第二節 -8- 人間実験
――魔族の勢力地に隣接した、とある人間の街。
そこは、昨日まで、魔族の動向に怯えながらも、数年間襲撃がないことから少し油断していた人々が楽しく暮らしていた街である。
しかし、今、この街には生きた人間はほとんどいなかった。
「ハッハァー! 良いぜ! 良いぜ! その調子その調子ィ!」
ある魔族が嬉々として言った。
筋骨隆々。人間のような姿をしている。金の髪に浅黒い肌。唯一、人間にありえないものとして、二本の尾が生えていた。
「貴様も性格が悪いな。そんな姿で油断をさせてから、攻撃させようと言うのだから」
またある魔族が呆れたようにして言った。
金の体毛。狐のような身体。四本の尾は青く煌き、その目は紅い。
「ハッ! そっちの方が良いだろゥが。あいつは、絶望を糧とする魔法を使うんだからヨ」
「それはそうだが、悪趣味だぞ。誇りを知れ、ゾォル」
「うっせェ。お前は俺の親かよ、ルイア」
「お前はそれで、第六なのか。嫌になるな」
「なんだ? 不満かヨ? それなら魔王様に言うんだな。『魔王様ァ~。僕ちんゾォルなんかに負けたくないんでちゅ~。でちゅから、僕ちんとゾォルの序列を入れ替えて、あいつを第八にしてくだしゃ~い』ってなァ」
「……お前の部下が、不憫で仕方がないよ」
「ハッ! それは同感だぜ!」
そう言ってハハハと笑うゾォルを見て、ルイアは溜息を吐いた。
「それにしても、あれは結構な出来だな。流石はチャイオニャ。こんな事に関しては、やはり一流だな」
「戦闘に関してはカスみてェなもんだけどなァ」
「しかし、頭が良い。貴様であっても、勝てるかどうかは解らんぞ?」
「ハッ! 俺様にそんな策略は通用しねぇよ。七と六に、どれだけの隔たりがあると思ってんだよ」
「七――エレクトロ殿、か」
「そうだ。あいつは魔法も一流。身体能力も一流。魔力の運用力も一流だった。だが、動きが読めやすかった。おそらく、それが敗因だろうな」
「読めやすかった、とは言っても、それだけで勝てるほど、エレクトロ殿は弱くないと思うが?」
「ハッ! 馬鹿かよルイア。人間は、頭だけは良い生物だ。『捕食』を除けば、それくらいしか長所がない。だが、だからこそ、その能力だけは俺らよりも上だと思っておいた方が良い」
「人間如きに? それは流石に思えないな」
「いいから、聞け。それとも、お前は単純な能力で、お前より一つ上の序列であり、俺の一つ下である、第七、エレクトロが負けたとでも?」
「……それはない」
「その通りだ。エレクトロが単純な能力で負けるなんて、あの時の人間であれば考えられないことだ。同時期に、ディープリースを倒した人間がいた。おそらく、それがその時の『人類最強』だ。故に、エレクトロを倒した人間は、そいつしか考えられねェ」
ゾォルは大きく肩をすくめた。
「だが、ディープリースとの戦闘でその地に残った魔力を分析した結果、その時にはまだエレクトロには到底及ばない程度の魔力しか持っていなかった」
「人間は魔力を奪うのだろう? なら、他の場所で魔力を奪って、それからエレクトロと戦ったのでは?」
「ありえないな。ディープリースが倒されてからエレクトロが倒されるまでの期間に、他の百位以内が倒されたという報告はないし、実際、ほとんどが未だに存命だ。結果、エレクトロは単純な戦闘能力ではなく、行動を読まれて負けたんだろう」
「しかし、どうやって……」
「簡単だ。あいつの魔法は、自分の存在を蔓延させる魔法。尾の先から常に自分の存在を放出し、自分の存在を限りなく薄い状態ではあるが、その場に蔓延させていた。それにより、本体に攻撃を受けたとしても、薄くなった存在の一部へ本体を出現させる。言っちまえば、転移魔法と創造魔法の応用だ。攻撃を受ける瞬間、自分の存在と言う転移点へと自分を移動させる。攻撃を受けた肉体とか、攻撃を受けると自動的に存在を移すことができたのかは今でも解らねェが、それはエレクトロの魔法だから、俺らに理解できるもんじゃねェ。俺らは人間とは違って、一つの器官として魔法を行使しているようなものだ。理論を組み立てて魔法を行使しているような人間どもとは違う。まあ、感覚的に使っているからこそ、人間では不可能だろう速度で魔法を行使できるわけだがな」
「話がずれているぞ、ゾォル。魔法などどうでもいい。どうやってエレクトロ殿が倒されたのか。私はそれが知りたいのだ」
「ん? すまんすまん。確かに少し話が脱線したが、完全に無関係というわけでもない。つまり、エレクトロの魔法は、簡単に言えば転移魔法だ。なら、その転移先に、罠を張れば良いとは思わないか?」
にやりとゾォルは暴虐の笑みを浮かべた。
一方、ルイアはその言葉に驚愕を隠し得なかった。
「そんなこと、が? いくら先が読めるとはいっても、そこまでのことを?」
「可能だ、人間には」
ゾォルが何でもないことのように言った。
「人間を擁護するわけではないが、それだけは認めても良いと思えるところだ。魔王様やシャム様といった魔族でやっと可能かどうかというその所業を、人間ならば、可能なんだよ。少なくとも、俺にはそれ以外で、エレクトロが人間如きに負けることが信じられない」
「だが、可能なのか? エレクトロ殿の転移するだろう場所を先読みし、そこに罠を張るなど」
「おそらくな。しかも、ただの一発でエレクトロが負けるはずがねェ。簡単に言えば転移魔法だが、あいつの魔法はもっと奥が深いものだ。もし一度先を読まれたとしても、その罠にかかった時点のエレクトロは既に次の魔法を準備していたはずだ。つまり、エレクトロは無傷でまた違う場所に転移する。だが、その先にも罠が仕掛けられていたら? さらにその先にも、またさらにその先にも、そのまたさらにその先にも、罠が仕掛けられていたとすれば、どうなる? まあ、それくらいの数じゃあ、エレクトロには屁みたいなもんだろう。しかし、それが無限に続いた場合、いずれエレクトロの魔力は尽き、その罠に、かかってしまう」
「そうか。エレクトロ殿の、あの魔法はかなり高度な魔法だ。そもそも、エレクトロ殿にとって、あの魔法などおまけみたいなものだ。もしもの時の保険。あの魔法が主力なわけじゃない。エレクトロ殿にダメージを負わせるほどの攻撃が、エレクトロ殿に直撃した場合にのみ、あの魔法は発動される。そして、ただの転移魔法ですら、けっこうな魔力を消費するのだ。エレクトロ殿のことだから、転移魔法よりは消費量を少なくしていただろうが、それでも、それが何度も続けばすぐに魔力が尽きるのは必至、か」
「それだけの数、あんな魔法を使うなんてのは完全に想定外だっただろうからな。それならそんな魔法、途中で止めればいい話だが、そうもいかねェ。最初の数回でエレクトロも気付いていたはずだが、止めることはできるはずもなかった。エレクトロの魔法が発動すると言うことは、それなりの魔法だと言うことだ。そして、一度エレクトロの魔法が発動した時点で、次にエレクトロが出現する場所にはその罠が張ってあることが確定しているも同然。気付いてすぐに魔法を解除し、その罠に直撃したとしたら、魔力が尽きることはないだろうが、あんな魔法、一度解除して早々また出来るもんじゃねェ。すぐに他の魔法で攻撃され、魔力を奪われていただろう」
「故に、賭けたのか、エレクトロ殿は。相手が、先読みを誤ることを、狙って」
「結局、失敗に終わったがな。ま、だけどエレクトロは満足だったと思うぜ。最期に、そんな奴と、戦うことができたんだから」
「……ああ。エレクトロ殿は、そういう御方だったからな」
ゾォルとルイアが言い合い、空に思いを馳せた。
そこに、「ギィィィイイアァァァアアアアア!」と猛獣のような声が空気を揺るがした。
「っと、忘れてた。そうだそうだ、今はこいつの実験の最中だったな」
「そうだったな。私も忘れていたよ。しかし、何故私たちがチャイオニャの実験などに駆りだされねばならないのだろうな」
「まあ、良いじゃねェか。少なくとも俺は、面白いぜ?」
ゾォルとルイアの視線の先に、真っ赤に濡れた一体の魔族がいた。
背には常に蠢き隆起する肉腫。腕が四本生えており、そのどれもが形状の違うものだった。一本は枝の如く貧弱な緑色の腕。次に大きな黄色の腕。次にツギハギだらけで折れ曲がった腕。最後に手首までが真っ白で、手首から先は真っ黒な、人間と同じような腕。
体長は三メートルほど。身体は人間のよう。腕とは違い、脚は二本で、普通の人間と同じようである。頭は常に左右どちらかに傾いており、口と目は塞がれている。口は糸で縫われたようにして、目は包帯に巻かれるようにして。目から上は鉄が覆いかぶさるようにしており、それに付属してある突起物が時折黄色く点滅していた。
「魔族の魔力を奪って糧とする人間に対抗して、人間の絶望を奪って糧とする魔族を生み出す。最ッ高に面白いじゃねェか」