第8話 窓口の観音様と、美しきリベンジ
「――それじゃあ、今日の配信はここまで。みんな、地味な金策に付き合ってくれてありがとう。またね、お疲れ様!」
ダンジョンの薄暗い隠し通路の端、浮遊するドローンカメラに向かってしなやかに指を振る。配信終了の赤いシグナルを確認した俺は、ようやく肩の力を抜いて、ふぅっと長く息を吐き出した。
数日間に及ぶ徹底的な「修行と金策」。その成果は、腰のベルトに下げた耐魔素材のポーチの重みが証明している。
いつもなら、ここでコソコソと私服に着替えて、どこにでもいる「冴えない男」に戻り、夜陰に紛れてギルドの支部へ向かうところだ。だが、今の俺はかつての俺ではない。
「……よし。このまま行こう」
紺色のプリーツスカートを整え、ウィッグの乱れをコンパクトミラーでチェックする。
自腹を切って手に入れた高級ウィッグは、激しい戦闘を経てもなお、ダークブラウンのしっとりとした輝きを失っていない。メイクの崩れも最小限だ。
俺は魔導士の制服を凛と着こなし、ダンジョンの出口へと向かった。
夜の冒険者ギルド・新宿支部。
自動ドアをくぐった瞬間、ロビーの喧騒がふっと凪いだ。
カツ、カツ、とローファーの音がタイル張りの床に響く。
無骨な装備に身を包んだ荒くれ者たちの視線が、場違いなほど可憐な魔導士姿の「少女」へと集中した。
「おい、見ろよ……あんな子、いたか?」
「新人の魔導士か? どこかのお嬢様かよ」
周囲の囁き声を背中で受け流しながら、俺は目的の場所へと迷わず進んだ。
向かうのは一番端、第6窓口。そこには、俺が最弱のDランク時代から唯一、鼻で笑うことなく接してくれた「恩人」がいる。
「お疲れ様です、一華さん」
俺が声をかけると、端末に入力を行っていた彼女――羽生 一華さんが顔を上げた。
一華さんは新宿支部の看板職員であり、その冷静沈着さと慈悲深い対応から「窓口の観音様」と崇められている女性だ。
夜空のような深い黒髪をタイトにまとめ、縁のない眼鏡の奥にある知的な瞳。磨き抜かれた白磁のような肌と、控えめな薄紅色の唇が、彼女の凛とした美しさを際立たせている。
一華さんは俺の姿を見るなり、眼鏡の奥の瞳をわずかに揺らした。だが、驚きというよりは、何かを「確信」したような眼差しだった。
「……やはり、梓さんですね。配信で拝見していましたが、実物はさらに……その、完成度が高いです」
「……っ、一華さん、やっぱり見てたんですか」
俺は思わず顔が熱くなった。彼女は小さく口角を上げて、手際よく俺のギルドカードを受け取った。
「もちろんです。あなたの担当ですから、動向を把握するのは仕事のうちです。……いえ、個人的にも応援したくなる内容でしたので。まさか、あの『マジックミサイル』の威力がコスチュームに依存していたとは」
「……お恥ずかしい限りです。でも、これがないと戦えないんで」
一華さんはリーダーにカードを通すと、画面に表示される『御子柴 梓・男』という文字を一度だけ確認し、それから慈しむような微笑みを俺に向けた。
「驚きはしましたが、違和感はありません。あなたは元々、瞳がとても綺麗でしたから。……整えると、これほど輝くのですね」
本物の大人の女性にそんな風に言われるのは、画面越しのリスナーに言われるのとは全く違う破壊力があった。俺は照れ隠しに、カウンターへ重い魔石のポーチを置いた。
「これ、換金をお願いします。数日分の成果です」
「はい。お預かりします」
一華さんは手際よくポーチを開けた。中から溢れ出す大量の結晶体を見て、彼女の涼しげな表情にプロとしての驚きが混じる。
「これ……『スケルトン・アーチャー』の魔石がこれほど。それに……『レイス・メイジ』の核が三つも。梓さん、配信で見ていた以上のペースで狩っていたのですね」
「ええ。この格好をしている間は、かなり『調子が良い』みたいで」
一華さんの手が止まり、彼女は射抜くような、けれど温かい眼差しを俺に向けた。
「……梓さん。あなたが万年Dランクと言われ、周囲から心ない言葉をかけられながらも、誰よりも地道に、真面目に依頼をこなしていたのを私は見てきました。その誠実さが、ようやく形になったのですね」
彼女の黒い瞳が、わずかに誇らしげに細められた。
「嬉しいです。……その、お姿については周囲が騒がしいでしょうが、あなたが努力して掴み取った『強さ』なら、私は全力でサポートいたします」
その瞬間、周囲で聞き耳を立てていた探索者たちの間に激震が走った。
「おい、今一華さんがなんて言った? あれ、あの『最弱の御子柴』か!?」
「マジかよ、あんな美少女……いや、美少年? 脳が追いつかねえ!」
「レイス・メイジを三体……!? 嘘だろ、俺たちパーティーでも逃げ帰った相手だぞ!」
かつて俺を鼻で笑っていた連中が、今は信じられないものを見る目で俺を凝視している。
一華さんは周囲を牽制するように、スッと背筋を伸ばし、冷静な声で言い放った。
「皆さん、他の方の査定内容を詮索するのはマナー違反です。御子柴さんは、正当な実力でこの成果を持ち帰りました。何か異論がおありですか?」
凛とした「観音様」の一喝に、ロビーが静まり返る。
一華さんは再び俺に向き直ると、優しく微笑んで査定額を提示した。
「レイス・メイジの討伐ボーナスを含めて、合計で十二万六千円になります。……頑張りましたね、梓さん」
「……ありがとうございます、一華さん」
十二万六千円。今の俺にとっては、単なる数字以上の重みがある。
俺は現金を受け取り、一華さんに一礼した。
「あ、あの! 梓さん!」
立ち去ろうとした俺を、一華さんが呼び止める。彼女は少しだけ頬を染め、声を潜めて言った。
「その……チャンネル登録と高評価、しておきました。次の配信も、アーカイブではなくリアルタイムで拝見できるよう調整しますね」
「えっ、あ、ありがとうございます……!」
俺は絶句した。
一華さんのようなクールな女性に「高評価」までされている。
顔から火が出るほど恥ずかしかったが、同時に、最高の味方を得たような心強さが胸を満たした。
「……じゃあ、次はもっといいところ見せられるように頑張ります。おやすみなさい、一華さん」
「はい。おやすみなさい、梓さん。夜道、そのお姿だと少し心配ですので、気をつけて帰ってくださいね」
ギルドを出た俺は、夜の新宿の街を歩いた。
ネオンの下、道ゆく人々が俺の姿を見てはっと息を呑む。
これまでは「冴えない男」として避けられていた視線が、今は「見惚れるような神秘的な少女」への羨望へと変わっている。
俺は駅ビルにある、少し高めの洋食屋に入った。
店員が以前よりも格段に丁寧な態度で案内してくれる。
「特製デミグラスハンバーグセット。……あと、食後のプリンもお願いします」
報酬、十二万六千円。
一八〇〇円のハンバーグも、今の俺には「不相応な贅沢」ではなく、明日を戦うための「必要経費」だ。
スマホを開き、配信の管理画面をチェックする。
収益は二〇〇〇円を突破。そしてチャンネル登録者数には、一華さんのものと思われる「+1」が確かに刻まれていた。
「……よし。次は、もっとクオリティの高いデパコスの美容液を買おう」
一華さんに見られても恥ずかしくない、いや、彼女をもっと驚かせるような「美しさ」を。
そして、ギルドの連中を完全に黙らせるような「圧倒的な力」を。
俺はジュージューと音を立てるハンバーグを口に運び、熱い肉汁とともに、明日への決意を飲み込んだ。




