⑫北斗
今回はペルー最大の湖や、ジャガイモの歴史を紹介しています。
異世界ものにはよく登場する野菜だそうですが、その起源についてあまり知られていないのではないでしょうか。
~前回の続き~(蘇民将来について)
昔々、旅をしていた牛頭天王は、ある男の家に泊めてもらいました。
男の家は貧乏でしたが、出来る限り客人を歓待したそうです。
後に再び男の家を訪れた牛頭天王は、彼とその家族に茅の輪を身に着けるように言いました。
後に男の村では疫病が流行りましたが、茅の輪を着けていた男とその家族だけは
病に冒されなかったそうです。
何を隠そう、この男の名前が「蘇民将来」です。
長くなったので、詳しくはまた次回の「前書き」で。引っ張るなあ……。
「たーんと召し上がれ、おやつの時間だ」
〈ダイホーン〉がフレンドリーに促した瞬間、新顔の二匹が鼻息を噴く。白煙を振り切り、地上に向かったのは、ジャガイモ型のロケット弾だった。
デコボコな形によって不規則な気流を生み出したそれは、ナックルボールのように各々《おのおの》違う軌道を描く。だが標的は外さない。全弾しっかりとビルの中に突入し、王様と言うキャッチャーミットに収まっていく。
爆竹のように連続する爆発が、エントランスに滞留していた土埃を一気に晴らしていく。代わって炎が充満していくと、大穴の空いた玄関から空へどす黒い煙が噴き上がった。
デヴァ……! デヴァ……!
仰向けで喘ぐ王様には悪いが、ジャガイモの猛威はまだ終わっていない。説明書が正しいなら、本当に馬鹿馬鹿しい……ゴホン、恐ろしいのはこれからだ。
ひゅん……ひゅん……。
研ぎ澄まされた風切り音を引き連れながら、火の海を飛び交う光。
鋭利な縁で黒煙を切り裂いているのは、ポテチそっくりの金属片に他ならない。ジャガイモ型に加工されていた形状記憶合金が、爆炎に揚げられ――いや熱せられたことで、本来の形であるカッターに戻ったのだ。
デヴァ!? デヴァ!?
上下左右の区別なくスライスされる王様から、ロース状の肉片が切り出されていく。スプリンクラーのように血の雨が降り、天井を焼くほどだった火柱がにわかに縮みだす。
ジャガイモを食用化したのは、アンデス山脈周辺の人々だ。
原産地はペルー南部、チチカカ湖周辺だと言われている。
チチカカ湖はペルー最大の湖で、その面積は約八五〇〇平方㌔と琵琶湖の一二倍に相当する。最大水深は約二八一㍍。東京タワーなら地上二五〇㍍の特別展望台まで浸かってしまう。
こと南米と言えば暑いイメージがあるが、アンデス山脈に貫かれるペルーには標高の高い場所も多い。最高峰のワスカラン山は標高六七六八㍍にも達し、無数の氷河を擁している。
チチカカ湖があるのもまた標高三八〇〇㍍以上の高地で、年間平均気温は二〇度前後に過ぎない。また日照時間には恵まれているが、昼夜の寒暖差が激しく、特に真冬の夜間には零度を切る。
そんな厳しい環境でも育つジャガイモは、チチカカ湖沿岸の住民にとって欠くことの出来ない作物だった。
インカ帝国の人々も儀礼用に使われたトウモロコシと共に、ジャガイモを重要視していたと言う。品種改良にも積極的で、マチュピチュにも農業試験場と思しき畑が残されている。次々と栽培地に適した品種が作り出されていった結果、現在でもペルーには三〇〇〇種以上のジャガイモがある。
「ハイハイ! お肉を切った後は串に刺して火に掛ける!」
〈ダイホーン〉はジャガイモに加えて金串を乱射し、徹底的に反撃の隙を焼き払っていく。集中砲火を受けた王様はまんまとその場に座り込み、頭を抱えるように巨躯を丸めた。
……今だ!
王様の動きを封じた〈ダイホーン〉は、ミケランジェロさんと視線を重ね、顎を引く。
ゴーサインを受けた彼女は、谷間から出したテキーラをお口に含んだ。
悠然と目の前の大群を見据え、彼女は愛用のライターを口の前に構える。すかさずご自慢の肺活量が小さなお鼻を膨らませ、三大要素の残る一つである酸素を取り込んでいく。
「浦安に帰れぇ♪」
ヘビメタなシャウトと共に琥珀色の毒霧が噴き出し、ライターにKISSする。
ミケランジェロさんのかえんほうしゃ! こうかはばつぐんだ!
扇形に広がった業火が大群を焼き払い、大豊作だったネズミたちがばらばらぼろぼろ地面に落ちていく。台風の直撃を受けたリンゴ農園みたい。
「へへ、汚物は消毒しねぇとなぁ♪」
ヒャッハーと形容するには可憐に微笑み、彼女はしっとり濡れた唇を拭う。って言うか、〈PDF〉って必要? あの人なら素手で王様を仕留められる気がする。
「オラ、行くぞ小娘♪ トロトロしてっと、今度はテメェを火葬しちまうぞ♪」
有無を言わさず小春を小脇に抱えた彼女が、手ずから空っぽにした道を闊歩していく。「愛を取り戻せ」だろうご陽気な鼻歌と、火達磨になってのたうち回る小動物たちとのギャップが凄い。
と、とぉ……。
ミケランジェロさんが進軍する側から、半径三〇㍍圏内の餓鬼が遠くに走り去っていく。アフリカのサバンナで遭遇したライオンの群れも、今の餓鬼と同じリアクションを取っていた。
程なくそして難なく、歩くZOCは二〇㍍ほどの道程を踏破し、佳世の目の前に小春を下ろした。固く拳を握り、自分を奮い立たせた小春は、顔を上げ、佳世と向かい合う。
「佳世……」
叱られるとでも思ったのか、改めて名前を呼ばれた佳世はビクッと肩を揺らし、じわじわと後ずさる。親友との距離を変えたくない小春は、佳世が下がった分だけ足を踏み出していった。
「私、佳世に離れられるのが怖かった。言ったでしょ? 母親出て行っちゃったって。家、すっごく広くなった。広くなった部屋、すっごく寒くなった。もう二度とあんな思いしたくなかった。独りになりたくなかった。だから佳世に何もさせないで、何も出来なくして、私を捨てられなくした」
気持ちを打ち明けていくに従い、小春の息は重労働した後のように乱れていく。心の根っこを掘り返しているのだ。世界中の酸素を掻き集めてもまだ足りない。
「苦しくっても認めなきゃダメだよね。嘘ついたら、佳世が独りぼっちになる。あの寒さに震えるんだもんね」
自分に言い聞かせた小春は、袖で鼻水を拭いながら何度も頷く。乾布摩擦のように擦られた鼻は、見る見る赤らんでいった。
「ごめんね、本当にごめんね、佳世も魚捕まえたかったよね」
「春ちゃん、何言ってるの?」
目を点にして聞き返し、佳世はオカリナを取り落とす。
「春ちゃんは私を守ってくれたんだよ? 嫌な思いをしないようにしてくれたの」
取り乱すあまり半笑いで訴え掛け、佳世はあれほど離れようとしていた相手に一歩近付く。小春に伸びようとしては、引き返す手が代弁している。下手に触れれば、決定的な何かが崩れる。
「だから私も春ちゃんを守る……! 守るの! 梅宮くんにも学校のみんなにも、春ちゃんは傷付けさせない! もう絶対、春ちゃんに嫌な思いはさせない!」
真っ赤な顔で宣言した佳世は、慌ただしく跪き、先ほど落としたオカリナを掻き寄せ始めた。焦りからぶつかり合う両手がいたずらにオカリナを転がすと、佳世の足下に虹色の薄霞が掛かる。乱暴に扱われたせいで、表面が剥げたのかも知れない。
「うん、嫌な思いしたくないよ。誰だってそうだよ。でも、でもね、苦しいからって避けてばっかいたらダメなんだよ、きっと。そんなこと続けてたら、いつかは大切なものをなくす。私も大切な友達を震えさせるところだった」
ぽつりぽつりと流れだした涙が、小春のローファーを濡らしていく。
「嫌な思いをさせないのが一番いい――私、信じ込んでた。でも、嫌な思いをしたから浮かべられる笑顔もある。出来なかったから頑張りたいって思える。嫌なことがあるなら、一緒に苦しんで、とことん付き合って、二人で乗り越えればよかったんだ」
「春ちゃんが……間違う? ない、ない、あり得ない。だって春ちゃんが間違ってたら、私のしたことは……」
ぴし……ぴし……。
呆然と呟く佳世に、薄氷のひび割れるような音が合いの手を入れる。
やっと彼女の手に戻ったオカリナに、クモの巣状の亀裂が入っていた。
「違う! 春ちゃんは間違わない! 春ちゃんじゃない! そうだ、お前、偽物だな!? 春ちゃんのフリしても騙されないんだから!」
佳世は唾を飛ばして絶叫し、癇癪を起こした子供のように腕を振り回す。
ひび割れたオカリナから粉塵が飛び散り、小春の顔面に吹き付ける。
だが、小春は一歩も下がらない。
むしろ佳世の胸元を眺めるのが精一杯だった顔を、粉塵の吹き荒れる正面に向ける。佳世の瞳を見つめながら踏み出される足は、一歩ずつ二人の間にある距離を埋めていった。




