、正式名称ってわけじゃないから」
「ヒロト様、<メイズ抜刀隊>の勇名は王都どころか王国全土に広まっていますから……無駄な抵抗かと」
隣立つ二人の突っ込みに、逃げ場を失ったヒロトは肩を落とした。
「別に小難しい話をしろというわけじゃないぞ、ヒロトよ。皆、お主の言葉が聞きたいだけじゃ」
ウォルターにまで言われてしまえばヒロトとて逃げるわけにも行かない。
「えっと、みなさんもご存知の通り、今年も王国全土で……ガイア中でダンジョンによる一斉蜂起が発生しました。
王国より出兵依頼が舞い込んでしまいました。本来ならば蹴ってやりたい所ですが、前回の活躍もあってどうしても断る事が出来ませんでした。
彼等と同じダンジョンマスターとして、そして不甲斐ない主としてまず謝罪させてください」
奴隷達の多くはダンジョンの進攻により家族や故郷を失っている。ヒロトがスタンピードを起こした事はないが同胞として申し訳ない思いだ。
更に<ポッキー賞味期限騒動>が起こってからすぐに王国の使いが屋敷に訪れた。前回同様、<メイズ抜刀隊>の出兵を依頼――半ば命令であったが――されてしまった。
そして断る事が出来なかった。大賢者メイズ――ヒロトの通称――が多くの難民を身請けし戦闘訓練を施しているというのはよく知られた話であった。それは次回のダンジョン進攻を見据えた一手として認識されている。そんな理由でも付けなければ二〇〇〇人以上の戦士を保有する事は許されなかっただろう。すぐに国から介入が入ったはずだ。
これまで通り王都で暮らしていくなら出兵を断る事は出来ないのである。
メイズ抜刀隊は昨年末に起きたスタンピードでは一〇を超える魔物の群れを食い止め、壊滅させる事でその名を世に知らしめた。一人ひとりが一騎当千の実力を持ち、貴族達でさえおいそれと持てない様な貴重な武具を揃え――<疾風剣フェザーダンス>はもはや彼らの象徴と化している――謙虚で礼儀正しく振る舞い、住民からの礼も満足に受けずに次の戦地へ走っていく。
その振る舞いはまるで英雄譚に出てくるような勇者のそれだ。その人気は留まる所を知らず、王国全土にまで広まっているという。
もしもそんな彼等が出馬したと知ったら?
人々は歓喜し、軍や冒険者達は奮起するだろう。魔物の群れに対する戦力としてだけでなく、士気の面からもメイズ抜刀隊の出兵は望まれたのである。
「ご主人様が謝る必要なんてありません!」
ルークが立ち上がり、声を上げた。
「そうですわ! 私達は望んでこの場にいるのです!」
「僕は抜刀隊に選ばれて嬉しいです!」
「ご主人様から受けたご恩に比べたらこんな事!」
子供達の声が続く。
「……皆、ありがとう。君達が応じてくれて本当に助かるよ。
誰かのために命を賭けられる。それはとても尊い事だけど、僕としては正直、あまり嬉しくない。
これは戦争なんだ。人類とダンジョンがお互いを食い合う血みどろの殺戮なんだ。本来なら大人達に任せるべきだ、君達のような子供が背負うべき物じゃない」
最強の戦闘集団。世間ではそう見られているが実態は少しばかり戦闘能力に長けただけの子供でしかない。彼等のほとんどはヒロトと変わらないかそれよりも年下なのである。この世界の成人が一五やそこらだったとしてもヒロトには関係がない。
「だから逃げてもいい。とにかく死なないで欲しい。君達は死ぬにはあまりにも幼すぎる。
生きていれば辛い事は沢山あるよ、でもね、これから楽しい事があるはずだ。嬉しい事が、幸せな事が、山のように待っているよ。
それは生きていればこそ出会える事だ。だから君達には生きて欲しい。どんなに窮地に立っても生き残る事を諦めないで欲しいんだ。
僕はまた君達に会いたい」
ヒロトはそれ以上言葉を継げなくなった。遠くすすり泣く声が聞こえる。
言葉にして初めて分かる。
自分がどれだけ彼等を大切に思ってきたのかを。
自分がどれだけ醜いかを。
――ごめんね、それでもまだ、僕は彼等を信用し切れてないんだ。
挨拶を終えると食事の時間となった。さっきまで泣いていたはずの子供達の顔はご馳走を前に笑顔に変わっていた。
ヒロトは罪悪感を隠して食事を取った。王侯貴族もかくやというご馳走に夢中で主の変化に気付いた者はいない。
「ご主人様、僕頑張りますから!」
「俺も頑張るから見ててくれよな!」
「草の根掻き分けてでも奴等を殲滅してくれますわ!」
豪華な食事のおかげか士気はうなぎ登りだ。上がりすぎて気炎を吐き出す者さえ居た。
食事を終え、ダンジョンを出る。屋敷を出て全員で訓練場へ向かう。五〇台以上の銀馬車が列を為している。子供達が一斉に乗り込んでいく。
「それじゃあ皆、気を付けてね」
「はい、マスター。往って参ります」
「そんな心配そうな顔しなさんな。さくっと倒して帰ってくらぁ」
「ワシが居るのじゃ、心配いらん。むしろ留守中の子供達のほうが心配じゃ」
最後に乗り込む古参三人が声を掛けてくる。
「あ、そうだ……ちょっと待って」
ヒロトは懐から三枚のチケットを取り出した。
「それは?」
「眷属任命チケット。余ってるから良かったら使う?」
眷属とはサブマスターと呼ばれる存在で、ダンジョン運営に関連する操作が可能となる他、ダンジョンのレベルに合わせて生命力や魔力量、身体能力といったステータスが軒並み向上するというものだ。
本来はダンジョンで召喚された魔物にしか使えなかったが、前回のシステム変更でダンジョンマスターの支配下にある奴隷もダンジョンモンスターとして扱われる事になった。仕様変更の話を聞いた時、思い付いていたのだがそれよりもダンジョンの収益を上げる方法――奴隷解放――について考えて、一人で勝手に凹んでいたためにど忘れしていたのである。
これまで<迷路の迷宮>では奴隷の奴隷というシステムの穴を突いて収益を上げてきた。古参大人組は特に強くシステム的に三ツ星侵入者――ウォルターに至っては四ツ星判定――されるほどだった。当然、ダンジョンでは稼ぎ頭だったため眷属化など出来なかったのだ。
しかしシステム変更により、ダンジョンマスターと支配下にある奴隷達はみな魔物と同じ扱いになった。彼らを単なる奴隷に留めておく理由がなくなったのである。
百人長に任命した三人に万が一があっては困る。精神的主柱である彼等に倒れられると部下である子供達まで混乱する。最悪、全滅だってあり得るのだ。
幸いにもランカー入りの副賞だったり、ダンジョンバトルに連勝記録を打ち立てた時など度々配られていたため一〇枚以上も持っている。
「やった! ありがとうございます、ご主人様!」
「おお、こりゃ助かるぜ! 大将!」
ルークとキールはすぐにチケットを受け取ると眷属化を始めた。使い方は簡単である。ダンジョンマスターがチケットを渡し、本人がそれを受諾するだけである。
二人が光に包まれた。それだけで眷属化は完了する。見た目も全く変わっていない。ただステータスが上がり、体が軽くなったとかでその場で飛び跳ねたり、剣を振ったりして状態を確かめていた。
「……むぅ、すまんがワシは遠慮しとくかのう……」
ウォルターは少し申し訳なさそうに頭を掻いた。
「そっか、欲しくなったら言ってよ」
一度、眷属になってしまえばもはや後戻りは出来ない。本格的にダンジョン側――人類の敵――に回る事になる。そんな重大な決断をその場のノリで決めてしまう二人の方がおかしいのである。
「………………」
ヒロトが視線を感じて振り返れば背後には黒豹娘が半眼で立っていた。
「はい、よかったらどうぞ?」
「ありがとう、主様! あ、でも……本当にいいの?」
「何が?」
「私が眷属になるの、嫌じゃない?」
「もちろんだよ。むしろクロエこそ無理してない? だってダンジョンマスターの眷属だよ?」
眷属は不老の存在になる。そして人類の敵である。つまり一蓮托生。地獄の果てまで付いて行かなければならない。
「ううん、嬉しい……とても」
クロエは花が咲いたみたいな笑顔を浮かべる。眷属チケットを受け取り、大事そうに胸に抱いた。小さく発光したかと思えば眷属化が完了してしまう。
「これでずっと主様と一緒……ありがとう、主様」
クロエはヒロトに抱きついて頬擦りをする。人懐っこい猫みたいだとヒロトは思った。
「いいなぁ……」
「私も欲しいですわ……」
子供達が羨望の眼差しで古参組を見ている。馬車に乗り込んでいたはずの子供達さえ顔を出して成り行きを見守っていた。
「……みんなも欲しいのかな?」
「……何を今更」
ディアが呆れたように言った。子供達はヒロトの事を『お父さん』と呼び慕っているのである。眷族となればまさしく家族ではないか。これが羨ましくないはずがない。
「今回の遠征で活躍したら僕達も貰えるのかな」
「きっともらえますわ! 皆さん、頑張りましょう!」
『おー!』
遠く、歓声が聞こえてくる。
「そろそろ俺達も行かなきゃだな。元気でな、大将」
「ご主人様、往って参ります」
「残った子供達をくれぐれも頼むぞ!」
三人はゴーレムホースに騎乗すると颯爽と走らせていった。
「皆、危なくなったらすぐに逃げて……無理だけは絶対ダメだよ……」
「ヒロト様、縁起でもありませんから。皆さん、ご武運を」
「ご馳走、用意して待ってるから」
留守番組の面々は全員との再会を祈りつつ送り出すのだった。




