箸休め お地蔵さんの正体③ 本地垂迹とは?
番外編です。
今回は本地垂迹に関して解説しています。
「本地」や「垂迹」の意味が知りたい方は必見ですよ。
~前回の続き(蘇民将来について)~
なぜ蘇民将来の一族だけが病気に罹らなかったのか?
これには二つの伝承があります。
①単純に牛頭天王の御利益。
②疫病を流行らせたのが、牛頭天王自身だったから(笑)
どちらにせよ、牛頭天王が蘇民将来の一族を守ったことに変わりはありません。
そして牛頭天王が守るか否かの目印にしたのは、茅の輪でした。
これ以来、人々は茅の輪に病を遠ざける力があると信じ、それを身に着けるようになりました。
今でも素戔嗚尊を祀る神社には、大きな茅の輪が飾られています(本編中で語った通り、牛頭天王は素戔嗚尊と同一視されています)。
また蘇民将来と書かれた護符には、彼の子孫であるとアピールする意味があります。
今でも牛頭天王は蘇民将来に恩義を感じており、彼の子孫と名乗るものを病気から守ってくれるそうです。
続きはまた次回の「前書き」で。
こんなに長くなるなら、「箸休め」にしたほうがよかったかなあ……。
天と言う存在が誕生した背景には、他の宗教の信者を仏教に取り込む狙いがあったと言います。後に日本固有の宗教である神道の神々も、神仏習合と言う形で仏教に取り入れられました。この動きは八世紀頃から、明治政府が神仏分離の政策を施工するまで続いたそうです。
神仏習合は「仏教の仏と神道の神々は同一の存在である」と言う思想を基盤にしています。何でも神々の本来の姿は如来や菩薩で、人々を導くために仮の姿を取っているそうです。
歴史の授業で習った方も多いと思いますが、この思想を本地垂迹と言います。本地とは真の姿や本性を意味し、神々の正体(と言う設定)である如来や菩薩を指します。対して「垂迹」とは仏教の仏が人々を導くために、仮の姿で降臨することを意味するそうです。
先に紹介した大日如来が天照大神と同一視されるのも、本地垂迹の思想があってのことです。他にも本編で解説した通り素戔嗚尊と牛頭天王、八幡神と阿弥陀如来などが同じ存在であると言われています。
仏教の仏が姿を変えた神さまには、権現と呼ばれるものがいます。「権」と言う字には「仮」と言う意味があり、「権現」とは「権」の姿で「現」れたことを指すそうです。
権現の代表各としては、役小角が呼び出したとされる蔵王権現、金比羅様こと金比羅権現などが挙げられます。
江戸幕府を開いた徳川家康も、死後、東照大権現として神格化されています。その家康を祀るために建てられたのが、誰もが一度は訪れたことがある日光東照宮です。
さてお地蔵さんの素性に迫った今回の箸休め、お楽しみいただけたでしょうか? 二度と使わないであろう漢字と睨み合った甲斐があったなら、作者としても幸いです。




