第二節 -19- 青年と岩山の戦い
「そろそろ、初めの目的地だ」
サヤが泣きやんだと見るや、青年は話し始めた。
「今回は、見てるだけで良い。俺が全部やる。だが、見ては、いろ。見なければ、意味がないからな」
「……どういう」
「ことですか、ってか? 百聞は一見に如かず、だ。まずは見ろ」
サヤは言われた通り、魔法車から身を乗り出し、向かっている方向を見た。
そこには、巨大な山があった。
赤黒く、活動中の火山のようにも見えた。
「……山?」
「いいや、違う。あれは魔族だ。俺の予想よりも遥かに大きいが、魔族には違いない。あのでかい図体だから、中に部下の魔族がいると考えてもいいかもな。とりあえず、今回はこいつを倒す」
サヤは驚愕で口が開かなかった。
あれが魔族だというのにももちろん驚いたが、あれを倒すということにもっと驚いた。
「さて、まずは宣戦布告といこうか」
青年はサヤと同じように魔法車から身を乗り出し、山のような魔族に腕を向けた。
サヤは背中に密着した青年に少しどきっとしたが、それはすぐに消えた。
青年の腕に何かの力が流れ、その周りの空間の何かが変わり、目に見えない何かが青年の腕から射出されたように感じた。
直後、山のような魔族の身体が大きく抉れた。
まるで、砂糖で作った山をスプーンですくったように、大きく抉れた。
「お前は魔法車に乗ってろ。障壁を張ってるから危険の心配はするな」
その言葉と共に青年は消えた。
かと思うと、山の魔族がまたもや大きく削れた。
すると、魔族の身体の内からぞろぞろと黒い点のようなものが飛び出してきた。
それは巣をつっついたら出てくる虫の大群のようだった。
その点の一つ一つから光や炎が生み出され、それはある一点を狙っていた。
そのある一点である青年は剣を大きく振り、自らを向かって放たれた魔法を全て消した。
同時に魔力を放出し、黒い点の一つである魔族に近づいた。
烏のような翼を持ち、獅子のような爪を持っていた。
青年はその形容し難い――あえてするならばオウムとウサギを一対二に分けて合わせたような――頭を掴み、毒性の魔力を流し、その魔族を殺すと、即座にその魔力を奪った。
「畜生が! やっぱり馬鹿だな、お前らは!」
青年はそう叫んだが、サヤには聞こえていなかった。
しかし、魔族には聞こえていた。
それは、山のような魔族も同じことだった。
「……お前ら、下がれ」
聞き取りにくいほど鈍く重い声が大気を揺るがした。
青年はその声だけで身体が震え、その声はサヤにまで届いていた。
「こいつは、儂がやる。お前らは、手を出すな」
ずずずっ、と山のような魔族は動き始めた。
岩で何本もの腕が形成され、それは人間の腕に似ていた。
スケールは全く違うが、その形だけは人間のもののようだった。
山の魔族の声を聞いて、空を飛びまわっていた魔族は戸惑いながらもその命令に従おうと、青年に背を向けた。
「畜生ども。この俺が、逃がすと思ってんのか?」
「逃がすことになる」
山の魔族の腕が一斉に青年を襲う。
青年は「邪魔だ」と腕を振り、同時に魔法を発動させ、その腕を消滅しようとした。
「……予想はしていたが、お前、将軍とかいう階級じゃあ、ねぇよな」
青年は冷汗をかき、言った。
腕は、消滅しなかった。
それどころか、青年の方に向かってきていた。
「その通り。儂はコラプス。第十六将軍、コラプスだ。見る限り、お前はエレクトロたちを殺した人間らしいな。仇を、とらせてもらおう」
「は! 不可能だ。この俺は、畜生如きに負けはしない」
向かってくる腕に青年は再度魔法を発動させる。
しかし、腕は消滅しない。
「人間如きが、儂に勝てるはずもなかろう」
腕が青年を掴もうとする。
青年はそれを避けたが、その風圧によって吹き飛ばされる。
そこを他の腕が襲う。
掴もうとせず、はたき落とすように、平手が青年の方へ猛スピードで向かい、それは直撃した。
青年の身体は呆気なく吹っ飛び、地に思いきり叩きつけられ、落下地点のあたりが赤く染まる。
「まだだ」
コラプスの腕が青年が落下した地点を何度も殴る。
クレーターができ、青年の身体はぺしゃんこになる。
――なった、はずだった。
「もう無駄だ。お前の魔法は『征服した』」
そのはずなのに、青年の声が聞こえた。
コラプスは思わず攻撃の手を止める。
そして、青年が落下した地点を見る。
そこには、確かに青年がいた。
身体に黒い影のようなものをまとった青年が。
瞬間、コラプスに強烈な既視感が襲った。
これは、どこかで、見たことがある。
その答えはすぐに出た。
エレクトロの魔法。
それが、青年の使っている魔法だった。
「あの犬っころの魔法は、やっぱり便利だな。魔力消費量は大きいが、応用すれば、こんなことだってできるんだから」
その声が聞こえた瞬間、コラプスの身体に亀裂が走り、そこから黒い影が滲みだした。
「畜生でしかない魔族には理解できないだろう。この魔法は、人間だからこそ可能なんだ」
「何を言っている? 魔族が人間より、知能が劣っているとでも? そんなことはない。確かに儂はそうかもしれんが、人間より知能が高い魔族もいる。そして、そもそも、この魔法が、どうしたというのだ。儂には、効かん」
「はっ。そういう意味じゃあないんだよ。そもそも、お前は知能というのを理解していない。知能は種族によって決まるものじゃあない。もっと根源的なもので決まる。そんな、後になってからできたようなものでは決まらない。俺より知能が高い魔族なんていねぇよ」
「それは知らん。しかし、魔法は知能などで決まるものでは――」
「だから、知能は関係ないんだよ」
コラプスの言葉を遮り、青年は言う。
「知能とか、そんなものじゃない。俺が言っているのは、人間という種族のことだ。その特性。その本質についてだ。魔族は人間の特性を『魔力を奪うこと』だけだと思っているかもしれないが、実際は、違う。魔族と人間の最大の違い、それは、『敵がいなければ生きることができない』ということだ」
コラプスはその間にも青年に対して攻撃を続ける。
しかし、その全ては青年の身体をすり抜ける。
「人間は敵がいなければ生きることができない。捕食する敵がいなければ、存命することはできない。人間は勝者でなければ生きることができない。敗者になれば、死ぬ。しかし、戦わなければ生きていけない。魔族のように、やろうと思えば誰とも敵対することなく生きることなんてできない。人間は、捕食をしなければ生きていけないのだから。何かを殺すことによってしか、生きることができない。根っからの戦闘民族なんだ、人間という生物は。そして、常に勝者であり続けた者だけが、生きることができる」
青年が向かってくるコラプスの腕に触れる。
すり抜けなかったことに驚愕したコラプスだったが、その瞬間、青年の触れた辺りのコラプスの腕に亀裂が走り、そこから影が噴出した。
「コラプス。お前ら魔族とは、違うんだ。人間は、戦うことでしか生きていけない。そんな生物なんだ。平和的に生きていくことなんて、できるはずがない。戦うことによってしか、生きることができないんだ。それが当然過ぎて、人間は、他の種類を淘汰することが当然過ぎて、他の種の生物が敵であることが当然過ぎて、故に、魔族とは共存することはできない。自分たち以外は、全て敵で、それを相手も思っていると考える。それが人間だ。魔族に対して『魔の族』なんて言っているが、本当は、人間こそが『魔の族』なんだよ。人間の価値観で言うと、その人間こそが『魔の族』なんだ。だが、誰もそれに気付こうとしない。気付いたとしても、その生き方しかできないのだから、変えようとはしない。変えたとしたら、その人間は敗者であり、つまり、死に至る」
青年が両腕を広げる。
それは、人類全ての罪を背負った者を磔にしたものに似ていた。
「そんな『魔』が人間だ。罪が人間だ。俺はそれを理解し、魔法に組み込んだ。魔法は知能じゃない。論理じゃない。もっと感覚的なものだ。感情的なものだ。心と言ってもいい。しかし、ここではこう言おう。『魂』こそが魔法の源だと」
そして、青年は、笑い、言う。
「俺は、魔王を倒す者。『魔』である人間全ての頂点。偽物の『魔』の王である、魔王を倒し、世界を制し、この手に治め、自らのための世界を創造する者。両性具有の尊き御方は、人類全ての罪を背負いなさったらしいが、なら俺は、人類全ての『魔』を統治する。人類の全ての罪は天に存します御方によってなくなったらしいが、『魔』はそのままだ。故に、俺が、それを統治する。統治し、『魔』であるままで、俺の理想郷を実現させる。三つの『ゴク』とはまた別の、天の国とはまた別の『キョウ』をこの世界に実現させる」
青年は不遜に言う。
しかし、青年の言葉にはどこか納得させるものがあった。
『この人間ならばやってしまうかもしれない』。
魔族であるコラプスにすらそう思わせるものが。
「わかるか? これが、人間だ。絶対の勝者であることを望み、自分たちだけが繁栄すればそれで良いと思う。そして、俺は人間だ。この世の誰よりも人間らしく、つまり、誰よりも勝者なんだ。魔族とは、『魂』の在り方そのものが違う」
コラプスが魔法を発動した。
その巨体が立ち上がり、それは山そのものが隆起していくようだった。
青年の周りの地、全てが隆起し、青年の身体を取り囲む。
じゅうじゅうと黒い湯気が立ち昇り、それは青年の身体を飲み込んでいく。
「人間の価値観で言うと、お前ら魔族は『善』だ。しかし、それが駄目だった。コラプス、確かに、お前らの肉体は魔法に最も適している。だが、『魂』は魔法に適していない。お前らは所詮、畜生だ。バカだ。その肉体は『魔』そのものだが、その『魂』に『魔』を持たない」
コラプスの肉体が――青年を取り囲む地そのものが、少しずつ色を変えていく。
赤黒いその色は、黒が消え、赤く光り、その輝きはどんどん激しくなる。
やがて、赤すらそこからは消え、それらは白に変わる。
青年を飲み込んでいる黒の湯気もその色が消え、空間そのものが歪んでいく。
いつの間にか、青年の周りには強烈とも言える風が吹き荒れていた。
「人間の『魂』は『魔』そのものだ。魔法を構築する上で最も重要なものは『魂』だ。今まで、人間は基本の魔法すらろくに扱えやしなかった。しかし、今や人間は、自分で新たな魔法を作りだすことができるようになった。それは、魔法を知る以前は形にできなかったその『魂』を、そのままにして顕現する術を得たということ。その『魔』たる『魂』を、『魔』そのもののまま、顕現する術を得たということだ」
極度の高温により、コラプスの身体の周囲の地面は融解し、空間そのものが歪んでいるように見えた。
それは人間が思い描く地獄に似ていた。
敬虔な宗教信者がもしこの光景を見れば、世界の終末が始まったと思ったかもしれない。
「知れ。人間を。その『魔』の深さを」
「戯言を。この状況がわからないのか?」
「わかっているさ。言っただろう? お前の魔法は『征服した』と」
そうして、青年は魔法を発動させた。
瞬間、世界は一変した。
高温により白くなっていたコラプスの肉体が、一気に黒く染まったのだ。
「あの犬の魔法は他者から攻撃を受けた場合にのみ発動するものだったが、実際のところ、それ以外にも使い道はある。あの魔法は自らの存在そのものを周囲に拡散させることによって、本体が攻撃された瞬間に、その肉体から周囲に満ちた自らの存在に精神を移し、そこにまた肉体を構築するという手法だった。それを応用して、俺は魔力だけを周囲に拡散し、それを自らの制御下に置いた。魔族の肉体は、魔力でできているようなもんだ。つまり、俺は、魔力をお前の中にも拡散させ、それを俺の制御下に置いたんだよ」
コラプスは動かなかったし、動けなかった。
その全ては、既に青年の制御下に置かれていた。
「聞こえていても返事なんてできないだろうが、教えてやろう。これが、人間だ。根っからの戦闘民族であり、勝者であり、征服者。だから、この魔法が扱える。魔族に対しては、最高の侵食魔法とも言える、この魔法が」
青年は手を開き、腕を天へ突き出した。
すると、コラプスの身体が一気に青年の頭上へと集まった。
ただの黒い影に成り果てたその肉体は、だが山ほどの大きさであり、青年の周囲の地形は、一瞬にして、岩盤が露出するほどになっていた。
「じゃあな」
そう言って青年が宙を掴むようにして手を閉じた瞬間、それに同調して、青年の頭上の黒い影は一気に小さくなり、呆気なく、ぷつんと消えた。




