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第一話 あなたの名前は

誰かが、叫んでいた。


「行きなさい!」


金属が軋む音。

警報。赤い光。

床が大きく揺れる。


少女は走っていた。誰かに手を引かれて。

振り返ると、扉の向こうに女の人が立っている。


泣きそうな顔で、その人は口を開いた。


「あなたは———、だから……生きて……!」


その声が途切れた瞬間、世界は闇に沈んだ。


***


白い天井。

つなぎ目の見えない、平らすぎる天井。


「夢か…」


(……また、この夢)


胸に残るのは、逃げなければいけない、という謎の感覚だけ。

誰から、どこへ逃げるのかは分からない。のに「逃げなければならない」漠然とそれだけを感じる。


真っ白なベッドから起き上がる。もうあの夢の内容は覚えていない。


「オハヨ、ノゾミ」


背後から声が聞こえる。感情はこもっていない声なのに少しだけ心が安らぐ。


振り向くと、白い外装の世話用ロボットが立っていた。

目立たないけれど、いつも同じ位置にいる。

起きたとき、必ずそこにいる存在。


「……おはよう」


声を返すと、ロボはほんの少し首を傾けた。

返事を確認しているみたいで、少し可笑しい。


「キョウノアサゴハンハ、ナニニスル?」


「いつもので」


「リョウカイ」


その一言を残して、ロボは部屋を出ていく。

どうせ、あの無駄に広いキッチンに向かったんだろう。そう、うちのキッチンは広すぎる。私とアイツしかいないってのに…掃除が面倒なんだよなぁ。


「ふー……今日はやること多いなぁ」


そう独り言を言うと、

すぐ近くで聞いていたみたいに、廊下の奥から声が返ってくる。


「キョウハ、ゴゴマデ、ベンキョウダヨ」


「はいはい、分かってますよー」


私は毎日、いろんなことを勉強している。

わけのわからん言語、科学、銃の取り扱い方……。


「なんでこんなこと勉強してるの?」と聞くと、

ロボは決まって、少し間を置いてから答える。


「ヒミツ……マァ、アトスコシデワカルヨ」


それを聞くたび、

知ってるくせに教えてくれないところが、なんだか腹立たしい。


今日やるのは言語学か…他に人はいないのにいつ言語の知識なんて使うんだろう…めんどくさいなぁ。


そんなことを考えながら食卓へ向かう。


小麦で作られた謎の食べ物に、

謎の液体が塗られただけの朝ごはん。


いつも同じ。

でも、皿が置かれる位置も、量も、温度も、全部ちょうどいい。控えめに言って大好きだ。


「マタ、オナジユメ、ミタ?」


正面に座るロボが聞いてくる。顔で悟られたか?やっぱロボはすごいな。


「うん。また、あそこまで」


「ソッカ」


ちょっとした会話をしただけなのに、安心した。話し相手がいるってほんとに大事なことだと思う。マジで。

朝ごはんを食べ終えると、ロボは何も言わずに食器を片付ける。

私はソファに寝転がって、その背中を見ながら思う。


——この場所で、私がちゃんと話せる相手は、こいつだけだ。こいつを失ったらどうなっちゃうんだろう?


十年以上、

このよく分からない白い空間で、

私とロボだけの生活が続いている。


人はいない。家族も友達も。

でも、ロボのおかげで一人じゃないと思えていた。ロボこそが私の家族だと


……今日までは。


私は朝ごはんを食べ、自室に戻って勉強を始める。ボンジュールやらボンソワールやら、色々頭に詰め込んだ後休憩がてら射撃場に訪れた。

『目的地についたあとも油断するな!!』

射撃場の入り口に設置されている看板に書かれている内容がいつも気になる。まぁロボに聞いても適当に流されるだけだけど。


ドンッ!!ドンッ!!


この時間が正直一番楽しい、射撃をしている間は時が過ぎるのが一瞬だ。勉強よりもやっぱり体を動かすことの方が好きだ。


時計をふと見ると21:00になっていた。

「もうこんな時間‥」

射撃場からリビングに戻り、「夕食作って〜」とロボ頼みに行こう、とした。しかしその途中であることに気づいた。


「あれ……?」


馬鹿みたいに大きな扉が開いている。いつも閉まってるのに…。

いったいこの先には何があるんだろう?


興味本位で近づこうとした、その瞬間。


「ダメダヨ!! ソト、アブナイ!!」


いつもより、明らかに強い声。


ロボが、私の前に立ちはだかる。


「……どうしたの?」


答えはない。


仕方なく引き返そうとした、そのとき。

開いた扉の向こうから——


何かの足音が、聞こえた。



ペタ ペタ ペタ ペタ 


濡れたものが床に張り付くような、気持ちの悪い音。

一定の間隔で、確実に近づいてくる。


「……なに、この音」


喉がひくりと鳴る。

足が、勝手に一歩後ろへ下がった。


「ソッチミチャダメ」


ロボの声は、いつもより少しだけ強かった。

でも、もう遅い。


開いた扉の向こう。

白い通路の奥から、影が現れた。


人だ。

間違いなく、人の形をしている。


けれど——


歩き方が、おかしい。

片足を引きずるように、上体が前に傾いている。

腕は力なく垂れ下がり、指先が床を掠っていた。

さらに血管が鼈甲色に光っている。


ペタ。

ペタ。


距離が縮まるにつれて、においがした。

鉄みたいな、腐った水みたいな、鼻の奥が痛くなる匂い。


「ねえ……誰かいるの?」


返事はない。


影が、ゆっくりと顔を上げた。


目が合った。

—その瞬間、頭の中が真っ白になった。

目は開いているのに、何も映していない。

口は半開きで、唇の色が抜け落ちている。

首の角度が、不自然だった。


「……っ」


声が出ない。

それは、ぐらりと体を揺らしながら、こちらへ一歩踏み出した。


「ニゲテ、ノゾミノヘヤノホンダナノウラニゲミチ」

「ソコヘ、イソイデ!」


ロボの声が、はっきりと震えていた。


「え……ちょ、なにそれ……!」


聞き返す暇はなかった。

ロボは私の背中を強く押す。


「ハヤク!」


その瞬間、

背後で――


ガシャン!


何かがぶつかる、鈍い音。


振り返りそうになる私を、ロボはもう一度突き飛ばした。


「フリカエラナイデ!」


私は、転びそうになりながら走り出す。

床を蹴る音と、自分の荒い息しか聞こえない。


後ろで、低い唸り声がした。


「……ぁ……ぁ……」


そして――

ロボの金属音。


ガン、ガン、と何度も叩きつけられるような音が響く。


「ダメ……!」


思わず叫ぶ。


でも、ロボは答えない。


代わりに聞こえてきたのは、

いつもよりずっと大きな、機械音声。


「ノゾミ」


初めて、はっきりと呼ばれた気がした。


「キミハ——」


その言葉は、途中で途切れた。


バキッという嫌な音。

金属が歪む音。


私は歯を食いしばり、言われた通り自分の部屋へ駆け込む。

本棚の裏に手をかけると、確かに——


隙間があった。


板が、音もなくずれる。


暗い通路が、口を開けている。


背後で、

ペタ、ペタ、という音が、さらに近づいた。


それと混じって、

ロボの声が、ノイズ混じりに聞こえる。


「……イキテ……」


次の瞬間、

大きな衝撃音とともに、すべてが途切れた。


私は、逃げ道の中へ転がり込む。

本棚が元の位置に戻り、外の音が遮断された。


暗闇。


自分の心臓の音だけが、やけに大きく響く。

——ロボは‥


あの夢と、同じだ。

誰かが、私を逃がして。

自分は、生き残った。


私は、無我夢中で走りながら思った。


ここで生きてきた十数年は、退屈そのものだった。

白い壁、同じ食事、同じ声。


何も起きない毎日。

私はずっと、「閉じ込められている」と思っていた。


でも——違った。


この生活は、ただの隔離じゃない。

訓練と学習で埋め尽くされた日々は、

偶然でも、気まぐれでもなかった。


語学、科学、武器の扱い。

子どもが学ぶには、明らかに不自然な内容。


「外」、あの扉の向こうの、未知の世界——

でも外には——人ではない何かがいる。


扉の向こうで聞こえた足音は、

初めてその「外」が、私の世界に触れた証だった。


私は、守られていただけなんだ。

あの得体の知れない何かが、

ここへ入り込む、その日まで。


そして——

あの白いロボット…ロボは——

最初から「こうなる」ことを知っていたのかもしれない。


暗闇の中、

私は初めて、本当の意味で一人になった。

大切な家族を失ったのだ



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― 新着の感想 ―
なろうでゾンビ系ってあるんだ
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