ep:『海神の歌姫』
欲しい物は手に入れた。私を邪魔する人ももう居ない。それなら笑ってと、彼はどうして言ってくれないのだろう。何を話しかけても答えずに、瓶からはひっきりなしに水が溢れる。
(シエロはずっと、あの調子)
泣き続けている彼を慰める言葉も私にはない。思いつく限り話してみたけど何も彼には届かなかった。
(嫌ね、昔を……思い出しちゃった)
冷たく暗い海の底、閉じ込められた魂を救い出したのはウンディーネ。こうして死の夢の中、閉じ込め続けるが歌姫シャロン。
(私の夢見た永遠は、こんなに悲しい物だったの?)
手に入れても、手に入れられなくても……私は悲しい永遠しか残らない。
「シャロン、ご機嫌よう!ここでの生活を楽しんでくれていますか?」
私の悪魔は上機嫌。彼女の方は何もかも上手く行ったようだった。機嫌の良い今の彼女なら、私の話を聞いてくれるかもしれない。
《あ、アムニシア……》
「あら、またそんな暗い顔をして……」
《その後の情報って、入ってる?》
「ええ。イストリアの魔力を得たことで、結果的にはプラスです。第六領主様もシエロ様の魂は諦めたようですわ。第四領主様は領地に引き籠もられ沈んでいるそうですけど」
《そう……》
お兄ちゃんの歌った、ウンディーネの歌。それは結果として箱船の崩壊を遅らせた。
(お父様も意地悪よね)
津波を止めることが出来ないなんて、嘘。それでお兄ちゃんが何を選ぶか見たかっただけ。その結果、命を落としたお兄ちゃんのことで悲しみ、津波を止めるつもりがなくなった。
《アムニシア……お願いがあるの》
*
(誰が船頭なんかなるか!お前の船なんか俺は貰えない!)
もっと早くそうすれば良かった。無理矢理でも出口がなくなっても、お前を助けに行けば良かった。でも、俺に何が出来た?何も出来ない。
「くそっ!!なんでだよ……カロン!」
殿下達の制止も振り切り、飛び込んだ儀式の間には、人魚の歌を歌いきり、冷たくなってしまった親友がいた。
こんなことならお前みたいに、俺も歌を覚えれば良かった。最初からお前を手伝えば良かった。フルトブラントへの憎しみなんか抱かずに……
カロンが命懸けで歌ったのに、津波は止まらない。無駄死にじゃねぇか!お嬢様も、カロンも……フルトブラントも!
「何、情けない顔してんのよファン一号!」
「……!?」
「一緒に歌って。衣装も石もここにあるから」
カロンの傍から起き上がる、金髪の少女はシャロンではなく……シレナお嬢様の姿で笑う。
「この空で、貴方は多くを見てきたはずよ。前世の因縁もない、何にも縛られない貴方。ここで多くの歌姫を、悲しみを知り……貴方は何を思ったの?彼の言葉を、彼の気持ちを海神に伝えられるのは……貴方しか居ないわオボロス!」
*
「成り行きとは恐ろしい物だな」
「何?王になれなかったこと、兄様は悔しいの?」
兄の呟きに、エコーは兄の顔を覗き込み笑う。彼を少しからかうような気持ちでそうしたが、ナルキスはいつも通り謎の余裕をもって笑み返す。
「ふっ、まさか」
人魚の歌を歌ったカロン、海神を退けた人魚とオボロス。その傍に居たイリオン殿下は、民衆に勘違いされとうとう王に即位した。シエロへの悔恨、償いの思いもあったのだろう。復興に取り組み真面目に政務に当たっている。
「しかし、人魚がマイナスさんだなんて世も末ね」
「しかめ面は美しくないぞエコー。新しい劇場では初の舞台だろう?」
カロンのお陰で、凍らせられた箱船が落ちて来るまでに、空から下町に人々は避難させることは叶った。だけどもう、空に街を築くような力がこの国にはない。その知識も技術力も。エコーの頭にはそれがあるにはあるが、語るつもりはなかった。
箱船が落ち押し潰された下町を、建て直すには身分を越えた協力が必要だったが、……共に大地で暮らすことで、その格差もやがては薄れるだろう。
王妃の人魚としての怠慢が、こうして街を壊した。歌になんて何の力も無いなどと語る輩も少なくない。だからエコーはここで歌うことを決めたのだ。この程度の被害で済んだのは、空には歌があったから。それを教えてやらねばならない。
「今日の演目も、『波の娘』だったか?」
「いいえ。今日の歌劇は……『海神の歌姫』よ」
「大変ですアルセイド様!ヒロイン役の歌姫が急病で!!」
「何ですって!?すぐに代役を探しに……」
「代役なら俺がやる。お前の晴れ舞台、成功させねばならないからな」
「兄様!もう呪いがないのだから兄様に歌姫は勤まらないわ!」
「何を言う。男にも、歌える自由は出来たのだろう?」
主人公は俺のように見栄えの良い色男が似合おうと、兄は不敵に笑い出す。
「やれるの、兄様?」
「この兄を信じられんか?」
「勿論」
「なら行くぞ!」
「……ええ!」
*
「アルセイドの兄妹が、主演とは……」
貴賓席から舞台を眺め、歌姫マイナス……改め王妃はにやつく。
「でもあの男、まともな演技もできるんだな」
その歌劇をみて、誰もが創作だと思うだろう。その脚本を作ったのは、主演を務める歌姫エコー。とんだやらせの出来レース。そうは思わせない実力を、彼女は確かに持っていた。それはナルキスも同様に。
(私が殿下助けたところもちゃんと入れられてやがる)
箱船を落とした王妃の息子であるイリオン。アクアリウト家が再び王位を継いだこと、反感を持つ層も多いため、その反発を抑えるためというのも、この作品を作った理由の一つだろう。ナルキスを王に!という支援者がうるさくなれば、あの兄妹は自由に生きられなくなる。そうなっては彼らも困るのだろう。
執筆に辺りインタビューは受けた気もするが、その場に居なかったエコーが書いたに関わらず、よく再現されている。
海神の呪いのことも説明しているし、何より驚くべきことは……エコーが自身の罪さえ隠さず表現したことか。それは自らを罪人とすることで、アルセイドには玉座を得る資格がないという解釈を広める考え?エコーが欲するは、恐らく罰だ。
(あの方の魔力の香りがするぜ)
懐かしい悪魔の気配にマイナスは涙ぐむ。物語では大勝利!そんな自分でも、心に空いた穴がある。漁夫の利で手に入れたこの地位を、私も彼も手放しで喜べない。他人の犠牲で得た椅子は、人間椅子よりずっと座り心地が悪い。こうして彼の隣にいることだって、多少は愉快でありながら……後ろめたい気持ちはある。そんな罰を欲する心がいつの日か、私をあの人の元へ連れて行ってくれると信じ、私の魂を磨かなきゃ。
涙を拭うマイナスの傍ら、座る男は失礼なことに口に手を当て必死に笑いを堪えている。その理由はすぐに分かった。
「おい、何吹き出してんだよ」
「だが、あれは吹き出すだろうマイナス!」
「下層街の歌姫がこんなことになりゃーなー。物語としてはシンデレラストーリーなんだろ。でも私の役の衣装、あんな露出度下げられててつまらねー」
仮にも王妃になる人間が、露出狂の女王様……なんて事実は反映できないのだろう。そう言う意味ではアレは創作だ。
「しかし、驚かねーか腐れ殿下。男が歌える時代が来るなんてなー!」
「あの少年達のおかげだろう。本来俺もお前もこの椅子に座るべき人間ではない」
「仕方ないだろ、あのガキはこんな椅子嫌だって言うんだから。第一あいつの人魚は私じゃないさ」
ナルキス演じる歌姫カロンは力尽き、エコー演じるフルトブランドは生け贄となり海獣に食い散らかされ……舞台の場面は切り替わる。クライマックスでは精霊となった歌姫シレナ役の歌姫と、使用人オボロス役が歌い、海神を退ける。
少年歌姫カロンの歌と、精霊操るオボロスの歌。二人の少年の歌が、海神を変え、この国を変えた。
「エコーは、償いのつもりなのだろうか?」
自分が傷付けたシレナのために、こんな結末にしたのだろうかと……イリオンは私に問いかける。
「おいおい腐れ殿下、そんなタマかよあの嬢ちゃん」
「陛下だ」
「へいへい、腐れ陛下」
私と彼は瓦礫の向こうから、男女が歌う歌を聞き、海神の声を確かに聞いたけど……それを見ていたわけではないのだ。
二人のウンディーネの間を迷った選帝侯シエロ。全ての罪を背負わされた彼への哀悼。過去の記憶に振り回され、幼く散った双子の歌姫、シャロンとカロン。亡骸も連れ出せなかった彼らへの、餞として人の記憶に留めよう、それがエコーの考えか。
ちらと視線を向けた舞台袖ではアルセイドの兄妹も固まり、魅入られたよう舞台の二人を見ている。マイナスも視線を其方に移し、絶句した。
「おい、あいつら……誰かに似てないか?」
「ん……、あ、あれは!!」
いつの間にか役者が変わっている。オボロス役がシエロ、シレナ役はシャロンではないか!
思わず席を立ち上がる。
(どういうつもりだ、シャロン!?)
*
「楽師のお兄ちゃん、歌ヘター!」
「へ、下手か?そっか……悪い!俺まだまだだな」
「うん!さっきのお姉ちゃんの方がずっと上手!」
数年前のこと、オボロスは歌いながら時折考える。その所為で演奏が乱れてしまい、観客である子供達からは大ブーイング。
「そんな上手い同業者がいたんなら、俺も今日は食いっぱぐれちまうな。どんな子だい?」
「金髪で、青い瞳の歌姫だったよ!なんて歌だっけ?」
子供が口ずさむ旋律は、オボロスも知っている。昔親友が歌っていた曲だ。
「その歌姫、どこに居た!?」
「あっち!」
二人の亡骸は持ち出せなかった。シャロンの幻から目覚めた時に、崩れた儀式の間……瓦礫から守られていたのは自分だけ。探しても探しても……シャロンとカロンは見つからず、下町へ避難を余儀なくされた。
「悪い!今日はもう店じまいだ!またな!」
人混みを掻き分け、オボロスは歌姫を探す。必死になり探す内、それは難なく見つかった。向こうもこちらに気付いているのか?数年前と変わらない背丈の少女が、路地裏へと入り込む。追い付かれることを、望むように。
「おい!」
「……」
振り返る少女の目を見、オボロスはその正体を見破った。これは俺の親友ではない。
「……シャロンなんだろ?今も……あの時も」
「よくわかったわね、オボロス」
「最初はシエロもオボロスも……私とシレナの違い、解らなかったのにね」
どこか、敗北を認めるようなその口調。彼女は何かを決意していた。それは彼女にとって、最後の賭けだったのかも知れない。
「夢を見せてあげようと思ったの。せめて貴方には、幸せな夢を」
死に別れた人と、別れの言葉を交わせたならば。悲しい思い出を引きずらずに生きていけるだろう。シャロンはお嬢さんの振りをして、俺が納得して……割り切って、これから普通に生きられるしようとした。だけど俺は、気付いてしまった。
「お兄ちゃんが謝りたがっていたわ。シエロのことで、私のことで……貴方に迷惑かけたって」
「シャロン……」
「私、嫌な女よ。貴方が私のこと好きなの知っていた。それを何とも思わなかったのに、シレネちゃんに取られたら、悔しくなった。友達なら、喜ぶべきなのにね。シレネちゃんの、オボロスの友達なら」
自分にはその資格がないと、言い放つような冷たい響きでシャロンは喋る。
「貴方が良い人だってのは、私も解ってた。だけど貴方にそういう目で見られるのは嫌だった。お兄ちゃんみたいにね、私は貴方と友達になりたかったわ。男とか、女とかそういうのじゃなくて……もっと、自然に」
女の子としての彼女を意識する俺を、彼女は疎ましく感じていた。
貴方は私を見てくれない。女としての私しか見てくれない。本当の私なんかどうでも良いんだ。私が女じゃなかったら、きっと好きになってもくれなかった。貴方では呪いに勝てない。この人は駄目。そんな風に、俺の正常な好意は、悪意などないからこその悪意として、深く彼女を傷付けていたのだと知らされる。
「私が私として出会った貴方さえ、私を裏切るの。私と永遠を作れるのはあの人だけだって……そう思ってしまったわ」
過去に縛られたくない。私は私。そうやって唱え続ける度に、彼女はウンディーネに囚われた。
「オボロス、貴方は永遠の愛ってあると思う?」
「俺はそういうの……わかんねぇけど。今思ってること、全部消えて無くなるのは……辛いな」
「そう……貴方は永遠を信じたいのね」
逃げ道は与えた。嘘に騙されていたなら、幸せなピリオドを得て、新しい愛を探しに行けたのに。からかうように、だけど少し残念そうにシャロンが言った。
「やっぱり私、シレネちゃんが羨ましい。いつも、私に無い物持っていて……私は何も残らない」
手にした小瓶を彼女は路地に投げつけて……泣きながらその姿は掻き消えた。
「シャロンっ!!」
「何寝惚けてんだ、馬鹿」
「え?」
「え、じゃねーよ馬鹿」
俺は夢を見ているのだろうか。オボロスは何度も頬を抓った。見慣れた下町は、
「か、カロン!!?この口の悪さはお前だな!?」
「そんなことよりさっさと下りろ。俺はこいつと話があるんだ」
「え……」
カロンの渡し船に腰掛ける、空色の髪……美しい見覚えのある青年。彼の名前は、彼の名前は……何だっけ?
*
「私があそこで死ぬのが、一番良かったのよ」
「ごめんなさいシャロン。この本は第二領主様が破いてしまったので……物語より過去には私の力も及びません。イストリアも弱体化してしまいましたし……既に本の外に抜け出た魂は、他の領主との兼ね合いで取り戻せませんでしたわ。他の世界から無理矢理殺して奪って来るには来られるのですが……書類が面倒だそうで、落ち込んでいる兄様がストライキ中なんです」
第二領主は私よりも強い。
アムニシアの裏返しの力を打ち消す破壊の力は、世界に多大な影響を及ぼした。無理をさせれば完全に壊れてしまうから、これ以上の改変は不可能だろう。面目ないと私はシャロンに頭を下げる。しかし彼女はそれについては責めなかった。
「ううん、ありがとう。仕方ないわ。それに邪魔者が少ないに越したことはないわ……お兄ちゃんも」
あの手紙通り、歌姫シャロンは死んだ。彼女だけが生き返らない。これできっと……上手く行く。シャロンは私にそう言った。
「シレネちゃんには申し訳ないけど、失踪したことにして貰うわ。これできっと大丈夫」
「でもシャロン……貴女の求めた永遠は、まだ」
「あのままシエロを縛るより……思い出として彼の中で傷になる。その方がよっぽど綺麗な永遠よ」
「シャロン……そんな悲しい顔をするなら、もっと違う展開に!」
「良いのよアムニシア。だって私、解っちゃったの。色んな顔見てきたけど、シエロのあの顔……一番好き。私じゃ無くて……お兄ちゃんの前で笑う顔」
生家に入る二人を見届け、シャロンは街に背を向ける。これから二人は彼女の手紙を目にし、もっと良い結末に辿り着く。
「お兄ちゃんのためじゃないもん!私がシエロを好きでそうするのよ!」
「……シャロン」
「今までありがとう、アムニシア!貴女の願いが叶うこと、私も祈っているわ!」
無理矢理笑って、私に抱き付き……彼女の魂は消える。所有していた私が彼女を解放したから、また別の世界に取り込まれたのだろう。とても彼女は、天には昇れない魂のままだから。
(シャロン……貴女は)
愛するために最後の最後で、愛しい人を手放した。貴女の弱さは貴女が人間である証。
しかし心を押し殺し、こうして消えるは水妖の性。人であり水妖である貴女は悪魔にはなれない。けれど変わらぬ心を持つ貴女は、これからも苦しみ続けるのでしょう。
可哀想で、可愛い貴女。永遠の前に挫折した貴女を哀れんでも、私は蔑みは致しません。唯、可哀想だとしばらく記憶に留めましょう。
「私は、違いますわ」
悪魔である私はもっと、上手くやる。この手に永遠を手に入れて、兄様を私の物にするために。
シエロとカロンを不幸にしてやる。そんなつもりで書いていたのに、物語の軸はシエロからシャロンへと移り、文章も変わって行きました。
主人公はカロンだけど、テーマとか裏主人公はシャロン。永遠と愛について自分なりに考えた結果、思っていたことが反転したり迷走して行き詰まったり。
自分の認識する自分と違う善人として好意を寄せられるのは辛い物だし、演じる自分に無理も出る。相手の求めた形通りに演じるのが愛では無いと、思う出来事があったので結末を変えることになりました。
最後の最後まで、エピローグの途中までの展開で考えていましたが、シャロンに永遠の答えを出させる必要があり、あの様な形に落ち着きました。永遠の愛って、報われない愛のことなんだろうなぁ。
お話の流れとしては、この後『終末のカタストロフ』へと続きます。
長い間お付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました!