第二節 -20- 魔王と部下
魔王は城のバルコニーから、外の景色を見ていた。
この地域は人間からすれば極寒の地であり、魔王の見る景色には銀世界が広がっている。
魔王城のある領土、すなわち本領とも言える魔族の領土は、人間たちの住む大陸からは少し離れた大陸にある。
二つの海に挟まれたその大陸の中でも北に位置する場所に、魔王城はある。
そこを第一の拠点として、魔族は自分たちの領土を広げて行っているのだ。
魔王城から西に行くと、人間たちが住む大陸はすぐそこであり、その辺りにも人間はあまり住んでおらず、魔族はその大陸の北三分の一ほどを難なく自分たちの領土とした。
しかし、そこから先には人間たちが住む国があった。
南には大国。
西には多くの国があり、文明としては西の方が栄えているように思えた。
それから紆余曲折があり、現在、魔族は二つの海に挟まれた大陸と、人間たちが住む大陸の中でも、最も大きな大陸の北の三分の一ほど。
そして、南の大国の一部、西の多くの国の幾つかを領地とした。
「……シャムか」
魔王はシャムの方を向きもせずに言った。
「魔王様、此処にいらしたのですね」
シャムはそれに驚きもせず、言った。
「何か、用か?」
「いえ、特には」
「そうか」
この極寒の地で、魔王は身に何も付けていなかった。
もしも人間がそれを見れば、魔王のことを大いに心配するだろう。
しかし、魔王は人間のような外見をしているが正真正銘の魔族であり、故にシャムは魔王の体調を心配することはなかった。
だが、
「魔王様。何か、御悩みで?」
シャムは気遣うような声で魔王に訊ねた。
魔王の体調は心配する必要などないが、わざわざ外に出るなど、魔王にはあまり見られないことだったのだ。
その精神状態を心配することは、なにもおかしいことではない。
「いや。ただ、久しぶりに、外を見るのも良いと思ってな」
「そうですか」
シャムはただ魔王に同意した。
その言葉が嘘だということはわかっていたが、それをわざわざ指摘するなど愚の骨頂である。
主の意向に従ってこその従者である。
主が何も言わないのであれば、従者たる自分は、何もすることはない。
《――なあんて、思ってるんでしょう。シャム?》
突然、レプグラムの声が響いた。
魔王はそれに驚くことはなかったが、シャムは驚いたように身体を震わせた。
《ハロー。げんきぃー? 私は元気じゃないけどねー。それと、シャム。魔王なら驚いて身体を震わせるのも可愛いけど、あんたがやっても気味が悪いだけだから、やめてよね。というか、こわい》
「……魔王様、レプグラムとの戦闘許可を頂けないでしょうか」
シャムは恭しく魔王に頭を差し出した。
しかし魔王は「無駄なことはするな。魔力は温存しておけ」とそれを一蹴。
シャムは口には出さなかったが、やるせない顔をした。
《だからそれが気味悪いって……。ま、いいや。今回は、シャムをからかいに通信魔法してるわけじゃないしー》
今回は、ということは、いつもはそのために通信魔法をしているということである。
それ以外にも、魔王が魔族を統一するまでの軋轢なども組み合わさって、シャムはレプグラムのことを少しながら嫌っていた。
そのはらいせと言ってはなんだが、魔王に一任された将軍の領地分配において、レプグラムを魔王城からかなり離れた場所に向かわせた。
シャムは密かにレプグラムが恨み事を発するのを期待していたのだが、シャムはしかと聞いてしまった。
『やった。これで、シャムの目から離れてさぼれる……!』
という、レプグラムの嬉々とした声を。
「じゃあ、何故、通信魔法などをしたのだ? そのような案件があるのか」
故に、シャムの言葉が少々荒っぽくなってしまうのも仕方のないことと言えよう。
《一応ね。でも、それはまた後で》
「後で言う必要などないだろう。今言え」
《わかった。コラプスが死んだ》
「……は?」
一瞬、レプグラムが何を言っているのか理解できなかった。
《正確には殺された、かな。私の構築した『世界縮図』を見る限り、魔力反応が消失しているしね》
レプグラムは何でもないように言い、それにシャムは激昂しかけた。
しかし、しなかった。
何故か。
理由は単純である。
魔王が冷静だったからだ。
「やはり、な。あの人間の予想進路からして、コラプスと戦闘することになるだろうことは予想できた」
《まあねー。私もコラプスに何度も忠告したんだけど、聞く耳持たずだったんだよねー。全く、なにが『エレクトロの仇を討つ』よ。自分が殺されてちゃあ、意味がないじゃない》
もー、といじけたようにレプグラムは言う。
「それは、魔族としての誇りだろうな。誇りを持つが故に、戦った。仲間を殺した者を目の前にして、何もせずにいられる魔族は少ない」
《なにそれ。私に対する嫌味?》
「いや、称賛だ。お前のような者がいなければ、もしもの時に危険だからな」
《あ。そうなの? えへへ、ありがと。褒められるのって、やっぱり気分が良いわ》
シャムには嫌味にしか聞こえなかったが、魔王は正直者なので本心からあの言葉を言っているかもしれない。
しかし、やはりあれは嫌味だとシャムは思った。
「しかし、コラプスまでもか……。エレクトロを倒したのは、偶然ではないようだな」
《らしいねー。コラプスがあの位に甘んじていたのは機動力に欠けるからだし、その魔法はエレクトロとは正反対とはいかないまでも、別物。しかも、おそらく、成長している。……嫌だなあ。もし私のところに来たら、逃げようかなあ》
「勝手にしろ。私が許す」
《そう?》
レプグラムが弾んだ声を上げる。
《じゃあ、本当に逃げるよ?》
「ああ。むしろ、そちらの方が好都合だ。お前があの人間に負けたとすれば、その膨大な魔力が人間の手に渡り、不都合。勝ったとしても、不都合だ」
《なんで? 勝ったら良いんじゃないの?》
「決まっているだろう。この私が、戦いたいからだよ」
《それは、魔王として?》
「それもある……が、ただ一個の魔族として、だ。あやつらも、我にそのようなことを望んではおるまい。我も知っている。我が王たるのは、我が我であるからだ。それを曲げれば、我に仕え、散っていった者たちに示しがつかん。我は、ただ一個の魔族として、その人間と戦ってみたい。もしやすると、我と同等に戦えるかもしれんしな」
《あはは。それはちょっと非現実的だけど、もしそうまでなったら、やばいね》
「その点は心配するな。我が、負けるはずがないだろう?」
《それは確かに。魔王が負けるなんて、想像もつかないし》
その言葉にはシャムも同感だった。
この世界に、魔王に勝てる者など存在しない。
もしも、一人の人間が、魔王以外の全ての魔族を殺し、その魔力を得たとしても、魔王に勝てるとは思えない。
それほどまでに、魔王は、強いのだ。
《じゃ、本題だけど、魔王。あんた、何を悩んでいるの?》
突然――いや、レプグラムにとってはそうでないのかもしれないが、少なくともシャムにとっては、その言葉は突然だった。
それは魔王も同様のようだったが、その動揺を全く声に滲ませずに応える。
「何も悩んでなどいない」
《嘘》
レプグラムは即座に言った。
《シャムですら、気付くのよ? この私が気付かないわけないじゃない。魔族の長なら、隠し事なんてしないでよね》
「……悩んでなどいない」
魔王は口を尖らせていじけたように言った。
すると、
《シャム!》
とレプグラムが声を上げた。
「……なんだ?」
シャムはレプグラムの次の言葉が予想できたが故に、苛立ちを声に滲ませる。
《これよ! 今の魔王! あんな感じが、理想なのよ! もしもあんたが今のをやっても、気持ち悪いだけと言うか吐き気を催すだけと言うか、そんな感じだけど、魔王がやったらこうなの! シャムも見習いなさい!》
「どう見習えと言うのだ……」
シャムの呆れた声。
《魔族なんだから、姿なんて自由自在でしょう。ピーピリープリーとかもそうだけど、やっぱり人間の姿って良いわ。その魂はクズだけど、外見だけは認めてあげても良い。シャムも人間の姿になれば良いのに》
「却下だ。魔王様と同じ姿になることなど無礼にもほどがあるし、人間と同じ姿になるなど嫌悪しか湧かん」
《えー。……じゃあ、せめてその腕とか、穴とかをなくしてくれない? 気持ち悪い》
「却下だ。在りのままの姿でないと、無駄な魔力を使ってしまうだろう」
《そんなもの、ないのと同じくらいの魔力じゃない。――ま、良いわ。とりあえず、魔王。元気出しなさいよ。悩みは遠慮せずにシャムに言いなさい。じゃね》
レプグラムの言葉と同時に、通信魔法が切れた。
すると、魔王は憤慨したように言った。
「レプグラムめ。あやつは、いつまで経っても我に敬意を表そうとしないな。あげくに、悩みがあるなどと、根も葉もないことを……いや、確かに、そうなのだが」
「悩みがおありで?」
シャムは今言わなければ言う時はないと思い、言った。
レプグラムのことは好かないが、魔王に対等な立場から意見できる唯一の者である。
ごく稀にだが、魔王はこのように悩むことがあり、その時、シャムには何もできない。
しかし、レプグラムは不遜にも魔王に意見する。
それにより、魔王は自らの心中を吐露してくれることが多い。
そのため、シャムはレプグラムを嫌ってはいるが、同時に感謝している。
「…………一応は、な」
魔王はとても言いにくそうにしながらも、言った。
「本当に、この方法が正しいのか、と思ってな」
なんだ、そんなことか。シャムは思い、苦笑する。
「何を今更。もう決めたことではないですか。魔王様は待機し、来るかもしれない時に備える。魔族は人間と違い、魔力を回復するための手段は自然回復を待つしかないのです。それなら、魔王様は万全の状態となるべきではないですか」
しかし、そんなシャムの言葉に魔王は眉をひそめる。
「人間は魔族を殺せば殺すほど強くなるだろう。ならば、我が今すぐにでも、直々に倒しに行く方がいいのではないか。我が万全の状態であろうとなかろうと、今なら、例の人間も我にとっては赤子も同然だ」
「それはそうですが、今でさえ、人間は自分たちで争っているのですよ? そんな者たちの片づけを、魔王様がわざわざする必要はありません」
「数年前までは、我が直々に行くことも多かっただろう。それなのに、何故、今は」
「もう戦争が始まったからです」シャムは言った。「魔族と人間の戦争が始まったのです。魔族と人間の戦争です。魔王様と人間の戦争ではないのです。それなのに、魔王様が御一人で全てを片付けてしまったら、魔族の中に不満を訴える声が生ずるやもしれません」
「そんな声は知らん」
「そう言わないでください。私たちは、魔王様に頼ってもらいたいのですよ」
「……そうか」
魔王は未だに納得のいかない顔をしていたが、やがて、溜息を吐きながら、
「ならば、良いだろう。人間の掃除は、任せた。我は、もしも人間が魔族を滅ぼし得る力を得た場合に備え、力を蓄えておくよ」
そう言って、魔王はその場から姿を消した。
それを確認すると、シャムは魔王が先ほどまでいた場所に畏敬の念を込めた礼をし、魔王と同じように姿を消した。