『毛割れ』の推理
「私が話すのを見てスッテンコロリンされなかった猫はあなたが初めてです」
蝉川氏は猫を驚かせ『スッテンコロリン』させたくなくて『ビリドが蝉語を話せる』と嘘をついたことを丁寧に詫びた。
彼は素晴らしくジェントルマン……いや
『ジェントルミン』だ。
「僕だってスッテンコロリンするとこでした。ですがそれ以外ありえないとわかっていたのでスッテンコロリンしませんでした。猫語は生まれつき?」
「いいえ。地中にいる間、彼と話し、時間をかけて覚えました。七年間猫語を覚えることに私の脳みそ全てを捧げましたよ」
「それは素晴らしい!」
『猫紳士』と『ジェントルミン』。
ニャームズと蝉川氏はどことなく気の合う友になれそうな気がする。
うーん。しかしニャームズは何故『ビリド氏が蝉語を話せるのではなく、蝉川氏が猫語を話せる』事がわかったのだろう?
私はニャームズにそれを訊ねた。
「怒らないかね?」
「怒ることがあるか」
「では説明しよう。『ありえない』からだよ。ある日突然? バカな。七年かけて学んだ? ノーノー。僕が一年以上かけてマスター出来なかった蝉語を『たった』七年そこらで理解できる猫がいるわけがない。その時点で『嘘』さ」
「よくないぞ!」
なんと自信家な猫であろうか!
『自分が出来ない事が他の猫にできるもんか』だなんてよくそんな思想でこれまで誰にもひっぱたかれずに生きてこられたものだ! ……と思ったので私は彼を戒める為に彼の肩を肉球で軽くペーンとひっぱたいた。
「ほら怒った」
「怒ってない。ペーンだ」
ビリド氏も呆れたようにニャームズを見ていた。
「自信家なんだなぁ。たったそれだけで……」
「それだけって事もないです。 あなたは『立て』を『ミミンミミップ』と仰いましたが、正確には立てという蝉語は『ミミミミンミ』です。私だってそんな『簡単な』蝉語ぐらいわかります。ここで正しい蝉語を使われたら少しは信じたかも知れませんね」
この世にこんな変猫がいるんだなと彼といるといつも思う。
ビリドもそう思っているに違いない。
蝉語について聞いてもらえるのが嬉しいのか、蝉語の主語、動詞、形容詞、過去進行形における動詞の変更や文法の法則などを語るニャームズは頭が良すぎて不気味に見える事がある。
彼に女性ファンは多いが、この姿を一度でも生で見たらニャン引きすると思う。
「じゃ……じゃあよー。友情がどーのこーのってのは何だよ? 勘違いしないでくれ。俺はこいつに『昆虫の入れ食いスポット』を教えてもらうことを条件にここまで付いてきただけだ。友情なんてないね」
「ビリドさん。嘘を見抜かれない一番のコツは嘘をつかない事です。あなた。元は肥満猫ですね?」
ニャームズはビリド氏の首もとには『毛割れの跡がある』と指摘した。
「毛割れ?」
「君にもある。……毛割れとはね?」
毛割れ……左右斜め上に向かって毛が生え、生え際が切れ目の様になっている事……らしい。
あっ、本当だ。
私も毛割れがある。
「これが何なんだ?」
「ビリドさんは『太っていた』って事だよ」
「……これってそうなのか?」
太りすぎると毛が密集していた部分の皮膚が伸び、毛が割れながら生えているように見える……これが毛割れらしい。
太って皮膚の面積が広がっても毛の本数は変わらないのだから、それはそうなるか。
……痩せようかな。
「ビリドさんの毛割れは外側に跳ねていた毛が内側に向かって生えている。これは『最近まで肥満だった猫が急激に痩せた』という事に他ならない」
「あー。わかったよ。見事な推理だよ。でもそれで友情ってのは関係ないだろ?」
「肥満猫がやつれる程の旅をしているのに口に咥えた蝉を食べようともしなかった。これを友情と言わず何というのです? そんなお猫よしはこのニャトソン君とあなたぐらいなもんです。それに七年も夏になる度に蝉川さんに声をかけていたんでしょう? そんなの親友ですよ」
むむむと口をつぐんだビリドにニャームズは畳み掛けるように推理を披露した。
「あと。あなたは極度のくすぐったがりですね?」
「……そんなわけないだろ!」
「あっと! 失礼! 忘れてください!」
ニャームズは推理で善良な動物を辱しめるようなことはしない。
『くすぐったがり』と言われて顔を赤くしたビリド氏を見てすぐに『やりすぎた』と思って止めたのだろう。
少しは猫心が分かって来たようだな。
私のおかげだろう?
私が小声で『なんで? くすぐったがり?』と訊くと『蝉川氏を運ぶのに背中を使わず口を使っていた。普通運ぶなら背中だろ? 見たところ背中に傷はない。なら答えは……分かるだろ?』
とこれまた小声で説明してくれた。
うん。見事な推理だ。
「さて。そろそろ依頼の方を……と言うわけにはならないみたいだね!」
「おひょっ!」
ビリド氏が空に浮いた。
後ろからゆっくりと近づいてきたフジンに抱っここされたのだ。
フジン! 帰ってきていたのか。おかえりー。
「なんだぁ! この人間は!?」
「依頼の話はまたあとでとしましょう! 我らがフジンの『おもてなし』をご堪能あれ!」
「おもてな……ああ。もうだめだぁ」
フジンはエンゼルタッチでビリド氏の腹を撫でた。
ビリド氏は盛大に喉をゴロロと鳴らしている。
ああなったら終わりだ! 抗えない!
彼女のテクニックは素晴らしい!
「洗って撫でてー♪ お風呂に入れて~♪ あれ? 怪我してるね? なら治療して~♪ みんなでごはんをたーべーよー♪」
ビリド氏はフジンに連れていかれてしまったので残された我々はお水とニャームズが隠していた『とっておきの樹液』で一杯やることになった。