⑬神輿
~前回の続き(蘇民将来について)~
実は蘇民将来には、巨旦将来と言う弟がいます。
牛頭天王は蘇民将来に宿を借りる前、巨旦将来に泊めてもらおうとしました。彼は兄とは違って裕福でしたが、身なりの汚い牛頭天王を追い払ってしまったと言います。
後に疫病が流行った際、巨旦将来の一族は死に絶えてしまいます。それが御利益を得られなかったからなのか、牛頭天王の怒りに触れたせいなのかは定かでありません。
概ね昔話では、神様は見窄らしい身なりをしています。皆さんも汚い格好をした人には、親切に接したほうがいいかも。
ちなみに、「SOMINSYOURAI」の電子音声と共にクワガタさんが変身するのは、某サナギなヒーローのオマージュです。ウチが招来するのは「超力」ではありませんが。
「佳世はもう判ってたんだよね。だから離れ離れになっても、自分の選んだ高校に行こうとした。自分の手を汚して私を守ってくれた」
小春は振り下ろされたオカリナを甘んじて額に受け、佳世を抱き締めた。
腕を抱えられた佳世は代わりに肩を尖らせ、何度も小春の胸にぶつける。小春の足首を腿を蹴飛ばす。だが小春は放さない。
「……私、佳世ともっと色んな場所行きたいよ。してない話、いっぱいあるよ。もう逢えなくなるなんて、絶対ヤダよ」
鼻水と咳に分断されながら懇願すると、小春は佳世のコートをしわくちゃになるまで握り締めた。
ぐしゃぐしゃに濡れた顔が佳世の胸に埋まった瞬間――。
オカリナからジグソーパズル大の破片が落ちた。
号令役のホイッスルが破損したことで、何らかの不具合が生じたのだろうか。
と、とぉ……。
餓鬼の軍勢が呻き声を上げ、喉元を掻きむしり出す。塀にもたれ掛かっていた個体が激しく頭を振ると、外套の袖口から一匹のネズミが落ちた。地面にぶつかったそれが低く弾んだのを皮切りに、他の餓鬼たちも次々とネズミをこぼしていく。
直後、〈ダイホーン〉が目の当たりにしたのは、米袋に穴を空けたような大流出だった。
外套の裾から袖から止めどなくネズミが溢れ出し、水溜まりのように広がっていく。上半身から順に餓鬼の形が崩れていくと、バランスを取れなくなった下半身の横転が頻発した。
「佳世、ありがとね。でももういいの。独りで頑張らなくても大丈夫だから」
柔らかく囁いた小春は、背中に尻に逃げ惑っていた佳世の手をそっと掴まえ、抱擁の間に運んだ。
手の平の鼓動に意識を集めるように目を閉じた彼女は、より体温を感じるべく佳世と額を重ねる。青紫だった佳世の唇に朱色が滲むと、雪解けを思わせる涙が彼女の頬を伝った。
「帰ろう」
「かえり……たい。また……わらいたい、いっしょに」
固く閉じていた佳世の唇から、抑えきれなくなった本音が漏れる。次の瞬間、彼女は堰を切ったように小春にしがみつき、肩を戦慄かせながらしゃくり上げた。
「逢えなくなるなんてやだよ。やだったよ。でも春ちゃんに逆らっちゃうから。春ちゃんの悲しい顔、見たくなかったから」
鼻水だらけの唇から泣き声が溢れ出し、充血した瞳から澄んだ水玉が飛び散る。あどけない嗚咽に茶碗が割れたような音が重なると、佳世の手から七色の破片がこぼれ落ちた。急速に下がった〈共通点〉――使用者との相性が、性能のみならず〈偽装〉本体にも悪影響を及ぼしたのかも知れない。
手の平を空っぽにした佳世は、すうっと瞼を下げ、ロウソクの炎のようにふらつく。オカリナの崩壊が心身に作用したのか? いや単純に緊張の糸が切れただけかも知れない。
ついに意識を失った佳世は、目の前の小春に倒れかかる。
小柄な小春は佳世を受け止めきれずに、尻餅を着いた。
「……ありがとね。本当にありがとね。これからは私も頑張るから」
小春は何度も佳世の背中を叩き、感謝の言葉を繰り返す。ぽつぽつと佳世の顔に落ちる涙は、煤けた頬を少しずつ洗い流していった。
ちぃ……ちぃ……。
女王を失った大群が、側溝にビル群に本来の寝床に引いていく。マンホールから噴き上がっていた油田が勢いを失うと、宙に浮いていた蓋が一つずつ落ち始めた。うまく填らなかったそれが次々と穴の縁にぶつかり、くぐもった金属音が輪唱する。
ドラに似た音が遠ざかるにつれて、悪臭もまた〈ダイホーン〉から遠ざかっていく。水牛のクシャミ以外聞こえなくなると、燃える街路樹の焦げ臭さが気になるようになった。
ドン!
丸太で地面を突いたような鳴動が、〈ダイホーン〉の眼差しをビルの中に呼び戻す。
モニターを赤く染めたのは炎の海で、目を疑わせたのはのたうち回る巨体だった。
王様が、
集中砲火にも耐えたあの王様が、
殺鼠剤を喰ったネズミのように悶絶している。
かつての女王を凝視するその目は、今にも飛び掛からんばかりに血走っていた。従順な番犬は面影もない。オカリナと言う鎖が切れた今、牙を暗く輝かせるのは、肉と見れば食い付く野犬だ。
デヴァ……!
憎々しげに唸った王様は、腹で床を研磨しながらビルの外へ這い出ていく。先ほどまで完璧に身動きを封じていたジャガイモは金串は、足止めにもならない。ハリネズミのように串を背負おうとも、表皮が炭化しようとも、激情が苦痛を凌駕した王様は前進し続ける。
デヴァ!
生臭い唾液をまき散らし、王様が現在地を蹴る。低く鋭い跳躍が大気を掻き分け、暴虐的な強風が燃えさしの街路樹を薙ぎ倒す。空き缶のように転がった小春と佳世を、巨躯に先んじて飛行船と見紛う影が押し潰す。
一〇〇㌧近いブロック肉が二人をプレスし、どす黒い血が道路一杯に広がる――。
コンマ一秒後の惨劇を予見した〈ダイホーン〉は、前傾するだけ車体が加速する額を、地面と水平になるまで倒す。最大出力で圧縮空気を噴き出し、一気呵成に人力車を撃ち出す。たちまち前に王様が来て、後ろの小春が白煙に沈む。
右の銃剣〈ピサロ〉で王様の爪を払い、左の銃剣〈アルマグロ〉で出っ歯を受ける。
鍔迫り合いと共に鳴り始めたのは、歯医者でしか聞かない高音。
花吹雪のように吹き荒れるのは、エナメル質の火花。
超音波を利用した振動と、振動の生む摩擦熱によって切れ味を上げている銃剣が、王様の歯を削っているのだ。
「花も恥じらうオ・ト・メが友情確かめ合っちゃってんだ。邪魔しちゃ野暮っしょ」
デヴァ!
注意を受けた王様は二本足で立ち上がり、高々と腕を掲げていく。地面が遠ざかるにつれて、鈍い輝きを湛えた爪が反り返っていく。人力車もろとも地表を貫かんばかりの体勢――たかが野暮天扱いされただけで、随分と腹を立てたものだ。
デヴァ! デヴァ! デバァ!
向かい風でシワを波打たせながら、王様は爪を振り、振り、振り下ろす。乱打に晒された〈ダイホーン〉は、六本脚で車体を傾け、浮かせ、回り、鉄格子に等しい閃きをかい潜る。
一歩ごとに火花が散り、粉状に切削された装甲が宙を舞う。地面にかぎ爪の跡が増えるにつれて、人力車は金色の霞に閉じ込められていった。
デ、デヴァ……、デバァ……。
がむしゃらに連打を続けた王様は、次第に息を乱していく。
豪快に振り回していた腕は肩までしか上がらなくなり、威勢よく吠えていた口は細い涎を垂れ流している。枝垂れた爪が空気を掻く音は、すかしっぺに他ならない。
好機!
脳内に輝いた二文字が、スタートの合図。
〈ダイホーン〉は人力車後部から圧縮空気を噴き出し、一足飛びに巨体の懐へ飛び込む。
「さあ、祭りの時間だぁ!」
サブちゃんを意識し、景気よく宣言し、〈ダイホーン〉は二丁の銃剣を王様に向けて突き出した。
腹の下へ差し込んだそれをフォークリフトのように動かし、王様を掬い上げていく。ケタ外れの荷重が六本脚を軋ませ、巨体と地面の間に一㍍程度の空間が出来る。
提灯も露店もない路上を舞台に始まったのは、三社祭ばりのわっしょい。
六本脚を担ぎ手にした神輿が、時に荒々しく沈み、時に勇ましく浮き上がる。銃剣に跨った王様は、ロデオ状態。四肢や頭を派手に振り回しながら、それぞれ違う方向に波打つシワをぺちぺちと打ち合わせている。
「お祭りと言ったらコイツっしょ」
軽口を叩いた〈ダイホーン〉は、モニターのアイコンからトウモロコシのそれを選ぶ。
クワガタの翅のように人力車の幌が開き、座席が迫り上がっていく。段々畑状のラックになったそれには、金属製のトウモロコシが植えられていた。
「お一人さま、空の旅にごしょ~たい!」
準備を整えた〈ダイホーン〉は、アイコンからラッパ状の注ぎ口が付いた瓶を選ぶ。瞬間、トウモロコシの根元が発酵酒のように泡立ち、座席から人力車全体に微震が走った。
ぷしゅ! ぷしゅ!
ペットボトルロケットそっくりの発射音を響かせながら、立て続けにトウモロコシが飛び立つ。推進剤代わりの圧縮空気が座席に吹き付け、段々畑を霧状の白煙が包み込む。段々畑を霧が覆う――早朝のマチュピチュで見られる絶景だ。




