少しずつ、少しずつ
——————レオン・ドナート 22 秋
捜索が続いている中、何食わぬ顔でアイリスが帰ってきた。それもルシアンと共に。
「アイリス、お前は一体今までどこに行っていた?」
アイリスはキョトンとした顔で俺を見た後、ルシアンの方を向いた。
「この方は、皇帝陛下です。」
アイリスが明らかに驚いている。それにルシアンのまるで、初めて会う他人に説明するような口調が引っかかる。
「なんの冗談だ。説明しろ」
「牢からは私が連れ出しました。あまりにも皇后様が苦しそうにしていましたので。行きたいところがあるというので、ついていくと忘却の清流でした。彼女は自ら飛び込み、記憶を消し去ってしまったのです。」
頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。忘却の清流に飛び込んだだと?自らの意思で?
「つまり、余を覚えていないと?」
「ええ、自分の名前などはかすかに覚えているようですが、それ以外の記憶が一切ないそうです。」
ルシアンは淡々と語る。アーサーを懐柔した重罪人が。
「ふざけるな、ルシアン。お前、アーサーを懐柔した罪で今すぐ処刑してもいいんだぞ?」
「陛下。私を処刑したらこの国の人間がどうなるかご存知でしょう」
「はっ。言うようになったものだ。」
銀の貴公子といった仮面はどこへ行ったのか。この俺を脅すとは。
「ルシアンは私を助けてくださいました。なのでどうか、殺さないでください、陛下。」
アイリスの言葉を聞いた瞬間、胸が酷く痛んだ。アーサーがルシアンの手の内にあるということは、虚偽の報告をされていたのかもしれない。しかしもし、そうでなければ?アイリスの気持ちがルシアンに傾いてしまっていたら?思考がぐちゃぐちゃになる。ただ、アイリスを失う事が怖かった。アイリスは記憶を失い、その真偽を問いただす術も無くなってしまった。それにルシアン、とまるで親しい間柄のように呼んでいる。何か変なことを吹き込まれたのか?そのよそよそしい態度は何だ?
その場に立っているのも苦しくなり、俺はその場を後にした。
アイリスが俺を忘れた……?
頭の中で考えがグルグルと巡る。しかし結論は出ない。
いても経ってもいられず、またアイリスの元へ向かうことにした。
アイリスは侍女と共に寝室にいた。
「入るぞ」
入るとアイリスと侍女は頭を下げ礼をした。
「礼はいらん。それより……」
「アイリス。お前は本当に俺の事を覚えていないのか?」
アイリスは怯えたように目をきゅっと瞑り、俯いてしまった。
「申し訳ございません。」
「そうか。謝らなくていい。」
忘却の清流。…………1度その水を口に含めば2度と思い出すことはないと言われている。そこに自ら落ちた?ルシアンが言っている事が全て正しいとは限らない。だがもし本当にそうだとしたら?そこまでアイリスは思い詰めていた。そうなるまで追い込んでしまったのは俺だ。
「ゆっくり、思い出していけばいい。」
「ありがとうございます。」
今、アイリスを責める気には到底なれなかった。アイリスが怯えた目で俺を見つめていることが、なにより辛かった。怖がられている。国民や臣下と同じように。アイリスだけは、俺に向ける眼差しが違った。しかし今や、同じになってしまった。
「また来る。」
そう言って、部屋を後にした。




