竜と少女
「シノン、だって?」
「あ……すみません。そうですよね。そう簡単にはいかないか……」
待て待て、どういうことだ? この子は、シノンのことを知っている? いや、偶然かもしれない。ただ名前が同じってだけで、私の知っているシノンじゃない可能性だってあるんだ。
早とちりはいけないね、本当に。……まあ、この子の言うシノンが、あのシノンでないとも限らないのだが。
まあ、この試験が終わったら会わせてみるか。見たところ危険はなさそうだし、仮にこの子がシノンに何をしようと彼なら大丈夫だろう。
「えっと、心当たりはある。が、彼が君の言うシノン本人かどうかはわからないから、そこは了承しておいてくれ」
「え、本当、ですか?」
私がうなずくと、勇奈は安堵したような笑みを浮かべた。
「あ、ただし、すぐには会わせられない。さっきも言ったように、私は明日の朝になるまでこの森からは出られないし、街にも入れない。それでも良ければ」
「構いません。本当に、ありがとうございます!」
私は微笑みながら、頭を下げた彼女の脳天を見つめた。
さて、では夕食の食材を……、
『ガアアアアアアアアアアアアア!!』
『っ!?』
大地が震えるような咆哮が聞こえて、私は空を見上げた。私は息を飲んだ。なんなんだ、あの黒い影は……?
やがてその姿がはっきりと捉えられたとき、恐怖を覚えるのではなくつい漏らす、ため息。
「おいおい、勘弁してくれ……なんだってこんな時に……」
大きな翼を持ち、太く巨大な胴体。鋭い手足の爪に口内の牙、そして頭には二本の角があった。その目は赤黒く輝き、 まるで理性を感じない。深い海のような鮮やかな青色をした体を持ち、空を翔けるその生き物は、まさに神話に登場する容姿そのままの……
――――竜だった。
「かっ……カルナさん、あれって……」
「竜だ。それも、成竜以上の」
「やんぐ、どらごん……?」
「ああもう! とにかくまずい! 逃げるぞ!」
今はただこの辺りを飛び回っているだけだが、そのうちブレスなんかを吐かれたら大変なことになる。今のうちに離れておくに越したことはない。
すると目の前に、氷の柱が立った。私たちはギリギリのところで止まり、後ろを振り返る。
竜はこちらに向かってきて、私たちに咆哮した。
『ガアァァァァァァァァァァァァ!!』
っ!? 耳が壊れそうなくらいに大きな声だ……!
竜は私たちの目の前に着地し、こちらを睨んだ。左側は岩壁、後ろは氷の壁、目の前は竜。となれば、残る逃げ道は右側の木々の中。
しかしこのままだと、二人で一緒に逃げ切れるとは思えない。……仕方ないか。まさかこんな所に戦闘能力の欠片もない勇奈を置いていくわけにもいかないし、かと言って私の力であの竜を倒せるとも思えない。
となると、せいぜい出来そうなのは足止めくらい、か。
私は外套を脱ぎ、勇奈に渡した。
「いいかい、これを着て、この先にある街に出なさい。それから白髪で、私くらいの身長の男の子を探し出してここへ連れてきてくれ。それまでは私がなんとか持たせるから」
「え? でも、カルナさんは……」
「行きなさい!!」
勇奈は迷ったが、やがてうなずくと、ぱっと駆け出していった。
さーてと、しばらくは持たせないとな。
あと一日、か。長いなあ。試験ってのは、待つのも退屈だな。俺は目の前に置かれたコーヒーをひと口飲んだ。うん、美味い。
さて、カルナが帰ってきたあとの計画を……、
ガァァァァァァ……!!
……ん? 今の音は……?
一気にコーヒーを飲み込んでを机に料金を置いて行くと、俺は外に出た。特に変わったところはなかっ、た……いや、あった。空を飛んでいるモノ。
あれは老竜、つまり第6段階。竜王の手前だ。誰か戦っているのか、竜は氷のブレスを吐いたり、誰かの攻撃を交わすような仕草をとったりしていた。
しかもあれは、王族階級の竜だ。こんなとこで暴れられたら……っていうか、あの森はカルナがいる試験会場じゃ!
他にも小さいがいろんな竜が集まってきているな。あれは、幼竜か。小さいがそれでも結構な数がいる。
ありゃ絶対に試験の演出とかじゃないな。そうだとしたら、街にも知らせが来ているはずだ。混乱は抑えられないからな。そんなのは俺も知らないし、実際に街の人たちも現に混乱し始めている。
と、いうことは、緊急事態として俺が出ていってお構いなしに倒していいってことだよな。
「じゃあ、遠慮なく行きますか」
俺は走り出し、森の中に入った。とりあえずはカルナの安全の確保が優先だ。竜と戦っている奴は誰だかは知らないが、幼竜までいるのだ。カルナが襲われでもしたら大変だ。
彼女を死なせてはならない。本能で、そう思った……いや、悟った。そうでなくても、俺はカルナを失いたくない。彼女がいなくなったら、おそらく俺は生きていたくなくなる。カルナがいるからこそ、俺は生きているようなものなのだから。
「《探索》、『カルナ』」
反応あり。いや待てよ? この方向は……間違いない、あの青龍の方向だ!
俺は再び、ダッと駆け出し、急ぎ竜のいる所へ向かった。
途中で二体の幼竜に遭遇したが、二本の剣で返り討ちにしてやった。……一瞬遅れたか。くそっ。
やがて森が開けてきたところに、竜の巨体が見えた。同時に、竜の氷の矢が、カルナの太股を貫いたのも見えた。
左足から血が大量に流れ、カルナは膝をつく……前に、俺は飛び出して、竜の片目に剣を突き立てていた。
『ゴギャァァァァァァァァァァァァァァァァ!!』
竜に振り落とされる前に地面に降り、すぐにカルナへ駆け寄った。
「カルナ!!」
「っ! シノン!?」
氷の矢を抜き、足の傷を塞ぐ。
っ……!? なんだ、今の感覚は……!?
「気をつけろ、シノン。あいつ、私たちが魔力を使うとそれを吸収するらしい」
「ちっ。魔力強奪型かよ……面倒だな」
厄介ではなく面倒、と表現した辺り、俺のS級冒険者としてのプライドと実際の実力があることを示しているんだろう。
言っておくが決して自惚れじゃない。
身体中にあったカルナの傷をすべて治し終えると、俺は立ち上がり、二つの剣を掛け合わせる。五十センチの剣が、1メートル近くの太い剣と化した。いわゆる融合というやつだ。
名付けるとすれば……そうだな、白黒の剣で、『白と黒の剣』とでも呼ぼうか。まあそれはどうでもいい。
俺はそれを肩に担ぎ、竜を睨みつけながらカルナに言った。
「待ってろ。すぐに片付ける」
「ああ……頼むよ」
周りの幼竜含めて、一気に片付けてやる。
俺はゆっくりと歩きながら、肩に担いでいた剣を降ろし、詠唱を唱え始めた。
「結の精霊、雷の精霊、光の精霊、希の精霊、汝らに命ずる。我の呼びかけに応じ、この地に降り立つ悪の化身を消し去れ。我が剣となりて悪を裁け。そして悪しき魔物に取り憑かれし者を浄化せよ、浄化合成聖族魔法、《光力爆発》、《悪魔破壊》」
俺の頭上に巨大な魔法陣が五つ現れ、剣を正面に向けると同時に目が開けられないほどに眩しい光が弾けた。そして、竜は跡形もなく一瞬で消え去った。
効果範囲は森全体なので、森の中で暴れていた幼竜達も、微塵も残らずに消え去ったようだ。
……しまった。やりすぎた、か……?
全身の力が抜け、膝をつく。カルナが駆け寄ってきてくれた気配がしたが、そんなことはまるで遠くのことのように思えた。
薄れていく意識の中で、カルナの声を聞いた気がした。
おかしい。魔力切れじゃない。肉体的疲労だろうか、それとも、先ほどの魔法の反動かなにかだろうか……。
「おい、シノン! しっかりしろ! おい!」
「うぅっ………」
まったく。助けに来た側が倒れてどうするんだ。まあ、別にいいんだけど。
シノンはうっすらと目を開けてぼんやりとこちらを見ていた。
「……ごめん。ちょっと、やり、すぎた……もう少し、休憩すれば、動けるように、なるはず、だから」
「いや、いいよ。ありがとう、助けてくれて。それより、途中で女の子に会わなかったか?」
「……いや、誰とも会わなかったけど?」
「えっ!?」
ん? ってことは、勇奈は街に……やばい!
「仕方ない、シノン、ここで待っててくれ。探してくる!」
「え、お、おう………」
シノンを岩壁にそっともたせかけて、私は生い茂る森の中へと入って行った。
本当なら魔物が彷徨く森に今のシノンを置いていくのは危険だが、その魔物にしたってほとんどは竜たちが現れたことで特に問題は無い。
しばらく走って行くと、向こう側から探している人物……勇奈が走ってきた。
「あれ、勇奈!? なんで戻ってきた!? ああいや、探してたから良かったんだけど!」
「カルナさん! 良かった、ご無事で……! すいません。急に竜が咆哮したと思ったら、光が見えて、周りの小さい……いや、ちいさくはなかったんですけど、竜がみんな微塵も残らずに消え去ってしまったので、心配になって……あ! もしかして、竜を倒したのは、カルナさんですか……!?」
「いや、違うよ。助けてくれた人がいるんだ。ついてきな。さっきの所にその人を待たせてるから」
私は勇奈に手を出した。勇奈は、戸惑いながらもその手を取り、私たちは歩き出す。
やがてシノンが待つ場所へ到着すると、シノンは寝息を立てて眠っていた。
私は少し呆れてため息をつくが、まあ、仕方のないことだと思ったので、微笑んだ。
「世話のやけるヤツめ……」
呟き、私はシノンをおぶる。そして、街へとその足を向けた。
『冒険者登録試験の受験者に告ぐ。直ちに街へ向かいなさい。竜が出現したため、今回の試験は中止とします。繰り返します……』
……と、そんな放送がずっと流れている。もう竜は退治したってのに。
あーあ、せっかく二日間苦労したのに。結局不合格、か。長かったなあ。やっぱり私はシノンに頼ってなきゃ、寂しくて、時間が経つのも長く感じるのだろうか。
今回も歳下であるシノンに頼りっぱなしだった。でも私は、強くならなくちゃいけない。シノンは私に、才能があると言ってくれた。だったらその才能は、ぜひ伸ばしたい。そしてそうすることで、シノンが少しでも楽になるのならば、私は頑張りたい。
出会って間もない頃から……というか出会った瞬間から、私はシノンに助けられっぱなしだ。私にはシノンに追いつくことが出来ないんだと、そんなふうに思っていた。
「ん……んん……?」
「お、起きたか?」
「……ん? あれ、ここは……?」
私の背中の上で、自分のいる場所がどこだかわからず混乱するシノン。こんな所が可愛いんだよなあ。
「もう少し寝ていても構わないぞ。……宿のベッドで添い寝してやろうか?」
「っ!?」
ニヤニヤしながら冗談を言ってやると、意外と面白い反応をしたので、私はつい笑ってしまった。
「ま、いずれにしてももう少し寝ていた方がいい。まだ体力も万全じゃないだろ?」
「えぇ……あぁ……うん……」
とは言ったが、シノンは、今度は私の背中に体を預けてくれなくなった。肩に手を置いてはいるもの、上半身は立っている。
遠慮なんてしなくていいのに。
「なあ、カルナ、降ろしてくれ。恥ずかしいから……」
「何を言うか。良いではないか。これは私の意思でやったこと。お前は、何も恥ずかしいことはないさ。ほら、寝ろ。起きてると余計に恥ずかしいぞ」
「だから降ろせって!」
私がまた声に出して笑うと、勇奈が話しかけてきた。
「仲がよろしいんですね」
クスッと笑って、勇奈は再び前を向いた。
やがて肩に再び重みがかかって、私は脇を見た。そこにはシノンの頭巾を被った頭が見えた。
「カルナ、ってさ」
「ん? なんだ?」
「……いい匂いがする。穢れてない、純粋な匂い」
「……は……はぁ!?」
私は顔が一気に熱くなるのを感じて、つい伏せてしまった。
い、いい匂いがするって? 言った? いい匂いがするって言ったよな? 間違いじゃ、ない……?
再びゆっくりシノンを見ると、両手をぶらんとさせて、静かに寝息をたてはじめた。
その後冒険者連合に寄って無事を確認されてから、宿へと向かう。再試験を希望する者は、今度は自給生活ではなくサニーズでもやっているような戦闘試験に出ていったが、私は参加しなかった。他にも参加しなかった者はいたが、そういった人たちのほとんどは怪我人とか気分じゃない人だった。
やがて宿に入り、カウンターで部屋の鍵をもらいに行く。勇奈も一緒に泊まらせようと、三人部屋を一つだけ借りることにした。
今回だけは、シノンも同じ部屋で寝かせてしまおう。
「あの……本当にありがとうございます。行く宛もお金もないので何もお礼はできませんが……」
「そんなの気にするな。別に私は君から金を取りたいってわけじゃないし、こいつに用があるんだろ? もし君の探しているシノンがこいつじゃなかったら、探すの手伝ってあげるよ? 多分、シノンも手伝ってくれるさ」
勇奈は顔に笑みを浮かべて、うなずいた。
「はい! ありがとうございます!」
とりあえず三階の奥の部屋へ入室して、シノンを寝台に寝かせた。相当疲れているようで、頬を軽く叩いてもまったく反応がなかった。そりゃそうか。
あんなに長い詠唱をしたってことは、相当な威力の魔法を放ったに違いない。実際に森に跋扈していた幼竜も含めてデッカイのも倒しちゃたったし。
それは見れば誰でもわかることだが、反動くらい一つや二つ、あったっておかしくないだろうな。魔力だって、さすがにシノンでもキツかっただんろう。
そっと布団をかけてやり、私は、さて、と呟く。
「勇奈、君のその服はどうにかした方がいいね」
「え?」
勇奈の着ている服は、被っている帽子だけは立派だが、その他はまるでスラム街の子供のような格好だった。だから私は彼女に外套を渡したのだが、それでもやはり、外套も結構ボロボロだったので、どっちにしろ裕福な人がほとんどなこの街じゃ少しだけ目立った。
ただでさえ私とシノンがレイヴァなんだから、そりゃ目立つっちゃ目立つけれど。まあ頭巾くらいは被ってたけど。
まあそんなことはどうでも良くて、女の子だからなあ。まあ、シノンが起きたら買い物に付き合ってもらうか。
「まあ、まずはとりあえず夕飯を食べようか。ここに持ってくるんだけど、何が食べたい?」
「え……なんでもいいです。あ、じゃあカルナさんのと、同じので」
「わかった。じゃあ、シノンのことを見ててくれるかい? 目が覚めたら警戒されるかもしれないけど、私もすぐに戻るからさ」
「は、はい! すみません、何から何まで!」
勇奈は頭を下げてそう言うが、私は彼女に頭をあげさせて、部屋を出た。
2018年7月28日、修正しました。