その13.罰ゲーム、競泳用ゴーグル!
※流血の描写があります。苦手な人は一話飛ばしてください。
遮光カーテンの引かれた薄暗い車内には、緊迫した空気が満ちている。低いエンジン音だけが不気味に鳴り響く。
数十分前までは、何の変哲もない、ただの空港行き高速バスだったはずなのに。
深緑色の目出し帽をかぶった数人が、猟銃を持って剣呑な目を車内にめぐらせている。異国語で何やら熱心に話し合う声。
車両前方、運転席にある無線だろうか、先ほどからひっきりなしに、警察らしきものたちとの会話が漏れ聞こえてくる。
湾岸沿いの高速道路を走り続ける車の中で、唯一開いている窓――運転席の横の窓から風が吹き込むと、血なまぐさい空気が車内に充満した。
運転手は、真っ先に撃ち殺された。見せしめのように。
遺体はすぐに車外に放り出されたが、そのときに流れた大量の血は車内に残っているらしく、車の速度変化と揺れに合わせて、赤黒い液体が乗客たちの座席の足元にまで流れてくる。どこかから、小さく漏れる悲鳴。
異様な空気を察知してか、一人の赤子が、大声を上げて泣き始めた。その口を慌てて押さえる蒼白な顔の若い夫婦。
必死に恐怖を押し殺し沈黙を守っていた乗客たちが、それにつられるように、小さくざわめき始める。
振り向いた目出し帽の男たちが、見せつけるように銃を持ち上げ、忙しなく視線を動かす。
なんでこの車なんだ、よりによって。
……と、最後列の窓際に座る会社員の男は、恐慌状態の頭で考えた。
海外出張なんて、年に一回あるかないかなのに。なんでこの日のこの時間のバスなんだ。ああ、少し早めに行こうなんて、思わなければ良かった。
声に出さずにつぶやいて、狭い座席で背中を丸めて頭を抱える。
前方から、無線で会話していた男が、カタコトの日本語で激昂する声。ひやりと肝が冷える。
まさか交渉決裂か? 頼む警察、頼むから、助けてくれ。
誰か、何か、どうにか……ああでも皆、下手に動かないでくれ、頼むから。
混乱しきった頭で、会社員はそうっと周囲を見回す。乗客は皆、諦めたようにじっと動かず目を伏せている。
――と、通路を進んできた武装した一人と、不意に目が合った。
全身が総毛立つ。銃口が向けられる。
死を覚悟した会社員の男が、きつく目を閉じた直後。
「なぁ、留学生グループがバスジャックした車って、これであってる?」
流暢な日本語の、間抜けすぎる問いかけは、
一番後ろの座席に座っているはずの会社員の男の、さらに後方から。
「へ……」
会社員の男は思わず振り向いて――ただ呆然とそれを見上げた。
いつの間にか音もなく、ごっそりとなくなっていたリアガラスと、
そしてその問いを発した、
なぜか――競泳用ゴーグルをつけた、普段着の、二人組の青年を。
***
「ホントにあのカッコで! ホントに行くとか! まじうけるー!!」
笑いすぎてひぃひぃ言いながら、テーブルをばすばす叩きまくる翠さん。
その手が当たってしわだらけになった地方紙の、その一面を飾る、鮮明で鮮烈なカラー写真。
横転したバスの前で、両手ピースしている競泳用ゴーグルの二人組は――
うん、ご名答。先輩と僕だ。
ちなみに僕は度付きゴーグル。
「お前が行けっつったんだろーが!」
先輩の怒号とそれを華麗に掻き消しまくる翠さんの大爆笑を両方ともを無視して、僕は目の前の新聞を持ち上げる。
新聞の文面はとても真面目腐った「可能性」を列挙しているが、残念ながらどれもこれも見当違いだ。
いやぁ、まさか誰も、昼休みに大富豪して大負けして、罰ゲームで現場への急行を命じられた、ただの近隣の大学の学生が、よく分からん能力を発揮して解決したとは、夢にも思わないんだろうなぁ。
うん、今日も、僕の周囲はとても平和だ。
読み終えた新聞を折り畳んでテーブルに戻す。
お茶でも飲もう、とバックパックから水筒を取り出す僕。
「あのあと大変だったんだからな! 記者とか警察とかわんさか来て!」
真っ赤な顔の先輩が、翠さんに激昂して大暴れしている。二人の間でめまぐるしく飛び交う、ノートとテキストと出席票。
コンビニから戻ってきた恩戸くんが、けらけらと笑いながら僕の横の椅子を引いた。
「良く逃げてこれたな。証拠は残してねぇか?」
今度は、と小さく言い足されて、ぎくりと身を竦ませる。
ひっそりとささやかれてる学内の噂では、まだ古代遺跡って説が濃厚だから、通報してはいないようだけど。
同級生に弱みを握られている。うーん、どうなんだろう、この状況。
「なんか困ったら能登ちゃんの権力使えばいーよ!」
くるりと振り向いて翠さんが答える。
「いやその人ただの駐在さんだろ?!」と先輩。
「ただの大学生よりは権力あるだろ」
と恩戸くんが言ったところで、
「お」
恩戸くんのスマホが震える。画面を見るなりさっと立ち上がり、僕らを見回した。
途端、先輩がとてつもなく嫌そうな顔をする。
「……オイ、んだよその顔」
恩戸くんはそのむかつくくらいのドヤ顔を絶やすことなく、こう言った。
「今日の夕飯、タダメシ食う人~」
***
「よ、えーさん」
そんで夕方。
校門前で恩戸くんを待っていたのは、にこにこと微笑む、穏やかそうな顔立ちの男性。
年齢は20代後半ってとこだろうか。白いシャツに、黒のチノパン、茶色の革靴。
「やぁ。勉強お疲れ。何食べたい? 焼肉?」
目を輝かせた先輩と、大きくうなずく僕の横。
スマホを取り出した恩戸くんが電話をかける。
「おう、お疲れ。翠って焼肉行ける女子?」
『おう。私、肉食女子!』
バイト先からこっちに向かってる、翠さんのはりきった返事が聞こえた。
「じゃあ叙々苑」と恩戸くん。
「うん」とうなずくえーさん。
…………今、さらっと、聞きなれない店名が聞こえたような。
***
聞き間違いじゃなかった。
しかも、一番奥の広い個室。
焼き上がった肉を一口頬張るなり、目を輝かせた先輩がえーさんに言った。
「あんた、そいつに弱み握られてんの? 俺ならそいつのこと小指で捻り潰せるぜ」
「先輩、そこはせめてもっと親切そうな顔しようぜ」
苦笑する恩戸くんが、トングで肉を裏返す。それを先輩の箸がさっとかっさらっていく。
明らかに獲物を狙う目だ。恩戸くんの立ち位置に成り代わる気まんまんだ、この人。
恩戸くんの前でひょこひょこ動く先輩の小指を見ながら、えーさんは、ふふ、と笑う。
「僕はただの、年下に飯をおごるのが好きなだけの暇人だよ」
「そうそう。誰にでもこうだよこの人。俺抜きでも声かけてみな、また何か食わしてくれっから。えーさんのAはATMのA。本名は大木 厚」
「厚のAじゃなくて?」僕が首をかしげると、
「諸説ある」と恩戸くんは強気で言い切った。
ていうか、いいのか、大学生に公然とATM呼ばわりされて。
僕らの目線に気づいたえーさんが、にこっと微笑んで答える。
「おいしく食べてくれると、気分がいいよね」
さすがの先輩も不気味そうな顔をした。
「あんたほんとにそれ本心から言ってる?」
言ってそう。
そこでがらりと扉が開いて、疲れた顔をした翠さんが顔をのぞかせた。
「お疲れー。先に始めてるぞ」
肉と米をがつがつ掻き込み終えてから、恩戸くんが手を振る。
「ちょっと遅かったね」
腕時計を見ながら言う僕に、翠さんはこてんと首をかしげて。
「えーとねぇ、器物損壊で事情聴取?」
「げっマジなやつ?」と恩戸くん。
「……けーさつのご厄介すぎるよ翠さん……」と僕。
就職とか大丈夫なのかなぁ。
「違うもん、わたし被害者!!」
だぁん! と翠さんの右足が床を踏み鳴らす。焼きかけの肉が網からちょっと浮いた。
「痴漢が出たから、電車の窓ガラス、吹っ飛ばしただけだもん!!」
僕と先輩が余計なツッコミを入れる前に、俊敏に立ち上がった恩戸くんが、うんうん、と深くうなずいて翠さんの両肩に手を置く。そのまま空いてる席に座らせる。素晴らしいエスコートだ。
「それはとても災難だったな翠。痴漢は滅びるべき!」
「だよね! 死すべき!」
「まあ食え」
「うん食う!」
恩戸くんが箸を皿を差し出す。翠さんが受け取って、いい感じになっている肉をつまむ。
「で、ガラスの怪我人は?」と先輩。
えーさんに挨拶と肉の感想を述べたあと、翠さんが元気よく答える。
「大丈夫! ぜんぶ、ちゃんと、クズックズの粉っ々にしたから、大丈夫!」
「いやそれダメだろう」と小さくぼやく先輩。
「全部って何」と小さくぼやく僕。
「あと、その痴漢野郎は? 車外に吹っ飛ばしたの?」
恩戸くんの質問に、翠さんのVサイン。
「まっさかー。もちろんその場で捕まえたよ。びっくりして腰が抜けたんだって」
「だろうねぇ……」
***
「大学生活はどう、楽しい?」
追加の注文を終えたえーさんが、恩戸くんに聞いた。
「うん、まぁ、おかげさまで毎日飽きない」
他の三人を指をさす恩戸くんに、えーさんは興味深そうに顔を向けて。
「へぇ、皆でどんなことして遊んでるの?」
視線を向けられた先輩が僕の肩をつつく。
「えーと、カマイタチとか重量物で攻撃されたり、空飛んだり、」と僕。
「まだ飛べてない!」と翠さん。
「ええと、飛ぼうとしたり、海行ったり、」
「海割ったり、だろ?」と恩戸くん。
「……海割ったり、探偵ごっこしたり、ヤクザの人と知り合いになったり……」
包み隠さず指折り答える僕の言葉に、えーさんは全く動じることなくうなずく。
「充実してるみたいだね。大学には色んな人がいるからね、たくさん仲良くするといいよ」
「…………大学って本来からそんなに愉快なところだったっけ……?」
白い目をして天井を見上げる僕。
「でもー、大した男がいないよね」不満そうな翠さんに、
「お前も大した女じゃないけどな」と先輩。
言い争いを始める翠さんと先輩。そこにのんびりと相づちをうつえーさん。
僕は座ったまま尻を横に動かして恩戸くんに寄っていって、こしょっと耳打ちする。
「不労所得で暮らすドラ息子、的な?」
「たぶんな。良く知らない」
そんなんでいいのか。
「……あとで、高額な請求書が家に届いたりしない?」
「いまんとこ来てねぇな」
論争を終えたらしい先輩が、ふあーと大きなあくびをして、ずるりと背もたれから身体を下方へ滑らせる。
「行儀悪いですよ先輩」
「ふふん。お前は知らないだろうけど、実はこの椅子、こういう座り方をすると特殊機能で」
「まっじでー?」
「真に受けないで翠さん!」
「食い終わって暇なら盛り上げてよ先輩。宴会芸、なんかないの」
恩戸くんの言葉に、一瞬、面倒くさそうな顔をした先輩は、直後にえーさんの顔を見て、しゃーねーなー、と言いながら先輩が席を立つ。
「手品、披露してやんよ」
ぱちぱち、とまばらな拍手。
「はい、じゃーここに帽子があります」
そう言うなり、先輩の右手に、どこからともなく現れる、いかにもな黒のシルクハット。
「ここから、言ったとおりのものを取り出せます。なにがいい、なんでもいいぜ」
聞かれたえーさんが、うーん、と視線を上に向け。
「それじゃあ王道にハト」
言い終わらないうちに、ばささささ、と群れをなして羽ばたく白いハト。
「あとは?」
「うーん、」
「はいはい、猫車!」
割り込んできた翠さんに嫌そうな顔をしながらも、僕を手招く先輩。
「ええと、ねこぐるまって、何?」と僕。
「あれだろ。工事現場とかで砂利運ぶ、手押しの一輪車」とよどみなく答える先輩。
「それー!」と翠さん。
「えっそれそんなに有名なの……?」
僕の困惑はさておいて。
二人がかりで、言われたとおりに、シルクハットから新品の猫車を取り出す。
「ほらよ」
「うわーい!」
歓声をあげた翠さんが、猫車を押してどたどたと廊下に駆け出していく。
「ちょ、翠さん、ほかのお客さ」
「大丈夫だよ、貸し切りだから」
「え」
のほほんと答えて席から立ち上がったえーさんが、先輩に近寄って、空っぽのシルクハットをのぞきこむ。
「すごいね、どうやってるの?」
「むしろなんでできねぇの」
ぼそりと呟く先輩の口を僕が慌ててふさぐ。
「いやっなんでも」
「でんでんでんでーででん、でーででん!」
楽しげに歌いながら、翠さんが戻ってきた。
猫車に載せていたものをせっせとテーブルに積み上げる。
「え? どこから持ってきたの、そのタッパー」と僕。
「俺のだ」と先輩。
「そうそう。そこでねー、先輩ちゃんに渡してくれって言われた!」
「ああ、お土産も注文しとこうか」
呼び出しボタンを押すえーさん。元気よくお礼を言う翠さん。
助手としての役目を終えた僕が席にもどると、
「つーかさ、なんか便利なことに使えないのそれ」
真剣な表情で考え込んでいた恩戸くんが、僕のメガネを指さして。
「自力レーシック! とかさ」
「ハイリスクハイリターンすぎる」
「できないとは言わないのな。 ……お前、マジでどこまでできるの?」
「ううん、たぶん、時空を歪めるくらいは」
「なんでこの流されメガネにこんな稀少な才能渡しちゃったの偉い人?」
ひどい言われようだ。
「ていうか、なんか騒がしくない?」
そう言った翠さんが、カーテンをどかして窓越しに下を見る。
そういえば、と僕と先輩も窓辺に近寄るとーー店先にわんさか詰めかけている、パトカーと報道陣が見えた。
「げっ」
「うっわー、こりゃバレたな」と先輩。
「えっどうしよ先輩、なんか方法とか」と僕。
「ふっとばーす!」
さっきの痴漢騒動の興奮さめやらないらしい翠さんが、ごうごうと風を巻き起こすのを慌ててなだめていると、
「まぁまぁ。なんのためのえーさんなんだよ」
落ち着いた口ぶりでそう言って、座ったままの恩戸くんが箸を置いた。
「え?」
「呼んだ?」
シルクハットをのぞきこんでいたえーさんが振り向くのに、恩戸くんが言う。
「さっきの昼過ぎのさ、バスジャックのニュース観た?」
「うん、観てたよ」
「なら、早い話がーーこういうこと」
ニュース画像を表示させたスマホを、ぽいと手渡す恩戸くん。受け取ったえーさんが、そこに写るゴーグル二人組と、寸分違わず同じ格好と背丈と髪型をしている僕たち二人を見比べて。
「ああ、なるほど」
まったく驚くことなく、うなずいてみせると、穏やかな笑顔でスマホを操作するえーさん。
直後、階下の人たちの電話やら無線やらが、一斉に鳴る。
その全員が一斉に慌てたような顔をして、電話の向こうに何度もお辞儀をして、荷物を集めて車に乗り込み、あわただしく去っていく。
あっさりと無人になった店の前を見下ろして、僕たちはポカンと口を開けた。
おそるおそる視線を向けた先、えーさんはにっこりと微笑む。
「大学生は、学校生活をのびのびと満喫しないとね」
「こいつらの場合、のびのびしすぎだから」
「……人のこと言えないよね恩戸くん?」
ていうか、えーさん、何者。




