ダンジル王国と王女
「このっ!」
カルナが剣を下段に構え、目の前の巨大猪に突撃する。腹を斜め上に向けて振り、猪の腹には細い傷ができた。
猪は怒り、咆哮する。立派な牙が、カルナに向けられた。しかしカルナは全く動じずに再び剣を中段の構えで猪を迎え撃つ準備をする。
猪は突進してくるが、カルナはそれを横に軽く跳ね飛んで躱し、すぐに思いっきり、脇腹に突きを繰り出した。
大きいとは言っても心臓の部分を的確に突いているし、胸の肉はわりと薄いので、急所は潰せただろう。
……でもまだ甘いな、これじゃ。
猪はまだ勢いを止めることなく、今度はこちらに向かってきた。往生際が悪い。
「……っ! シノン!」
「《身体操作》」
猪はくるりと向きを変えて、今度はカルナの方向へと走り出す。しかしすぐにその動きは止まり、やがて息絶えた。
「シノン、大丈夫か?」
「舐めるな。俺をなんだと思ってる」
ふくれっ面でそう言うと、カルナは苦笑した。
「そうだったよ。さすがシノンだ」
笑みを浮かべてくるカルナに俺も微笑み、カルナにアドバイスをする。
「最後の下段の構え。あれは防御の構えみたいなものだから、攻撃しに行くのにわざわざ防御の構えはしなくていい。ただ、攻撃の構えである上段の構えだとお前にはまだ隙が生まれるから、中段あたりがちょうどいいと思う。まあ、一番最後の中段の構えは良かったと思うぞ。……合格」
「やったぁ!」
両手で拳を作ってガッツポーズを取るカルナ。満面の笑みで、ぴょんぴょん跳ねながら喜んでいる。
ただ、と切り出すと、カルナは動きを止めて俺を見た。
「猪の急所を潰したのはいい。でも、武器を手放すのはダメだ。そこは注意しろ。あと、剣を刺したあとすぐに手放したから良いけど、あれを持ったままだったら、確実に怪我してたからな。急所の潰し方を考えろ」
「あー……やってしまった……」
「はぁ……まあ、レベルが弱い魔獣で良かったよ。けど、これからは気をつけろよ」
「うん! わかった!」
「よーし猪肉食うぞー」
「おおー!」
脇腹に刺さったカルナの剣を抜き、猪の血を振り払って地面に散らす。
「ありがとう」
「ああ」
更に猪の皮を丁寧に剥ぎ取り、肉を捌く。今食べる物はカルナに渡して、とっておく物は収納魔法で異空間にしまう。
すぐに肉の香ばしい匂いが漂ってきて、すかさず俺もカルナの元に向かう。
軽く塩をふって、串刺しにされた肉を一つ一つ回転させる。
ある程度焼けたら、火から離して一つをカルナに渡した。カルナはすぐに肉にかぶりつき、幸せそうに口を動かした。
釣られるように、俺も肉にかぶりつく。うん、美味い。
現在俺たちは、タイムマ半島手前の森、ククリの森にいる。タイムマ半島からダンジル王国への直航に乗り込む予定だ。
ダンジル王国に行くので、俺もカルナも一応頭巾を被っていくことにしている。
特にカルナは国中に顔が割れている。目立っては厄介なので、港に入る前に頭巾を被っておくことにする。
まあどちらにしろレイヴァなので、最初から被っていかなくてはならないのは変わらないのだが。
港で船に乗り込むと、俺とカルナはほとんど無言になった。個室が用意されているので、同じ部屋に二人で入ることにする。
「……俺と同じ部屋でよかったのか?」
「……うん。シノンと同じ部屋の方が、落ち着くから」
やっぱり不安なのかなあ。まあ、父親が逃がしてくれたのにまた、カルナにとって危険な場所に逆戻りなわけだし。
俺もダンジル王国は初めてだ。だから、街にしょっちゅう降りていたと言うカルナに色々と案内してもらいいのだが……。
「シノン、今、ダンジル王国がどうなっているかわかるか?」
「街は活気を失ってるって話だ。ラトスの将軍が、今は各街を統一している最中らしい。他の街まではその力は行き届いてないらしいがな。各ギルドが抵抗してるから」
「……そうか……」
実は、ここに来る前にダンジル王国に関する情報を調べていた。国の一将軍が、一国を統一する話など元より有り得ないのだ。
ダンジル王国までは六日間だが、カルナが緊張で眠れなかったりでもしたらどうしようか……。
《催眠》で眠らせてやれば寝不足にはならないだろう。
本人にも許可をとり、六日間、夜に俺が《催眠》をかけてやった。おかげでカルナは寝不足にはならなくなった。
そして六日後、ダンジル王国の王都、ダンジリアに到着した。
たしかに活気がないな……静かだ。
質素な雰囲気があり、決して贅沢な雰囲気は持っていなかった。
目の前には食堂や土産店などのさまざまな店舗が並んでいたが、商人にも笑顔はなく、店に目を向ける者もいない。
そんな街を見て、カルナは顔に驚愕の色を浮かべる。
ま、そうだよな。自分の国がこんなんになってたら、ショック受けるよな。
とりあえず、この街のギルドに行ってみよう。あそこは街の中にありながらも、ラトスの将軍の力も押し切って独立しているらしいからな。
「ギルドは、他のギルドと同じように街の外れにある。こっちだ」
カルナは戸惑いの色を浮かべながらも西の方向に向かい始めたので、俺もその後に続く。
やがて、小さな丘の上に三階建てくらいの建物が見えてきた。おそらくあれがギルドだろう。
大きな観音開きの扉を開けて、その先の広間に入って行く。
すると、騒がしかった室内の雰囲気が少し暗くなった。
……まあ、いきなりこんな所に外套を着て、しかも頭巾を被った二人組が入ってきたらそうもなるか。サニーズとは違って、規模が少し小さいから結構目立つし。
さて、とりあえずはここの団長に会いたいんだけど……団長が連絡してくれたらしいから、多分会えばわかると思うんだが。
受付に向かい団長との面会を申し出て、サニーズの団員であることを伝える。すると、団長に連絡を取ってくれ、そのまま団長室まで案内された。
活気がなく暗い雰囲気だった街とは対照的に、このギルドは結構明るい雰囲気だった。カウンターの所にも『明るく元気に、ポジティブ思考! ――団長より――』って貼り紙があったし。
「団長、お客様です」
「どうぞ」
中から声が聞こえてから受付嬢は扉を開くと、どうぞ、と笑顔で言った。
『失礼します』
俺とカルナが声を合わせて言うと、半円状の書斎机に座って書類に記入をしていた女性が、顔を上げた。
受付嬢は頭を下げて部屋から出て行った。
赤い髪に赤く勇猛な瞳。髪は顎のあたりで切りそろえられており、すらりとした体型である。机には大きな太刀が立てかけられている。
「まあ、座ってください」
「ありがとうございます」
俺たちがソファに座ると、団長も向かい側のソファに座った。俺だけは頭巾を外し、団長に頭を下げる。
女性にしては低めな声だが、聞いていると落ち着く声だった。
「はじめまして。ギルドサニーズから参りました、シノンと申します。この度は面会をさせていただき、ありがとうございます」
「いえ、今回は空の使いに関する用件だと聞いています。気にしないでください。では、改めて自己紹介をさせていただきます。私はこの、ギルド七つ星団長、ハルと申します」
ハルは一度頭を下げて再びあげると、未だ頭巾を被って沈黙しているカルナへと視線を向ける。
「して、そちらは?」
「……失礼。カルナ」
小さく声をかけると、カルナは両手でゆっくりと頭巾を外す。
やがて、彼女の顔が見えると、ハルの目が見開かれた。
「る……ルミナ、王女殿下……?」
「……久しいな、ハル」
ハルはさっと立ち上がり、そして、カルナのすぐ横に来て跪いて頭を垂れた。
「よくぞ、ご無事で……」
「……ああ。よくぞ耐えてくれた、ありがとう」
「いいえ。ラトス皇国の一将軍などすぐに倒せるはずが、もうすでに二年も経ってしまいました。誠に、申し訳ございません」
ああ、知り合いだったのか。まあ、一国の王女と国のギルドをまとめて統治している団長なんだからそれは当然か。
ていうか、カルナの口調が変わってるな。さすがに自国の部下と上司っていう関係なんだろうな。
「ああ……立ってくれ。ソファに座って」
「はっ」
ハルは再び立ち上がり、そしてソファに座る。お、いつものカルナに戻ったか?
「ハルさん、空の使いの方は………」
「ああ、今呼び出し中です。間もなくやって来るかと」
「わかりました」
すると、カルナが俺の隣で、小刻みに震えている気配がした。見ると、うつむいて、体に力を入れているのがわかった。
そんなカルナの肩を抱いてやると、彼女は力を抜き、俺を見上げた。ハルが驚いて俺を見ているのがわかっていたが、敢えて気付かないふりをする。
「今は仕方ない。大丈夫だ、国王陛下や王妃様、それに王太子殿下も殺されていないはずだよ」
「なぜ、わかる?」
「カルナが船の中で眠ってる間に、お前の記憶から国王陛下方の顔の記憶を読み取らせてもらったんだ。それで、この国に来た時、《探索》で探してみたら、反応があった。ちゃんと生きてるよ」
カルナの暗かった顔が、少し和らいだ。そして、俺の体に両腕を巻きつけて、顔を胸にうずめた。更にハルが驚いた様子だったが、気にしないことにする。
俺はカルナの身体を両腕で包んで、背中をゆっくりさすってやった。
「……その、失礼ながら、シノンさんは、ルミナ王女殿下とは、どのようなご関係で……?」
「私の一番大切な人だ。その……恋人、同士だ」
間髪を入れず俺の代わりに、カルナが答えた。しかしハルは、有り得ない、と言うような顔をしている。
俺は疑問に思ったが、その答えはハルの口からあっさりと流れてきた。
「……し、しかし、王女殿下、あなたはすでにご婚約をされているはずじゃ……?」
「っ……! 嫌だ! あんな奴と結婚など考えられるか! そんなのはシノンと出会う前からでもお断りだっ!」
「ええっ……!?」
ん? なんだ? カルナはもう婚約してたのか。でも、本人がこんなに全力で否定するとは。いったいどんな奴なんだ?
ハルはその答えが意外すぎたのか、困惑した表情を隠さずあたふたする。
「え……でも、ガルデンさまは、互いに両想いだと……」
「嘘に決まっているだろうが! アレは、私のこの髪と目が珍しいからという理由で、自分も王族の仲間入りをするため、父上に無理矢理婚約をさせたのだ!」
ハルは、ぽかんと口を開けてカルナを見ている。
「は……申し訳ございません。私などが、このようなことを申して良いものではありませんでした。以後、気をつけますので、どうかお許しを」
はっとして、カルナはハルに謝った。
「ああ……いやいや、すまない。つい、怒りすぎてしまった……」
しょんぼりするカルナ。こんな顔も可愛いな。
それにしても、カルナの髪と目が珍しいからという理由で国王に無理矢理婚約をさせるとか……そいつ許せないな。
「……まあ、私はガルデンなどには二度と会うつもりはないけどな……」
「そのガルデン、ってのが、婚約相手なのか?」
「ああ。激太りのジジイだ。今年で四十らしい」
「四十!?」
「うん。もっとも、ルクス兄さんや母上、もちろん父上も私の婚約に大反対してたけど、ガルデンは兄さんたちの言うことも聞きやしない。勝手に婚約を発表しやがったのさ」
カルナは悔し顔で、両手の拳を握る。いや、それかなり問題じゃないか?
「……ああ、そ、その、ご婚約のことなのですが、あなた様が行方不明になられた時、国王陛下はその婚約を破棄されました。ガルデンさまも、相手がいなくては仕方がないとあっさり納得されたそうで」
「ほら見ろ。本気で私が好きなのなら、自分も私を探そうとするだろうに。阿呆か」
カルナは、今度は腕を組み、得意顔になってソファに背を預けていた。
やがて、部屋の扉がノックされて、声が聞こえた。
「団長、成瀬です」
「おう、入れ」
カルナは再び頭巾を被り、顔を隠した。そして扉が開かれて、一人の女の子が入ってきた。
黒髪に、犬の垂れ耳がついている。犬のフサフサな黒い尻尾、そして小柄な体格。垂れ目で気弱そうな女の子は、そろそろと部屋の中に入ってきた。
「は、はじめましてっ、成瀬ですっ!」
「そんなに緊張するな。大丈夫だ。ほら、座りな」
「は、はいっ……」
成瀬はソファにぽふりと音を立てて座ると、背をピンと伸ばし、緊張した面持ちでこちらを見ている。
「いや……緊張しなくていいって。楽にしろ」
「えっ? あ、はい」
ハルがそう言うと、成瀬はやっと緊張を解いた。……それでもまだ幾分か緊張感を持っていたが。
深呼吸をし、体の力を抜いていく。
「リアナから聞いています。たしか、銀色のペンダントをお見せすれば宜しいのですよね?」
「はい、お願いします」
ハルが成瀬に目で合図すると、彼女はうなずき、服のポケットから銀色のペンダントを取り出し、机に置いた。
覗き込むと、今回はそんなに細かい彫刻ではなかった。しかし立体感があり、布の皺などはしっかりと再現されている。
頭から布を被り、細長い角の生えた人型。布の下から両腕を横に広げ、顔は目の部分だけに穴が空いている。下半身は布で覆われていてよく見えないが、これが何なのかはわかる。
"霊神"。
霊を操り、この世に留める死神の眷属。
そして霊神自身も霊体化しており、どこにいるのかもわからないと言われる伝説の存在である。
「シノン、これは……?」
「霊神。死神の眷属だ。死んだ人間やその他の生き物の霊体がこの世に残っていられるのはこの霊神のお陰でな、要するに幽霊たちの統治者ってとこだ」
「し、死神……?」
んー、ということは、霊属性だな。これで五つ目。
とりあえずペンダントの方をしまってもらって、俺はもう一つ、話を切り出す。
「成瀬、お前ら空の使いは何者なんだ? いったい、どこから来た?」
「え……えっ?」
「な、いったい何を……?」
「他の四人の空の使いたちにも同じ質問をしました。彼らは揃って、同じ答えを出していました。なら、その他の空の使いたちも同じなのではないかと。もしそうならば、俺の中で一つのことが全てが繋がるんですよ」
成瀬はしばらく黙っていたが、やがて、勇希たちとまったく同じ話をし始めた。
……うん。よろしい。
「ま……まさか、そんなことがあるなんて……」
「ハルさん、どうか、成瀬を守ってください。決して、一人にしてはいけません。それと、もしここに新たに空の使いが来たようなら、この話を聞いてみてください。ご連絡をいただければ、俺も再びここを訪れますので」
「わかりました。心得ておきます」
俺は立ち上がって、それではお暇致しますので、と言った。
「今日は、ありがとうございました。今夜はここで泊まっていかれるとよろしいでしょう。あ、それとも、滞在期間中はこちらにいらっしゃっても構いませんけども?」
「じゃあ、そうさせていただきます。お心遣い、ありがとうございます」
俺は微笑み、カルナとともに部屋から出た。
2018年9月19日、修正しました。