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まばらに歩いて俺の視界を遮っていた生徒たち。すり抜けるとはいえ、一応掻い潜りながら進むと、奥に人だかりが見えた。言わずもがな、俺の死体がそこにあるはずだと思った。自分の死体を見たらどんな気分になるのだろう。そんなことを考えながら足を動かし続けるのだが、どうせ幽体離脱したような気分になるのだろうと思った。
「ちょっと失礼します」と言いながら、人だかりの中に入っていくのだが、当然独り言である。俺の声に振り向く者は一人もいなかった。誰にも聞こえていないはずの声を繰り返しながら、最終的には何人もの人の身体をすり抜けた。
「近づかないでー、もっと下がってー」警備員の中年男性と紺色のスーツを着た職員らしき男性が手を広げている。
聞く耳を持たずに前進した。
警備員は俺が前に進んでも止めようとしなかった。
目に入って来たのは。
大事なことを思い出した。
「比留間さん……」
思うよりも先に声がこぼれた。比留間さんは助かったのだろうか。落ちたのは五階からだから、二十メートル前後は高さがあるだろう。落下当時に感じられた時間の経過は長かったものの、今思い出そうとしても一瞬の出来事のように思えてあまり思い出せない。地に背を向けて身を投げたら一緒に落ちる比留間さんがそこにいて、とっさに校舎の壁に身体を擦りつけながら落ちたつもりだったが、もし本当に壁の摩擦が起きていたとしたら、比留間さんの方が先に地面に落ちていることになる。
そんなことはどうでもいいけど。というか、なぜ教室を飛び出した俺の後ろに比留間さんがいたのかが気になった。彼女だって同じ講義を受けていたはずだった。だとすれば俺が飛び出した後、彼女は俺を追って来たということになる。
???
期待が妄想になる前に、気体のように蒸発させる。
視線を泳がせると、俺の死体がコンクリートの上でくたばっていた。思わずしゃがんだけれど、見るに堪えなかった。幽体離脱なんて言えたものではない。生身の人間は思った以上に興奮を誘った。生身の肉片なのである。吐き気はない。気分の悪さもない。ましてや自分の死体だとわかっていれば、もっともっと興味がわく。他人の死体であったら近づくこともなかったであろう。
蓮コラのような気持ち悪いけどどこか惹かれる集合体に恐怖を感じつつ、死体の、特に頭だったところに見入ってしまう。
それにしてもぐちゃぐちゃだ。身体は普通なのだが頭が割れている。ボウリングの玉ぐらいの重さがあると聞いたことがあるが、ボウリングの玉がそのまま割れている訳ではないから無機物に比喩するのはよくない。中身が出ているのだ。せめてスイカとカメロンだろう。
これが自分? これがさっきまで動いていた? これが母親の体内で作り上げられた人間なのか? そう考えるば気持ち悪くてたまらなかった。身の毛がよだつ。
自分の死体を後にしようと立ち上がった。職員が遅れて俺の死体にブルーシートをかけたようだった。振り返ると、俺を囲むようにして野次馬が職員たちに寄り、死体に近づかないようにと制されていた。
円の真ん中に俺が居るような光景だった。それなのに、俺のことを誰も見ていない。皆、目線は下で、鼻を塞ぐ者も見られた。
俺はいないものとして扱われていた。
生きている俺を見ているのではなく、亡骸となった俺にばかり注視されていた。
そりゃそうだろう。俺、死んでるんだし。誰にも見えないんだし。気分はよかった。あれだけ憧れた存在になれて正直すっきりしたし、自由になった気がする。
でも何かが違った。その、底に沈んでいて土に隠れてしまった何かは、当然掘り起こさなければわからない。
死は、言い換えれば虚無だと思っていた。死んだらプッツリ視界が切れて、魂も絶たれてしまうのだから、思考も永久に停止するものだろうと考えていた。だからこそ、自殺を志願していたのかもしれないのに、今は生きながらえている。動けるし、考えることもできる。寧ろ、動けなくなって考えることすらできなくなるため、という理由が、死にたい理由の一つでもあった。即死じゃなかったら自殺しない。死にたいくせに苦痛は嫌いな戯けだ。ジェットコースターに乗って放り出されたような感じで死ねればいいと漠然と常々考えていた。不思議なことに、今の俺は死んだときの痛みや衝撃を覚えていない。即死だったのだろうか。
想像は、思った以上に俺を裏切ってくれる。生きていた頃も、死んでいる今でさえ。
俺は、何かに縋りたくて、何かに縋るように比留間さんを探した。俺の死体の近くにいないところを見ると、もうすでに運び出されたのだろうか。いや早くない?
少し目を凝らせば比留間さんは見つかった。生け垣の隣に彼女は横たわっていた。見ると、数人の男性職員によって身を起こされ、女性職員によって宥められている。
考えてみれば彼女が生きているのは当然のことだった。男から『後悔』と聞いたとき、真っ先に思い浮かんだのは比留間さんだった。彼女が死んでいるか否か。それを後悔しているのではないか。だったら、彼女が死んでいたら後悔はしたとしてもあの空間には呼ばれないだろう。助けることもできないのに成仏もくそもない。部屋に呼ばれることなくこの世を彷徨う亡霊と化していたはずだ。そもそも比留間さんが生きているのであれば後悔などしていない。
でも、そこがミソでもある。逆にここで比留間さんが死んでいたとしたら、俺は何に後悔をしているのか。命を落としたことに後悔できるほど現実を生きた覚えもなければ、生きることに執着もしていなかった。何に後悔しているのかが不確定な中で、比留間さんという存在が死ぬ直前に飛び込んできた。
いや、これしかないだろう、どう考えても。
とりあえず比留間さんが生きていてくれてよかった。俺の自殺によって関係のない彼女まで巻き込んでいたとしたら、一世一代の大恥だ。プライド、ズタズタに切り裂かれちゃう。普通に死んでいれば、大恥になるかもしれなかったということにも気付けなかった。
彼女は気を失ったまま担架で運ばれる。俺の死体とは違って、生きているとわかったら対応が変わる。虚しいけど、悔しいけど、それが心臓が動き続けていることの価値だった。鼓動を鳴らす価値がそれだけ高いのだった。延命なんてしても仕方がないと薄っすら思っていたが、そんなに悪くもないことなのかもしれない。生きることの方がやっぱり大切だ。
いつの間にか隣に居た赤線の伸びた白いワンボックスカーは、知らぬ間に走り去っていった。頭に赤い光をくるくると灯し、回して、音を鳴らして。
それに比べて俺の死体はまだブルーシートの下。今まさに男性職員がブルーシートの下を覗こうとしている。
「え?」
俺の死体は、忽然と消え失せていた。




