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第23話 再び前へ


 目標ができた。


 それだけで俺の日々は。まるで別のものに変わった。



  

  

 空っぽだったあいだ。俺はただ体を動かしているだけだった。討伐に行っても。魔物を倒しても。何も感じなかった。


 だが今は違う。


 俺はセルフィリアを目指していた。ヴェルドー家より先にあの大珠を獲る。圧倒的な戦果で。誰にも見下されない自由を手に入れる。そして――あの俺を嬲った連中に。ほんの少しの仕返しを。


 その目標が。俺を突き動かした。


 朝目を覚ますと。体に力がみなぎっていた。空っぽだった胸に。火が灯っている。今日も強くなろう。明日も。セルフィリアに届くために。あの連中の目論見を砕くために。


 俺はまた渇いていた。


 あの石ころ使いの頃のように。渇きが。俺を前へ前へと押し出した。



  

  

 力の伸びは。凄まじかった。


 目標を失っていたあいだも。俺は強くなり続けていた。だがそれは惰性の成長だった。今は違う。明確な目標に向かって。俺は貪欲に力を求めた。


 より深い珠地域へ。より強い魔物へ。ルーチェと二人で挑んだ。


 強い魔物ほど。聖点の力で濃く強化されている。そしてその濃い強化ほど。俺の重力は深く効いた。俺の力は根源に近い。聖点に由来するものにこそ強く作用する。だから強敵を相手にするほど。俺の重力は冴えた。


 そして倒すたびに。強化を吸収する。俺はまた強くなる。強くなれば、より強い敵に挑める。より強い敵を倒せば、より多くの強化を吸収する。


 昇り龍のように。俺の力は。加速度的に。膨れ上がっていった。


 かつて指一本ぶんの石を持ち上げるのがやっとだった。その俺が今は。牛ほどの岩喰いを遅らせ、圧し留める。竜の亜種の突進を掌一つで縫い止める。時間を遅らせる領域は部屋一つを覆うほどに広がった。光を曲げる精度は、どんな死角へも寸分たがわず届くほどに研ぎ澄まされた。


 強くなるその手応えが。空っぽだった俺の胸を。日ごとに満たしていった。かつて日記に指一本の伸びを記録して喜んでいたあの頃の渇きが。何倍もの大きさで。俺の中に戻ってきていた。目標があるだけで。世界はこんなにも色を取り戻すのか。俺はその目まぐるしい変化に。半ば酔っていた。

  


  

「……すごいわ、クロト」


 ある討伐のあと。ルーチェが荒い息を整えながら言った。


「この数ヶ月で。あなた別人みたいに強くなった。……前のあなたも強かったけど。今はその比じゃない」


「お前のおかげだ」


 俺は掌を見つめながら答えた。


「目標ができた。……それだけでこんなに違う。空っぽだった頃が嘘みたいだ」


 ルーチェは微笑んだ。その碧い目が。俺を見つめている。


「……ええ。あなたは変わったわ。いい目をするようになった」


 いい目。


 俺はその言葉に。少し引っかかった。


 いい目とは。どんな目だろう。ステラに届こうとしていた頃の俺の目とは。何か違うのだろうか。あの頃あいつは。俺の目をこんな風には言わなかった。ただ静かに見ていた。だが今あいつは。満足そうに。まるで自分が丹精した何かが。ようやく望んだ色に染まったのを確かめるように。「いい目をするようになった」と。


 だがその引っかかりを。俺は深く考えなかった。


 目標があって。力が伸びて。日々が充実している。それで十分だった。俺はまた歩き出せている。それだけで良かった。

  


  

 だが時折。


 夜一人になると。


 ふと思うことがあった。


 この火は。なんだろうと。


 石ころ使いの頃の火とは。何かが違う気がした。あの頃の火は。ステラに届きたいというまっすぐな熱だった。あいつのあの風に散る黒髪を追いかける。ただそれだけの。純粋な渇き。


 だが今の火は。


 もっと昏かった。


 誰にも見下されない。あの連中を見返す。あの男の目論見を砕く。ざまあみろと言ってやる。……その火には。どこか澱んだ色が混じっていた。ステラを追いかけていた頃のあの透明な熱とは。違う何か。


 傷から生まれた火だった。


 あの夜宴で。あの男に虫けらのように嬲られた。その屈辱。その痛み。それが今の俺の燃料になっていた。


 だが。


 それでもいいと俺は思った。


 昏くても。澱んでいても。火は火だ。俺を前へ進ませてくれる。空っぽの俺をまた歩き出させてくれる。それで十分だった。


 ――どんな火であろうと。


 燃えていれば。それでいい。


 俺はその火の出どころを。深く問わなかった。問えば何か認めたくないものに。行き着く気がして。だから俺は。ただ火にすがった。


  

  

 セルフィリアへの道は。しかし簡単ではなかった。


「問題は、時期よ」


 ある夜、ルーチェが地図を広げながら言った。


「ヴェルドー家の討伐隊は。もう動き始めてる。装備を揃え。人を集め。……セルフィリアへの出発は。そう遠くないわ」


「先を越されたら」


「終わりね。あの男がセルフィリアを獲れば。ステラの箔付けは成る。あなたの目論見も。全部水の泡」


 俺は地図の北の一点を睨んだ。


 セルフィリア。ヴェルドー家と俺。同じ獲物を狙っている。だが向こうは大規模な討伐隊だ。金も人も装備も桁が違う。俺とルーチェ二人だけで。あの討伐隊より先に。あの最大級の聖点を獲る。


 無謀だった。


 誰が聞いても。二人でセルフィリアを獲るなど。死にに行くようなもの。ステラにもそう言われた。マレナにも。


 だが。


「……やれる」


 俺は呟いた。

「二人でも。やれる。俺の重力と。お前の光と。……竜すら沈めてきた。セルフィリアだって」


 ルーチェは俺を見た。碧い目が。静かに。しかし確かに。輝いていた。


「……ええ。やりましょう」


 あいつは頷いた。


「あなたと私なら。できる。……あの男より先に。セルフィリアを獲るのよ」



  

  

 その夜。


 俺は日記に書いた。


『力は順調に伸びている。ヴェルドー家の討伐隊が動き出した。先を越される前に。俺たちも動く。……無謀かもしれない。二人でセルフィリアを獲るなど。でもやれる。俺にはルーチェがいる。目標がある。火がある。……もうあの空っぽの俺じゃない』


 書き終えて。俺はペンを置いた。


 もうあの空っぽの俺じゃない。


 それは確かだった。俺はまた歩き出している。前を向いている。目標に向かって。力を伸ばして。日々が充実している。


 空っぽだった頃を思えば。今の俺は。生きているという実感があった。


 だが。


 俺は気づかなかった。


 その生きている実感の中心に。もうステラはいなかったことに。


 あの風に散る黒髪も。あのまっすぐな笑顔も。俺を突き動かしていたあの透明な想いも。今の俺の中には。なかった。


 代わりにあったのは。


 昏い火。傷から生まれた意趣返しの欲。そして――その火を灯し育て方向づける。金の髪の気配。


 俺はまた歩き出した。


 だがその足は。


 かつてステラへ向かっていたあの道とは。まるで違う方向へ。


 俺は。自分の意志だと信じて。力強く。踏み出していた。




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