五
グレイシーの中で、喜びと疑いが拮抗します。彼女は深刻に悩むようになっていました。人々はなぜ、手のひらを返したのでしょう。本当に好きになってくれたのでしょうか。彼女は気になったことは調べなければ気が済みません。疑いは晴らすべきなのです。本当は真実を知りたくはありませんでした。しかし、人々が本当に自分を好きになったと確信がなければ、喜びを素直に受け入れられません。
グレイシーは動物たちに、自分が去ったあとの町人の反応を見ておくよう頼みました。動物たちは顔を見合わせ、首を横に振ってしまいました。グレイシーは、動物たちは正直者で、嫌なことは素直に嫌がることを知っています。普段なら、頼まれごとは我先に我先にと動物たちは積極的です。これは裏があります。
今度は妖精たちに声をかけてみました。
「ごめんなさいね、グレイシー。しゃべってしまいたいけれど、そんなことをしたら竜に食べられてしまうわ。彼ってば怒ると見境ないのよね」
そう言って、逃げました。竜は先を見越して妖精たちを脅していたのです。
グレイシーはなぜ人々が自分を騙しているのか、目的は何なのか調べ始めました。町人と適当に会話をし、一旦は別れると久々に美しい姿に化けて現れました。人々は態度を変えませんでした。男たちはいつものように花を一輪よこしてくれました。
一人の少女が言いました。
「あなたの髪はグレイシーと同じ、甘い香りをしているわ!」
グレイシーは気が付きました。知らず知らずのうちに、髪から相手を虜にする香りを発していたのです。愛されたいという思いが、時間をかけて魔法の髪にしてしまったのです。
彼女は髪を使って香水を作り、適当な女に渡しました。その女は思いを寄せていた男と一夜を共にすることができました。グレイシーは確証を得たのと同時に、涙をこぼしました。
騎士の愛も当然、偽物なのでしょう。そもそも美しい彼が、醜い自分を愛する筈がないのです。魔法で培われた愛なんていりません。
グレイシーは騎士を解放しようと、髪を全て剃り落しました。髪はすぐ生えてきました。今度は香りを消す薬を作り、騎士に真実を伝え、屋敷から追い出そうとしました。騎士は拒みました。どうやら香りは強力で、薬はそれを弱めることしかできなかったようです。
騎士はけしてこの思いは魔法のせいではないと言い張り続けました。きっと傍を離れれば、騎士は我に帰るでしょう。
グレイシーは外へ逃げ出しました。騎士は馬に乗って追いかけ、訴えました。
「たとえ魔法の力だったとしても構わないではありませんか! どんなに離れていてもあなたのことを思って、必ずあなたの元に帰っている! あなたにとってどこに不満があるというのですか! あなたはもう私のことを愛してくれないのですか!」
「いつまでもあなたの心を弄び、捕まえておくことは怪人のすること! あなたの人生を汚し、無駄にさせるなんて酷いものだわ!」
「なら怪人になればいい! それでも私の心は離れることはない! 私はあなたのものだ!」
騎士は香りをたどってどこまでも追いかけてきました。グレイシーは騎士との間に鋼鉄よりも硬い茨の壁をいくつも出現させました。断ち切られる前に木々に命令し、彼の行く手を阻ませました。
気がつけば、騎士が追いかけてくる様子はなく、魔法の力が抜けたのだと思い、とぼとぼと屋敷へ戻りました。
騎士は諦めてはいませんでした。彼が追いかけるのをやめたのには訳がありました。竜が目の前に現れたのです。竜は怒り狂っていました。目は血走り、燃え上がるように赤くなっていました。怒りで体からは熱気を発し、周りが揺らめいていました。
竜はグレイシーが涙をこぼしながら必死で逃げている様子を見るなり、酷いことをされたのだと思い込んでいました。相手の言い分に聞く耳を持たず、初めからこの男を彼女に近づけるべきではなかったと後悔し、とっとと殺してしまおうと襲いかかりました。
噛まれる前に騎士は落馬しました。竜の激しく打ち鳴らした歯の隙間から、炎があふれ、剣で切ったなら木々に燃え移りました。めらりめらりと、殺せ殺せと、はやし立てているようでした。尾に撃たれ、騎士は転がりました。
覆いかぶさって来た鋭い牙を、彼は一振りで叩き切りました。そして衝動でのけ反った竜の首にも一振り。首飾りが血で汚れながら砕け散ったのを、竜は青ざめ見ながら、首をだらりと横に逸らし、前に倒れ込みました。炎はやがて消えていきました。
「人形師」は久しぶりにグレイシーに会いに森を歩いていました。用事の一つが「茶好き」の近況を伝えることでした。黄色い魔法使いの死に彼女はショックで床に伏せ、茶も喉に通せない状態になっていたのです。ふくよかだった体は痩せこけて、目も落ちくぼみました。茶好きでなくなった「茶好き」は、得意だった魔法もぽろぽろと食べこぼすように忘れていき、元々不摂生でしたから、いろんな病気にかかってしまったのです。
グレイシーなら元気が出る薬草の一つや二つ育てているでしょうから、それを使ったお粥を二人で作れば「茶好き」もきっと調子を取り戻すだろうと、「人形師」は期待していました。
道行く先で竜の死骸を発見し、「人形師」は小さく悲鳴を上げました。一体誰がグレイシーの友だちを殺したのでしょう。
回り込んでみると、赤錆びた色をした見知らぬ男が呆然と座り込んでいるではありませんか。頭上では妖精たちが騒いでいました。
「竜が死んだ。竜が死んだ。グレイシーの一番の友だちの、うるさい竜が死んだわ」
「あなたのせいよ。あなたのせいよ。美しい姿が台無しね。さあ、どうするおつもりよ!」
「人形師」は騎士に詰め寄りました。騎士は、突然に襲われて返り討ちにしたのはいいけれど、巨大な死骸の後始末に困っていました。
事情を聴いた「人形師」は何とかすると言って、彼をこの場から追い出しました。
「お願い。このことはここだけの秘密。ばらしたら針で手足をとめちゃうからね」
「人形師」は妖精や動物たちに釘をさしました。グレイシーに大切な友だちが死んだことを明かす訳には行きません。「人形師」はブリキの人形を総動員して、ひっそりと死骸を森から運び出しました。
コキ、コキ、ギリ、ギリ。コキ、コキ、ギリリ――と、ブリキの人形たちはアリのようにせっせと大きな死骸を「茶好き」の邸宅へと運びました。自身の住み家の土地の広さでは収まりきらなかったからです。「人形師」は普段から暗い部屋で作業をしていましたから夜目がききました。それらをたまたま目撃した町はずれの民には、月を背景にして、怪人が明かりも灯さずに先導する怪物の葬列に見えて震え上がりました。
騎士は血を洗い流し、着替えてから屋敷に戻りました。魔法の威力に怯えているグレイシーに、騎士は翌朝までなだめました。
一緒にいる時間が多過ぎたせいで、魔法の香りが心底まで染みてしまったのでしょう。彼を駄目にしてしまったことに責任を感じたグレイシーはとうとう折れて、最後まで面倒を見るしかないと、また一つ涙をこぼしました。




