平凡な刻へ
「本当にもう、とんでもないアルバイトでしたよ」
ルイーザが膨れっ面でビアンカさんとカイラに食ってかかっていた。そのルイーザの前には豪華なフルーツタルトとゾンビのぬいぐるみが置かれている。
「だからアルバイト代に追加して、ケーキセットとレア物のぬいぐるみまで付けたじゃないか。ほら、アリスとカンヴァスもお礼を言って」
ビアンカさんが私たちを促した。私たちも慌ててルイーザに頭を下げる。ルイーザは偉そうに腕組みして、それでも溜息をついて笑った。
「あの騒動を怪談でごまかそうとは暴論もひどいですよ、四人とも」
「でも成功したでしょ。よく面白いお話に仕立ててくれたね」
「私、怪談マニアとしては筋金入りですので。それにしてもよく、王都民が皆さん『大魔王リルの亡霊が復活し、それを国王が自身を犠牲にした魔法で討伐した』なんてでたらめなお話を信じたものですよ」
そう。ジュピターの騒動は王都を中心に全国へ噂話を流してごまかしたわけだ。それも伝説のような形式ではなく、おどろおどろしい怪談として。
「僕はまた、魔道王の評価が下がる噂なんて嫌なんだけどな」
「良いんだよお兄ちゃん。大魔王リルは滅ぼされたってお話の方が」
私はくふふっと笑う。私、アリス・リルは。
「大魔王リルは絶対にこの世界にもういない。つまり私の中身が疑われることもない」
「でも」
「私はアリスだよ。そしてリルだよ。でも今は魔道王でも大魔王でもないんだ。だから、大魔王が討伐されたなんて話、どうでも構わないの。それに大魔王リルの悪評なんて、今さら一つ二つ増えても大して変わらないよ」
お兄ちゃんの言葉に私は笑って返した。そして私は全員の顔を見回して付け加える。
「私は今、アリスとして生きるんだから」
お兄ちゃんはしょうがないな、と言ってうなずいた。ビアンカさんもうなずいて口を開く。
「今回の事件は大規模すぎて、誰もが信じられない魔法戦だったの。そこで誰もが信じたい『物語』が必要だったわけ。国王が五百年も交代していなかったとかいう『事実』より、はるかに信じやすい大魔王の亡霊さ」
「でもビアンカさん、よく父上に直談判で飲ませたものですよねー。私なら思いつかないよー」
そう。この作戦、王室スパイだったビアンカさんがカイラのコネで直談判して決まった、王国全体の作戦だったわけ。
「そりゃカイラみたいに、何も考えない奴は思いつかないでしょ」
さらっとビアンカさんはカイラをちょっとばかにした。カイラは口をとがらせて不満をあらわにする。けれどビアンカさんはさらに冷めた声で返した。
「カイラはもう少し自覚した方が良いんじゃないかな? 来週には王女様、それも王太女になるんだぞ?」
はあ、とカイラは溜息をついて答える。
「なんか実感が湧かないよ。おまけに『癒しの聖女』の噂とかちょっと怖いし」
これも、もう一つの怪談。カイラが最後に発揮した治癒大魔法はあまりに強大すぎたので、これも謎になるような怪談を流したわけ。普通なら名誉だし、なんてったって将来の王女様なんだから問題ないんだけど。
興奮のあまりに魔力暴走で実現しただけだから、またできる見込みもないので秘密にするしかなかったわけ。そんなわけで結局は色々と元どおりって感じ。
私たちは笑うしかなかった。
新王の就任式、そして華やかなパレードをお兄ちゃん、そしてアデリーヌと一緒に眺めていた。さすが、新国王も王妃も威厳が感じられる。その威厳は魔道王のような恐怖でも、ジュピターのような幻想でもない普通に生きる人間ならではの威厳だ。
あと今回の就任にあたって、棟梁とセーラさんが英雄として凱旋している。サリーも一応は英雄を支援した研究者として凱旋に参加している。さすがに今回は白衣じゃなく美人モードのサリーなので、知らない人たちはきれいな人だなんて言っていた。
そしてもう一人、私たちの隣にパレードを眺めているサングラス巨乳がいる。
「どうしてあんたがパレードにも就任式にもいなくて、庶民と一緒にいるの」
ついに私は我慢できずカイラに声をかけた。するとカイラの背後にすっとビアンカさんが現れる。さすが魔法騎士兼王国スパイだ。
「そこは触れてあげないのがご学友というものかもしれないね」
「いや、さすがに不自然すぎますよこれは」
お兄ちゃんもさすがに反論した。するとカイラは涙目を私たちに向けた。
「ついに王位継承だから、屋敷から王城に引越しの準備をしていたの。ちょうど魔道王記念館も崩壊したから、ジュピターの遺物と併せて新記念館にするって構想もあって」
「良い話だね、それは」
お兄ちゃんの合いの手に、でもカイラはさらに涙目になった。
「急だったからねー、引越しの荷物を慌ててしまって、で、その、隠していたの」
何を? と私とお兄ちゃんはそろって首を傾げる。するとビアンカさんは意地悪な笑みを浮かべて言った。
「魔法基礎理論と魔道計算論のテスト0点の答案さ。それも何枚もの再試験」
「……やっぱりおバカなんでしょ」
私の呟きにカイラは頭を抱えた。
「父上も母上も激怒して、こんな恥ずかしい娘を今、王女としてお披露目なんてできないって。卒業までは寮暮らしで、それまでは継承権も王女生活も保留だって」
「それってもしかしなくても、セーラさんより扱い下になっているよね」
「自業自得なんだけどー。なんだけどー。もう酷いよ」
「大丈夫だよ、入寮したら寮長として責任をもって、全力で勉強させるから」
何気にビアンカさん、ひどい。というか最近ほんと、ビアンカさんの当たりが強い。まあ将来の上司と考えれば当然か。するとアデリーヌが小さく笑って言った。
「カイラお姉さん、私も遅れて転入するから一緒に頑張りましょう」
「アデリーヌちゃん優しい! 一緒に頑張ろうね!」
途端にカイラは満面の笑みになる。そう、アデリーヌは新国王の計らいで魔法学校に転入することになったんだ。まあ、ジュピターに見込まれる魔法の才能を放置すること自体、危険とも言えるけれど。
でもまだカイラは知らない。アデリーヌは私と違って正真正銘の十歳で、でも転入試験はきちんと通過できたことを。アデリーヌは私を追いたくて、そしてちょっとしたライバル心もあって猛勉強したそうで。
でも猛勉強で通過できる能力なんだから、少なくとも頭はカイラより良いと思う。カイラには気の毒だけど。
「アリス、うかうかしていると私が追い越しちゃうかもよ? 戦闘魔法や開発魔法以外でだけどね」
今のアデリーヌは私のことを全て知っている。そのうえでこれを言えるとは大した自信だと思う。でもたしかに、私の実業魔法の腕前はどうも力技に頼ってしまう。とくに新魔法を考える課題はそれで叱られているし。
私の表情にビアンカさんが笑いながら付け足した。
「せっかくの『演算魔法』も残念だしね」
そう、残念なことに。私とお兄ちゃんの演算魔法は私たち以外では成功した試しがない。お兄ちゃんの高い演算能力と私の魔法分析力、そしてお互いの信頼感が揃わないとどうにもならないという無理筋。
実業魔法よりは開発魔法の基礎理論系かなー、と先生は笑っていた。課題提出に使えると思ったのに使えず、仕方ないのでお兄ちゃんとの絆機能だと思うことにしている。
そんなわけで、私とお兄ちゃんはこれからもしばらくは、二人だけの特別な兄妹として生きていくことになりそうだ。私はお兄ちゃんの手を握って頭を預ける。
空に花火があがった。お兄ちゃんは私の頭を撫でて言った。
「今度こそ、文化祭を楽しみたいな」
「それに遊園地も!」
「私も遊園地、行きたいかな」
私の言葉にアデリーヌも乗っかってくる。これからもこの平凡な時間が続けばいい。
私はこの花火が、その平凡な幸せの長い始まりの合図に思えた。




