第二十八話 いろんな果実
3月30日。
午後3時。
『フランス芸術学院パリ製菓専門学校』
入口ゲート横。
看板。
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チョコレート・コンペティション
『 未来のチョコレート 』
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受付。
大型モニター、1台。
カフェ。
モニター、3台。
ショップ。
モニター、2台。
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ロビー。
コンペティションメイン会場。
大型モニター、1台。
常設モニター、5台。
メインステージ。
司会、2名。
審査員、6名。
カメラ、3台。
観客席、20席。
立ち見スペース、大勢。
コンセプト部門一次審査通過者、5名。
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実習室。
大小のカメラが無数に配置されている。
完成品部門一次審査通過者、5名。
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校内放送。
「これより、チョコレート・コンペティション開会式を行います。」
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メインステージ。
司会が口火を切る。
「はい、みなさん、こんにちは。
いよいよこの日がやって参りましたー。」
両手でマイクを持つサラ。
「司会は私、サラ・アズールと。」
「ギオン・ヴァリアンが務めさせていただきます。」
「うふふ、ギオンさん、私、今日のイベント、
ほんっとーに楽しみにしていたんですよー。」
「そうですね、この日、この時を目指して
選手だけでなく、いろんな人が準備を進めてきました。」
「ギオンさん!
ご覧になってください、この会場!
こーんなにたくさん、集まって頂いて。」
「本当ですね。
みなさんも、楽しみにしていらしたようですね。」
軽やかなトーク。
和やかな会場。
「それでは、これより、チョコレート・コンペティション。
『未来のチョコレート』。
開幕でーす。」
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校長の挨拶。
審査員代表の挨拶。
グルメ専門誌、編集長。
審査員の紹介。
有名レストラン グラン・シェフ(卒業生)。
有名パティスリー パティシエ(卒業生)。
有名チョコレート・メーカー役員、2社より各1名。
有名レストラン チーフ・ソムリエ。
フードビジネス・ジャーナリスト。
コンペティションの内容説明。
募集要項の通り。
応募総数 120件。
一次選考通過者、10名。
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モニター。
実習室の5人。
スライドカメラの映像。
ステージ。
サラはゆっくり歩く。
数歩。
「未来のチョコレート、どんな作品が飛び出すのか、楽しみですね!」
足を揃えて止まる。
ギオンが歩く。
サラに近寄る。
「未来、その言葉は、便利でいて、曖昧です。
まだ存在しないものに、名前を与える行為ですから。」
二人が並ぶ。
「うふふ。
もう、いきなり難しいこと言わないでくださいよ。
でも、その”まだないもの”を、今ここで作るんですよね!」
「選手の準備が整ったようです。
それでは……」
「調理開始!」
サックス奏者。
ファーン…
ドラムがリズムを刻む。
タタタタ…
トン、タン、ズン…
⸻
「さぁ、スタートしました!
皆さん一斉に動き出しましたね!」
「時間は平等に流れます。
しかし、感じ方は人それぞれです。」
「確かに、見ているだけでもドキドキします…!
作っている側は、もっとですよね。」
サラの視線はモニターから客席へ。
「さて今回、このイベントの内容はネットを通じて
広く放送されています。
世界各国のチョコレートを愛する人々や、
チョコレート産業に関わる多くの人々から、
興味や関心を集めていることと思います。」
「とても素晴らしい企画となりましたね、サラさん。」
二人は微笑む。
サラは手をかざす。
ステージ・モニター。
「それではここで、
出場選手の一次審査での評価内容、
作品タイトル、
コンセプトをお伝えして参ります。」
サックスとドラムの演奏が変わる。
ファオン、ファファーン。
ドン、チャ、ドン、チャチャ…
⸻
サラによる作品の紹介。
合間にリポーターの実況。
「それでは、リポーターのマナさん、そちらはいかがでしょうか?」
「リポーターのマリー・ナージュでーす。
今日はいい天気!
実習室の窓からはとてもいい景色が見渡せまーす。」
パタン。
窓を閉める。
「しかし、各選手の表情は真剣そのもの!
景色を楽しむ事もなく、作業に集中しています!」
「マリーさんは、本校の学生です。
学生の間では、マナ、マナ、と呼ばれて、親しまれていますね。」
「サラさーん!
ちょっと見てください!
エントリーNo.1、レオンさんのこの手捌き!
早いー!
チョコとクリームがボウルの中で、滑らかに混ざり合っています!
そしてー、お隣の選手!
こちらは大理石の上でクルクルと、チョコが練られていますよー!」
ギオンが頷く。
目を細める。
「サラさん、これは、実に素晴らしい技術ですね。」
「本当です。
作品が出来上がるのが楽しみです!」
「サラさんサラさん、ちょっとサラさん!
こちらをご覧ください!
今回、完成品部門、唯一の女性。
他の人たちとは、まるで違うことしてますよ!」
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モニター。
ルナの横顔。
手元。
トレイにカカオ豆の殻。
カカオニブをナイフで刻む。
平らな耐熱容器に移す。
石でニブを叩く。
「見てください!
石ですよ石!
調理道具が、石!」
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観客席。
エルアンとクレールが見守る。
沈黙する学生たち。
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カフェ。
満席。
モニターを見ながらスイーツを食べる。
店員も見入っている。
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「サラさん、この選手はカカオ豆から
作っているようですね。」
「はい、資料によると、使用する道具については、
石の釜戸、石の器、河原の丸石。
火と石だけで作るための道具。
とのことです。」
「これは、原始の道具です。
彼女は未来というよりも、
過去に行っているようですね。」
「かなり細かい作業のようです。
時間との勝負になりそうです!」
「細部に時間を使うということは、
その人にとって重要な部分なのでしょう。」
「つまり、どこに時間を使うかで、
その人が見えるってことですか?」
「えぇ。
作品とは、時間の使い方の痕跡です。」
「しかし、かなり時間が掛かっているようです。
このペースで、間に合うんでしょうか。」
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……時間が足りない。
思ったよりも時間が進むのが早い。
でも焦らずに、一つ一つ、よね。
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……ブーン。
遠くから、低い震動音。
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……こ、この音。
ルナの表情が凍りつく。
石を持つ手が、加速する。
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調理開始から30分経過。
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モニターの映像が切り替わる。
『コンセプト部門』。
ステージ中央。
サラ。
「完成品部門の残り時間が、
あと1時間30分となりました。
それではこれよりメインステージでは、
コンセプト部門のプレゼンテーションに移ります。」
ドラムが変化する。
ガムラン。
透き通る音。
サックスが穏やかにメロディを奏でる。
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ステージに5名が並ぶ。
ローランは4番目。
「エントリーナンバー順に、
プレゼンテーションをお願いします。
一名につき10分以内です。
終わりましたら、審査員の質疑となります。」
一人目「空気から作るチョコレート。」
二人目「無限の宇宙。」
三人目「明日も食べたい。」
プレゼンテーション。
質疑応答。
それぞれ行う。
「はーい。
どうもありがとうございましたー。
明日も食べたいチョコレート、
とってもユニークなコンセプトでしたねー。
ギオンさん。」
「えぇサラさん、私は明日だけじゃなく、
明後日も、明明後日も食べたくなりましたよ。」
「ほんとですねー。
…それでは、ここで5分間の休憩を挟んで、四人目に参ります。
リポーターのマナさーん!
そちらは今どんな様子でしょうかー。」
「はーい!
こちらでは、調理をすでに終えた選手が出始めています。
チョコレートの冷却に入っているようでーす。」
「順調のようですね、サラさん。」
「はい、ギオンさん。
それでは、一旦マイクを置かせていただきます。
みなさん、5分後に再開いたします。
よろしくお願いいたします。」
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「ハーイ!ローラン。
コンディションはベリーナイス、デスカ?」
「……おいレオン、この後すぐオレの出番なんだぞ。
このタイミングで話しかけにくるか、普通。」
「僕は、必要なタスクを終えました。
仕上げは最後です。
ノープロブレム、全て問題なしデス。
これ食べてください、バナナはすぐエネルギーになります。」
「あー、ローラン!
次だねー、緊張してるんでしょー。
あんた、ここぞって時に実力出せないタイプよねー。」
「マナ、レオン、お前らあっち行けっつーの!」
「ローラン、頑張ってね。」
「……お、おう、ルナ。
あんまり期待しないで、いいぞ。
自分自身の言葉は、得意じゃないんだ。」
「うーん、ヴェルレーヌだねー。」
三人は観客席へ。
「ねぇ、ルナー。
さっき、急にスピード上がったよねー……」
声が遠のく。
ローランは息を整える。
吸って、吐く。
吸って、吐く。
吸って、止めて、ゆっくり吐く。
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「それでは、四人目のプレゼンテーションです。
タイトル『未来は、今、変えられる。』」
ステージにローランが現れる。
ゴーグルが乗ったシルクハット。
左腕の時計を見ている。
ゆっくりと上を見上げる。
一拍の間。
ゆっくりと顔を下ろす。
「このコンペのことは、先生から伺いました。
三ヶ月ほど前のことです。
テーマが『未来のチョコレート』だと聞きまして、
考えました。
……ですが、考えても考えても…なにも浮かびません。」
ローランは歩く。
右へ、左へ、また右へ。
立ち止まる。
正面を向く。
「そうだな、見に行ってみよう。」
ローランは、ゴーグルを掛ける。
左腕を目の高さに上げる。
一拍の間。
腕を下ろす。
ゴーグルを外す。
「見てきました。
100年後です。
残念なことに人類は途絶えていて、
一体のアンドロイドがいました。
彼に尋ねました。
『チョコレートはあるのかな。』と。
すると、彼は持ってきてくれました。
それは、チョコレートの化石でした。」
ゴーグルを掛け、左腕を上げる。
腕を下ろし、ゴーグルを外す。
「今度は100年後ではなく、5年後を見てきました。
やはり、誰もいませんでした。
それから4年遡って、1年後。
まだ人類は続いていました。
私は考えました。
人類が途絶えないために、何かできないだろうか、と。」
ゴーグルを掛け、左腕を上げる。
腕を下ろし、ゴーグルを外す。
「ある会話をきっかけに、未来が変わり始めました。
100年後、人類は僅かながら、かろうじて続いていました。」
ローランは目を閉じる。
右手を顎に、左手を背に。
一拍の間。
目を開く。
「私は気付きました。
あるショコラティエと会話をすると、未来が変わるということに。」
ゴーグルを掛け、外す。
「……大丈夫です。
100年後も、人類は続いています。」
「私は、その一人のショコラティエに言いました。
『過去と今を、一本の直線で結んでみてほしい』と。」
ローランは、右手の人差し指を動かす。
目線の高さ。
右から正面。
「私は、100年後を見てきました。
未来のチョコレートを確認しました。
……それは、何の変哲もない、普通のチョコレートでした。
……ずっと、変わらずに。」
沈黙が落ちる。
ローランは上を見上げる。
シルクハットが、ずり落ちる。
「……あ。」
スポットライトが、頭を照らす。
沈黙。
ルナは思う。
(......神々しい、ってやつ?)
ローランの目が、ルナと合う。
ハンカチで頭を拭く。
「な……」
一拍。
「なんちゃって〜!!」
「……って、おい!」
サラのツッコミ。
会場の空気が緩む。
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ローランの後。
五人目。
つつがなく進む。
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完成品部門。
調理時間終了。
「それでは、完成作品の実食です。」
作品が並ぶ。
審査員と司会者による実食。
コメント。
創作者との質疑応答。
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審査員が問いかける。
「このチョコレートに込めた思いは?」
ルナが答える。
「もし、アフリカの農家がチョコレートを作ったら、
今とは違う未来になると思いました。」
「この形にした理由は?」
「アフリカでは右手の三本指だけで食事をします。
ですので、その指だけで形を作りました。」
「豆の粒が残っていて、ワイルドな感じ。
クランチのようだ。
意外にもサクサクしている。」
「バターやクリームを使うことができないので、
カカオ豆と砂糖と水だけで作りました。」
「……水?
水は普通なら絶対に入れてはいけないよね。」
「はい。
ですが、形をまとめるために、
グラニュー糖の結合を考えました。
石で擦って油脂を出し、
少量の水で煮た砂糖と合わせます。」
「なるほど、ザッハグラズールの要領だ。」
「はい。」
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モニター映像。
他校の学生の作品。
「一体どうやったらこんなチョコレートができるんだ?」
「ハイ。
3D CADで設計して型を起こしました。」
「……3D CADで…
いやいや、それでなんで、こうなるの?」
「タイトルの『パンドラ』の通り、
チョコレートのボックスです。
ナイフで押すと、崩れるように開きます。」
「ふむ。」
「パーツ同士がバランス良く支え合います。」
「ふむふむ。」
「ボックスが開くと球体のチョコレートが現れて、
その場でバウンドします。
チョコの温度をキープするために、ボックスにドライアイスを入れています。
白い煙も演出になります。」
モニターを見るマナ。
「他校にもいるのねー、ああいうタイプ。
レオンが作ったのかと思ったわ。
でもレオンだったら、もうひとひねり入れるわね。
ねぇ、ローラン。」
「んー、例えばどんな?」
「……うーん、あの球が転がって、
棒を倒したりとかして、
くす玉が割れて金箔が落ちるー、とか。」
「……」
「それは無理だろ!」
モニターの映像が変わる。
「あ、次はレオンね!」
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「……ソーリー。」
レオンが頭を下げる。
「誠に申し訳ございません。」
審査員席に、グラスが並ぶ。
レオンの前に、キッチンカート。
縦にカットされたモンキーバナナ。
断面の裏側にはチョコレート・コーティング。
サラが伝える。
「最後の仕上げを直前に行いたいとのことです。
一次審査時に申請があり、時間を分割しています。
5分間となります。」
頭を上げるレオン。
「では、作業開始。」
カチ、カチ…
バナナの断面にグラニュー糖。
カセットガスのトーチバーナー。
ブォー…
キャラメリゼ。
カッカッカッ...
胡桃を刻む。
バナナに振りかける。
審査員席へ運ぶ。
グラスに乗せて行く。
「チョコバナナパフェ『banana moon』デス。」
カチッ。
「4分59秒です。」
細長いパフェグラス。
トランペット型。
上部はウェーブ。
最下層から。
ストロベリーのシロップ漬け。
その上に、コーヒーゼリー。
ゼリーに浮かぶ球体のチョコレートアイスクリーム。
薄い飴で丸く固めたコーンフレーク。
チョコレートホイップクリーム。
トップにチョコバナナの、月。
レオンは目を閉じる。
右の手のひらを上に向け、左から右へ。
頭を下げながら。
「ボナペティ。」
審査員が手を挙げる。
「とても素晴らしい。
しかし、テーマの未来は?」
レオンは微笑む。
「ハイ。
本校のカフェで、明日から販売します。」
「近未来デス。」
会場がざわつく。
審査員の一人が小声を漏らす。
「はは、まったく……やられたな。」
⸻
カフェ。
「明日、予約お願いしますー。」
「はーい!数量限定でーす。」
⸻
開幕から3時間。
審査員が会場に戻る。
席に着く。
選手がステージに上がる。
「それではーー」
「結果発表です。」
⸻
審査委員長。
「今回のコンペティション、
『未来』という曖昧なテーマに、
数々のアイデアが寄せられました。
そのどれにも間違いはありません。」
「そして、今日の作品を目の当たりにし、
未来へのアプローチを真剣に考えること、
その意義を強く感じました。
どれも、心に響くものばかりでした。」
「審査員の話し合いで、未来とは何かについて、
結論を出しかねているのが正直なところです。
それを踏まえて、投票にて決定させて頂きました。」
審査委員長から司会へ。
書類が手渡される。
「発表します。」
ドラムロール。
タタタタ…
「コンセプト部門。」
タタタタ…
「最優秀賞。」
タタタタ。
シャーン!
タン!
「タイトル『未来は、今、変えられる。』」
モニターが映す。
「プレゼンテーター、ローラン・ベルナール。」
サックス、ドラムが響く。
会場に歓声が上がる。
サラがローランを一歩前に促す。
マナが花束を渡す。
「やるじゃない。」
微笑む。
「……だろ?」
応える。
「続いて、完成品部門。」
静けさが戻る。
ドラムロールが静かに始まる。
金属音。
シャー……
「最優秀賞。」
シャー……
「今回、最優秀賞は……」
音が消える。
一拍の間。
「……該当者なし。」
沈黙。
「優秀賞作品、2点。」
タン、タン、
タン!
「タイトル『banana moon』。」
モニターが映す。
「作者、レオン・ヴァイス。」
管楽器、打楽器、歓声が響く。
「優秀賞作品、もう一点。」
シャー……
観客席。
エルアンとクレールはステージを見ている。
マナは両手を組んで目を瞑る。
ローランとレオンはルナを見つめる。
サラは紙を見ている。
遠くの国に、スマートフォンを見る人々がいる。
シャー。
シャン!
「タイトル……」
「『パンドラ』。」
拍手が会場を包む。
音楽が流れる。
うつむくルナ。
音が遠くなる。
何も、聞こえない。
「今回、最優秀賞は該当者がなく……」
司会、サラの言葉は続く。
「……特例となりますが、
審査員特別賞が設けられました。」
沈黙。
「タイトル『navy moon』。」
「作者、ルミエール・ロシュ。」
レオンとローランは目を合わせる。
「......誰?」
「……?」
モニターが映す。
うずくまっている。
マナが駆け寄る。
肩を貸して、ルナを立ち上げる。
「……え?何?」
ルナはキョトンとしている。
ローランとレオンが二人を囲む。
エルアンが拍手をしながら立ち上がる。
クレールも続く。
会場中が、拍手で埋め尽くされる。
サックスとドラムの音。
歓声に掻き消される。
それでも、何かが残っていた。
⸻
表彰式。
閉幕。
徐々に人が引く。
実習室。
道具を片付けるルナ。
「ルミエールさん。」
審査員の一人。
ジャーナリスト。
「あなたの作品、実に興味深かったです。
よろしければ、もっとお話を伺えたらと……。
なぜあそこまでアフリカの現地の再現にこだわったのか。
……というよりも、現実的な考察が非常に高かった。
まるで、アフリカを見てきたようだ。」
「…あ、はい。
幼い頃に一度だけ。」
「やはり!そうなのですね。
今日は時間がないもので、これで失礼しますが、
ぜひ後日、取材をさせてください。」
「……はい。」
ジャーナリストは笑顔で頭を下げる。
「学校宛にご連絡いたしますので、
よろしくお願いしますね。
それでは、これで。」
「……あ、そういえば......
あの作品タイトル。
同じ名前のチョコレートが、あったような…」
「…え。」
「そう、『navy moon』だったはず……
グルメ関係の記者の間で、少し話題になっていました。」
ルナは固まる。
「……navy moon……」
⸻
……同じ名前……
⸻
「ギオン先生、お疲れ様でした。」
「サラ先生、私もとても良い経験になりました。
今日のこの日は過ぎて行きますが、
また新しいことに取り組みたいですね。」
空いっぱいの雲が、日の光を受けている。
ガラーン、ガラーン。
どこかで鐘の音が鳴り響いている。
「そういえばサラ先生、花束がひとつ、余っていますよ。」
「あぁ、そうでした。
そこにありますね。
後でパーティーに持って行きましょう。」
清々しく、香りが漂う。
美しく咲く花々。
夕暮れの光が照らしている。
⸻
夜。
祝賀パーティー。
タブレットの画面を見るサラ。
「うふふふー。
学校の体験学習の申し込み、どんどん増えてるわー♡」
「サラサラ先生、グレイトデス。
企画、大成功デス。」
「経費使いまくっちゃったから、しっかり回収するわよー。
レオン君、明日からカフェの方、よろしくね。」
「ハイ!ノープロブレム、デス。」
「もうー、サラサラの筋書きだったってわけ?
こんな大掛かりなこと、よくもやってくれたわね。」
「何言ってるの。
誰が賞を取るのかまでは考えていなかったわよ。
あなたたちが頑張って、正当に評価されたのよ。
まぐれでもない、筋書きでも何でもないわ。」
ワインが注がれる。
テーブルにアミューズが届く。
「キッシュ。
はじまりのケーキね。」
チーズと卵、小麦の香りが漂う。
「……フルルチルチルワー……」
「……アミューズ・ブーシュ……
それは口を楽しませるもの……
いや、心を楽しませるものか……」
「おいしそうデス。
ローラン、見てください。
牡蠣が入っています。
これは、エレガントなテイストデス。」
「......相変わらず、謎な会話ね。
これって、成り立ってるのかしらね、サラサラ。」
「うふふ。
良いじゃない。
それぞれ個性的で。」
「……あー、あたしだけだなー。」
「うん?」
「今日、賞が何も無いの。」
「……そういえば、確かにそうね。
でも、マナさんもみんなに貢献してたわよ。」
「え?
何もしてないわよ。
リポーター役も、別にひいきとか、しなかったし。」
「そういう事じゃなくて、
いつもみんなを支えてるでしょ。」
「……」
「あなたがみんなを支えて、
引っ張っているんでしょ?」
「……」
「さすがは、年の功よね。」
「……」
「ちょっと待ってよもう!
二十歳だってば!」
サラは笑う。
マナも笑う。
音。
小さな旋律が届く。
フロアの奥から。
弦楽四重奏。
静かに、繊細に。
ゆっくりと。
「……モルダウ、よね、これ。」
「キレイなメロディね。
……さぁ、冷めないうちに頂きましょ。
まだ、はじめの一皿目よ。」
「……うん。」
「……食べる。」
「……おいしい。」
食事が進む。
会話も弾む。
弦の調べが、導くように。
⸻
最後の皿が運ばれる。
色とりどりの果実。
小さく切り分けられ、整列している。
ソースとハーブが余白を飾る。
「デザートです。」
給仕が伝える。
「……キレイ。」
「シンプルなのに、魅力的。
ひとつずつ、じっくりと味わうべきよね。」
⸻
食事が終わる。
レストランを出る。
「はい、マナさん。」
サラが花束を差し出す。
「私が選ぶ最優秀賞は、あなたよ。」
「……えっ。」
香りが広がる。
花が揺れる。
「だから、私は何もしてないってばー。」
ルナはサラの花束を一緒に持つ。
「私も、そう思う!マナよ!」
ローランとレオンも、一緒にマナを囲む。
「早く受け取れよ、マナ。」
「マナさん、おめでとう、デス。」
花束を受け取る。
花に顔を埋める。
「……」
「私は、審査員特別賞。
マナは、最優秀賞よ!」
サラがルナを見る。
「ルナさん、あなたはどうして最優秀賞に選ばれなかったのかしらね。」
「それは……」
ルナは考える。
だが、言葉にならない。
「私は、あなたのチョコレート、素晴らしいと思った。
でも、最優秀はやっぱり違ったのね。」
「僕のも、最優秀ではありません。
審査員のイメージとは、ちょっと違いました。」
ルナは右手の指を見つめる。
「私のチョコレートは、見た目が地味で、存在感が薄かった、よね。」
「コンセプトはとても評価されていたわ。
審査委員長もすごく推してたもの。」
「そうなの?」
「でも私は、ルナさんには、ご褒美のチョコを作って欲しいかな。」
「ご褒美?」
「あなたはきっと、みんなのご褒美を作れるわ。」
「あなたのチョコを食べるために、仕事を頑張る。
そして、それを食べて、元気になる。
また食べたいって、思う。」
「……」
「頑張る人の、ご褒美チョコよ。」
「……」
「作れるわ、きっと。」
「……」
「だってあなたが、頑張る人だから。」
ルナは空を見上げる。
小さな雲の周り。
白く浮かんでいる。
少しずつ動く。
月が現れ始める。
ルナは目を閉じる。
父から届いた写真。
カカオの畑。
村人たち。
頑張っている人たち。
「……」
「ほら、泣かないで。」
サラが言葉を掛ける。
「……」
ルナは顔を手で触れる。
「……私、泣いてなんて、ないよ。」
ルナはサラを見る。
サラは後ろ姿。
その影に、マナ。
「……うっ、うっ、うー。」
ローランは時計を見ている。
レオンはスマートフォン。
ルナは、また空を見上げる。
雲は去り、月が強く輝いている。
⸻
カチャ。
アパートのドアが開く。
パタン。
閉まる。
椅子に掛ける。
窓際。
月の光が照らす。
スマートフォン。
検索。
……
navy moon。
チョコレート。
ルナの目。
大きく開く。
写真。
カカオの畑。
村人。
写真。
鞘に収まったマチェーテ。
その下の、剪定鋏。
息を吸い込む。
……
立ち上がる。
口を抑える。
……
震える。
画面を見続ける。
座る。
ゆっくりと。
小さくなる。
顔が下をむく。
画面がぼやける。
目を閉じる。
⸻
月。
小さな雲に覆われる。
ぼんやりと光る。
やがて雲が過ぎる。
また窓辺を照らす。
静かな夜。
一人の部屋。
明るい月。
どこかにいる。
見上げる人。
⸻




