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利己主義勇者と良き魔王 【序】  作者: 雪祖櫛好
第五節 人魔戦争
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第五節 -28- 【第三】

「先の者たちは中々だった。我が同胞の多くを殺したとは言え、その力は敬意を払うに値する」

 第三は自らの勝利が当然のことだったように言った。

「しかし、今はそのような時間も惜しい。すべてが終わってから、あの者たちの御霊に幸多からんことを願おう」

 そうやって第三は人間たちの方を向いた。魔族と戦っている。ここから『世界切断』で攻撃することもできるが、その場合、魔族も巻き込んでしまうだろう。それは避けなければならない。あの者たちに撤退命令を出し、それから、一掃しよう。

《我が剣戟を受けたくなければ撤退せよ》

 通信魔法。それを聞いた魔族はしかしすぐには動かなかった。動けなかったのだ。このような乱戦の中で敵に背を向ける。そんなことをすれば死に直結することは明らかだった。

 故に第三は言った。

《援護する》

 その言葉だけで十分だった。前線で戦っている魔族以外は少しずつ後ろに下がって行った。それを見逃す人間ではなかったが、その時、彼の目の前に黒い線が走った。第三が顔を出した。

「――ぁっ」

『免疫機構』に飲まれ、彼は失神した。第三はもう彼を殺すつもりはなかった。戦えない者に構っているほど暇ではないのだ。

「む」

 視界が魔法に染まった。『免疫機構』に阻まれ第三にまでは届かなかったが、結構な量の魔法だった。これほどの量の魔法を人間が……。第三は感動していた。先ほどの人間たちもそうだったが、やはり、素晴らしい。元来魔法を持たぬ者たちが自らの手で魔法を掴む。その姿は美しかった。手が届くはずもないものに手を伸ばしている。これほど美しいものがあるだろうか。これほど哀れなものはあるだろうか。――第三のこの思いは人間が悲劇に対して覚えるものと同じ感情であった。神を信じながらにして死んだ偉大なる殉教者たちに対して覚えるものと同じ感情であった。沈黙を保つ神を前に、それでも神を信ずる者。その結果、『聖人』とまで呼ばれるようになった者。第三にとって、人間とはそのような存在であった。同族に害を与えるという点では許せるものではないが、それとこれとは別の話で、第三は人間に敬意を抱いてさえいたのである。

 そう思うと、悲しかった。

 これを滅ぼすものが、自分だとは。

「敬意を払おう」

 第三は礼をした。実際に行動に起こしたわけではない。礼とは心の所作であり、行動はそれをわかりやすく現しているに過ぎない。彼は心で礼をしたのだ。深い深い礼を。深い深い敬意を払った礼を。

「敬意を払い、滅ぼそう」

 彼は油断していなかった。彼は心から人間の可能性を信じていた。何が起こっても驚かないように努めた。

 しかしそれは間違いだった。

 それはただの『つもり』だった。

 彼は油断していた。

 それこそが致命的だった。

 トン、と彼の背に、何かが触れた。

 彼はそれをなんとも思わなかった。だが、すぐに気付いた。

 自分は今、『免疫機構』を展開している。

 そのはずだ。

 そのはず、なのに。

『免疫機構』を越えて、『触れられている』。

 それが、何を表すのか。

 同胞が戻ってきた? ――ありえない。もし戻ってきていたとしても、今の『免疫機構』は魔族ですら越えられるものではない。

 なら、なんだ。

 なら、何がどうして、こんなことが起こっているのか。

 それは――

「とらえたぞ、『第三』……ッ!」

「そなた、は……」

 第三は驚愕の目で『それ』を見つめた。

『それ』は黒い輪郭だった。ドス黒い、ただのシルエットだった。

 しかし第三には『それ』が『誰』なのかはわかった。その声には聞き覚えがあった。

 彼は先ほど殺したはずの人間だった。

 跡形もなく消し去ったはずの人間だった。

 彼の名はグローリーと言った。



      *



 王が死んですぐのこと。

「お前らでは勝てない」

 勇者は端的に言った。グローリーとリストに第三を殺す方法を訊ねられての答えだった。

「どういう意味だ?」

「そのままだ。普通はあの『免疫機構』すら破れないだろう」

 その言葉の意味はすぐにわかった。

「『普通は』か」

「気付いたか」

 勇者は笑った。グローリーは顔をしかめた。

「もったいぶるな。早く言え」

「最初からそのつもりだ。まあ、その方法はかなり危険を伴うが……」

 勇者は彼らに目をやった。彼らは答えた。

「今更、そんなことを気にするとでも?」

「だろうな。じゃあ、説明しよう。まず、『免疫機構』についてだが、『免疫機構』は清潔すぎる魔力によりほとんど自動に発動される魔法だ。『免疫機構』っつうのがわかりにくいんなら『潔癖症』とかいう名前でもいいが、まあ、つまり、そのまんまの意味だ」

「……それは、魔法と言えるのか?」

 グローリーが訊ねた。勇者は言った。

「ああ。いや、まあ、べつにどう思ってもらってもいいんだが。魔法の定義なんていう話から始めると面倒になるからな。『潔癖症』の能力だと思ってもらえればそれでいい」

「『潔癖症』、か。その攻略法は、あるのか?」

 勇者は即答した。

「ある。『潔癖症』が嫌うものは何かって考えればそれ終わりだ」

「『潔癖症』が嫌うもの……?」

「そんな考えこむな。簡単だ、時間がもったいないからもう話すが、『潔癖症』が嫌いなものって言ったら決まってる。『汚いもの』だよ」

「『汚いもの』?」

 彼らはおうむ返しに言った。潔癖症が汚いものを嫌う。それはまったく当然のことだが、そんな単純に……、

「そんな単純なんだよ」

 勇者は言った。心を読むかのようなその物言いに彼らは驚かない。勇者は思った通りの反応がなくてほんの少しがっかりした。

「と言っても、ちょっと『汚い』くらいじゃあ、『潔癖症』だからな、すぐに『殺菌』されちまう。つまり、かなり汚くないといけない」

「それは、どれくらいだ」

「これくらい」

 そう言って勇者が手の平の上に出したのは真っ黒の『何か』だった。ただ黒い点。それが魔力だとはとても思えないほどに黒く淀んだ色だった。

「これ、は……」

「息苦しいだろ? しかし、これは最低限だ。本当なら、もっと『濃く』したいところだな」

「……これを、身にまとえばいいのか?」

 一切の動揺なくグローリーは言った。勇者は満足そうにうなずいた。

「ああ。そうすれば、『免疫機構』は処理限界を迎える。まあ、少しずつ侵食されるだろうから、制限時間はあるがな。もう一つの問題点については言うまでもないだろうが、こんな魔力の中で人間は生きていられない。一呼吸の間すら生きていられるかどうかってところだろう」

「望むところだ」

 即答する彼らに勇者は、

「望むなよ」

 と笑った。

「ま、何を言ってもお前らが止まらないことはわかっている。だから、俺ができることは『勝利の可能性』を上げることだけだ。俺の言う通りにやれば七割くらいで引き分けに持ち込めるだろう」

「十分だ」

 彼らは言った。勇者は一度息を――何の息だったのかは定かではないが――吐き、話し始めた。

「では、他の策について話し始めよう――」



      *



 驚愕を見せる第三に、グローリーは自らの内から魔法を解放させた。

 人間には無限の可能性がある……。

 第三は正気を取り戻し、グローリーが魔法を発動させようとしているのに気付いた。

 第三は言った。

「『免疫機構』に魔法は」

「わかっている。『故に』」

 第三はもう一人がいないことに気付いた。確か、もう一人いたはずだ。まさか、その者が何か……。

 彼は周囲を確認した。見付からない。だが、それはグローリーも同じだったのだ。彼と同じようにあの者もどこかに姿を隠しているのかもしれない。

 だが、

「魔法の対象は、『貴様』ではない」

 グローリーは、

 右手で第三を力強く掴み、

 左手で自分の胸元を掴み、

 その内から魔力を溢れさせ、

 全身に緻密な紋様を現し、

『詠唱』や『陣』を遥かに超えた、

『特別の方法』を使った、

『停止魔法』を発現させた。

「対象は」

 グローリーは、言った。

「『私』、『自身』だ」



      *



 グローリーは第九の言葉を思い出していた。

 死に対する恐怖を持て。生に執着しろ。そうしなければ、第三には勝てない。

 グローリーはそれに従った。

 死に対する恐怖を持った。

 生に執着した。

 そして、『だからこそ』。

 彼は、『だからこそ』、それを選んだ。

 死を恐怖し生に執着する者。

 彼が選んだ方法は、一見、その真逆とも言える方法だった。

 自分の命と引き換えに、相手を倒す。

 それは死を厭わず生に執着しない者が選択するようなものだった。

 しかし、彼は死に恐怖し、生に執着したからこそ、それを選んだのだ。

 彼にとっての『死』。彼にとっての『生』。

 それは、まさに『そういうこと』だった。

「な、にを」

 第三が言った。その声には動揺が見えた。この魔族からこれほどの動揺を見たのは初めてだった。そう思うと、少し、満足した。

「簡単なことだ。『貴様』に効かないのなら、『自分』にすればいい」

 グローリーは言った。穏やかだった。彼の心は平穏だった。

「これは、『停止魔法』だ」

 彼は言った。

「『詠唱』や『陣』を遥かに超えた、魔法の強化方法を使った魔法だ」

 第三は意味がわかった。

「そなた、『命』を……!」

「そうだ」

 彼は言った。

「私は、『自らの命』を『停止』させる。『自らの命』を『停止』させ、『貴様の命』も『停止』させる」

「『免疫機構』が」

「関係ない。私は『貴様』に『触れている』。この『意味』がわかるか」

「それ、は」

「そう」

 彼は言った。

「『免疫機構』は、『既に越えている』」

 第三は戦慄した。そこからの彼の行動は素早かった。

「素晴らしい。『敬意』を払おう。我が剣戟に――」

「もう遅い」

 グローリーの手に、心なしか、力が入った。

「魔法は、発動した」

 心臓が最期とばかりに大きく鼓動する。ドクンと血液が一気に身体中を駆け巡り死を悟る。心臓が停止される。血管が停止する。血流が停止する。じわじわと、徐々に、しかし想像を絶する速度で停止される。もう身体がほんの少しも動かない。それは第三にも伝わる。『免疫機構』が展開されているのは第三の周囲、彼の魔力であり、彼の身体ではない。魔族の身体は魔力でできているが彼の身体は『免疫機構』ではなかった。『肉体』となった時点で魔力は魔法ではない。魔法は魔力の苛烈であり鮮烈であり激烈である。『肉体』は固定されている。固定されたものは苛烈でも鮮烈でも激烈でもなく平穏であり平静であり、沈黙である。魔法としての効力を失った魔力には『免疫機構』も失う。『停止魔法』は通じる。第三は、『停止』される。

 ――だが。

 第三の『命』は『停止』されなかった。

 第三はまだ生きていた。

 その動きが停止されてはいたが、グローリーの命をもってしても、第三の命は停止されなかった。

 その動きでさえ、数分も停止されはしないだろう。第三は『免疫機構』を自らの身体に滲ませた。

「すば、らしい……!」

 第三は言った。

「だが、これでは、私は……!」



「ならもう『一手』」



 声が、聞こえた。

 そして、第三に、手が、触れた。

「『停止』しなければ、『こう』はならなかっただろう。だが、『こう』なった」

 リストだった。

「動かない敵なんて、ただの的だ。動くなら、今頃、私は既にバラバラになっているだろう」

 第三は気付いていた。

「気付いているだろう? 今、私は『捕食』の魔法を行使している」

 リストは、

「そなたほどの魔族相手には、『捕食』も結構な時間がかかる。触れた瞬間に終わるものではない」

 笑みを、

「だから、『停止』が必要だった」

 ――どこか、悲嘆を滲ませた笑みを浮かべ、

「『これ』は、『私たち』の、『一手』だ」

 そして――

「完、敗だ」

 第三は消えかかっていた。

「やはり、素晴らしいな。人間。まさか、この、私を……」

 リストは表情を歪めた。復讐心を抱いている対象に、そんなことを言われたのだ。複雑な感情を抱いても仕方あるまい。

「ああ、死ぬのか。私は、もう、死ぬ……」

 第三は、満足気だった。それがリストにはむかついた。だが同時に、何とも言えない、自分でもわからないような感情も――

「さようなら」

 その言葉を最期に第三は死んだ。


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