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◆不幸が終わる話


御伽(おとぎ)・ファクシミリアン・有栖(ありす)の場合


「おはよう御座いますお嬢様」

 午前八時、コンコンという軽いノックとともに有栖の部屋を執事の多野中が訪れた。

「…爺。おはよう」

 昨夜有栖は帰宅するなり寝室に篭ってしまったので多野中は具合でも悪いのかと心配していたのだ。

「体調でも悪いのでしょうか?それとも昨日の遊び疲れですかな?」

 彼は有栖が疲れて篭って居た訳ではない事に気付いているが、それが彼なりの優しさだった。

「…そうですわね。少し体がだるいだけですわ。心配させてごめんなさい」

「でしたら後ほどメイドに風邪薬でも持ってこさせましょう」

 昨日友人達と遊びに行ってから有栖の様子がおかしい。今のところこの屋敷でそれに気付いているのは多野中だけだったが、出来る限り自分からそれを話題に出す事はしなかった。

 多野中が御伽家で執事として働くようになってからもう五十年近く経つ。今の当主の先代からの勤めである。

 故に現当主夫妻の事は子供の頃から知っているし、有栖の事は生まれた時から成長を見守ってきた。

 多野中にとって有栖は自分の孫のような存在なのだ。

 しかし多野中は自分が執事である事を忘れてはいない。当主夫妻や有栖がいくら家族同然の扱いをしてくれようとも、自分は一歩引いた場所から執事としてのお勤めを全うするというのが彼のポリシーなのだ。

 身近に居すぎては見えない事もある。身近でなければ解決できない事は家族が解決すべきであるし、それ以外の問題を見逃さず、きちんと対処できるようにするための決意だった。

「お嬢様、朝食代わりにこんな物をお持ちしましたのでよろしければ召し上がって下さい」

 多野中はテーブルの上にスコーンと良い香りのする紅茶を並べた。

「ありがとう。頂きますわ。それと…今日は学校をお休みします。そのように…」

「かしこまりました。そのように連絡を入れておきます」

 有栖は幼い頃から友人と呼べる存在が居なかったように思う。対人関係で躓いたり、落ち込んだりすると決まって今と同じような顔をするのだ。

 これは家族、そして自分自身が解決すべき事、執事の自分が関わっていい問題では無い。

 そう理解しているのだが、今回はどうもいつもと様子が違うように思えてならなかった。

 複雑な思いに葛藤しながらも多野中は…有栖の眼の端に煌いた水滴に気付き、つい、それを口にしてしまった。

「お嬢様、もしや昨日何かあったのではありませんか?もしかすると星月様絡みの件でしょうか?」

 彼は言いながら早くも後悔していたが、一度言い出してしまった事を引っ込める事も出来なかった。

「そう、ですわね…確かに…いえ、やっぱりなんでもありませんわ。心配かけてごめんなさい。でも本当に大丈夫ですのよ」

 そこまで言われてしまってはそれ以上の詮索は野暮というものである。

「そうですか。なんにせよあまり無理はなさらないようにお願い致します。それでは私はこれで」

 それだけ言うと一礼して退室する。

 やはり昨日何かあったのだろう。

 星月乙姫、多野中は彼の事を書類上のデータで解る事しか知らない。だが、一度顔を合わせた際のやり取りで妙な安心感を感じていた。

 有栖が男性の家に、いや、他人の家に行くこと自体初めての事であるし、彼女も彼の事を悪くは思っていないだろう。

 出来る事なら友人として、あわよくば恋仲にでもなってもらって心身ともに有栖を支えてくれれば、と期待していたのだ。

 何があったのかは解らない。彼が原因なのかどうかも確証は無い。

 もやもやとした物が頭を占領してくるが、多野中は執事である。家族ではない。男女の関係にまで口を出す気は無いのだ。

 これからの事も、現在抱えている悩みも、当人達で解決してくれる事を祈った。

 多野中はメイドの一人に風邪薬を届けるように言い、そのまま庭に出る。

 振り返り、自分が長年、そしてこれからも仕えていく有栖家を見上げる。

 敷地は広く、屋敷は豪華であるが品のある作りで、きっとこれからも平和な日々が続いて行くのだろう。

 今までの有栖の成長とともに在ったこの屋敷を眺める度に彼は優しい気持ちに包まれる。

 そして、彼女の事を思い、眼を細めて独り言を洩らした。

「風邪薬では、治らぬ病でしょうな…」


 多野中が退室した後、いつまでもこのままではいけないとだるい体を起こす。

 テーブルまで移動し、まだほんのり暖かいスコーンを二つに割って、添えられたジャムを塗り頬張る。

 どうやらアールグレイの茶葉を細かく刻んだ物が練りこまれているらしくとてもいい香りがした。

 甘みを抑えたジャムとも良く合い、ぼうっとしていた脳内が澄み渡っていく。

 有栖が昔友人関係でぎくしゃくして今と同じように部屋に引きこもっていた時、多野中が有栖に持って来てくれた物も確かスコーンだった。

 いつもこれに救われているような気がする。有栖はそんな事を思いながら乙姫にも食べさせてあげたいな、と考えていた。

 きっと今辛いであろう彼に少しでも元気を出してもらうために。

 そして彼との出会いやここ数日の事を思い返す。

 よくよく考えると食事中に思い出すような事ではなかったと彼女は反省したが、それにしても酷いきっかけだった。

 勿論彼とはクラスメイトだったわけだし、席が隣だったので他の男子達よりは接点があったように思う。

 ただ有栖の方から関わるような事はほとんどなかったし、彼の方からも接してくる事はほぼなかった。

 だが、あの時彼が見せた優しさが、その場に流されての物でない事くらいは知っていた。

 いつだったか体育の授業中に気分が悪くなった男子にいち早く気付いたのも彼だったし、すぐに背中に担いで保健室に走って行ったのも彼だった。

 あの時は他人の為によくそこまでするな、程度にしか思っていなかったが…そういう事がいくつも重なり、細かい所に気が付くところや優しい所、お人好しな部分などがとても目につくようになると、有栖は多少なりとも彼に興味を持つようになっていた。

 勿論恋愛感情などではなかったが、そういう時に何もできない自分と比べて勝手に劣等感や羨ましさを感じる事があった。

 あの件で彼とよく話すようになってからは尚更である。

 そもそもクラスでも変なあだ名を付けられて陰でこそこそと悪口を言われているような自分に対し普通に接してくる時点で有栖にとっては不思議な存在であった。

 白雪のせいというのはあるが、あんなにも破廉恥な男なのにどうしてこんなに気にかかってしまうのだろうと有栖は自問自答する。

 もとより有栖は他人と距離を持ちたかったわけではなく、ただうまくコミュニケーションが取れないだけなのだ。

 小さい頃もそれで何度泣いたか分からない。いつからか、こんな思いをするくらいなら最初から他人との距離はある程度保つべきだと考えるようになった。

 それがだんだんと自分と他人との区別、自分はお嬢様であり、他者は庶民である。そういう区別に切り替わっていく。

 乙姫もその庶民の一人だ。

 だが、自分の価値観やプライド、つまらない隔たりを簡単に壊してしまう力を持った庶民である。

 彼ともっと昔に出会えていたのならば自分はこんなつまらない人間ではなく、もっと人と接し人の輪の中で生活できる人間になれていただろうか。そんなふうに有栖は思った。

 出会うタイミングは選べない。だが近づくタイミングは己次第。

 つまり少なくとも入学当日から自分は変わるチャンスがあったという事だ。

 それを今まで棒に振って来た事のなんと愚かしい事か。

 今ではそう思える。

 自分が変化してきたのはすべて彼のせいであり、彼のおかげであるのだ。

 目に見えて何かが変わったわけではない。ただ、ほんの少し今までよりも素直になった自分が、有栖は嫌いではなかった。

 少しだけ冷めてしまった紅茶に口をつけながらくすりと笑う。

「爺ったら、紅茶と紅茶が被ってましてよ」

 しかしそんな事が全く気にならないほど、スコーンも紅茶も美味しかった。

 スコーンはさすがに彼が作ったわけではないだろうが、紅茶はいつも多野中が入れてくれているのを思い出し、これ以上心配かけないようにしなくてはと自分の頬を叩く。

「うん、もう…大丈夫」

 昨日皆と食事を取った後、有栖がわがままを言って最後に観覧車に乗る事になった。

 辺りは夕日が落ちてきていて、綺麗な夕焼けが広がっていたのを鮮明に思い出す。

 そして、観覧車が一周し、アルタ達と別れようとしていたその時、惨劇が起きた。

 あの事件で彼は意識を失いそのまま病院に運ばれた。今頃もう目覚めているだろうか。

 そして…一つの別れがあった。

 彼はまだその事を知らないのだろうか。それとも知って、悲しんでいるだろうか。

 もしそれが自分だったら、同じように彼は悲しんでくれるだろうか。

 そんな事を考えるのはらしく無い。解っているが、一度気になると頭から完全に追い出す事はできなかった。

 このまま家でごろごろしていても何も変わらない。

 有栖は彼をお見舞いに行く決心をし、服を着替え始める。

 天気と気温を知るためにテレビのスイッチを入れると、昨日皆と訪れた海寄ランドが特集されていた。

 生中継で、何事も無かったかのように、そして何事も無く、はしゃぐ子供達が映し出されている。

 有栖には昨日の彼の行動が最適解だったかは判断できないが、少なくとも彼が守った物が今テレビに映っている。それが誇らしかった。

 彼が眼を覚ましているかはわからない。

 彼がまだ病院にいるかもわからない。

 しかし、有栖は彼に、星月乙姫に会わなくてはいけない。そんな気がしていた。

 自分の中のもやもやを晴らすため。それも一つの理由ではあるのだが、どんな理由も薄っぺらく感じてしまう。

 ただ会いたいから会いに行くのだ。

 行動理由は、それだけでいい。

 





織姫咲耶(おりひめ さくや)の場合


 織姫咲耶はいつとも変わらない。

 何が起ころうと、彼女の心は平穏で、平坦である。

 昨日の事件はさすがに驚いたが、結局の所何事も無く落ち着いたのならばそれでいい。

 別れがあった事も含めて、彼女にはどうでもいい事だった。

 正確には、人生なるようにしかならないなら結果を受け入れるしかない。という考え方により、なってしまったものは仕方が無いと瞬時に諦められるようになっていたからである。

 自分のその性格は、正直好きにはなれない。だがそうあろうとしている。もしその精神的均衡が崩れてしまうと、自分がいつかのように荒れ果てるのが解っているのだ。

 もともと彼女は粗暴で、気性の荒い性格だった。喧嘩を売られれば買い、売られていなくても押し売りをする。そして全てを暴力でねじ伏せてきた。

 それだけの力があった。

 始めは幼稚園の頃に友達の女子が男子に泣かされた事がきっかけだった。

 今思えば、きっとその女子の事が好きで意地悪をしてしまうという幼少期特有のアレだったのかもしれないが、咲耶にとってそんな事は関係なかった。

 友達を泣かされた。なら泣かさなければ気がすまない。

 最初はきっとそんな単純な動機だった筈だ。


 咲耶は平和が好きだった。何事もなく幸せに毎日が過ぎていけばそれでよかった。それを邪魔する物は排除する。

 それが年々エスカレートしていき、中学、高校と最低限の成績さえ取っていれば何も言われないような学校へ進学、暴れまわる事になった。

 好きで暴れていた訳じゃなく、気に入らない奴を叩きのめしていたらいつの間にか恐れられ、回りから友達が離れていった。

 守りたい物を守りたくて暴力を振るっていた筈が、ただの八つ当たりへと変貌していた。

 それだけ暴れていると同じような連中から目を付けられる。

 学校に何度となく襲撃しにきた不良達は、毎度毎度同じように返り討ちにされて帰っていく。

 全く学習しない頭の悪い連中だと咲耶は常々思っていたが、自分も頭の悪い荒くれ者の一人である自覚もあった。

 

基本的に素手だったが、武器を使う際はいつも棒状の物を使っていた。物に拘りは無く、その時ある物を用意する。バットだったりパイプだったり。

 次第に身にかかる火の粉を払うだけじゃなく、自分から喧嘩をしかけるようになる。授業を抜け出して強い奴がいると噂の学校に忍び込み授業中に乗り込んでボコボコにした事もあった。

 あれは流石にやりすぎたと今なら反省できるが、当時の咲耶にはもう善悪の区別すら面倒だった。

 気が付けば誰も近寄らなくなり、同類からもリトルデーモンと変な名前で恐れられるようになった。

 極まれに遭遇する本当にヤバイ奴を素手でぶちのめした時、自分の存在意義はこれしかないんじゃないかと感じた。

 自分は何かがおかしい。腕は一般的な女子と変らない太さだというのに力という意味ではどんな相手にも負けた事が無い。

 一時期自暴自棄になって田舎の山奥に分け入り必死に熊を探した事があった。

 もうそういう相手じゃないと生を実感できなくなっていた。三日かかった。三日かけてやっとの思いで熊を見つけた。

 お腹が空いて仕方がなかったが野生の獣が放つ本物の殺気に鳥肌がたった。

 

 嬉しい。

 

 本気で、殺す気で向かってくる相手が目の前にいる。

 たまらなく幸せだった。

 でも結局熊が振るった一撃は片手で受け止められる程度の衝撃だったし、その鋭い爪は物心ついた頃にひっかかれた猫の攻撃と大差なかった。

 しばらく攻撃を受け続けているうちに無性に虚しくなって、ここは自分の居場所じゃないんだなぁと悟り熊を見逃した。

 

 それからしばらくは何もやる気がおきなかった。平穏な日々は自分が一番求めていた物だった筈なのに、いざそうなってみると回りに何もない事が寂しく感じられる。

 だから彼女はいつでも八つ当たりできる何かを求めていた。

 そんな時、一人の少年に出会う。


「おねーさん強いんだね」

 タバコのポイ捨てをした大人を後ろから蹴り飛ばしたのを見ていたらしく少年が声をかける。

「あ?なんだてめー怪我したくなかったらどっかいけ」

 見た事のある顔。確か近所に住んでる子供だった筈だ。

 咲耶は子供が苦手だった。

 自分が汚れてしまったと思っている咲耶にとって、その純粋な瞳を見る事ができなかったのだ。

「おねーさん強くてすごくかわいいね!」

「可愛い訳ねーだろ目腐ってんのか殺すぞ」

 子供の言う事にいちいちムキになってしまった事を悔いたが、それ以上に、初めて言われた言葉に対し咲耶は激しく動揺した。

「かわいいよ?強くてかわいいってアニメの魔法少女みたい!」

 魔法少女というふざけた存在と一緒にされた事が恥ずかしかった。

「そ、そんなんじゃねーよ。あたしの事可愛いなんて言う奴ぁ誰もいねーって。たまにかっこいいとかは言ってくれる奴いるけどよ」

 それも最初だけである。中学も高校もそうだったが、女子達は最初、男子に負けない自分の事をかっこいいともてはやすのだが、咲耶は度が過ぎていた。女子達などはすぐに周りから離れ、近寄らなくなる。


「だーかーらー。かわいいって言ってるじゃん。おねーさんばかなの?」

「あ?いい度胸だてめーぶん殴るぞ?」

 その時の咲耶は可愛いという初めての褒め言葉を受けた事への気恥ずかしさから、本当に子供すら殴りかねない状態だった。

「でもおねーさんなんだか寂しそうだなーって。だから声かけたんだー」

 こんな子供にまで気付かれてしまうほど顔に出ていたのだろうか。

「おねーさんの事を守ってくれるよーな男の人はいないの?」

 咲耶はイライラしていた。そんな相手がいればきっとこんなに荒れ果てた生活はしていないだろう。

 自分の事を守りたいなんていう人間も居なければ、自分より強い人間も心当たりがなかった。

「そんな奴いるかボケ。こっちはお前なんかと話してるほど暇じゃねーんだよ。じゃあな」

 それ以上は何を言われても無視しようと決め、少年に背を向ける。

 だが、その時少年が放った言葉が咲耶の人生を変えた。


「じゃあおねーさんの事おれが守ってあげるよ」

 ただの子供の戯言、彼女は解っていた。


 解っていたのに、その言葉を聴いた咲耶は膝から地面に崩れ落ち、子供の前だというのに瞳から溢れ出る涙を止める事が出来なかった。

 

 その後その少年は事ある毎に咲耶に絡むようになり、次第に咲耶も心を許すようになる。

 一緒に遊ぶようになって、一緒に海寄ランドにも行った。

 観覧車に乗り、ゴンドラが頂上付近に差し掛かったところで少年は言う。

「さくやちゃん、おれのお嫁さんになってよ」

 咲耶は、漠然と自分の事をこんな風に思ってくれるのはこの少年だけだろうなと思っていた。

 だから、この歳の差はありえないと解っていながらもこう返したのだ。

「結婚はさすがに無理だろーな。でも彼女にならなってやってもいいぞ」

 きっとこの少年も成長していく過程で汚い物を沢山見る事になる。そして人は成長と言う名の変化をしていく。

 その先にきっと自分は居ないだろう。そう、勝手に決め付けていた。

 何より、成長した彼に拒絶される事が怖かったのだ。

 だから将来の約束はしない。

 少年は少年だからいいのだ。

 

 そうやって咲耶の男性への好みが捻じ曲がって行く事になる。

 

 そして、その傾向が激しくなってきた頃、少年の言った言葉につい本音で返し、すれ違いの果てに二人の関係は終焉を迎えた。

 結果ただのすれ違いだったのだが、今となっては過ぎた話である。

 なるようにしかならない。

 咲耶は少年に振られたと勘違いした際、荒れるのではなく引き篭もった。

 もう自分には何も残っていない、一番大事な物すら失った。

 その喪失感から何もしたくなかったし何も考えたくなかった。

 その現実をそのまま受け止めて、過ぎた事は仕方が無い。そう自分を納得させる為に、その場所に居続ける事はできなかった。

 何かの拍子にあの少年と、星月乙姫と遭遇してしまうかも知れない。

 それに耐えられる自信が咲耶には無かった。

 引き篭もっている間に現れたもう一人の子供によって、精神的には大分安定したし前向きになる事もできたが、咲耶は後の事はその子供に任せて自分は転居の決心をする。

 

 そこからは咲耶も前向きに社会に溶け込もうとした。

 教職免許も取り、実習を経てついに赴任先が決まる。

 そこで、乙姫と再会する事になったのだが、既にケリが付いている事、と自分を納得させる事で心の平穏を守った。

 

 咲耶が心の平穏、平坦を守る事に拘るのはその為である。

 一度均衡が崩れた精神はどうなるか解らない。幼い子供だけに向けていた愛情がどこへ向いてしまうかも解らない。

 そんな不安定な状態に陥りたくなかった。きっとまた不安を払うためにあらゆる物に八つ当たりをするようになる。

 自分はそういう最低な人間だ。

 だから、今のこの状況もなるようにしかならない結果であり、仕方がないのだ。

 しかし、彼が病院に担ぎ込まれた事は流石に気になっていた。

 咲耶は学校へ、生徒の安否を確認してくると連絡を入れ、搬送された病院へと向かう。

「もし眼が覚めたらまた膝枕でもしてやろう。それくらいなら…構うまい」






舞華(まいはな)権座衛門(ごんざえもん)の場合


舞華権座衛門は物心ついた時から自分の生まれた意味を考えている。

 大嫌いなその名前の事も理由の一つだ。

 何故自分はこんな名前を付けられてしまったのか。親の気紛れ、という言葉だけで納得する事は出来ず、過去に一度両親にこんな名前嫌だと言った事がある。

 その返しは、嫌なら改名してもいい、だった。

 その答えがさらに自分の存在理由、存在意義を透明化させていく。

 つまりなんでもよかったのではないか、と。

 

 自分でなくとも、こんな名前でなくとも、親にとってはなんでもよかったのではないかと疑いながら生活を続けた。

 幼い頃から自意識が芽生え、頭の回転も同年代の他の子らより早かったからか、幼稚園に通う頃にはもうそんな事ばかりを考えて自分を偽り、仮面を被って過ごしていた。

 

 いい子にしていればきっと父親ももっと家に帰ってくるに違いない。

 父親があまり家にいない理由を知らなかった頃は自分の事をなんとも思っていないが故に家に寄り付かないのだと、そう思い込んでいた。

 母親は優しい。その名前の事も何度となく謝られた。

 謝られても仕方がないと権座衛門は理解していたし、諦めてもいた。

 きっとこの人にとっても自分は血の繋がった子供という名のアクセサリーなのではないか。その疑問が消える事はなく、心を開く事が出来なかった。

 そして、外面だけを整える日々に疲れていくのと比例して家では内向的になっていく。

 権座衛門はいつしか読書の虜になった。

 本を読んでいる間は自分が誰かなどどうでもいい。そんな事関係なく、物語の主人公になれるのだ。

 精一杯の仮面を被り、母に本をねだる。

 各種取り揃えてもらった本とは別に、自分を命名したという祖父の書斎にある本も自由に読んでいい事になった。

 祖父は物心つく前に他界したらしく、文句の一つもぶつける事は出来ないが、権座衛門は山のような本を提供してもらった事に感謝する事でその罪を帳消しにする事にした。

 母が買ってくれる本は少年が活躍する冒険物だったり、勇者が魔王を倒しにいくファンタジーだったり、魔法少女が魔法で人々を幸せにしていくお話だったり、とにかく明るく楽しい物がメインだった。

 勿論そういう本が嫌いなわけではないのでそれはそれで楽しく、自分を物語に溶け込ませるように読み漁る。


 ある時は勇敢な勇者、そしてまたある時は可憐な魔法少女。

 物語の中では何者にもなれる。

 権座衛門にとってそんな架空の世界に没入して行く事が唯一の幸せだった。

 しかし、あらゆる本を読み進めるうちに、だんだんと祖父の書斎にある本を読む比率が高くなっていく。

 そこにある本はいずれも難しく、常用ではない漢字もふんだんに使われていて電子辞書を片手に少しずつ読み進めた。

 気が付けば大体の本はスムーズに読めるようになっていて、それからというもの祖父の書斎に入り浸るようになる。

 むしろ書斎に住み着いたという表現が正しいのかもしれない。

 祖父の蔵書には時代小説や官能小説などもあり、自分にはまだ理解できない人間の感情の推移を伺う事ができた。

 他には分厚い歴史についての書物だったり、海外の本も沢山でてきた為、権座衛門は幼くして外語の勉強に取り掛かる。

 とはいえ、また電子辞書片手に少しずつ読んでいくというスタイルだった。

 いずれそれもすらすら読めるようになっていたのは、権座衛門の読書への強い執着故だろう。


 そして、祖父の本もあらかた読んでしまった頃隅、それに気付く。

 書斎の本棚の一番下の段、一番隅の一角にある本。その本の後ろに隠すようにしまわれていたそれは、本というには随分とボロボロでまるで手製のように見えた。

 権座衛門がボロボロの和綴じ本を捲ると、そこに記されていたものは何という事もない、祖父の自伝、つまりは日記だったのだ。

 がっかりしつつも、腹いせに過去の恥ずかしい出来事を読んでやろうという気持ちが沸き起こる。

 そして、読み進めていく上である事実を知った。

 到底現実味の無い話であるが、その当時の権座衛門にとっては…そういう事があってほしい。事実だったらどんなに素晴らしいだろう。そう思える内容だったのだ。


 祖父は若くして海外へ渡る。そしてそこで天使と出会う。

 天使は名前がなかったらしい。天使というのは名前が無いものなのだろうか?

不思議に思いながら読み進めると、以前は名前があったらしい。何か理由があってその名前を失ったのだそうだ。その頃の名前も記載されていたが、なんだか見た事もない変な名前だった。

 どのようにしてその天使が現世に現れたのかは記されておらず、また祖父にもわからないようだった。

 最初は祖父も天使など信じなかったようだがいろいろな事柄を総合的に考えて信じるしかなくなったらしい。

 しかし、その天使と交流を持つようになり、一緒に出掛けるような間柄になったそうだ。

 そして、ともに汽車に乗ったさい大きな事故に巻き込まれ、祖父は大怪我をしてしまう。

 勿論天使は無傷。

 そして天使は祖父にこう持ち掛けた。

「貴方は、まだ生きたいですか?」

 祖父は「無論、君を残して死にたくは無い」

…そう答えたらしい。すでにその時祖父は天使に恋心を抱いていたのだろう。

 すると天使はたちどころに祖父の怪我を治してみせる。

 しかし、後々話を聞くとどうやら天使の力は尽きようとしていた。

 天使は誰かと契約を結び、力を得ないとそのうちに消えて無くなるのだそうだ。

 祖父は自分と契約をと持ち掛けたが、天使がそれに頷く事は無かった。

 天使にとっても祖父は大事な存在になってしまっていたらしい。

 契約を結べば祖父からエネルギーを供給してもらう事になる。それが出来なければ祖父の命に関わる。

 だから、天使は祖父との契約を許容しなかったのだ。

 そして、天使は普通の人間として数年の時を生きる。その際に二人の間には子供が設けられたらしいが、それは、そこに記されていた名前は、父の物だった。

 父が人間と天使のハーフだった、などという事実を権座衛門は信じることが出来なかったが、できれば事実であってほしいと願った。

 父がもしそうならば、自分は天使と人間のクォーターという事になる。天使の血を引いているとはなんてファンタジー。


 そんな事を夢想しながらページをめくっていくと、肩を落とすような事実のみが記されていた。

 数年後天使が遺体も残さずに風に溶けるようにして消滅したこと、その当時一歳にも満たない父はその後天使の力等は一切受け継いでいない事。

 天使の力が尽きかけていたせいもあるのかもしれないが、生まれてきた子は普通の人間だったという事である。


 この日記に記されている事が本当ならば、権座衛門は天使の孫にあたるわけだが、それと同時にやはりただの人間なのだ。

 

 それからは自分が超常の物、つまり天使、あるいは悪魔、およびそれに勝るとも劣らない何か不思議な物に出会いたい。

 そう思うようになった。

 父が何の仕事をしているのか知ったのその頃である。

 世界中を飛び回り遺跡発掘や調査を仕事、というより趣味でやっている。だが父はオカルトに興味があるわけではなく、発掘する事自体がが好きなのだそうだ。

 だったら出土した変わった物は全部自分にくれないかと権座衛門が提案したところ、そんな物がプレゼント代わりになるのならいくらでも、と父親も上機嫌だった。

 初めて父親との親子的なコミュニケーションができた瞬間である。

 それからは父が送ってくる怪しい品を調べたり試したりを繰り返す日々が続く。

 

 だが、それも数年を経過するとだんだんと諦めに似た感情が権座衛門を蝕む。

 何も進展しない、子供がいくら調べたところで何もわかる筈がないのだ。と、自分に出来る事の限界に始めて気が付いてしまった。

 一時期はオカルトから興味が失せた時期さえあった。

 そして、その頃を境にして権座衛門は外に出るようになった。隣人が煩かったからというのもある。

 隣の家に住んでいる星月乙姫、彼は知能も行動も小学生低学年相応であり、やたらと自分に絡んでくる。

 たびたび家に迎えに来ては、一緒に学校へ行こうと誘ってくる。

 何度も断っているのにずっと。ひたすら家に押しかけてくる。

 ついには根負けして外へ出る事になった。母親が乙姫を家にあげてしまったのだ。彼は遠慮もせず書斎にまで入ってこようとしたのでそれをやめさせるためにも仕方なく言う事をきく事にして、その日から行きたくもない小学校生活が始まった。

 無邪気で諦める事を知らない彼の事が正直言ってうざったく思っていたが、それと同時に羨ましいとも感じていた。自分はきっと難しい事を考えすぎて動けなくなっている。余計な事に縛られて自由を失っている。

 やっと自分の生まれた経緯を知る事が出来ても、何一つとして変える事が出来ないもどかしさ故に、自由な彼が羨ましかったのだ。

 

 権座衛門は子供が嫌いだ。大人は空気を読んで言いたいことを飲み込む事ができる。

 だが、子供というのは残酷である。久しぶりに学校にやってきた変な名前の生徒はクラスにとっての異物であり、攻撃の対象となった。

 乙姫はそれを事ある毎に庇い、生徒達に怒鳴り散らす。権座衛門はそれをいつも冷めた眼で眺めるのだ。

 なぜこの少年は他人の為にそこまでするのだろう。

 隣人だからだろうか。それとも、勝手に友達だと思い込んで守らなければなんて使命感に駆られているのだろうか。

 どちらにせよ下らない。やっぱりこの世は糞ったれだ。

 そう、思っていた。

 だが、星月乙姫という人間は権座衛門が知る子供とは、知る人間達とは、どこか違っていた。

 彼も男として変な名前を付けられてしまっていて、それを気にしているらしい。乙姫と呼ばれるのを非常に嫌がる。

 少しだけ自分に似ているのかもしれない。そう思ったのがきっかけだっただろうか。

 彼とだんだん話すようになってきた。そして解った事だが、彼は決して馬鹿ではない。知識は確かに自分とは比べ物にならないほど少ないだろうが、それでも行動理念は一環していて、自分を曲げる事を良しとしない。だが頑固というわけではなく自分が間違っていると解ればきちんと認めて謝る。

 そういう人間の素直な部分を凝縮したような生き物は動物以外で始めて出合った。

 

 ある時、権座衛門をいじめていた生徒の一人が他の学年から兄を教室に連れてきた。

 自分の力で相手を制する事が出来ないと判断した時に子供がよくやる手である。

 権座衛門はそういう人間を心底軽蔑していたが、そんな相手に暴力を振るわれたとしても、そんなものは一過性の痛みに過ぎず少し我慢していればあっと言う間に開放される。

 流石に殺すまで殴ってくるような馬鹿はそうそう居ない。

 だが、権座衛門は初めて知る事になる。

 自分の知人…友達が傷付けられると言う事がどれだけ腹立たしい事なのかを。

 いつものように自分を庇って乙姫が権座衛門の前に出て上級生と対峙する。

「乙姫くん、そういう事しなくていいんだよ。怪我しちゃうよ?」

「うるせー。おれがやりたいよーにやってるだけだよ。それに乙姫ってよぶな権座衛門」

 権座衛門の心がざわつく。イライラした怒りの感情がこみ上げる。

 このわからずやの友人、もう友人と呼んで構わないだろう。彼に対して自分が怒っている。その事実が不思議でならない。

 案の定乙姫は上級生に殴られ、あっという間に顔がボコボコ腫れていく。

 

もうやめなよ。

 権座衛門はそう言いたかったが、必死な彼の顔を見ているうちにそんな身勝手な事を言えないようになっていた。

 もうやめて、そんな言葉は守られる側の身勝手である。守る側の気持ちをないがしろにしている。

 守りたい相手から守らなくていい、尻尾を巻いて逃げろと言われて逃げる人は主人公ではない。

 今まで読んできた物語の主人公はどうしていた?酷い人間が主役の話もあった。それでも王道ストーリーの主役達はいつも自分が守りたいものを必死に守る。どんなに自分が傷付いたとしても。

 この少年は自分にとっての主人公なのだ。

 ならば自分の役割はただ守られるだけの村人Aでいいのだろうか。

 それとも主人公の親友?或いはヒロイン?

 その二つはどちらも甘美な響きであったし、そのどちからに甘んじても良いのではないかと権座衛門は思った。


 ただ、この場において乙姫が容赦なく殴り飛ばされているのをただ眺めているだけ、なんて事が、もう自分には出来なくなっていた。

 きっと自分が出て行っても迷惑になるだけ、一緒に殴られてあげることしか出来ない。

 それは解りきっていたのだが、権座衛門は静かに立ち上がり、上級生の前に立つ。

 

 その時はまだ自分の体の異変に気付く事はなかった。

 上級生の振るう拳を眼で追う事も出来ず頬に思い切り衝撃が走る。

 衝撃、だけが走る。

 顔色を変える上級生。

 ずっと遠巻きにこちらをみているクラスメイト。

 そしてもう意識を失いかけている乙姫。

 その全てがこちらに注目していた。

 

 悲鳴をあげたのは上級生のほうだったのだ。

 権座衛門は確かに思い切り殴られたが、まるで何か見えない壁に守られてでもいるかのように、全く痛みを感じなかった。

 むしろ相手の拳が嫌な音を立てて形が変形している。

 上級生も、その弟も、一目散に逃げていった。

 勿論この乱闘騒ぎは学校的に問題になったが、一方的被害者だった事、権座衛門が一切手を出さなかった事を周りの目撃者が口をそろえて教師に伝え、問題の原因はいじめっ子とその兄、と言う事に落ち着いたのだ。

 勿論その日から権座衛門がいじめられる事は無かった。

 

「権座衛門すげーな!おれが守る必要なんて全然無かったんだ…余計な事してたんだな」

 寂しそうに少年がそう言うが、そんな事はないのだ。権座衛門は何よりも、誰よりもこの少年に感謝していたし、この少年をもっと知りたいと思った。

「権座衛門って呼ぶのやめてほしいんだよ」

 

 それからは積極的に権座衛門の方から彼に接触をはかるようになる。

 知れば知るほど星月乙姫という人間は自分と決定的に違っていて、だからこそ面白い。信頼できる唯一の友人となった。


「舞華ってこういう不思議な物がすきなのか?」

 権座衛門は乙姫を自分の部屋に招いていた。彼は数あるオカルトグッズを一つ一つ持ち上げて一通り細かく観察してから、「こういうのってロマンだよな!」と言った。

 そんな彼を見ていると権座衛門も、再び集めてみようかなという気になる。

 乙姫がまた一つ違う物を手に取る。その手を良く見ると絆創膏が無数に貼り付けられている。手だけではなく、彼は権座衛門を守ろうとしてきた事でいつも怪我ばかりしていたので体中に切り傷擦り傷打撲痕が山のようにあった。

「おとちゃんはさ、いつも無理しすぎなんだよ。もう少し自分を大事にしないと」

 乙姫と呼ばれるのを嫌がる彼の為に呼び方を考えたのだ。いろいろ考えてみたがそれが一番しっくりきた気がした。

「わざわざあだ名考えてくれたのか!愛してるぜマイハニー!」

 権座衛門は戸惑う。どういう意味で言っているんだろうかこの少年は…と。

 勿論恋愛物の小説で出てきた事のある言葉通りの意味ではないだろう。

「まいはなだからまいはにー♪なんてな」

 にっかりと笑う彼の顔を権座衛門はいつまでも見ていたいと思ってしまった。

 それがいったいどういう感情なのかは考えてはいけないように思えたが、そんな事はどうでもよくて、一つだけ心に誓った事がある。

 彼は自分を守ってくれる。だから、自分も彼の事を守るのだ。と。

 彼は自分にとっての主人公でありヒーローだが、自分が友人やヒロインポジションにお落ち着く気にはなれない。

 なら今から始めよう。自分が主人公になれる自分の物語を。

 彼の物語の中では脇役で構わない。

 ただ、彼を守れる人間になりたい。

 彼がやめろと言っても、逃げろと言っても、そんな彼の事情を無視して守りきれるような存在になりたい。

 彼の為、そしてそれ以上に自分の為に。

 

 その為には自分の事をもっと知らなくてはならない。

 そして、もっともっと強くならなきゃならない。

 

 数日後、舞華権座衛門はとある女学生の家を訪れる事になる。

 自らの力を知るために、そして、彼を守る力を手に入れるために。

 

 偶然にも、その学生、彼女も彼の事を守りたかったが、もうそれが出来ないのだという。おかしな偶然に戸惑う二人。

 だが、それを運命だと二人は感じた。

 一人は自分に出来なくなった事を引き継いでもらうために。

 もう一人はその意思を継いで守り続けるために。

 

 舞華権座衛門は星月乙姫の事を愛している。

 その愛情がどういう愛情なのかは深く考えていないが、その愛する友人が昨日病院に担ぎ込まれてしまった。

 付いて行きたかったが、師匠、つまり教師の織姫咲耶に諭され、皆一度帰宅する事となった。

 もともとは自分の責任だと権座衛門は考える。

 全ての始まりは権座衛門が渡したオカルトグッズが原因だ。それに、悪魔の存在を知った時、何がなんでもこの眼で見たいと思ってしまったのだ。

 乙姫を巻き込む結果になると解っていて、自分の知的探究心に勝つ事が出来なかった。

 友人を裏切ったも同然である。

 その責任を、権座衛門はどうにかして取りたかった。

 その責任を負い、解決する事こそが自分の存在意義、存在理由になったのだ。

 

 昔彼は笑って言った。

「ハニーが嫌いな名前の由来とか、どうしてそうなったのかを一度親に聞いたほうがいいぞ。意外とそういう所にも物語とロマンがあるかもしれないだろ?」

 幼い頃はそれが怖くて出来なかった。

 一度思い切り嫌がり、改名してもいいとまで言わせてしまったからだ。

「それでな、二年前に発掘した遺跡の事なんだけどな、パパは必ずここに何かがある!って感じたわけだよ。それでな、」

「パパ」

「そして掘り進めるうちに一つの事実が判明するわけだ、つまりこの遺跡は…」

「パパ」

 嬉しそうに遺跡発掘の思い出を語る父。

 語る事に夢中でなかなか食事に手をつけない父をニコニコしながら見つめる母。

 そんな二人に、今だからこそ、聞いてみよう。きっと簡単な事だ。

「ボクの名前ってなんで権座衛門なの?お爺さんって何考えてたんだろね?」


 怒って居る訳ではないので出来る限り軽いノリで問いかけると、思ってもみない返事が帰ってきた。

「ん…?それはあれだよ。うちの親父が昔海外で出会った人の名前を参考にしたとかなんとか…よくよく考えると海外で出会った人なのになんでこんな和風な名前に…」

 人の名前を参考に付けられたと言う事はその知人とはよっぽど不可思議な名前だったのだろうと権座衛門は頭を捻る。


「本当に嫌だったら名前変えたっていいのよ…?どんな名前だって私達の子供に代わりないんだからね?」

 母親から出た言葉は聞き覚えのある内容だったが、当時の権座衛門が考えていたような理由では無かったのだと気付かされた。

 二人は、名前などなんでも良くて、自分じゃなくてもいい。ではなく、自分の子供である事に変わりないから名前などどうでもいい、が正解だったのだ。

 本当に、実際聞いてみるとどうと言う事はない話で、二人が子供を愛しているのだという事も伝わってきた。こんな簡単な確認を今までしてこなかった自分は本当に愚かだと、権座衛門は深く反省した。

 そしてすっきりした顔で言う。

「ごちそうさま。ボクいかなきゃ」

 二人は頷き、優しい声で権座衛門に「いってらっしゃい」と声をかけ、見送った。

 

 早足で病院に向かう。幸い乙姫は外傷があったわけではなく、意識を失っているだけだと判断され海寄ランドの近くではなく、住まいに近い病院に搬送する事になったと咲耶から聞かされていた。

 なら場所は解っている。

 今頃目覚めて辛い思いをしているかもしれない。

 早く、会ってぎゅっとしないと。

 そして言わなければならない。

 ありがとうと。

 

 その時、ふと祖父の日記に記されていた天使の名前を思い出す。

 当時は変な名前だと思って特に気にしていなかったが、そこに記されていた名前は

 ゴウン・ザレ・イーモン

 

 実に馬鹿馬鹿しい事だと笑いが止まらなかった。

 答えはとっくに見つけていたのだ。

 

 そして権座衛門は、自分の名前に少しだけ、ほんの少しだけど愛着が湧いた。


「おとちゃん、こんな名前にも物語とロマン…ほんとにあったよ」

 





人魚泡海(ひとな あみ)の場合


「君が潜入先で如何わしい行為に走っているという情報があるのだが説明を求めても良いかね?」

 人魚泡海は焦っていた。

 組織の末端組員でありながらその素養を買われ、倶理夢学園に潜伏する事になってから自分はとにかく上手くやってきた筈だ、と。

「な、なんの事か解りかねます」

 我ながら言い訳にすらなっていないなと泡海は気付いているが、他にどうにもいいようがないのだ。

「君ね、学園内に潜伏しているのが君だけだとでも思っているのかね。確かな情報だよ。これを見たまえ」

 泡海は息を呑む。

 目の前で豪華な椅子に座って葉巻を吹かしている男はこの組織の支部長にあたる人である。

 その支部長が手元のノートPCにSDカードを差込み、ディスプレイに数枚の画像がが表示された。

 泡海は恐る恐るその画像に目をやると、そこには泡海がロッカールームに小型カメラを仕掛ける様子が写った物や女子高生の後を付回しているところなどなど…。

 自分に気付かれずにここまで決定的な写真をとれる人間がいた事に驚きつつ、泡海はこの状況を打破する方法を模索する。

 …無い。

「何もこれを辞めなさいと言ってるわけじゃないんだ」

 支部長は青くなったままの泡海に優しく声をかける。

「…では、いったい何故私が呼ばれたんですか?」

 いろいろ考えてみたが泡海には心当たりがなかった。

「君が学園に潜入している理由について正しく理解してもらう時が来た」

 泡海は驚いた。今までは潜伏する事自体が目的で、何をするでもなくただ学園内で変わった事が起きたらすぐに報告を、と言われていただけなのだ。

「君は悪魔の存在を信じるかね」

「悪魔…ですか?それは…一般的に言う酷い奴という意味でしょうか?」

「いや、読んで字のごとく。悪魔だよ」

 何を言われているのか理解できず泡海は困惑する。神だの悪魔だの、そういう話なのだろうか。

「理解したかね?その悪魔だよ。実はこの界隈で悪魔が召喚された可能性がある」

「何を言っているのか解りません」

「まぁ君が信じるかどうかはどうでもいい。とにかく今悪魔と契約している可能性のある人間をピックアップしている。君にはその監視と接触をお願いしたい」

 泡海は悪魔の話をどうにも信じる事が出来なかった。だが、命令とあらば動かなくてはなるまい。それに…弱みも握られている。

「ちょうど君のいる学園に通う学生が候補に上がっているのでね、それを君に任せたい」

「候補者全員ではなく、ですか?」

「君には言ってなかったかもしれないが全国の全ての学校に二人から三人ほど潜伏させているのだよ。学生は各学校で対応可能だ。それに、勿論学生意外にもあらゆる場所に我が同胞達は潜んでいる。その地区毎の支部から派遣されているからね。例えどこに候補者が現れようと我々の監視からは逃げられないのだ」

 泡海は自分が所属している組織が思いのほか大きい事に今更気付かされる。

 どちらにせよたった一人を監視すればいいだけであれば簡単な話だ。

 

 

「報告書は読ませてもらった。つまり、何故か相手の方から君の身辺を探るような真似をしてきた、と。怪しいな」

「はい。まだ理由はわかりません。明日接触を試みる予定です」

 泡海のロッカーを漁っていったのは星月乙姫という一年生。

 泡海はおそらくこの男は組織の存在には気付いていないのではと考えていた。

 なぜならば、命よりも大事なデータが入っているカードを盗まれているからだ。

 健全、いや、下劣な男子生徒ならば喉から手が出るほどほしがる代物であろう。

 許してはおけない。

 組織には悪いが場合によっては独断で処分する事も視野に入れていた。

「接触か…いいだろう。しかし事は慎重に頼むよ。そして、もし悪魔の存在を確認したならば直ちにこちらに報告するように」

 悪魔悪魔と何を馬鹿な事を。

 正直泡海にはどうでもいい事だったが、自分の大事な物を盗んだ男を野放しには出来ないので最低限の仕事だけはしてやるつもりでいた。

 大事なデータを取り戻し、場合によっては…

 大いなる覚悟を持って泡海は星月乙姫との対峙に望んだ。

 

 

「…では組織の事を気付かれていたわけではなかったのだな」

 乙姫は組織を狙った訳でもデータのカードを狙った訳でもなかった。

 が、結果的にデータの中身を見られ泡海は自身の弱味を握られてしまったどころか、泡海自ら組織の事を口走ってしまったために組織の存在すらもバレてしまった。

 その事だけは口が裂けても支部長に知られるわけにはいかない。

「はい。それと…悪魔は、確かに存在しました」

「なんだと!では星月乙女が悪魔の召喚を成し得たというのか!?」

「そこまでは解りません。ですが、なんらかの理由で彼の元に悪魔が居る事だけは確かです」

 支部長は難しい顔をしながらも「くっくっく…」と笑う。

「君、どんな手を使ってもいい。星月乙女と親しくなりたまえ。近ければ近いほどいい。恋人にでもなれれば完璧だ。そしてその悪魔の詳細を報告したまえ」

 泡海は耳を疑った。

 自分にあんな男の彼女になれというのか。

「なに、勿論恋仲になれとは言わんよ。ただ色仕掛けでもなんでもいいからその男と親密になりさえすればいい。常に一緒に行動してもおかしくない程度に接近できれば御の字だよ」

 新たな命令は泡海にとって苦渋の選択を迫るものだったが、形だけの恋人という意味であれば学園内で自分にかかっている疑惑の排除にも使えるのでは無いかと考える。

「…わかりました。お任せ下さい」

「そして可能ならば悪魔を拉致して来たまえ」

 泡海は思い出す。あの悪魔の力は本物だった。果たしてあの悪魔をどうこうできる方法などあるのだろうか。

正直あの悪魔と対峙しなければいけないとなると…寒気がする。

自分にとってあの出来事はトラウマになっているようだ。

「心配は無用だよ。ロスにいるうちのボスは悪魔の専門家とも言えるお方だ。そもそも幹部クラスの人間にしか知らされていないがこの組織自体本来悪魔を捕獲するための情報網を兼ねているのだ」

 泡海にとってはどうでも良い事だったが、この組織がそんな如何わしい胡散臭い物だったと知って若干げんなりする。

「これで無事に捕獲する事が出来れば一気に昇進…いや、上手くすれば私が…くっくっく」

 かなり不穏な事を言っていた気がしたが、弱みを握っている以上泡海の事などまったく警戒していないのだろう。

「ちなみに、勿論解って居る事だとは思うが、拒否したりこの秘密を口外するような事があれば…君の秘密は明るみに出る事になると思ってくれたまえ」

 案の定脅迫である。三流の悪役のやる事だなと感じながら、泡海は仕方なく任務に就くことにした。


 支部長からは小さな腕輪のような物を渡された。それを対象の腕に嵌めるとその腕輪の中に閉じ込める事が出来るのだそうだ。

 どこまで信じていいかはわからないが、泡海の目的は悪魔の腕に腕輪を嵌めて封じ込める事。しかしタイミングは重要で、悪魔が弱っている時でもない限り完璧に閉じ込める事は出来ないかもしれないという不安な代物だった。

 何もかもが適当である。きっとこれは組織の方針というよりも、適当なのはこの支部長なのだ。

 なぜこのような組織に入ってしまったのだろうと泡海は当時の事を振り返る。

 最初はただ単にスカウトだった。給料もいい、仕事内容も簡単。ただ訓練を受けて与えられた任務をこなすだけ。

 騙されたと思って入ってみたが彼女には合っていたようで一目置かれるようになるまで時間はかからなかった。

 だが、ここの所の組織は何かがおかしい。これが本来の姿だというのならば…

 いつかこんな組織ぶっ潰してやる。

 

 

 人魚泡海は激しく悩んでいた。

 任務は無事に遂行された。

力を使い果たしたところにあの腕輪を装着するとあの悪魔は思ったよりも簡単に腕輪に吸い込まれていった。

乙姫がもともとしていた腕輪はその際砕けて粉になってしまった。よくよく考えるとあれが白雪の召喚器か何かだったのだろう。

すぐに腕輪を回収し、任務は、無事に終わった。


 なのにこのすっきりしない気分はどうだろう。

 乙姫を裏切るような事をした。それも確かに罪悪感の元ではあるし、申し訳ないと思っている。

 そして、悪魔が思ったよりもただの女子だったのだ。おかしな所はあったけれど、現世を楽しみたいという強い欲求に動かされているだけだったように思う。

 悪い存在ではなかった。むしろ、組織のせいであの場に居た大勢が死ぬところだったのだ。

 あのままでは泡海本人もどうなっていたか解らない。

 それを支部長に問いただしても、「君を巻き込む予定など無かった。すまない」ととぼけられてしまった。

 まだ乙姫はこの事を知らないだろう。

 だが、泡海はもう皆の前にどんな顔をして出て行けばいいのか解らなかった。

 乙姫以外の人には見られてしまったのだ。

 一番知られたくなかった舞華にまで。

 間違いなく、自分は嫌われてしまっただろう。泡海は泣き出しそうな気持ちを必死に抑える。

 しかも支部長は、任務を終えた泡海に次なる命を下した。

「あの場に…もう一人悪魔がいた可能性がある。次はそちらにあたってもらいたい」

「各地に居るその候補の近くにいるメンバーに頼めばいいのではありませんか」

 泡海はうんざりしていた。他に居るならそいつらにやってほしかった。

「いや、こちらとしてもあまり悪魔の存在を大人数に知られたくはないのだよ。君が今一番悪魔という存在に近しい。なら君に担当してもらうのが得策だろう。必要なら引越しもこちらで手配する」

 勘弁してほしい。泡海は今の生活を壊してまで任務を続けたくはなかった。

「お言葉ですが、私は今回漁夫の利のようなもので、特に自分から特別な事はしていません。他の人にやってもらっても同じような結果だったかと。それに…あれは悪魔ではなく天使です」

 うかつにも余計な事を言ってしまったと気付いたのはその言葉を聴いた支部長の反応を見てからだった。

「なんだと!?天使…?いや、そういう可能性もあるのか…悪魔と天使をまとめて捕獲できれば…我が地位は確たるものに…いずれ頂点に君臨する事も…君、その口ぶりならもう接触しているのだろう。速やかに行動に移すように。勿論断れば君の罪は広く知れ渡る事になる」

 また脅迫である。この話し方だと彦星アルタが宿主なのも組織は既にあたりをつけているのだろう。

そういう波長のような物を読み取れるような機材でもあるのだろうか。


「一つ聞きたい事があるのですが…」

「なんだ?言ってみたまえ」

「私が学校内でしていた事について本部や他の支部には報告しているのでしょうか…」

「なんだそんな事か。心配はいらん。まだその情報はここで止めているよ。万が一報告をあげてあんな小犯罪が原因で君を処分なんて話になってしまってはこちらも有能な駒を失う事になる。いばらだけでは荷が重いからな」

 泡海は「安心しました」と支部長に告げる。


 が、本当は二つの意味で安心していた。一つは支部長がいばらという名前を洩らした事。それは二年三組の棘野(とげの)いばらという女性だ。泡海のデータに登録済みである。

 いばらが組織の一員であるとするならば、そいつさえ締め上げれば秘密を知るものは居なくなる。支部長は言った。「いばらだけでは」と。なら学内に潜入しているのは私といばらだけであろう。黙らせる事は容易い。

 もう一つは、秘密がこの支部で止まっている事。先ほどの事情と合わせて考えるに、

 

 この支部をぶっ潰せば全て解決するのだ。


「あぁ、それと。一つ言い忘れていたが念の為にもう一つだけ人質、というか物質を取らせてもうら事にしたよ」

 まだ何かあるのか。一体これ以上私の何を奪うつもりなんだこの男は。

「君も自室では油断すると見える。いばらに君の部屋を捜索してもらった。何やら面白い物を見つけたそうだよ。PCに挿しっぱなしにしておくなんて無用心極まりないね」


 絶望。

 

 この世の終わりだ。

 

 あの男から奪い返したあのSDカードそのものを確保された。

 もしもの事があれば私はもうあの中身を一生見る事ができないのだろうか。

 それは困る。絶対に取り返さないといけない。

 一つは私がした事が撮られているSDカード。もう一つは私の命ともいえるもう一枚のカードだ。

 

 人魚泡海は決意する。

 こうなったらなりふりは構っていられない。

 今すぐ彼の元へいかなくては。

 星月乙姫のもとへ。

 

「人魚泡海、ただ今より決死の覚悟で任務に当たらせて頂きます!」








彦星(ひこぼし)アルタの場合



彦星アルタは迷っていた。

 あの少年、星月乙姫とはいったいどんな人間なのか。

 最初はただの悪魔が取り憑いた変態痴漢男くらいにか考えていなかった彼女だが、海寄ランドで起きたあの一件以降分からなくなってしまったのだ。

 基本的に彦星アルタという人間は他人の事などまったく興味が無い。

 自堕落に自室に籠り大好きなアニメを見たりゲームをしたりして毎日を浪費して行く事を至上の喜びとしていた。

 少年の事を好意的に考えている訳ではなく、ただ自分が出会った事の無い不思議な生き物として非常に興味深く感じる。

 アルタは今までの人生において命を懸けてまで他人に関わろうとする人間を知らない。

 

 幼少期のアルタは荒んだ家庭で過ごしていた。

 生まれた時はどうだったのか、それは覚えていないが、物心ついた頃には父親は既に他界していた。

 母は娘を育てる事を放棄し、毎日毎日ただひたすら遊び歩いていたのだ。

 何度となく知らない男を家に連れて帰ってくる母親が、アルタには自分と違う生き物に見えた。

 ただ本能の赴くままに楽しい事だけをして生きていく母を、不思議な事だがアルタは尊敬していた。


 勿論人として、ではない。

 生き物としてそれがあるべき姿なのではないかと思ってしまったのだ。

 自分の事を放置している事に関して寂しさが無かったといえば嘘になる。

 だが、母のその逞しさは自らの将来を明るく照らしていた。

 自分も思いのまま生きていけばいいのだ。と。


 やがてアルタの母が再婚すると生活は一変する。

 新しい父親と母の仲が良かったのは最初だけで、一年もしないうちに新しい父は家に寄り付かなくなる。

 相変わらず母も子育てなどするつもりは無い。

 だが、今までの生活と一番違っていたところは、新たな家庭はお金があった、という事であろう。

 アルタは学校にも行かず家に引き籠る日々を続けたが、それを咎める人間は誰もいない。

 家政婦が一人いて、日々の食事や最低限の身の回りの世話をしてくれる。

 欲しい物は父のカードを使っていくらでもネットで調達できた。

 毎日が天国だった。


 アルタはその幸せの巣からいつまでも飛び立つ事なくそのまま骨を埋めてしまおうと決意していた。

 やがてアニメやゲームにどっぷりと浸かり、日がな一日それに溺れる毎日を繰り返していく。

 そうやって、アルタは自分の事だけを考えて生きていく術を身に着けていった。

 他人はどうでもよく、ただ自分の幸せだけが続けばそれでよかった。

 そして、新しい父も母も自分の事だけを考えて生きている。素晴らしい。

 人間とは、そういう生き物だったのだ。

 集団ではなく、個が集まっているだけだと、幼いながらアルタは確信してしまった。


 家政婦もそうである。ただ与えられた仕事のみをこなし、必要な事以外は一切やろうとしない。

 人はそれを怠惰だと思うのだろうか?

 アルタはそれは違うと思っている。

 やるべき事はきちんとこなしているのだからそれ以外の事などする必要がない。


 きちんとそれを解っているのだ。

 つまり、それが人間だ。

 

 人間とはそういう生き物なのだ。

 

 そうやって毎日自分の楽園で幸せな日々を過ごしているある日の事、それは現れた。


 正確には落ちてきたという表現が正しいだろうか。

 アルタがゲームに夢中になっていると、突然家が停電に陥った。

 その時はオンラインゲームに夢中になっていたため、アルタの顔面は蒼白になる。

 回線が切断されてしまった以上既に手遅れなのだが、アルタはしばらくパソコンの前から離れる事が出来なかった。

 それがアルタの人生でも上位に入るショッキングな出来事である。

 人と価値観がズレているのは何となく本人も理解していたが、アルタから言わせると他人はすべて仮面を被って生きている。

 こうでなければいけない。こうするのが普通だ。だからこれはしてはいけない。

 そんなものはただの思い込みであって人間の本性、根っこの部分は個なのだ。

 己さえ幸せならばそれでいい。

 人間とはそういう生き物だ。

 

 ようやく諦めがつき、その場を後にする。

 家政婦は既に就寝しているようで誰もブレーカーを上げようとしない。

 父も母も家にはいないのだろう。

 やむを得ず彼女は自分で電気を復旧させるため、モバイル端末のライト機能をオンにしてブレーカーを探す。

 やっと見つけたブレーカーはアルタには手の届かないところにあった。

 四苦八苦し、やっとの思いで掃除用のほうきでブレーカーを上げる事に成功。

 それでも電機は復旧しない。

 アルタは原因を考える。しかしそんな知識は持ち合わせていないため仕方なくネット検索に頼ろうとしたが、パソコンは電気が通っていないので使えず、モバイル端末も携帯電話としての利用ではなく主にゲームの為に使っているのでキャリア通信が出来ない。家のwifi環境が通電せず死んでいる今検索のしようがなかった。

 家政婦を起こそうかとアルタは少し悩んだが、あの家政婦は寝ればいいだろうと言って動きはしないだろう。

 今は仕事時間外なのだ。

 あれこれ考えていても何も解決しないと思い、アルタは家への送電線でも切れているのではと玄関を出てあたりを見渡す。

 そこで、奇妙な物を目撃する事になる。

 

 家へと繋がる電線に、何かがぶら下がっていた。

 ぶすぶすと嫌な音を立てて煙が上がっている。

 しかも大きい。何か大きなゴミでも飛んできて電線に絡みついたのだろうかと、アルタは目を凝らしてよく観察してみる事にした。

 すると、その大きな黒い塊は動いたのだ。

「こいつ、動くぞ!」

 アルタは思わず叫ぶ。

「あの…助けてください~」

 どこからか間の抜けた声が聞こえてくる。

「ここですよここ~」

 アルタは耳を疑う。

 まさに電線にひっかかっている黒焦げの物体から助けを呼ぶ声がするのだ。

 まさか泥棒が電線伝いに家に侵入しようとして感電したのだろうか。

「アンタ泥棒?もしそうなら助ける必要ないわよね」

「違いますよぉ~わたし、天使ですぅ~」

 思わずアルタは噴き出してしまった。

「アンタそれ笑える冗談ね。天使様なら自分で飛んで降りたら?」

「そうしたくても感電してうまく体がうごかなくってぇ~」

 イライラする。

 喋り方も間延びしていて一言一言がアルタをイラつかせた。

「それで?天使様はそこから落ちたくらいで怪我するの?天使なのに?」

「いえいえ~このくらい怪我なんてしませんよぉ~ただ、落ちたら痛いだろうなぁ~ってだけでぇ~」

 ふざけた女だ。

 アルタにとってこういう世迷言を言うような人間が一番嫌いだった。

 現実主義なのである。

「知らないわよそんなの。アンタが勝手にそこに引っかかって痺れてるだけでしょ。怪我しないならさっさと自分で落ちてきなさいよ」

 通報してやるから。

 

 …いや、今電話は使えない。

 だとしたら落ちてこられて困るのはアルタ本人の方では、と一瞬ヒヤリとしたが、よくよく考えればあの高さから直接地面に落下したら無事で済むはずがない。

 死ぬか、運が良くて体のあちこち骨折して身動きとれなくなるだろう。

 だったら問題ない。自分の命を守るために最善なのはあのままあそこで助けを待つことだ。

 下りてくる筈がない。

 

「ひどいですぅ~でも、したかないですね…わかりましたぁ~今から下りますねぇ~」

 待て、この女死にたいのか?それともただの馬鹿なのだろうか。


 そもそも何故感電してそんなに普通にしているのだろうか。

 アルタの頬を嫌な汗が伝う。

 こいつはヤバい奴だ。

 

 ぼとっ

 

 そんな事を考えているうちに、アルタの目の前に女が落下してきた。

「いったぁ~いですぅ~」

 その女は何事もなかったかのようにゆっくり立ち上がる。

「あ、やっと痺れも取れてきましたぁ~♪」

「あ、アンタ…いったい何なの?」

 人間じゃない。こんな理解できない生き物が人間であってたまるものか。

 アルタは目の前の生物を全否定する。

 人間ではないどころか、この世の生物とは到底思えなかった。

 そして気付く。

 この女は最初から言っていたではないか。

「だからぁ~天使ですぅ~♪」


 アルタにとってショッキングな出来事ランキングを更新した瞬間だった。

 

「アンタ…どっから来たのよ。天界、とかいうやつ?」

「う~ん。そういう名前はとくにないです~。強いて言うなら人々の感情が漂う世界、でしょうかぁ~」

 イライラする話し方だが、そんな事どうでも良くなるほどアルタは目の前の天使が気になった。

「そもそもぉ~天使って言うのは陽の気が満ち満ちて結晶化した存在なんですけどぉ~。陽の気ってある程度溜まるとあっちの世界ではきゃぱおーばー?とかいうのになって放りだされちゃうんですぅ~」

 アルタは今まで吸収してきた中二病的知識をフル稼働させて理解に努める。

 が、大抵の場合天使というのは天界に住んでいて悪魔と敵対するそんな存在である。

 気が満ちた世界でキャパオーバーになると凝固して放り出されてくる天使なんて聞いた事がないしなんか嫌だ。


「つまり、アンタは生まれたてって事なの?」

「えっとぉ~。そうですねぇ、私、という自我を持つにいたったのはさっきですかねぇ~?でもこちらの世に出てきた瞬間にまさか感電するなんて思わなかったですぅ~」

 天使はアルタに涙目で訴える。

「だいたい分かったけど、それを信じろって?アンタが天使だって証拠はなんかないの?」

「証拠って言われても…じゃあ何か一つ望みを叶えてあげますぅ~」

 天使というのはこんな安請け合いをするものなのだろうか。

 アルタは半信半疑、いや、二割信八割疑だったが今一番の望みを伝えた。

「アンタのせいで電気止まってんのよ。なんとかして」

 天使は、「欲が無い人は好きですよぉ~」と言って一度大きく腕を振るった。

 その瞬間、アルタは天使という存在を信じるしかなくなってしまったのだ。


「ちょっと疲れてしまったのでぇ~寝ていいですかぁ~?」

「アンタ馬鹿じゃないの?こんな所で寝る気?」

 アルタが言い返すが、言い終わる頃にはすでにすぴーひゅるるーというメルヘンチックないびきが響いていた。

 あまりの出来事にアルタは気が動転しっぱなしだったが、天使の知り合いなどそうそう出来るものではない。


 とりあえず拾って帰ろう。

 そう決めて、天使の両足を持って引きずる。

 重たくてアルタには到底持ち上げられそうにないのだった。

 頭をずるずる地面に擦り付けながら運ばれているのに天使はメルヘンいびきを辞めようとしない。

 とりあえず自室まで運ぶと、アルタはベッドに寝かせようか一瞬迷ったが、引きずった為にあちこち薄汚く、そもそも全体から焦げ臭い臭いがするので部屋の隅に転がして置く事にした。

 

 そして、満を持して、オンラインゲームの再開である。

 

 

それから数日が過ぎた頃、天使は相変わらずアルタの部屋に居着いていた。

「アンタ名前とかはないの?」

「生まれたてですしぃ~特にそういうのは…あ、もしよかったら名前つけてくれませんかぁ~?」


 天使の名付け親になるというのも面白いなとアルタは安易に考えてしまう。

 ずっと寝てるからネムリにしよう。

「でも名前を付けるって事はぁ~」

「じゃあアンタは今日からネムリよ」

「契約するって事でぇ~…あ。」


 その瞬間、天使のネムリとアルタとの契約が成立してしまった。

「ちゃんと説明聞いてからにしてくださいよぉ~もう遅いですけどぉ~」

 話を聞けば、契約が成立してしまったためアルタがネムリの宿主という事になり、ネムリの為にエネルギーを調達し続けなければいけないらしい。

「ちょっと聞いてないわよ!」

「言おうとしてたんですけどねぇ~」

「こんなの詐欺よ詐欺!天使天使詐欺だわ!」


 そしてさらにショッキングな出来事ランキングは更新された。

 

 それからという物アルタはネムリの為、というより自分の命の為に外出を余儀なくされる。

 天使の活動にはエネルギーが必要で、特にネムリは幸福エネルギーとかいうのが欲しいらしい。

 それが枯渇してしまうとアルタ本人からエネルギーが吸い上げられてしまう。

 つまり、精気を吸い取られていずれ死んでしまうという事だ。


「その分いい事に使うならちゃんと望みは叶えてあげますからぁ~」

 気楽そうにいうその天使をアルタは何度殴ってやろうと思っただろう。

 そうしてあれこれ考えてちまちまやりたくもない善行をこなす事になるのだが、胡散臭いプロデューサーにスカウトを受けた事があり、それが今のアルタへのきっかけになった。

 

 アルタはもともとアイドルという職業に憧れがあり、自分がそうなりたいと思った時期も確かにあったが、自分の歌で人を幸せにしてあげたいなんて気持ちは微塵も持ち合わせていない。

 アイドル活動で歌を大多数の人間に届けられるのならばネムリの協力で声に力を乗せる。それを聞いた人間が半洗脳状態になり幸福になる。それで大量のエネルギーが手に入るのならば。

 それが一番効率の良いやり方ではないだろうか。


「アルちゃん、なんだかあくどいですぅ~それは人の道に反している気がするのですぅ~」

「うっさい。こっちはアンタの食費稼いでやってんのよ?幸福エネルギーが手に入るならどうやって手に入ったかなんて気にするもんじゃないわ」

 偽善者が寄付したって寄付金はちゃんとしたお金なのよ。

 

 アルタの性根は腐っている。

 それを加速させたのは天使。

 アルタは天使によって腐敗したのだ。

 

 そんなアルタでも、アイドルとして活動を続けるうちに強い拘りを持つようになる。

 ステージだけは完璧にこなしてみせる。

 

 それが彼女がこの義務に塗れた活動の中で唯一見出した楽しみだった。

 そうでもしないと、とてもアイドル活動なんてかったるい仕事を続けて行く事ができない。


 そしてあの日ステージが潰された。

 事もあろうに自分の胸を鷲掴みにされて。

 正確には掴まれたのも揉まれたのも主にパッド部分なのだがそういう問題ではない。

 それにあの男はステージ前に自分の着替えている所を女装してまで観察していた変態である。

 殺意こそあれ興味など湧くはずがなかったのだが、星月乙姫には悪魔が憑いていた。

 それがアルタの境遇と近いのではと思い、初めて自分から他人に接触を試みる事になる。

 

 利用価値があると思っての事だったが、結果は悪魔の力で契約を切る事が可能でも宿主が死ぬとの事だ。

 アルタにとって乙姫が死ぬ事などどうでもよかったが、相手の悪魔がそれでは困るだろう。自分の命を危険にさらしてまでこちらに協力してくれる筈がないのだ。

 

 そう、思っていた。

 

 なのにあの時あの少年は言ったのだ。

 

 飛び交う悲鳴、立ち上る黒煙。

 その場の解決など、エネルギーに余力のあるアルタに頼めばよかっただけなのに。

 あの少年は、星月乙姫はアルタに微笑みながらこう言った。


「悪い、どうせ死ぬならそっちの契約解消してやりたいけど、どうもできそうにねぇや」


 そう言うと、彼は自らの悪魔に、拒否する悪魔に無理やり命令をし、平和を取り戻した。

 

 悔しい。

 余力があるのにも関わらずあの場で彼のように出来なかった自分が、悔しい。

 別に人々を守りたいと思っている訳ではないし他人など何人どんな死に方をしようと知った事じゃない。

 ただ、目の前で自分の命を失ってでも人を守ろうとした人間がいた。

 もっと安全にそれを実行できるアルタが目の前に居たのに、である。

 それが悔しかった。

 

 頼めばいい。

 頼むアルタ、何とかしてくれ!

 その一言でアルタは動いたかもしれない。

 動かなかったかもしれない。

 それは問題じゃない。

 人に任せれば安全に解決する手段が目の前に転がっていて尚自分を犠牲にする馬鹿がこの世に居るのだという事が理解できず、それを見ている事しかできなかった事が悔しい。

 アルタはその場から逃走した。

 倒れ行く乙姫、その周りに心配そうに集まる乙姫の友人たち。

 そしてそれを何事かと不審そうに見つめる大勢の平和ボケした人間共。

 アルタはその場に留まる事が出来なかった。

 そんな光景を信じられず、受け入れられずに逃げ出した。

 それが一番悔しい。

 

 アルタは決意する。

「あいつにもう一度会ってアンタはいったい何考えてるんだ馬鹿なの死ぬの?って罵倒してやるんだ」

「アルちゃんは素直じゃないですぅ~お礼言いたいだけでしょ~?」

 

 うるせー。

 

 



■星月乙姫の場合



「わたくし最後に観覧車に乗っていきたいですわ!」

 食事が終わって外に出ると、有栖がそんな事を言い出した。

 確かに遊園地に来て観覧車乗らずに帰るってのもな。

「じゃあ乗って行こうぜ。一つのゴンドラに全員は無理だろうし組み分けどうする?」

「私は舞華さんと乗れればそれでいいわ」

 泡海が食い気味に言う。

 相変わらずだが今回の目的は二人の仲を取り持つ事だから尊重してやらないとな。

「ボクはおとちゃんと乗れればそれでいいんだよ」

 ハニーの言葉を聞いて泡海が唸るが、それなら仕方ないという事で、泡海、ハニー、俺、白雪という組み合わせになった。

 もう一組は何故か観覧車乗るなら私もいくと言い出したアルタと、ネムさん、有栖、咲耶ちゃんという組み合わせだ。

 正直アルタとネムにそこ変わってほしい。

 アルタも乗ると聞いて頭を抱える泡海だったが、ハニーの方を優先したらしい。偉いぞ!

「観覧車って初めてですぅ~」

「私だって初めてよ」

 アルタとネムさんは自然と一行に溶け込んんでいたが、変装モードのサングラスと帽子がやけに浮いていた。

 観覧車の列に並んでいる間アルタは周りにバレないかとヒヤヒヤしていたようだが、他の客も観覧車を楽しみにしているからか並んでる客に注目する事は無く、無事に順番が回ってくる。

 

「おぉ~これが観覧車…随分ゆっくりなんじゃのう?」

 白雪もどこか嬉しそうだ。まだ酒が抜けきってないだけかもしれないが。

 先にアルタ組が乗り込み、その後のゴンドラに俺たちが乗る。

 ゆっくりと高度があがっていくにつれて白雪がはしゃぎだす。

「人間も面白いものを作ったもんじゃのう!こうやってゆっくり景色を眺めるのもオツなもんじゃ♪」

 今日もこの白雪のせいでいろいろ大変な目に合わされたが、なんとか無事に終わりそうである。

 結果的には割と楽しめたので良しとしよう。

 目的もある程度果たせているようだし。

 

 目の前に座る二人といえば、ハニーが若干迷惑そうにしているものの泡海は幸せそうにハニーに腕を絡ませて「キャーこわーい」などと心にもない事を言っていた。

 やがて頂上に到達する頃、白雪がこちらをちらりと見て言う。

「やっぱり現世はいいのう。楽しみに満ち溢れているのう…なぁ乙姫よ。これからもわらわを楽しませるんじゃぞ?」

 はいはい。

「なんじゃその顔は!わらわの幸せに貢献できるんじゃもっと幸せに満ち溢れた顔で喜びに咽び泣くのじゃ!」

 無茶言いやがって…。

 本当にこんな関係はやく終われと思うが、それと同時にこんなドタバタも面白いかもなとも思う。

 友人として、なら文句もないのだが…。

 今現在の状況だとどんどん袋小路に追い詰められていくネズミの心境だ。

 まぁ今からそんな悲しい事を考えていても仕方がないし、楽しめる時にはきちんと楽しんでおこう。

 今日の事はいろんな意味で思い出に残る日になったし、きっとこれからもなんだかんだ楽しい日々が続いていくのだろう。

 

 やがて観覧車が一周して地上に降り立つと、先に降りていた有栖とアルタが夕焼けが奇麗だったと仲良く話していた。

 国民的アイドルが俺達と一緒に居るっていうのはやっぱり違和感を感じる。


「私はこの辺で帰るけど…アンタ逃げられると思わない事ね。居場所なんてすぐに分かるんだから」

 逃げやしないって。

「普通に連絡先交換した方が早くないか?」

「私が?アンタと?冗談でしょ?」

 あーはい。冗談です。国民的アイドル様のアドレスや電話番号をこんな俺ごときがゲットできるわけありませんよねー。

 

 自虐的になりつつも、冷静に考えれば立場上簡単に連絡先を交換しようとしないのは理解できる。

「んじゃ首洗って待ってなさい」

 涙ぐみながら別れを惜しむ泡海や、笑顔で手を振る有栖達ににこやかに別れを告げ、俺にだけ冷たい視線を投げてくる。

「必ず私の契約を破棄させてやるんだから」

 そう言ってアルタがこの場を離れようとした…

 

 その時だ。

 

 どんな音がしたのか判断できない。

 鼓膜が震えた。

 爆風で俺たちや周りにいる客達も地面に横倒しになる。

「なんだ?何がおきた?白雪!」

「わらわに解るか!こっちが聞きたいくらいじゃ!」

 爆風をもろともせず突っ立ったままなのは白雪とネムさんくらいだった。

 咲耶ちゃんは有栖をかばうように覆いかぶさっている。教師の鏡だ。

 勿論ハニーは泡海がしっかり抱きしめて守っている。

 俺は爆風によろけながらも、泡海が呟いた一言が気になって仕方がなかった。

「こんなの、聞いてない!」

 もしかして泡海の組織とやらが関係しているのだろうか。

 少しだけ冷静さを取り戻し状況を確認すると、観覧車の根元部分が爆発したらしい。


 …冗談じゃない。

 気が付くのが遅れてしまったがゆっくり、ゆっくりと観覧車がバランスを崩し始めていた。

 爆発に巻き込まれた人たちもいてあたりには血が飛び散り、泣き叫ぶ人も沢山いた。大人も子供も関係なく恐怖に包まれている。

 なんなんだこりゃあ…

「おい、やべぇぞ観覧車が倒れてくる!」

 咲耶ちゃんが俺たちに大声で伝えようとしたが、その声はもちろん周りの大多数にも届いていた。。

 阿鼻叫喚という言葉が相応しいのだろうか。動ける人は一目散に逃げ出す。

 怪我をした女性を置き去りにして逃げ出す男。

 子供を置いて逃げ出す親。

 泣き叫ぶ取り残された人達。

 もはや泣き叫ぶ事すらも出来ない反応の無い人達。

 

 どうしてこんな事になった。

 いや、原因を探っても意味がない。そんな事より今する事は…。

「白雪!」

「おとちゃん、ダメなんだよ!」

 俺のやろうとしている事が解ったのか、ハニーが俺を止めようとする。

 ありがとな。でも、こうしないと沢山の人が死んじまうよ。それほっぽって逃げたら、明日から飯が不味くなる。

「こ、これは…いったい何ですの?何がおきてるんですの?わたくしが、観覧車乗りたいなんて言わなければ…」

 有栖が泣きじゃくる。咲耶ちゃんが必死にそれをなだめようとしてくれていた。

 咲耶ちゃんはいい先生になったなぁ。

「乙姫君、これは、もしかしたら…」

 泡海が必死に何かを訴えようとしてくるがそれに対し首を横に振って制止する。

 もし泡海の組織が関係していたとしても泡海は関係ないだろう。

 なら責めるのは筋違いだし責めても何も変わらない。

「白雪、言いたい事はわかるよな?」

 神妙な顔付きで白雪がこちらに振り向く。


「ダメじゃ。こんな大惨事を無かった事にしようなどと…もう前借はできんぞ?お前の友人たちだけなら助けてやる。それで我慢するのじゃ」

 それじゃ、ダメなんだよ。

「いいから白雪、やってくれ」

「話聞いとらんかったのか。無理じゃ!今これほどの望みを叶えたらお主の寿命は半分以下にまで…」

 白雪も宿主が死んだら困るだろうな。と思ったのに死なずに済むのか。なら安いもんだ。


「でもこれしかないんだ。頼むやってくれ」

「嫌じゃ。お主の頼みでも今回はダメじゃ!」

 今にも観覧車が倒れてきそうだ。

 俺たちだけなら、すぐに動けばまだ逃げられるかもしれない。

 でもこの沢山の動けない人たちを運ぶ余裕はない。

 それに既に最初の爆発で犠牲になった人もいる。


「それにじゃ、死んだ人間はもとには戻せんぞ!」

「…だったら、時間を巻き戻してくれ。時間を巻き戻して、その間に爆発した場所に行って爆弾なんとかしてくれよ。泡海、出来るか?」

「…っもし、時間が巻き戻せるとして、私の記憶まで巻き戻らないのであれば何とかしてみせるわ」

 まったく。頼もしい限りである。その組織とやらでどんな訓練受けてるんだか。

「おそらく記憶は大丈夫だとおもいますよぉ~?むしろ記憶まで操作ってなるとさらに大きな力が必要になっちゃいますしぃ~」

 ネムさんがこんな時でものんびり教えてくれる。

「…だ、そうだ。白雪」

「…お主、時の流れに逆らうなど正気かえ?間違い無く死ぬぞ」


 あー思い残した事ありまくるぜ!

 死にたくねーなー


 でも事故に遭うとか苦しい死に方じゃないだろうし一瞬ならいいかなぁ。

「アンタ何馬鹿な事考えてんの?早く逃げればいいじゃない!」

 アルタが叫ぶ。会ったばかりの人間を心配してくれるなんてなんだかんだ優しい所あるじゃないか。

 …いや、俺が死んだら悪魔の力で契約解除できないからか?気付きたくなかったな。

 さっきの言葉には普通の心配って意味も含まれてると信じたいもんだ。

「悪い、どうせ死ぬならそっちの契約解消してやりたいけど、どうもできそうにねぇや」

「アンタ…」


 それより優先しなきゃいけないもんがあるんだからしょうがねぇよ。

「絶対ダメなんだよ!おとちゃんが死んだらボクは…絶対にさせないんだよ」

 ハニーは許してくれないだろうな。

「ハニー、いつも俺の傍にいてくれてありがとな。でも今は我がまま聞いてくれよ」

「…ずるいよ。嫌われてもいい、絶対に嫌だ。そんな事させないから!」

 泡海の制止を振り切ってハニーが俺に向かってくる。

 気絶させてでもやめさせる気、なんだろう。


「白雪!急げ!」

「…くっ、この…馬鹿もんがぁぁぁっ!」


 世界がホワイトアウトする。頭の中をこねくりまわされるような感覚。

 吐き気が酷い。気持ち悪い。

 なんだよ全然楽に死ねねぇじゃねーか。

 巻き戻ったとして、どのくらい猶予が出来るのか分からないが、泡海に任せた。頼んだぜ。

 天使も近くに居るわけだし最悪の場合なんとかなるだろう。

 っていうか最初からそっちに頼めばよかったんじゃ…

 今更気付いて笑えてくる。まぁそんな大きな願い事するって事はそれだけの損失を相手に押し付ける事になるわけで、そんな事はできないわなぁ。

 あぁ、死にたくねーなぁ。

 せめて最後に…

 

 人工呼吸してくれたのが誰だったのか、誰か教えてくれよ。

 

 

「…んぁ?」

 気が付いたら真っ白な部屋にいた。

 見知らぬ天井…とか言えばいいのか?

 どう見ても病院である。

 …なんだよ、死なねぇじゃんか。あれで死なないとかかっこわりぃ…。

「生きててよかったー!」

 本音は当然それである。何かがうまくいったんだろう。

 …それともあれか、もしかして白雪がどうにかする前にハニーに昏倒させられたんだろうか。

 だとしたら何も解決してないぞ。

 確かめなければ…。

 

 そうと決めたらこんなところにいつまでも居られない。

 あの後みんなどうなったんだろう。万が一の事があったら俺は…

 とにかく、ベッドから起き上がって部屋を見渡すと他にも数人の患者がまだベッドで寝息を立てている。

 少なくともここには知り合いはいないようだ。

 ベッドから起き上がると、自分が患者用の服に着替えさせられて居る事に気付く。

 自分の服を探したいところだが、病院の人に見つかると外出は許されないかもしれないので諦めてその服装のままこそこそと病室を出て階段を降り、フロントまで出る。

 そこは幸いにも見覚えのある病院だった。

 以前風邪を引いた際に何度か訪れた事がある。家に帰れないような距離ではない。

 この服装だと逆に目立つけれどそんな事も言っていられないので病院のスタッフがこちらに気付かぬように病院を後にする。

 周りにいる人たちからの視線は少々痛いけれど無視して出発目前のバスに乗り込む。

 確かこれで家の近くまで行ける筈だ。

 …まずい、金を持ってないぞ。

「どうするの?乗るの?乗らないの?」

 運転手からの視線が痛い。

 しかし無一文ではバスに乗るわけにもいかない。こうなったら歩いて帰るしか…

 そう諦めてバスを降りようとした時、

「あれ、乙姫じゃないか。こんなところでどうした?具合でも悪いのか?それにその服…」

 乗客の一人が声をかけてきた。

 なんだか久しぶりに聞く気がするその声に俺は驚く。

「親父!?親父こそなんでこんなところに…ってそれはいいや助かった!頼むバス代貸してくれ!」


 たまたま運よく乗り合わせた父親にバス代を支払ってもらい、事なきを得る。

「お前まさか病院から抜け出してきたのか?そういうのは関心しないな…治療費だって払ってないだろ?後で立て替えておかないとな。家に帰ったら病院に電話を入れておこう」

 困った時の親父様様である。

 隣に座って一息つきつつ話を聞くと、仕事でこの近所まで来たからそのまま家に顔を出そうと思っていたらしい。


 相変わらず休みの少ないブラックな仕事をしているのだろうか。何度か聞いた事があるが親父は「まぁ部下の面倒を見なきゃいけない立場だからね」としか言ってくれない。よほど人に言い難い仕事をしているのではと少し心配になる。

「しかし俺が居合わせなかったらどうするつもりだったんだ?」

 親父の心配は当然である。考えなしに行動に出た結果のこのざまなので苦笑いを返す事しかできない。

 しかしよくよく考えてみれば服や財布は後で返してもらえるのだろうか。

 服はともかく財布は返してもらわないと困る。大して入ってないとはいえ貴重な持ち金を失うわけにはいかない。

 親父とともに二十分ほどバスに揺られて家の近所まで戻る。

 先に親父を家に入らせて、俺はハニーの家に向かった。

 ハニーから詳しい話を聞ければ大体の事は分かるはずだ。

 そう思ったのだが、チャイムを押して出てきたのはハニーの父親だった。

 白髪交じりの頭、眼鏡をかけた優しそうな表情のおじさんである。

「あれ?権ちゃんならちょっと前にどこかに出かけていっちゃったけど。てっきり乙姫君と一緒なのかと思ってたよ」

 もしかして俺のお見舞いに出かけてしまったのだろうか。

 だとしたら完全に入れ違いだ。もう少し辛抱強く病院で待つべきだったか…?

 しかしそんな後悔をしても今更遅い。

 とりあえずおじさんにお礼を言って自宅に戻る。

 そういえば白雪は部屋にいるのだろうか?白雪がいれば話は早い。

 …が、自室に戻っても白雪の姿は無い。

 着替えて下の階に戻ると、父が既に連絡してあったらしく母が料理を作っていた。

 珍しくちゃんとした服を着ている。


「姫ちゃんが病院抜け出してきたなんて聞いたから驚いちゃったわ~。でも動けるって事は元気って事よね♪」

 にこにこしながら母が食卓に軽食を並べる。

「どうだ、たまには家族三人で飯でも食べないか?」

 それどころじゃない、と言いたいところだが、この機を逃すと父はいつ帰ってくるかわかったもんじゃないので誘いに乗る事にした。

 そういえば海寄ランドで食事をしてから何も食べていないしちょうど腹も減っていた。

 母の作った味噌汁を流し込みながらちょっとした質問をしてみる。

「そういえば海寄ランドの事とかニュースになってない?」

「そういえば朝テレビで見たわよ?」

 母がのんきな声で言う。

 やはり白雪は望みを叶えてくれなかったのだろうか。それとも、やはりハニーが?

 そんな事を考えていると、母の口から答えが告げられる。

「昨日アルタちゃんのライブがあったんですってね~♪姫ちゃんも見てきたのかな?羨ましいなぁ~。今日は違うアーティストがくるらしいわよ♪」

 今朝、そんな特集をやっていたのだとしたらやはりあの大惨事は無かった事にできたのだろう。白雪と泡海には感謝しないとだな。

 そうと解れば安心だ。何も心配する事はなさそうだしゆっくりと食事を楽しもうか。


「そういえば親父は今日くらいゆっくりしていけるのか?」

「うーん。そうしたいのは山々だけどな、ちょっとそういう訳にもいかないんだわ。ご飯食べて少し休んだらまた行かなくちゃ」

 難しそうな顔をして父が残念そうに言う。

「でもこうやって三人で食事できたのは運がよかったな。昨日だったらお前はいなかったみたいだし」

 確かにそれは運が良かった。俺もたまにしか会えない親父とこうやって話すのも悪くは無いと思っているし、最低限の家族のコミュニケーションってのは必要なものだろう。

 母も上機嫌だし良い事尽くめである。

 むしろ母はこんなたまにしか会えない親父のどこがいいんだろう。

 人の好みは分からないものだ。

 俺も幼い頃は名前の事もあったしいろいろやんちゃしていたから迷惑をかけた事だろう。

 こんな適当な親たちでも、子育てはきちんとしてくれていた。主に母が、だが。

 そんな夫婦、そんな家庭を俺は尊敬しているしいつか俺も誰かと結婚して幸せな家庭を作りたいなと感じる。

 …まぁもう少し家に帰ってこれる仕事にしてあげたいものだが。

 などと未来の妻に対して幸せな家庭を約束していると、玄関のチャイムが鳴った。

「誰かお客さんかな?ちょっと私見てくるわね~♪」

 とてとてとてと妙な音を立てながら母が玄関に向かう。

 母の姿が部屋から見えなくなった頃、父が心配そうに言った。

「俺が居ない間あれを守ってやれるのはお前だからな。あまり無茶して怪我とかしないでくれよ?あとあまり変な所で遭遇したくないもんだな。心臓に悪い」

 確かに親父としては急に病院前で息子が患者服きて飛び乗ってきたら心配するのも当然だろう。

 それに、俺は昨日命を失いかけた訳で…。父親の言葉を重く受け止めざるを得なかった。


「えっ、えっ?きゃぁぁぁぁぁっっ!」

 急に玄関の方から母の悲鳴が聞こえた。

「何だ!どうした!」

 親父と二人で慌てて玄関に向かうと、床にへたり込んだ母が目に入った。

「おい、大丈夫か?何があった?」

 父が心配そうに母を抱き起すが、母はあわわあわわと言いながら俺を指さしてくるだけだ。

「あわわじゃわかんねーよ。俺がどうかしたか?」

「あ、あ、あのね、姫ちゃんに、お客さん…それもね、あ、アルタちゃんがきた…」

 あいつに家なんか教えた覚えはない。ネムさんに調べさせたんだろうか…。しかしアルタが来たともなれば母のこの様子も頷ける。母は意外とミーハーなのだ。


「驚かせてごめんなさい。ちょっと乙姫さんに大事な話があって…」

 玄関ドアの向こうには帽子とサングラスのアルタと、ネムさんが居た。

「あ、ある、アルタちゃん?うちの姫ちゃんとはいったいどういうご関係で?もしそういうアレなら応援するからっ」

「ちょっと黙ってて」

 一人でヒートアップする母に釘を刺し、アルタに「騒ぎになるとまずいから早く上がってくれ」と声をかける。

 アルタが中に入った所で母がドアを閉めてしまう。が、ネムさんはドアをすり抜けて入ってきた。どうやら今は普通の人たちに見えないモードらしい。

 とりあえず俺の部屋で話を聞くことになったが、両親はひどくそわそわしていた。


「姫ちゃん、頑張るのよ!」

「うっさい!」

「乙姫!…わかってるとは思うが、相手の年齢が年齢だ、ちゃんとつけろよ」

「馬鹿かアンタは!」

 両親の冷やかしに一通り罵声を飛ばしてアルタを部屋に招く。

 部屋に入るなり、アルタはくすくす笑い出した。

「おっかしい。アンタの両親って変わってるわ」

 知ってるよ。

「それで?一体なんの用だ?」

「アンタ私にそんな態度とっていいの?いろいろ教えてあげようと思って来たのに」


 そういう事ならありがたいが、本当にそれだけの理由でこいつがわざわざ家まで来るものだろうか。

「それと気になったんだけど、アンタの父親が言ってたちゃんとつけろってなんの事よ」

「アルちゃんはそういうところにぶちんですねぇ~。でもピュアでいい事かもですねぇ~♪」

 ネムさんがからかうのでさらにアルタがムキになってしまう。

「なによ。私にもわかるように説明しなさいよ」

 俺が反応に困っていると、ネムさんが「仕方ないですねぇ~」と言いながら詳しく説明しようとする。

「つまり、アルちゃんがまだお子様なので父上様が心配したんですよぉ~ちゃんとこんど…」

「あーあーあーあー!」

 大声をあげて阻止する事くらいしか俺には出来ない。

「何ようっさいわね!こん…なに?それをちゃんと付けないとなんだっていうのよ!」

「そんな事より昨日の事詳しく教えてくれよ!」

「あかちゃんができちゃいますぅ~」

 俺が必死に話をそらそうとしてるのにこの腐れ天使がぁ!

「こっ、え?どういう事?もしかしてそのこんなんとかって避妊具って事?別にそんな隠すような事じゃ…」


 違う、問題はそこじゃない。

「つまりぃ~アルちゃん。乙姫さんのご両親は、自分の息子が中学生でアイドルのアルちゃんを孕ませてしまわないかと心配していたんですよぉ~♪」

 基本的に天使も悪魔も同じような物なのだと今はっきり確信した。

 こういうところは白雪にそっくりである。


「…っ、そ、それって私たちがそういう関係だって思われてるの…?」 

 アルタが何故か俺を軽蔑した視線で睨んできた。

「そんな顔する事ないだろ!…ちゃんと親の誤解は解いとくから安心しろ」

「私のショッキングランクが更新されたわ」

 そう訳の分からない事を呟きながらアルタは暫く項垂れる。

「…ま、まぁいいわ。ちゃんと誤解解いておきなさいよね。それで昨日の事だけれどアンタどこまで覚えてるの?」

 俺にとってはあの瞬間に気を失って次に目覚めた尾は病院だったわけで、爆発の後の事は何も解らないとアルタに伝える。

「はぁ…まぁしょうがないわね。あの後大変だったのよ?とにかく時間が一時間くらい戻ったんだと思う。それから…」


 アルタの話によると、俺が意識を失った後無事に時間が巻き戻り、急いで泡海が爆発物の位置を特定、解除までこなしてくれたそうだ。俺の頼みをきちんと聞いてくれたらしいので後でお礼とお詫びをしておこう。

 ただ、その場に居合わせた人々の記憶までは巻き戻せなかったらしい。解決後もその場は記憶と現実との齟齬で混乱が巻き起こったそうだ。

 確かに恋人や家族を見捨てて逃げた奴らも多かったしさぞや修羅場地獄だっただろう。

 結果的には何事も無かったわけで、集団催眠にでもかかったんじゃないかとゴシップ雑誌に小さく載った程度で済んだらしい。

 むしろその雑誌情報早すぎじゃないか?

「うーん、大体わかったよ。それで現地解散か?それはそうと白雪知らないか?家に帰って来てないんだ」

「アンタらは多分あの教師の車で帰ったんじゃないの?あの長髪の女以外は」

 …長髪?

「有栖か?」

 家の迎えでも来たのだろうか。

「そっちじゃない。黒い方」

 泡海か。泡海だけ車で帰ったわけじゃない…?


「なんで泡海だけ別行動だったんだ?」

「さあ。私はアンタらが帰るまで一緒にいた訳じゃないから多分そうだったろうなってだけよ」

「まてよ。じゃあ泡海だけ別行動だろうって思った根拠はなんだ?」


 その質問に答えるのにアルタは二分ほど黙ってしまった。

 やがてゆっくりと重たい口を開く。

「あの女は…きっとアンタらとは一緒に帰れなかったでしょうね。あんな事をしておいて一緒に帰れる訳ない」

「だから何があったんだよ」


 いい加減じれったくなってきた。

「そもそも…なんでアンタ生きてると思う?間違いなく過ぎた願いだった。アンタはあそこで何もかも吸い尽くされて死ぬ筈だったのよ」

 …それは、確かにそうかもしれないけど…

「それがなんだよ。俺が生きてちゃおかしいか?」

「腹立つわね…アンタが死なないように誰が犠牲になったのかまだ解ってないの?鈍いにも程があるでしょ」

 アルタの口調がどんどん俺に対してきつくなっていくのを感じるが、その言葉の意味に気付いてしまった時、いくら暴言を吐かれたとしても仕方ない事だと理解した。

「まさか…白雪のやつ」

「そのまさかよ。アンタが死なないようにあの悪魔が自分が存在するためのエネルギーにまで手を付けた。…まぁ、それだけで済んでれば存在が不安定になるだけで済んでたんだけど…」

「私達はぁ~エネルギーさえちゃんと補充できればすぐに復活できますしぃ~」

 どういう事だ?じゃあどうして白雪がここにいないんだ。あいつが弱ったからって病院に行く訳が無い。

「まさか…それに泡海が関係してるって言うのか?」

「…そうよ。願いの代償を肩代わりしたあの悪魔はもう少しで消えてしまいそうなくらい疲弊していたわ。その時あの女が何かしたのよ。そして悪魔は消えた。…そのままあの泡海って女は逃げたわ」

 なんだって…?


「泡海が白雪を消したっていうのか?」

「それについては私から~。多分白雪さんはぁ~死んじゃったわけじゃないと思いますぅ~」

「何それ。アンタそんな事一言も言ってなかったじゃない」

 アルタがネムさんに食ってかかる。しかし、白雪が消滅したわけじゃ無いなら今どういう状況なんだろうか。

「聞かれてなかったですしぃ~アルちゃんが白雪さんにそんなにも興味を持ってるとは思いませんでしたぁ~」

「興味なんかじゃないわよ。私はこの状況が気に入らないだけだっつの」

 二人の言い合いに付き合ってる場合じゃない。言い合いといってもアルタが一方的に怒っているだけだが。

「それで、白雪はどういう状況なんだ?消えたわけじゃないなら…封印か?」

 確か以前白雪が言っていた。召喚された後腕輪に封印されたと。なら泡海がなんらかの方法でそれを行ったっていう事なのか?

「多分それであってますぅ~大分弱ってた事も考えてぇ、仮死状態~的な感じだと思いますよぉ~?」

 とりあえずそういう事なら泡海に事情を聞かないといけない。問題は会ってくれるかって事と、どこに居るのかって事だけど…

そこで気付く。むしろなぜ今まで気付かなかったのだろう。

俺の腕には、あの腕輪が無かった。

あれだけ取ろうとしても取れなかった腕輪が…。


「なぁアルタ、泡海の居場所とかって調べられないかな?」

 正確にはアルタではなくネムさんだが、彼女の性格だと直接頼んでも協力してくれないだろう。

「…別に探してやってもいいけどいつからアンタ私の事アルタなんて呼び捨てするようになったのよ」


 そう言われてみれば今まで直接名前を呼ぶような機会が無かった。自然とアルタと呼んでしまったが気を悪くしただろうか。

「アルタ…ちゃんとかの方がよかったか?」

「うわ、キモ…別にいいよアルタで。とにかくアンタがこの状況を受け入れるようならぶん殴ってやろうと思ってたんだけど…その心配はなさそうね」

 キモとか言われた。結局アルタ呼びで良いんじゃねぇか…。要するに許可取りをしなかった事に腹を立てているのだろうか…。思春期の女の子はわからん。


「じゃあネム、あの泡海とかいう女の居場所探って」


「その必要はないわ」


 アルタの声を遮って突然割って入ってきた声の持ち主は、今探そうとしていた人魚泡海その人だった。

 いつの間にか俺の部屋のドア前まで来ていたらしい。

「アンタよくこんな所に顔出せたわね。んで、いつから聞いてたの?」

 アルタは泡海にいい感情を持っていないらしい。泡海にとっては大層悲しい事であろう。


 案の定泡海は悲しそうな顔をしてから、「貴方達二人で子作りをする話あたりからよ」と言った。大分投げやりな感じに聞こえるのはどういう心理からなのか俺には分からない。

「ちょっ、そんな話してないしっ!」

 アルタは顔を真っ赤にして怒る。その顔を見つめる泡海はどこか悲しそうな、嬉しそうな表情をしていた。

「と、とにかくっ!アンタを探そうとしてたところだからちょうどいいわ。あの悪魔をいったいどうしたの?」

「…それを、説明しにきたの」

 未だに顔を赤くして泡海を睨みつけているアルタを素通りして俺の隣に座ると、ゆっくり語り始めた。


 泡海の所属する組織の事、秘密を握られて脅されている事、そして、組織の命令で悪魔が弱った瞬間があれば与えられた封印器で捕獲を測れという命令だった事。


「…それ本気で言ってるの?秘密組織とかマジでアニメかって展開なんだけど」

「そういうの嫌いじゃない癖にぃ~」

「うっさいネムは黙ってて」


 俺も最初に組織の事を聞いた時は冗談かと思ったが、あの爆発の事や白雪を封印する手段を持っていた事も含めて考えると割と笑えない相手のようだ。

「それでね、私は乙姫君、貴方にお願いがあって来たのよ。こんな事を頼める立場じゃないのは分かってる。分かってるけど…お願い」

 大体泡海の状況は分かったし、板ばさみで苦しんでいたのだろう。泡海は特別白雪の事を憎んでいた訳でもなければ敵視していた訳でもない。それは今までの態度で分かっているつもりだ。

 泡海の抱える秘密は…まぁおおよそ世間に流出するわけにはいかない類の物なのでそれをネタに脅されたらいう事を聞かざるを得ないのかもしれない。

 だから泡海がここに来てお願いがあると言った時点で大体何を言いたいかは察する事ができた。


「組織の私が所属する支部だけど、そこをぶっ潰すの手伝ってくれないかしら?」


 …あれ、ちょっと違った。

 てっきり証拠を盗み出せとかそういう類だと思ってたのに潰せと来たか…。

「ほんとアンタが頼める内容じゃないわね。でも平気で爆発物を遊園地に仕掛けるような奴らでしょ?私も気に入らないのは確かだわ」

「…え?アルちゃんも、手伝ってくれるの…?」

 アルタの言葉に泡海は心底驚いたようだった。いつものアルタ教信者みたいな目に戻っている。

「別に手伝うなんて言ってないわよ。アンタの事は今でも腹立ってるし。でもね、私のステージを見に来てた客もあの中に居た筈でしょ?そんなの許せる訳ないじゃない。ぶっ潰すなんて楽しそうな事首突っ込ませなさいよ」

 泡海は、目と鼻からだらだらと液体を垂れ流しながら「あ、あじがどう!」とアルタに抱きつき、「きたねぇ!離れろぉ!!」と叫ばれていた。

 …俺まだどうするか返事してないんだけどなぁ。

 まぁ、白雪がとっ捕まってるっていうならなんとかしなきゃいけないし、協力するのは構わない。ただ、

「方法は何か考えてるのか?」

 泡海はしばらく嫌がるアルタをもみくちゃにしながらぐずぐずと言っていたが、少し落ち着いてくると次第にハァハァ言い出したので強制的にアルタからパージする事にした。


「ちぇっ…至福の時だったのに…。それで、何だったかしら?」

「方法だよ方法。そんなヤバイ組織ならぶっ潰すにしたって作戦が必要だろう?結局何をどうしたら潰した事になるのかも良くわからないし」

 泡海はしれっと「そこまで考えてないわ」と言い放つ。

「方法はこれから考えるわ。でも貴方は白雪さんを取り戻せて、私はあの糞支部長から解放される。悪くない取引じゃない?」

「そして私は気に入らない奴らをぶちのめせるってわけね」

 アルタもやけに乗り気なのが気になる。一応アルタの言い分自体は分かるし、協力してくれるに越したことはないのだが…。いったいどうしてそこまでするのだろう。

 アルタにとっては先日少し面識を持っただけの間柄で、自分の立場を考えると危ない事に首を突っ込むメリットがあるとは思えない。

 先ほど言っていたファンを傷付けられた事が理由なのだろうが、それが全てとは思えなかった。

 …あぁ、白雪が帰ってこないと俺が負債を返せない。それが返せないとアルタの契約破棄が出来ない。そんなところか。


 一人で妙に納得していると、聞きなれた声が部屋に響いた。

「話は聞かせて貰いましたわっ!そういう事ならわたくし達も協力いたしましょう」

「まぁ、白雪さんが居なくなって元気の無いおとちゃんはあまり見たくないんだよ」

「テロリスト退治か…流石にそこまで大きな相手とは戦った事ねーなぁ。久しぶりに腕がなるぜ」

 いつの間に来ていたのか有栖、ハニー、咲耶ちゃんが揃って俺の部屋に現れた。

 しかし今日は来客が多い日だ。部屋の人口密度がヤバい。


「お前ら…」

「関わるななんて言わせませんわよ?昨日の件はわたくしも腹が立ってますの。このまま引き下がるなんてできませんわ」

「それにしたっておとちゃんのお見舞い行ったら病室にいないからびっくりしたんだよ。看護婦さんも慌ててたんだよ?」

「治療費バックレるとか悪い生徒だなぁ。でもまぁ元気みたいだからいーけどよ」

 みんな俺を心配して病院に行ってくれたのか。

 なんだかいつの間にかこんなに頼りになる仲間が増えたんだなぁと感動していると、泡海が気まずそうに言った。


「あ、貴方達…私が何したか分かって言ってるの…?」


 皆は顔を合わせて、言葉は違えど口々に仕方がない、理由があった事くらいは分かってるというような事を言う。

「まぁわたくしは先輩がどういう状況なのかまでは把握してませんけれど…信じてますから」

「だってさ。みんなは許してくれてるらしいぞ」

 皆の気持ちがむしろ痛いのかもしれない。泡海は顔をしかめて項垂れる。

「でも正直俺は簡単に許せるわけじゃない。だけどさ、やっちまったもんはしょうがないしここで泡海を責めたって何も解決しないだろ?だったらせめて白雪奪還に本気で協力してもらわないとな」

 こういう時人というのはただ許される事が本当の救いになるとは限らない。

 俺の持論だから間違ってるかもしれないが。

 だから俺は俺が思うやり方で泡海を前向きにさせるために敢えて許してはいない事を告げた。

 その代償を求めた。

 俺だったら悪い事をして無条件に許されるより、なんらかの償いをした方が前を向ける気がする。

「…勿論よ。私のせいでこんな事が起きてしまったのだから。必ず、白雪さんを取り戻してみせる。組織の支部壊滅は二の次でもいいわ」

 泡海がそこまで言ってくれるとは思わなかったが、これだけのメンバーが居れば何かいい方法も思いつくかもしれない。

 漠然とだけれど、やれる気がしてきた。


「私はそんなの許さないわよ」


 アルタが泡海に言い放つ。

「おい、泡海も俺の目的にちゃんと協力してくれるんだしそんな言い方は…」

「勘違いしないで。たとえそうだとしても私の目的とは一致しない。少なくともあんな事した奴らは絶対に、完全に完膚なきまでにぶっ潰さないと私の気が済まない。だから二の次になんてさせない」


「アルタちゃん…分かったわ。白雪さんは助ける。支部も潰す」

「それでいいのよ。妥協なんかせずに自分のやりたい事を全部やりとげなきゃ。欲望に正直じゃなきゃ人間じゃないもの」

 泡海の言葉にアルタは微笑みを返す。しかし、その表情が少しだけ寂しそうに見えたのは俺の気のせいなのだろうか。

 

 とにかく俺の部屋はこの人数が集まるには狭すぎた。全員がゆっくり座る事もできないので明日有栖の家で作戦会議をするという事で今日のところは解散する事に。


 それぞれが帰路についたところで、アルタを呼び止める。

「アルタ、ちょっといいか」

「な、なによわざわざ追いかけてきたの?」

 ハニーは隣家なのですぐに家に入っていったし、他のメンバーは有栖が呼んだ執事さんの車で送ってもらう事になった。

 アルタだけは「私はいい」と言って一人歩いて行ってしまったのだが、ここからならバスに乗って駅まで行かないといけないのは分かっていたので追いかけるのは簡単だった。

「お前は…どうしてそこまでするんだ?本当にファンが傷付けられたから、だけなのか?」


 アルタは俺の問いかけに目を丸くしていたが、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開く。

「私はさ、アンタが思ってるよりきっと単純なんだと思うよ。正直嫌々やってるアイドルだけどそんなんでもファンが付くのは嬉しいし。偽物の力で得たファンだけどね」


 またあの寂しそうな笑顔だ。

「私はずっと一人だったの。他人なんて信用しなかったし誰もが自分の為だけに生きる、それが人間だと思ってた。どんなに糞野郎でも欲望に正直な奴は尊敬してたよ。人間としてはね」


 でもアルタにはネムさんがついている。どういう出会いだったのかまで知らないが、きっとネムさんの存在もアルタの生き方、考え方に影響を与えているのではないかと感じた。

「ネムみたいに人間じゃない奴の考える事はわからないし常識外だからどうでもいいんだけどね、アンタよアンタ。正確にはその周りの連中もね」

 俺がどうした。何かおかしな事をしでかしただろうか。いや、とんでもない事なら沢山してしまっているのだが出来るだけ今はその事を忘れていていただきたいものである。


「アンタさ、目の前でナイフ持って暴れる人間がいて、まったく知らない人間が刺されそうになってたらどうする?」

 こいつは何を言ってるんだ?その心理はお俺には図り切れない。

「助けるだろ普通」

「自分が刺されるかもよ?」

「刺されないように努力しながら助ける」

「助けられる力がある人はそうするかもね。でも普通は逃げるわ。じゃあ目の前で知らない人間が突然倒れたら?」

「禅問答か…?とりあえず外傷がないか確認して、救急車呼ぶんじゃないか?」

「何故かその日は電波障害で携帯が使えないの」

 なんじゃそりゃ

「そしたら出来るだけ揺らさないように担いで人通りのある所まで出てタクシーでも捕まえて病院にいくしかないだろ」

「タクシー代はどうするの?」

「そんな事言ってられないだろ人命がかかってるんだぞ?」

 アルタはふぅんと言うだけですぐ次の質問をしてきた。

「じゃあ目の前で子供が泣いてたら?」

「どうしたのか聞くだろ普通」

「…じゃあ迷子」

「一緒に親を探してやればいいだろうが。何なんださっきからこの質問に意味があるのか?」

「うるさい。それで、アンタと子供が一緒に居るところを親が見つけて人攫いって騒ぎだしたら?」

「うるさいってお前…ちゃんと説明すりゃわかってくれるさ」

「分からない変な奴もいるのよ」

「まぁそしたら逃げるかな。子供も親と再会できたんだしいいじゃないか」

「聞きつけたお巡りさんがアンタを追いかけてきて職務質問されて誘拐犯扱いされて拘留されたら?」

 どんな状況だよ。そんなアホな事が実際におきるとでも思ってるのかこいつは…。


 でもアルタの目は真剣だった。

「別に俺が捕まったって困るのは親くらいだろ?親は話せばちゃんとわかってくれるし、ちゃんとわかってくれる人間がいるならいいよ別に」

「アンタ馬鹿?」

「馬鹿とはなんだ馬鹿とは。全部人として当然の事だろうが。別に腹が立たないとかそんな訳ないぜ?俺だって聖人君子じゃねぇんだからよ。でも結果として俺が困るだけなら大した問題じゃないだろうが」

「それが馬鹿だって言ってんのよ。私の知ってる人間って生き物はそんなんじゃない」

 お前が知ってる人間はどんなモンスターなんだよと言ってやりたかったが、アルタが不機嫌そうに眉間にしわを寄せているのに気付いてやめる。

「少なくとも私の知ってる人間って生き物は危険には近づかないし知らない人間が危ないとしても逃げる。急病人がいたら救急車呼んで終わり。呼べないなら交番くらいには運ぶかもしれないけどそれでさよならよ。子供が泣いてるくらいなら素通りが当り前。声をかけるのなんてただの誘拐犯よ。自分が疑われて捕まるなんてありえないしそれを仕方ないの一言で済ませるアンタが信じられない。お人よしって言葉があるけどそんな人種は二十世紀に死滅したわ」

 こいつ…どんだけ人間不信なんだ…?それだけ人を信じられなくなるような生活をしてきたって事なのか?

 だとしたらそれは違うと分からせてやりたい。なんとかならないものだろうか…。


「その目よ。そんな目で私を見るな!どうせアンタの事だから人間不信をなんとかしてやりたいとか思ってるんでしょ?そういう所が気に入らないのよ!」

 アルタが感情に任せて叫ぶ。

「大体昨日のアレは何?私に頼めば解決できたんじゃないの?自分の命犠牲にするとか頭おかしいとしか思えない」

 …昨日のあの時の事を怒ってるのか?こいつに何か迷惑をかけただろうか。

「お前がせっかく貯めてきたエネルギーをそんな事に使わせてどうするんだよ。どんだけもってかれるかも分からないのに頼めるわけないだろ」

「だからって自分が死ぬって言われてたのよ?普通死ぬより人に迷惑かける方がマシでしょ?狂ってるわ!」

 ひどい言われようである。

「お前そんな事で怒ってたのか?」

「そんな事って何よ!ほかに助かる手段があるのに自分が犠牲になって死んで他の人が助かってハイ解決よかったよかったってそんな訳ねーだろ!」

 アルタは完全にキレてしまった。その勢いは止まらない。

「アンタみたいな馬鹿は初めてなのよ。私は人間なんて信じてなかったし自分の事しか考えない生き物だと思ってた。なのにアンタみたいなのがいるとおかしくなるのよ!人の為にとか言って慈善活動してるやつでもネムに頼んで心を読めば汚い打算ばっかり。そういうのが人間なの!なのにアンタは正気でそれを言ってるから質が悪いわ」

「それの何が悪いんだよ。お前に迷惑なんて…」

「かかってんのよ!私の生き方や考え方が揺らぐほどの衝撃よ。アンタには分からないでしょうね。人の価値観が崩壊する瞬間って死にたくなるくらい辛い事だってあるの。私にはそれが全てだった。人なんてそんなもんだって思ってなきゃ生きていけなかったのよ!そんな事ばかり迷惑かけて、実際迷惑かけなきゃいけないところで自己犠牲?馬鹿にしてるわ」


 マジでわからん。こいつの言いたい事はなんとなく理解できるようなできないような…でもそれでキレる意味が分からん。

「アンタはもっと荒んで、汚い人間になるべきなのよ。…だけどきっと何があっても変わらないんでしょうね。死ぬことすら受け入れられたアンタには」


 急に語気を失いアルタが俯く。

「アルちゃん…黙って聞いてたけど流石に八つ当たりじゃないかしらぁ~」

「うるさい!うるさいうるさい!八つ当たりして何が悪いのよ気に入らない気に入らない気に入らない…こんな奴、大嫌いよ…」

「大嫌いって…嫌われたのは流石の俺でもショックだぞ。なにせ理由が理解できないまま嫌われてるわけだからな」

「アンタに分からなくても私には立派な理由なのよ…」

 俯くアルタの足元に小さな水滴が落ちる。


「お、お前…泣いてるのか?」

「泣くか馬鹿!嫌い、死んじゃえ!」

 そう言いながらアルタは俺の鳩尾に思い切り前蹴りを入れてきた。

 でも、昨日のドロップキックとは違い、まったく勢いもなく痛くもない。

「アンタなんか人間じゃないわ…」

 ボロボロ泣きながらそんな事まで言い出す始末である。

 これは俺が泣かせたって事になるのか…?

「…もう帰る」

 そう言いながらアルタはバス停とは逆の方へと歩き出す。

「おい、バス停はあっちだぞ」

「疲れた。家遠い、帰るのめんどいからアンタんち泊まる」

「そうか、それなら…って、えぇー?」


 マジで言ってんのかこいつ。

 本気でこの女の事が解らなくなってきた。

 それと同時に、とても心配になってしまった。

 

「もう皆さん帰ったのか?それにしても乙姫…あんなに女の子はべらせてハーレムでも作る気なのか?誰が本命だ?まさか咲耶先生か?昔大好きだったもんな?」

 家のドアを開けるなり親父がまくし立ててくる。そして、俺の陰に隠れるように立っていたアルタに気付くと、気まずそうに言った。

「そ、そうか…中学生か…よ、よし。お父さんは応援するぞ。避妊は、しろよ」

「早く仕事いけてめー」



「アンタの家族っていつもああなの?」

 親父がまた仕事に出て行ったあと、うちの母親がしばらくアルタを放さなかった。質問攻めである。

「今日は本当にお泊りなの?ご飯は?食べる?お風呂も入るよね?やっぱりこれって週刊誌とかにバレたら騒ぎになっちゃうの?姫ちゃんのどこが好きなの?」

 …といった感じである。

「まぁ今日は得にテンションが上がってるよ。お前が来たからだろうな。親父の方はよくわからん。あまり家に帰ってこないから」

「ふぅん。でも本当に幸せそうな家庭よね」

 アルタがまた寂しそうな笑みを浮かべて呟いた。

「私はさ、自分の親がいて今の私があるんだしある程度は感謝してるし環境にも満足してる。でもね、こういう暖かい家庭っていうの?目の前で見せられちゃうと流石にちょっとだけ羨ましくなるわ」


 今は俺の部屋でネムさんと三人テーブルを囲んでお茶を飲んでいるところだ。

 ネムさんは基本的に自発的にあれこれ言う事はしない。アルタが何か言った時などにからかうような発言をしてくる程度で、あとはずっとのんびりまったりしながら母の入れた渋めのお茶をすすっている。

 アルタはお茶が苦いのかあまり手を付けていないようだ。

「ないものねだりってやつよね。なんだか自分の価値観とか考え方とかめちゃくちゃにされてもうよくわかんないの。自分がほんとはこういう家庭に生まれたかったのかなとかいろいろ考えちゃってさ」

「そりゃギスギスした家庭よりは暖かい家庭ってやつの方がいいんじゃないか?」

 どう考えてもそうだと思うしそれを羨ましく思うのは当然の事だろう。

「でも私にとっては私に干渉してこない空気みたいな家庭が一番楽だったのよ。幸せでも不幸でもない家庭だけれど、だからこそ私はやりたいように生きてきたし今の私がいるの」

「でも今はそれが本当に一番求めていたものかどうかが分からなくなったって事か?」

 俺がそう聞くと、アルタは一瞬奥歯をかみしめて、ゆっくりと話し出す。

「そうかもしれないわね。さっきも言ったけど何もわからなくなっちゃったのよ。もう今までの自分でいられる自信がない。私が私であるための大事な柱みたいなのが折れちゃったのよ。だから今回の話にも首を突っ込む事にした。ただ八つ当たりがしたいの」

 そう言いながらも彼女はむしゃくしゃしているようには見えず、どこか遠いところから自分の事を他人事のように眺めているような…そんな違和感があった。


「お前さ、もしかして変わるのが怖いのか?」

「はぁ?どういう意味よ」

「自分の中に新しい感情が生まれたり、幸せを求めてしまったり、そういう変化そのものを恐れてるような気がしたんだよ。むしろ幸せになるの自体避けてきたような変な感じだ」

 アルタは俺から顔を背け、俯きながら「アンタに何がわかんのよ…」とかろうじて聞こえる音量で言う。

「でもでもぉ~それは割と正解に近い気がしますねぇ~♪アルちゃんにいい理解者が出来てわたしは感動ですぅ~」

「うっさいだまれ」


 ネムさんがからかうと、アルタの表情も少しだけ明るくなったような気がする。

 言葉はキツイがきっとネムさんもアルタにとっては大事な要素になっているのだろう。

「あーもうアンタらと話してると頭痛くなってくるわ。なんで私がこんなにベラベラ身の上話しなきゃならないのよ。お風呂入ってくる!」

「泣いて目の周り真っ赤だもんな。狭い風呂だけどゆっくりしてこいよ」

「なっ…余計なお世話!そもそも誰のせいだと思ってんのよ!殴るわよ!」

 ムキになって怒鳴ると勢いよく部屋のドアを閉め、わざとらしくドタドタ大きな足音を立てて階段を下りていった。

 暫くすると下の階から話し声がうっすら聞こえる。母にまた捕まってしまったんだろう。哀れなり。

 しかし白雪が居なくなったと思ったら変な組織ぶっ潰す事になって気が付きゃ国民的アイドル中学生が俺の家にお泊りか…。


 ここ一週間くらいの俺の人生が濃厚すぎて今まで何して生きてきたのか分からないくらいだぜ…。

 そんな事を一人考え込んでいると、珍しくネムさんの方から俺に話しかけてきた。

「そういえば~乙姫さんはプールの更衣室でアルちゃんの着替え覗いたんですよねぇ~?」

 ぐっ、話しかけてきたと思ったら痛い話題を蒸し返してきやがった!

「え、えぇ…まぁ。覗いたというか…目の前で見てたというか…でもあれはその…」

「でもとかそういうのはいいですぅ~、どうですかぁ?正直アルちゃんはまだまだお子様体系ですけどあれでも人気のアイドルですしぃ~こう、思うところあるんじゃないですかぁ~?」

 いったい何の話だ。

 俺が返答に困っていると

「あの子は素直じゃないところありますけどぉ~なかなか良物件だと思いますよぉ?」

「いや、ネムさんまで俺とアルタをくっつけようとするんですか?うちの親じゃあるまいし…」

「そういうのいいですぅ~」


 ほわほわふわふわしてるのに意外と毒舌というか、俺の言葉はぴしゃりと打ち切られてしまった。

「そんな事聞きたいんじゃなくてぇ~女の子として魅力があると思います?無いと思いますかぁ?」


 …いや、アイドルですし?普通にというか可愛いんじゃないですかね。そりゃ可愛いだろ。

「なるほどなるほどぉ~じゃあもっとちゃんと見たかったって事ですねぇ~?」

 心を読まれた!

 そういえばアルタがネムさんの力で人の心を読んだとかそんな話してたな。

「いやいや、相手はさすがに中学生ですしもっと見たかったとかそんな事あるわけ…」

 女の子の裸が見たくない男などガチホモ意外に存在するわけないだろ!

「ですよねぇ~見たいですよねぇ~面白いので今日だけ特別サービスしてあげますぅ~」

 だから人の心を読むのをやめてく…れ…?

 

 突然ネムさんが「ほぃっ」と呟き、俺とネムさんの間に白い靄のようなものが現れる。

 これはなんだとその様子を伺っていると、だんだんと薄っぺらい鏡みたいな物に変化していった。


「あの、ネムさん?これはいったい…」

 俺はその次の言葉を吐き出す事が出来なかった。むしろ飲んだ。息を。

 突然その靄鏡がスクリーンのようになり、今現在進行形で体を洗っている最中のアルタが映し出された。


「こっ、これは…っ!」

 さすがに見てはいけない。みちゃいけないやつだ。見てはいけない。見て…は…。

「なんだかんだしっかり見てますねぇ~そういう正直なところすっごく面白いですぅ~」


 はっ!俺は何をしていたんだ。

 理性をなんとか取り戻しその靄から目をそらす。

「これはいくらなんでもまずいです!」

「別にアルちゃんは見られてるの知らないですしぃ~バレないですよぉ?」

 そういう問題じゃない!

「バレなきゃバレないで罪悪感がヤバいんでほんとやめてくださいっ!」

 なんとか説得するとネムさんは「えぇ~また心にもない事を~」とか言いながらしぶしぶやめてくれた。

 心臓に悪い。

 が、しかし。

 良い物を見た。

 

「何よ。私の顔になんかついてんの?ちゃんと洗ってきたから何もない筈だけど?」

 母親の用意した寝間着に着替えたアルタが、部屋に入ってくるなりそう言った。


「しっかり洗ってるの見てたから知ってますぅ~」

「ちょっ、ネムさん!」

「だってバレないと罪悪感が、えっと、ヤバい?んでしょぅ?」

「それとこれとは話が別です!」

 そもそも俺は自制心を持って自らその素晴らしい光景を見るのを辞めた訳であってだな、こんな悲劇が訪れていい筈がないのだ。


「おい」

 背後から恐ろしい声が聞こえた気がした。。きっと気のせいだ。

「おい」

 気のせい気のせい。気のせいじゃなけりゃきっと木の精か何かの声だ。

「おいオマエ」

「ごめんなさい!実はネムさんが、これはネムさんがですね」

「ざけんじゃねぇー!」

 俺の言葉は見事な回し蹴りによって阻まれた。

 危うく俺の意識まで吹っ飛びそうになる。

 倒れた俺をげしげしアルタの足が踏みつけてくる。もう痛みとか感じないんだがこれ大丈夫なんだろうか。

 耳には「死ねっ、死ねっ」というアルタの声と、ゲラゲラ笑うネムさんの声。

 やっぱりここまで計算ずくの行動だったんだろう。

 天使と悪魔は同じ物。白雪の言葉を思い出し、深く納得するのであった。

 

「それにしても乙姫さんからかうのはアルちゃんからかうのと同じくらい楽しいですぅ~♪いっそ二人がくっついてくれたら私毎日幸せに過ごせそうなんですけどぉ~♪」

「まぁどうせネムのしわざだってのは分かってたわよ。こいつがネムにそんな事頼む度胸ある筈ないもの」

 それはそれで酷い言われようである。しかし分かってくれたのならば早く足をどかしてほしい。

「でも見たのは絶対許さないから」

 ですよねー?

 


「アンタの事も少しは教えなさいよ」

 夜も更けてきたので布団を敷き、電気を消した頃横で白雪の布団に潜っていたアルタがそんな事を言ってきた。

「私だけ身の上話して終わりなんて納得いかないわ」

 本当はいろいろ気を遣う部分もあったので隣の部屋でネムさんと一緒に寝ろと言ったのだが、「ネムと一緒に寝たら痣だらけになる」という理由で俺の部屋で寝る事になった。

 ネムさんの悪戯のせいも有り多少意識してしまうため俺の心臓の為にも隣室で寝てほしかったのだが…。

「俺の事って言ったって…何を話せばいいんだよ。俺の人生なんてつまんねぇぞ?」

「いいわよ別に。私の事ばっかり知られてるのが腹立つだけだから」

 実にアルタらしい理由だと思った。

 まだアルタの事をよく知っているわけでも付き合いが長いわけでもないが、なんとなくこの少女の根幹というか、根にある部分を理解出来たような気になっていた俺は意外にもこのアイドルに親近感を覚え始めていたのだ。


「うーん。じゃあ俺の子供の頃の話とか?初彼女と付き合って玉砕した話とか」

「なにそれ面白そう。早く教えなさいよ」

 暗がりの中でもわかるほどの目の輝き。やっぱり女という生き物は恋バナというのが好きなものなのだろうか。

 俺が幼いころ咲耶ちゃんに出会った事、そして求婚して見事に玉砕した事など、今まで誰にも話した事がないような話をアルタに聞かせていると、「うんうん、それでそれで?」「何それ酷い」「え、マジで?」「理由www」とか思ったよりも喜んで貰えたようだ。


 そして、話していて分かった事だがこの少女はある程度気を許している相手だったら普通に話せるし思いの他聞き上手である。ただ他人とあまり接点を持とうとしない事で友人が出来ないだけなのだろう。


「あー笑った。まさかあの先生とねぇ…しかもあの先生がねぇ…他には?他にはないの?」

 下らない小さいころの話をいくつか聞かせて、話の内容はだんだんと今に近づいてくる。


「それで、白雪に無理やり女子更衣室に忍び込まされて…」

「うっわ最低。悪魔じゃなくてアンタが」

 なんでだよ。俺は被害者だぞ。

「全く興味なんてないし本当にやりたくなかったって自信を持って言える?」

「…そりゃ、確かに学園のアイドルである泡海先輩のロッカー見つけた時はテンション上がったけど」

「ほらみなさい。…ってあの泡海?」

 そこからの経緯も説明しなければなるまい。

 その後突如泡海から呼び出された事、泡海の秘密のデータを知らずのうちに家に持ってきてしまった事、(これは話すつもりじゃなかったんだ泡海許せ)それを問い詰められている間に秘密の組織の事を知ってしまう事、お互いの秘密を守る条件として泡海と付き合う事になった事など、気が付けばすべて話していた。こいつの聞き上手にうまく転がされた形だ。うん、俺のせいじゃない。

「そうなんだ?アンタらが付き合ってた事もびっくりだけどそれが嘘の関係っていうのも驚きだわ。それに組織の事と、何よりデータの事ね」

「あれは勿体ない事をした…」

「あんた女の裸に興味ありまくりじゃん」

「ネムさんにも言ったが女の裸に興味がない男など存在しない!」

「そんな力いっぱい言われても…」


 いつの間にか俺はこの少女の事を、気軽になんでも話せる友達くらいに思っていたのかもしれない。知り合って長くないから余計に本音が出せるという事も時にはあるのだ。

「だから私の裸も見ようとしたの?」

「プールの事か?アレは白雪絡みの不可抗力だ。さっきの事はネムさん絡みの不可抗力だ一応謝っておく申し訳ありませんでした」

「もういいわよ。でもそんな事聞いてるんじゃなくて、見たいのかどうかを聞いてるのよ」


 …な、なにをでしょう?

 返答できずに固まっていると、

「だから、私の裸も…見たいのかって聞いてんのよ」

 などと恐ろしい事を聞いてくる。俺は出来るだけ平然と対応しようとした。

「さっきも言ったが女の裸を見たくない男なんて」

「見せてあげようか?」

 んなっ。

「ちょ、ちょっとまていやいやそれはまずいというか危ない、いや、いや、違う嫌じゃあないけどいろいろと、な?分かれ!」

「冗談に決まってるでしょ何焦ってんの?」

 アルタは子供のようにケタケタと笑った。

 どうやらからかわれてしまったようだ。

「そういえばさ、さっきお風呂に行った時アンタの母親に捕まってたんだけど…」

「あぁ、うっすら聞こえてたよ。なんかごめんなうちの母親ああいう人だからさ」

「き、聞こえてたの?」

 ん?アルタが解りやすく動揺を示した。

 ここは仕返しに俺がからかってやろう。

「あぁ、聞こえてたぜ。まさかお前がなぁ…」


 嘘だ。全く会話内容は聞こえていない。本当は少し声がするなぁ程度だった。

「そ、そっか…聞いてたんだ?」

「うんうん」

 適当な相槌を打ちながら本当の事を言うタイミングを計っているとアルタから妙な質問をされた。

「そ、それで…アンタ自体はどう思ってるのよ」

 …何がでしょうか?なんかだんだんとやっぱり聞こえてませんでしたとは言いにくい空気になってきた。

「えっと…まぁ、その、いいんじゃないか?」

「そう、なんだ…。ほんとにここの子になっちゃおうかな…」

 ちょっと待て、おい母親お前何をアルタに吹き込んだんだ。

「アンタの母親にさ、もういっそうちの子になってほしいって言われた時私正直嬉しかったんだよね。ああ私にもこんな母親が居たら…って思っちゃってさ」

「あ、あぁその事ね、はいはい」


 ってちょっと待てよ。さっきこの女ほんとにここの子になっちゃおうかなとか言ってたよな。

 ど、どどどどういう意味で言ってるんだこいつ

「アンタはさ、私みたいな妹が出来たら嫌?」


 …?


「いも、うと?」

「もしほんとに私がこの家の養子とかになったらアンタは、その、おにい…ちゃん、になるわけでしょ?アンタはこんな妹はどうなのかなって」

 はい?あ、あぁ、そういう事か。

 そっちですかそうですか。

「俺としちゃお前みたいな妹が居たら落ち着かねぇなぁ」

「やっぱり嫌だよね」

「それもちょっと違う。どっちかっていうと毎日ヒヤヒヤドキドキするのは心臓に悪いというか…」

「なんでアンタがドキドキすんのよ」

 うわこいつ素で言ってやがる。

「だから、こんな可愛い妹が居たら毎日ドキドキしっぱなしだろうが。俺の心臓に悪いって言ってるんだよ」


 俺は何か変な事を口走った気がする。

「かっ、可愛い?ほんと?」

 なんでこいつはこんな素直なリアクションをしてくるんだろうか。ほんとに妹か何かに見えてきた。

「そりゃ可愛いだろうよ。お前自分がアイドルだって忘れてないか?アイドルになれる人間なんて普通に考えて可愛いんだよ」

「そ、そうよね!私ってば国民的アイドルだしっ♪」

 なんだか上機嫌になったようで何よりである。

「でもこの家の子になるのは諦めた方がいいって事だよね。それはちょっと残念かも」

「なに言ってるんですかぁ~アルちゃんはほんとにおバカですねぇ~♪」

 どこから湧いて出た。

「ね、ネム?アンタどっから湧いて出たのよ」

 おっ、俺の気持ちを代弁してくれるとは気が利くじゃないか。

 ネムさんは今部屋の壁から頭だけにょきっと生えている状態である。

 隣の部屋からすり抜けて覗いているのだ。


「だいぶ前から話は聞かせてもらってたんですけどぉ~アルちゃんってばお母さんの言葉の意味ちゃんと解ってますぅ~?」

「な、何よ。どういう事?」

 あーこいつやっぱり分かってなかったか。うちの親が考える事なんて決まっている。


「お母さんはぁ~乙姫さんと結婚してこのうちの子になってほしいって言ってるんですよぉ~♪それじゃごゆっくりぃ~♪」

 それだけ言うとさっと引っ込んで隣の部屋へと帰っていった。


 この気まずい空気をどうしてくれる。


「え、あの、えぇ~?アンタの母親、そういう意味で言ってたの?」

「お、おう…たぶん」

「へ、へぇ~。そっかぁ…」

 アルタさん?

「でも妹がダメならそういうのも…うーん」

 あの、アルタさん?

「でもいくらなんでも早すぎるというか…でもそれなら自然にここの子に…」

「おーい、アルタさーん?」

「はっ、な、なによ!何か文句あるの?」

 いや、そんな反応されるとこっちが困るというか…どうしたらいいのだ。

「あの…そろそろ、寝ようぜ?」

「ね、寝る?…あ、あぁ睡眠ね?そうねもう遅いものねおやすみなさい!」

 言うが早いかアルタは布団に思い切り潜り込んだ。

 布団の中でしばらく一人でああでもないこうでもないいやしかしでもだけどうーん。みたいな独り言をぶつぶつ言っていたが、十五分ほどで小さな寝息を立て始めた。


 …なんか、疲れた…。

 初めて白雪がこの家に来た夜と同じか、それ以上に俺の精神は揺さぶられて疲弊していた。

 決して悪い意味ではないのだが。

 もしこいつが嫁に来たら毎日こんな生活になるのか?

 …そういうのも悪くないかもしれない。

 いやいや落ち着け。相手は中学生だぞ!

 いや、しかし…うーん。

 今度はこっちが唸る番だった。

 そんなこんなで今夜は大いに唸る晩だった。

 うん、うまい事言った。

 

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