13話 エピローグ2
どうやら私は、少し人とズレている。
何も遅めの中二病を発症したわけじゃない。
人は誰しもズレていて当然で、だからこそ平均という考え方が生まれる。多かれ少なかれズレている全員を足して割り、各々がどれくらいズレているかを算出するそれ。
いわゆる平均的な人物というのも、ただ平均に近いというだけで、それが人間的に正しいとか模範だとかというわけじゃない。
当たり前のことだ。
あまりに当たり前すぎて、いつの間にか失念してしまったらしい。
顔を上げる。
教壇に立つと、ただ一目見ただけで二十人かそこらの表情や態度がなんとなく感じられた。
「というわけですので、文化祭の出し物を決めていきます」
反応する者、しない者。
笑っている顔や退屈そうな顔、果ては何故か怒っている顔まで。
不思議だな。
先々週までの私なら、きっと一言発するだけで顔面蒼白になっていただろう。
だけど、私は知っていた。
ここにいる全員、私自身も含めてだけど、大なり小なりズレている。
絶対的に正しい人間も、絶対的に間違っている人間もいない。
誰かが正解だとしても、他の誰かが不正解だとは限らない。
「それでは希望がある人は挙手してください」
「メイド喫茶~!」
挙手しろと言っただろうが、クソが。
「えー、飲食及び出店に関しては二、三年生の担当です。一年生は教室での展示、もしくはステージでの発表となります。今さっき説明したはずですが、聞いてなかったんでしょうか」
斜め後ろで黒板に『メイド喫茶』と書くべきか悩んでいたっぽい茜が動きを止め、ぎこちない手付きでチョークを握り直しているのが視界の端に捉えられた。
同じ頃、教室の一部ではざわざわと私語が飛び交う。
「感じ悪~い」
そのうちの誰かが、誰に言うでもなく半笑いで言った。
果たして誰に言ったんだろう。
誰も答えが分からなかったらしく、応じる声はなかった。私語が一瞬、止む。
「はい。希望はありませんか」
返されたのは、またも私語。取るに足らない雑音。
ため息を押し殺す。
「参考までに、去年の一年C組は教室での展示をしたそうです。ですよね、佐藤先生」
「えっ? あー、そういう話でしたね。美術の授業で描いた自画像、音楽を選択した生徒の場合は準備期間中に用意した書とか写真を展示しました」
「は? そんなんつまんなくね?」
また別の誰かが声を上げた。
文化祭実行委員、略して文実。
その仕事は見ての通り、クラスの文化祭での出し物を取り仕切ること。と同時に委員会全体で円滑な進行のための調整にも奔走することになるらしいけど、入学して一ヶ月足らずの一年生にはろくに仕事が回ってこなかった。
ゆえに今、ここが私たちの主戦場である。
文実の三人で教壇に立ち、残るC組メンバーと対峙していた。
それはまさしく戦争や闘争と呼ぶべきものだった。
「てーか、出し物ってクラスでやんなきゃいけないわけ?」
「はい。クラスや部活を除く個人での参加の場合はステージでの発表に限られ、これは生徒会の管轄となります。個人で何かやりたい人は生徒会の方に連絡してください」
「やー、そうじゃなくてさー」
あれは誰かな。
席は見れば分かる。窓側から数えて二番目、最後列の席に座る女子だ。
名前は、ええと。
視線を落とし、時に教壇と混同される教師用の机……これも教卓でいいのだろうか? ともかく、その教卓に貼られたプリントに視線を走らせる。
プリントには横長の欄が幾つも並び、それぞれに名前が記されていた。
本来は教師用に貼られたそれのお陰で、クラスメイトの半分も名前を覚えていない私でも円滑に進行できる。
「ウチら、別にクラスでやりたいこととかないんだけど」
全くもって同感な発言をした女子生徒の名は、プリントによると菅野らしい。下の名前は読めなかった。紫だか柴だかに呉。まぁ読めなくても構うまい。
「えー、希望がない場合は前例に則り、自画像もしくは写真の展示とさせてもらいます。希望がある人は――」
「いや無視すんなし」
菅野が何か言っている。
希望がないんだろう? 無視も何もないと思うが。
「えー、では菅野さん。ご希望は」
「や、だからさ、クラスで何かやるとか面倒なんだけど」
「で?」
「は?」
菅野何某は自分が何を言っているのか、ちゃんと理解しているのだろうか。
出し物が面倒であれなんであれ、それは毎日の授業や定期テストと同じく、東高の生徒に課された義務だ。当日に仮病で休むならまだしも、先にどんな言い訳をしたところで逃れられるものではない。
それを菅野何某は……あぁ、理解していないのか。
一秒ごとに機嫌を悪化させ続け、教室の空気まで悪くなってきた頃。
「一年生は展示かステージ発表、これは決定事項です。不満や疑問があるなら後ほど職員室まで来てください」
ナイス、サッちゃん。
ありがとね、と視線を送ったつもりが、今にも唾を吐き捨てそうな目で見られた。何故だ。
しかしサッちゃんの敵意が私に向けられているとも知らず、菅野何某は「あーはいはい」と露骨な声を上げながら窓に目を向ける。
我関せずを決め込んだ菅野の窓の間の席に座る、えっと……加納さんが蛇に睨まれた蛙みたいになっていて可哀想だけど、まぁいいか。
「はい。それでは希望がある人は挙手してください」
「つうか秋草だっけ? なんでお前が仕切ってんの?」
「文実だからですねー」
「なんならアタシ仕切ろっか?」
今度の助け舟は前髪白子、じゃない。
進行役の私、書記係の茜と違い、何をするでもなく突っ立っていた由井かな恵だ。
「いや、いいけど?」
「ていうか、あんたに任せてたら終わるもんも終わらなそうだし」
そんなに信用ないかな。
客観的意見を求めてサッちゃんの方を見たら、何故か天井を見上げていた。天井を使った展示? なわけないか。私も腹を括る。
「知ってると思うけど、文化祭まで時間ないから。出し物決めんのに時間とか使ってらんないわけ。分かる? 決めるの遅れれば遅れるほど、やれること減ってくからね」
教室から不満が噴出する。
その寸前の、誰もが誰かの出方を窺おうと周りに意識を向けた瞬間だった。
「じゃ、五分待つから希望まとめて。特にないなら自画像と写真の展示で。はい、茜」
「え、なっなに?」
「時間見てて。五分だかんねー。よーいスタート」
そして一年C組の教室は、不平不満に侃々諤々が渦巻く、阿鼻叫喚の坩堝と化すのだった。
言わんこっちゃない。
私に進行役を任せておけば、まだしも平和的に事が進んだというのに……。
「ダンス? ほんとっ? 絶対見に行くよ!」
言うと思った。
阿鼻叫喚収まらぬ昼休みの教室を抜け出し赴いた中庭で。
私は彼氏の手料理弁当を味わうという、至福にして勝ち組の一時を満喫していた。
しかし、悲しいかな。
のほほんと味わっていられるのは、今のうちだけだろう。
「あの人ら、頭の構造おかしいよ……」
「私は英断だと思うけどな」
「んなわけあるか」
侃々諤々に喧々囂々、確か混ざって喧々諤々だったか。
まぁなんにせよ、阿鼻叫喚の様相を呈した永遠にも感じられる五分の末、一年C組の出し物には幾つもの候補が挙がる、――なんてことはなかった。
あの五分後。
『ごっ、五分たっ経ちました!』
とガックガクになりながら刻限を告げた山際茜の目には、時計しか映っていなかったのだろう。
たった五分で、誰が何を決められるというのか。
ほとんどの生徒は文実の横暴に不満を零し、それでいて自分では特に何も提案しないという平均的日本人を演じてくれた。
だが、やはり誰しも多かれ少なかれズレているのだ。
日本人でありながら事勿れ主義に反抗し、影に息を潜める忍者ではなく、ハーハーハーと高笑いしながら群衆の前に姿を現すヒーローに憧れる人間だって、何十人のうちの一人くらいはいて当然。
その名は、佐々木。
かな恵や菅野何某に代表される、ピリリとカッコいい女子には恵まれた一年C組だけど、こと可愛い要員に関しては深刻な不足状況にあった。
だが、男子たちはきっと口を揃えて言うだろう。
『C組には、佐々木がいる!』
彼女を説明するのに、美少女の一言より適した言葉はあるまい。
明るく可憐で、男子に混じって踏み込んだ会話もでき、それでいて踏み込みすぎた発言には顔を赤く染めながら「やめてよー」と猫撫で声を出せる、非の打ち所がないザ・美少女。
あまりに露骨すぎて、むしろそれが良いと断言する男子の声まで聞こえてきたほどだ。私は勿論、その時は教室の片隅で寝た振りをしていた。
到底敵わないし、なんなら同じ土俵に立ちたいとも思えない。
彼女と私は、何もかもが別世界だった。
だって、そうでしょう?
悪夢の五分が過ぎ去った、その直後。
『はい! 私たちはダンスがいいと思います!』
誰も何も言わず、なし崩し的に準備も当日も楽な自画像と写真に落ち着くものと思っていた。
否、そこに行き着かせるために進行役を買って出、嫌われ役までも演じる覚悟で面白半分の意見を封殺するつもりでいたのだ。
なのに――。
全ては短気を起こした由井がいけない。
そして少なくない数の生徒が発作的な恐怖を抱き、それだけは嫌だと声を上げるべきか超高速で頭を回し始めた時。
『俺この曲気に入ってんだよね! 最近ずっと聞いててさ~』
などと、聞かれてもいないことをべらべら喋りながら、求めてもいないのにスマホでヒップホップを流し始めた山岡はF組に短期留学してほしい。
山岡は確か同じグループの一員だったはずだけど、その言葉をまるでクラス全体の賛同かのように、佐々木は「どうかな?」と可愛らしく小首を傾げた。見据える先にいたのは私とかな恵。
私たちは文実であり、ゆえに、文化祭を実行するべく職務を全うする他ない。
『他に希望はありませんか。ないなら、決定ということで』
それ以外の言葉が、どうして紡げただろう?
斯くしてC組の命運は決まった。
準備期間は三ヶ月足らず。
チームワークが皆無どころか敵意だけは在庫たっぷりのクラスが一丸となり、文化祭のステージでダンスを披露?
目に見えた黒歴史に邁進する、その憐れなサーカスの座長こと文実が私か。
「死にたい」
「静那、それは冗談で言っていいことじゃない」
本気の声で応じた明瀬に、だから私も本気の眼差しを向けよう。
「本気ならもっと言っちゃいけないから」
「当日休もうかな」
「え、一緒に回るって約束したじゃん」
「別に二日目からでも――」
「へぇ。約束破るんだ」
ニヤニヤと笑う明瀬は、それを言えば私は逃げないと確信しているらしい。
事実そうだから、返す言葉などありはしないが。
ため息をつく。
これからの三ヶ月で、これまでの十五年と同じだけは零すことになるかもしれない。
「そういう明瀬は? 二年のA組は何するか決まった?」
「出店に決まったよ。ワッフルかベビーカステラか、そんなとこ」
ベビーカステラってなんだろう。
思ったけど聞くのは恥ずかしかったから、ふーんと頷いておく。
「売り子はするの?」
代わりに紡いだ言葉に、またもニヤニヤと訳知り顔を向けられる。お見通しか。
からかうか悩んでいたらしい明瀬は、これっぽっちも取り乱さなかった私を見て肩を竦めるに留めた。
「まぁ、しないよ」
「てっきり押し付けられるかと思ったのに」
「私は二年生二回目だからね。主役じゃない」
「主人公になりたいとか言ってたくせに」
「そういう話じゃないでしょ」
「そりゃそうなんだけど」
どこに向かうでもない、これといって盛り上がっているわけでもない会話。
楽しいというのも少し違う、微睡みに似た心地良さが五感を包む。
そういえば、明瀬は料理が上手かった。
なんでも知り合いがろくにご飯を食べないだかで、会う度に手料理を振る舞う羽目になって上達したのだとか。味よりカロリーを気にするんだよ、と不思議そうな目で思い出していた姿を覚えている。
それ、そんな珍しいことじゃないと思うけど。
とはいえ、美味しいに越したことはない。美味しい料理をカロリーに怯えず食べられるのであれば最高だ。
その点、明瀬は口うるさい知人に鍛えられたのだろう。
弁当箱の三分の一ほどを占める白米と、やはり三分の一ほどを占める野菜。きんぴらごぼうに近い見た目だけど、具材は多めだ。歯ごたえがある一方で味付けは薄く、ご飯が進む味というよりは単品で食べたい感じ。
ご飯! おかず! 以上!
……みたいな弁当は好きじゃないと、伝えるまでもなく見抜かれた気がして少し恥ずかしい。それ以上に嬉しかったけど。
そして残るスペースは日替わりで、今日は卵焼きとほぐした焼き鮭だった。
肉を食べなさい肉を、とお母さんと全く同じことを言う明瀬だけど、無理強いはしない。ただ動物性タンパク質だけは絶対に入れてくる。何が動物性タンパク質なのかは分からないけど、明瀬自身が言っていたことだから確かに入っているのだろう。
まぁ、魚かな。
明瀬が嬉しさ半分、悪戯半分の面持ちで用意してきたお揃いの弁当箱を、二人きりの中庭で並んで突付く。
当然だけどテーブルなんて気の利いたものはなく、弁当箱は手に持ったままだ。
食べやすさを考えるなら、パンに軍配が上がる。
だけど最近は、この昼休みが学校で一番の楽しみになっていた。なんでもないことを言い合いながら、短いようで長い一時を味わう。そんな日が訪れるとは夢にも思わなかった。
しみじみ感慨に耽る。
と、隣では明瀬が似たような顔で私を見ていた。
「なに? 米粒でも付いてる?」
「付いてたらよかったんだけどね」
付いていたら何をする気だったのやら。
別に何をされても構わないけど。
……いや、あくまで米粒に関しては、だ。
勝手に変な想像をしてしまい、顔が熱くなってきた。
明瀬がまた笑っている。
「ね、キスしていい?」
「はぁっ? 急になんで!」
「え、したいから?」
「下半身で生きてんのっ!? ていうか、無理だから!」
「どうして?」
「どうしてって……」
顔色を読まれたか。
だとしたら申し訳ないけど、今は本当に無理だ。
「私の口、鮭味なんだけど」
「私もだけど?」
「まぁそりゃ同じお弁当ですし……?」
「ていうか静那、舌入れる前提なんだね」
かぁっと耳まで熱くなる。
いや、でも、唇だけでも磯っぽい塩味だろうし、と的外れな弁解をしそうにもなった。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。落ち着いた。ほらどうだ、と明瀬を見やる。
「ねぇ、だめ?」
こいつ、自分が男だって忘れたのか?
美人のくせに佐々木に匹敵するあざと仕草で迫られ、何故か心が揺れる。待て、私は女だ。そういうのは求めていない。
叫ぼうとして、ぐっと堪える。
言えば嘘になると自覚できてしまったからだ。
佐々木のはいらないけど、明瀬のは欲しい。
「……話、変わるけど」
「逃げたな」
「逃げてない」
「じゃあ、なに」
「今日……、今日も、明瀬んち行っていい?」
「ほう? まぁ、私はいいけど」
だったらいいじゃん、と拗ねて返せば明瀬は喜ぶだろうか。
くすりと笑う。
そんなことしなくても、きっと私を見てくれる。
「いいの? ほぼ毎日来てるけど」
「前も言ったけど、うちは親が帰り遅いから」
「でも、何も言ってないわけじゃないんでしょ?」
「先輩に勉強教わってるとは言ってある」
「その先輩が中抜けさせたって、親御さんは知ってるのかな」
まぁいいけどね、と明瀬は笑う。どこまでも楽しそうだ。面倒事に巻き込まれたら嫌だとか、そんな発想はないのだろう。
あるいは、逆か。
面倒になってこそ楽しいとか、そういうことを考えそう。
二乙してからが本番。そんなメンタリティ。
「小中と地味子ちゃんしてたのに高校入った途端に先輩の家に通い詰めとか、そっちの方が心配させちゃいそうだね」
「大丈夫。理解は得られた」
「へぇ。それはすごい。どうやったの?」
飄々と楽しんでいる明瀬に、だから時には、間抜け顔をさせてやりたい。
「写真見せた」
「へぇ写真……って、えっ、写真!?」
「こういう人ですって私が持ってる唯一の明瀬の写真見せたら、それには一切触れないで『でもサボりはダメだから』と事実上の許可をいただきました」
中庭は校舎に囲まれたコの字型をしている。
その狭い空を見上げ、明瀬は呻いた。
「え、挨拶する時どうすんの」
「気ぃ早いなぁ」
「私は真剣にお付き合いしているつもりなんですけど」
立場が逆転、今度は私がニヤニヤと笑い、明瀬のそれを飄々と躱す番だった。
「こんなわけ分からんやつに娘はやらん、って言われたらどうする?」
「どうしようね。どうしてほしい?」
「明瀬はどうしたい?」
気が早い話だ。
付き合って一週間、かな恵辺りは勘付いているみたいだけど、教室でも騒がれてはいない。私の恋愛事情はともかく、明瀬の方は誰かに知られれば一気に広まるだろう。
そうなった時にどんな扱いを受けるのか、今から楽しみですらあった。
もしかしたら苦く、辛い思いをするかもしれない。
でも、楽しみだ。
「そういや、私の知り合いの知り合いの親が避暑地に別荘持ってるらしいんだけど」
「ん? 急にどうした?」
「最悪、そこを借りれないか相談する」
「えっと、あー、まさかの駆け落ち?」
気が早いなんてもんじゃないな。
いくら明瀬でも冗談だったようで、まぁ円満が一番だけどね、と楽しげに笑っている。……冗談、だよね? 半分くらいは確かに冗談に見えたんだけど、もう半分は……いや、やめよう。
それからまた、しばし弁当の味に集中する。
中身が同じだからか、いわゆる『あ~ん』はまだ一度もしていなかった。
まだっていうか、この先やるかも分からないけど。やりたいとも、あんまり思っていない。恥ずかしすぎる。想像しただけで卵焼きの味が分からなくなった。
甘いのか、しょっぱいのか。
記憶だけで味わう。でも美味しい。ずっと作ってほしい。ずっと。
重いな。
お互い様だと、期待しておこう。
「ごちそうさまでした」
箸をケースに収めて手を合わせると、隣から「お粗末さまでした」と声が返ってくる。
全然お粗末でもなんでもないけど、これぞ日本というものだ。タイムマシンがあったら、出し物決めの時間まで遡って佐々木何某に見せてやりたい。少しは事勿れ主義の大切さを知るべきだ。
「なんか馬鹿なこと考えてる顔だ」
明瀬がくすくす笑っている。
馬鹿なことでもなんでも、考えなければやっていられない。
「文化祭の準備っていつ頃始まるの?」
「準備? 本格的なのは七月入ってからだよ。それまでは週に一度か二度、授業二回分ぶち抜きで時間取ってもらうくらいかな」
私がどんな馬鹿なことを考えていたのか察した顔に、明瀬は同情の色を混ぜる。
「ステージ発表するには、かなり酷なスケジュールだね」
「だろうね」
「やる気ある人らは放課後に集まって練習するけど」
「クラスの出し物じゃ、ほとんど部活とか優先でしょ」
幸い、バイトは夏休み明けまで原則禁止。
それにしたって息を合わせなければ始まらないのがダンスだろう。突貫工事でどうにかなるものかな。
「見に行くよ、絶対」
「約束はしなくていいから」
「えー」
「えーじゃないが」
言い合いながら、弁当箱を片付ける。
お揃いのそれを一つの巾着袋に仕舞うと、ちょうど待っていたかのようにチャイムが響いてきた。
「じゃ、また放課後ね」
「うん、校門で」
「教室行ってもいいけど?」
「どっちかが早く終わったら困るでしょ」
笑い飛ばして立ち上がる。
けど、明瀬は座ったままだった。見上げてくる。上目遣い。ただ見られているだけなのに、鼓動はどんどん速くなる。
「え、なに、明瀬」
「分かってるくせに」
くすくす笑われ、どうするべきか悩んでしまった。
悩んだ時点で、答えなんて決まっている。
どうすべきも何も、どうしたいかを知ってしまえば抗えない。
「鮭味なんだけど」
「もう大丈夫でしょ」
知らないから。
珍しく、私が身を屈めた。
明瀬は手を伸ばし、頭を撫でてくれる。
それはもう、私たちの間では合図となっていた。
長い長い、けれど短い時間が過ぎ去る。
「ね、そろそろ」
「いいじゃん。サボれば」
「明瀬は留年してもいいだろうけど、私は留年したらダメなんだよ」
まったく、本当に分かっているのだろうか。
明瀬がもう一回二年生をやってくれれば、来年は同級生になれる。
だけど私は、留年してしまえば明瀬のいない学校に一年長く通わなければいけないのだ。
そんなの、つまらない。
「ほら、行くよ」
背が高く、誰が見ても美人と評するであろう、私の彼氏。
割と本気めに抵抗してくるも、その手を強く引いて立ち上がらせる。
「また放課後」
「えー」
「えーじゃないって」
「休み時間、行ったらダメ?」
「たった五分で何する気なの」
「行って顔見て帰る時間はあるよね?」
上と下、立場が逆転。
「だめ」
「どうして」
「面倒なことになるから」
「じゃあ、代わりに――」
抵抗は無意味だ。
言い聞かせる振りをして、頭を撫でた。
一日がずっと昼休みだったらいいのにな。
そんな馬鹿なことを考えているうち、学校中に響くチャイムが昼休みの終わりを告げた。




