答えのない思考
「遅いね、ディアさん」
玉座に座ったヒロトは欠伸をもらした。
時刻は午後三時。いつもなら正午前には姿を見せるはずの相談役は未だに現れず待ちぼうけを食らったような気持ちになっていた。
ーーまあ、約束しているわけじゃから仕方がないんだけどさ。
「別に来なくていい。あの女、いつも主様を独り占めする」
すねたようにクロエが答えた。敬愛する主人が全幅の信頼を寄せる事が悔しくて仕方ないようだ。
「主様、眠くなってきた」
対抗心でも燃やしたのか、クロエは言って膝の上に座り込んでくる。仕方ないな、とばかりにヒロトは髪を撫でてやる。獣耳がくたりと倒れた。メイド服の少女は黄金色の瞳を閉じて主人の愛撫を堪能する。
「……あいつ、来なければいいのに」
「こら、そんな事言わないの」
ヒロトが嗜めたその時、玉座の間の入り口が歪んだ。
「遅くなり申し訳御座いません……」
ディアは焦ったように言った。慌てて来たのだろう、ずいぶんと疲れた様子であり、天使の輪を描くストレートヘアも今日は少し乱れているように見えた。
「ちっ」
クロエは露骨に舌打ちするとヒロトの影に潜り込んだ。
「こら、クロエってば……こんにちは、ディアさん。あの、大丈夫ですか?」
ディアの様子から何か厄介事が起きたのだろうとすぐに分かった。
「……はい、すみません……良い知らせと悪い知らせが」
「それじゃあ、良い方から」
悪い方から聞いてしまうと良い話を聞いても喜べなくなってしまう。どうせ嫌な思いをするなら一度は喜んだ方がいい。
「おめでとうございます、ヒロト様が運営するダンジョン<迷路の迷宮>は先日のダンジョンバトルにおいて最速五〇勝、ならびに前人未到の五〇連勝を達成致しました。それを記念しましてこちらを贈呈いたします」
ディアはそう言って賞状と額縁、更にトロフィーを渡してくる。今では賞状を読み上げることさえしない。ヒロトが嫌がるのが分かっているからだ。
賞状やトロフィー類をコアルームに飾っておくと地脈から吸い上げられるDPの量が上がったり、モンスターの召還コストが下がったりと様々な恩恵を受けられる。
最速一〇勝&一〇連勝、最速二五勝&二五連勝と事ある毎に表彰されている事も見飽きてる感もある。
「クロエ、いつもの所に片しておいて」
「分かった」
クロエは影から飛び出すと玉座の後ろに設置した専用の飾り棚に置いた。
ヒロト的には好きでもない迷宮神からの贈り物なんて見たくない。平穏に暮らしていた一〇〇〇名もの同級生達を拉致し、<ダンジョンマスター>へと仕立てあげた張本人だ。好意なぞ抱けるはずもない。
ただダンジョン運営に役立つから置いてやってるだけ。視界に入れるのも嫌だ。だから不燃ゴミの類は一箇所に固めて安置するようにしていた。玉座の後ろにまとめておけば視界に入れずに済む。
「主様、別に良い知らせでもなかったね」
「正直ね」
「副賞として五万DP、更にレアガチャチケット五枚、原初の渦を五個、眷属任命チケットを五枚贈呈致します」
「なんだ、いつも通りかつまらん」
「副賞の方は馬鹿にならないよ。ガチャチケならもしかしたら新しいレアモンスターが手に入るかも知れないし」
「そう言って頂けると助かります」
悪態を付くクロエをたしなめつつ、ありがたく頂戴する。
「チケット貰った所で主様のヒキじゃ<シルバーゴーレム>が限界」
「悪かったな、くじ運なくて!」
ヒロトはこれまで三〇回近くレアガチャを引いてきたが、ハズレとしか思えないような物しか引けていない。
大抵はシルバースライムであり、たまに<巨大蜘蛛>か<シルバーゴーレム>が出るくらいだ。巨大蜘蛛はそのまんま大きな蜘蛛で、シルバーゴーレムは銀製のゴーレムである。両者共、シルバースライムに比べればそれなりに強いが、火魔法が弱点だったり、動きが鈍かったり、遠距離攻撃力に乏しかったりして三ツ星級モンスターの中では下位の戦闘能力しかない。
ディア曰く三〇回も引けば四つ星級とはいかなくてもそれなりのモンスターが引けるはずなんだそうだ。三ツ星上位には竜種である<ワイバーン>や<ヒュドラ>、聖獣<ユニコーン>、地獄の番犬<ヘルハウンド>、人型なら<ヴァンパイア>などもおり、一気に戦力を増強出来る。
ランカーダンジョンは大抵、レア級上位のモンスターを確保しているそうだ。まあ、保有しているからランカーになれているとも言えるかも知れない。
「次だ、次こそは……」
ギャンブルにのめりこむダメな中年親父みたいな台詞を吐くヒロト。ディアとクロエは目を合わせ、苦笑した。
一〇連ガチャならば何か起きるかもとヒロトは勝手に期待を寄せており、現在はガチャチケットを集めている最中だ。
「それじゃあ、ディアさん。悪い報告を」
「分かりました……先日の全体会議で迷宮神がヒロト様のダンジョンに注目しました」
ディア曰く今年から半期毎にサポート役を含めた関係者全員が出席する全体会議が開催されるようになったそうだ。
その中で最近ランキングが急浮上したダンジョンが幾つか報告されたらしい。
ランキング九〇位から僅か半年間で二〇位台にまでランクアップした<迷路の迷宮>もその中に入ってしまったらしい。
サポート担当であるディアも幾つか質問されたようだ。かの神曰く、迷路をただひたすら繋げるだけでダンジョンバトルに勝利なんて中々ユニークだね、だそうだ。
その表情からいって何かに勘付いたようであったという。
「なるほど……少しやり過ぎましたかな」
「申し訳ありません。正直、油断していました……神々は高位になればなるほど些事、地上での出来事に興味を示さなくなりますから、まさか全体会議を開くなんて言い出すとは思いませんでした。今後、迷宮神やその直卒の神々がヒロト様のダンジョンを監視し始めるかも知れません」
最高難度の魔法<瞬間移動>を詠唱無しで行使するディアでさえ下級神でしかない。そんなディアよりも遥かに高位の存在に監視されるのだ。ヒロトなんかでは見られている事にさえ気が付けないだろう。
「そうですか……じゃあ今の状態はそう長くは持たない……と」
「ええ、そう思われます」
ヒロトは頭を抱えた。奴隷の奴隷というシステムの穴を突いたDP&経験値取得方法は今なお<迷路の迷宮>にとって収益の柱であった。
ダンジョンバトルでは多くのDPや経験値を稼いできたが、対戦相手が必要な事もあってどうしても安定収入にはなり得ない。
幸な事にダンジョンバトルの申し込みは未だに続いている。明日明後日でどうにかなるわけじゃないが厳しい状況に追い込まれたのは間違いない。
「まとめサイトのブーストはもうじき効かなくなるしなあ」
ヒロトはダンジョンメニューの一つである<掲示板>を使い、有用な記事をまとめた掲示板を立てていた。閲覧者はタイトルを見て気になる記事へ飛べる機能まで付けている。
もちろんそれは単なる慈善事業ではなく印象操作が入っていた。ヒロトは<迷路の迷宮>を戦闘能力の低い、安全なバトル相手として紹介した記事をリンクのトップに配置したのだ。
目論みは見事に的中し、翌日から対戦申し込みが殺到したのである。ダンジョンバトルは目下、ダンジョンマスター達が最も注目している内容だったらしい。
しかし最近は勝ち星を挙げ続けているせいか、申し込みも減って来ていた。二四時間という時間制限の中で巨大な迷路を攻略するのは無理じゃないか。むしろ<迷路の迷宮>こそが最も攻略の難しいダンジョンなのではないか。そんな風潮になってきている。
ヒロトはそういった記事をピックアップしないか、あまり目立たない場所にリンクを置くかしているのだが、書き込み数に反比例して申し込み数が減っていく現状を鑑みるに今のペースでダンジョンバトルを続けていくのは難しいだろうと考えていた。
「仕様変更が入るのはいつかな?」
「恐らく次の定期メンテナンスのタイミングに合わせて来るはずです」
ダンジョンシステムは四半期毎にメンテナンスが行われる。次は九月だ。残された時間は三ヶ月しかない。
ディアの言葉にヒロトは小さく頷くと思考を巡らせ始めた。
――そろそろダンジョンを公開しようか。
それは意味がない。<迷路の迷宮>は王都に住まう冒険者達にとって面白みのあるダンジョンではないのだ。ただひたすら広いだけの迷路に集客能力は望めない。
シルバースライムや溜め込んだ財宝を餌にして呼び込む案もあったが、悪手のように感じられる。迷路はいつか攻略されるのだ。ダンジョンバトルと異なり、冒険者達には時間制限がない。毎日のようにダンジョンに通われたらいつかは攻略されてしまう。
普通のダンジョンのように魔物を配置し、迎撃に当たらせるのはどうか。それも出来ればやりたくない。憎しみは連鎖する。一度でもやり合えばあとは血みどろの殺し合いが待っているだろう。この世界にはウォルターのような例外だっている。人の集まる王都ならなおさらだろう。いつ来るとも知れない強敵の影に怯えながら日々を過ごす事になる。
本当に追い詰められた時、ヒロトはルークやクロエといった奴隷達を使わざるを得なくなる。大切な子供達を戦争に送り込む事になるのだ。
――そんなの耐えられない。
「これまで通りに人間社会に溶け込み続けるという手もあると思いますが?」
ヒロトは苦しげに頭を振った。
「ダメだよ、逃げてるだけじゃいずれ絶対に立ち行かなくなる」
侵入者がいなければダンジョンは成長しない。自分達が足踏みしている間にライバル達は先に進んでいく。今でこそランカー上位に位置する<迷路の迷宮>だが、そんな隠居生活を何年も続けていればいずれは追いつかれ、置いていかれる。いずれ搾取される側に回る事になる。
毎日怯えながら暮らすなんてまっぴらごめんだ。
「……やっぱり目立つような事をするんじゃなかったよ」
ヒロトは己の愚かしさを責める。
平穏に生きていたい。子供達に囲まれながらのんびりと過ごしていたい。しかしその平穏を享受し続けるには強くなければならないのである。
「主様は悪くない」
クロエは常になく思い詰めた表情を浮かべる主人を慰めた。
「当然です。平穏を願う事が悪いはずがありません」
ディアもすかさず同意する。
しかし慰められた所で事態が好転するはずもなく、ヒロトは自身の愚かしさを呪う事を止められない。
「あ、」
「何か妙案が?」
「……いや、ごめん、何でもないよ」
ヒロトは小さく頭を振った。
思考が詰まる。
答えのない袋小路に迷い込む。
「……ありがとう、今はとにかくやれるだけやってみるよ」
ヒロトは進むしかない。辛くても苦しくても、例えば目の前が暗闇に閉ざされようとも前を向いて歩き続けるしかない。振り返った先には何もないのだから。




