第46話 一体ずつなら
翌日。
昨日は第三層で散々ロックリザードを追い回したというのに、思ったより身体に疲れは残っていなかった。
左腕の傷も、フワリのおかげですっかり塞がっている。
それどころか。
「三十万ディア……」
銭袋の中身を確認すると、口元が緩む。
今だけは、苦にならない嬉しい重みだ。
「リュート、またニヤけてるのです」
「仕方ないだろ。昨日だけで三十万ディア以上増えたんだぞ?」
「毎日、食べ歩き放題なのです!」
「太るわ……!」
でも、懐に余裕があるというのはいい。
今日一日くらい依頼を休んでも、罰は当たらないだろう。
そんなことを考えながら、俺たちはいつものように冒険者ギルドへ向かった。
「うーん……」
依頼掲示板を端から端まで眺める。
採取。
討伐。
配達。
護衛。
いくつか依頼はあるけれど、今日はこれだ、と思えるものが見つからない。
「何かいいのあったのです?」
「いや。特には」
「じゃあ今日はお休みなのです?」
「それでもいいけど……」
せっかくEランクになった。
昨日は第三層まで行った。
そして今の俺たちは、第五層まで立ち入ることができる。
「……第四層、行ってみるか」
「依頼は?」
「今日はなし……かな」
「それでいいのです?」
「たまにはさ。仕事じゃなくて、純粋に探索してみるのもいいだろ」
冒険者なんだから。
そういう日があったっていい。
「冒険なのです!」
「そういうこと」
話がまとまり、ギルドを出ようとしたところで。
「……ん?」
気がつくと、せん人様が傍らにいる。
「おお、びっくりした!」
いつもなら宿に残り、日がな一日ゴロゴロしている。
そんなせん人様が、今日はいつの間にか横にいた。
「今日は、宿からずっと付いてきていたのです」
リィルがやれやれといった顔をしている。
せん人様の考えてることは、相変わらず読み取れない。
「隠蔽魔法でも使っていたのか?」
返事はない。
当然だ。
せん人様は喋れないし、俺のスキルだから心があるかどうかも怪しい。
それでも、なんとなく今日はついてくる気らしい。
「これは戦力として期待できるかもしれないな」
せん人様は無表情だ。
……本当に大丈夫だろうか。
――ダンジョン前の詰所。
「第四層の地図を一枚ください」
「二千ディアだ」
「はい」
金を差し出す。
受付の男が、地図を渡しながら口元を緩めた。
「今日はレコードマップじゃなくていいのか?」
「…………」
「リュート、また買うのです!?」
「その黒歴史はもう忘れてください」
もう普通の地図でいい。
地図は普通が一番だ。
第一層。
第二層。
第三層。
昨日通った道を順番に抜けていく。
そして。
第四層へ続く階段を下りた瞬間。
「……おお」
空気が変わった。
今までの階層も、それぞれ少しずつ姿は違っていた。
だが、ここは空気からして別物だった。
広い。
とにかく広い。
天井はかなり高く、見上げても暗闇の向こうへ消えている。
そこから無数の鍾乳石が伸び、地面からも石筍が突き出していた。
ぽたり。
ぽたり。
どこかで水滴が落ちる音。
それすら洞窟の奥へ何度も反響していく。
「鍾乳洞みたいだな……」
「しょうにゅうどう?」
「ああ、俺がいた世界にも似た場所があったんだ」
「広いのです」
「第三層までとは雰囲気が全然違うな」
そして。
植物がほとんどない。
リィルも周囲を見回したあと、少し困ったような顔をした。
「ここ、リィルはお役に立てないかもしれないのです」
「植物が自生してないから?」
「なのです」
「まぁ、無理に戦わなくていいよ。今日は後ろで待機していてくれ」
「分かったのです!」
「チョコ」
ぽんっ。
チョコを召喚する。
「今日は上も頼むぞ」
チョコが大きく頷いた。
第三層でロックリザードの擬態を一度見逃したが、その失敗を活かし今日は前だけじゃなく、天井や背後まで気にしてくれる。
頼れる斥候になってきた。
俺たちは慎重に第四層を進んでいった。
――しばらくして。
前を歩いていたチョコが、急に足を止めた。
「何かいるのです?」
リィルがチョコの視線を追う。
俺も見上げた。
「……あれか?」
天井から、黒い影が一つぶら下がっている。
翼。
丸い身体。
鋭い爪。
大きさは、普通のコウモリの三倍くらいだろうか。
「ケイブバットなのです」
「思ったより小さいな」
ロックリザードと比べれば三分の一にも満たない。
やつだけなら、それほど脅威には見えない。
ケイブバットが翼を広げた。
バサッ。
こちらへ向かって飛んでくる。
気づかれたか。
「来るぞ!」
剣を抜く。
速い。
けれど。
それほどじゃない。
鋭い牙を見せながら飛び込んできたケイブバットを、横へかわす。
そのまま。
「はっ!」
剣を振り抜いた。
手応え。
ケイブバットが地面へ落ちる。
「……こんなもんか」
その身体が、ゆっくりと崩れ始めた。
あとに残ったのは、小さな魔水晶。
「魔獣なのか?」
「なのです!」
「ロックリザードは魔物で、こいつは魔獣……」
何か腑に落ちないものを抱えながら、魔水晶を拾おうと腰を下ろした。
その時。
バサッ。
「……ん?」
洞窟の奥から、羽音がした。
バサッ。
もう一つ。
バサバサッ。
「……ちょっと待て」
音が増えた。
バサバサ。
バサバサバサ。
そして。
バサバサバサバサバサバサ――!
「嘘だろ……」
天井の暗闇。
岩だと思っていた黒い影が、一斉に動き始める。
一体。
二体。
三体。
いや。
そんな数じゃない。
「いっぱいなのです!」
「見れば分かる!」
十。
二十。
もう数える余裕すらない。
洞窟の奥からも次々と黒い影が飛び出してくる。
「三十体以上いないか!?」
「数えてる場合じゃないのです!」
「ごもっとも!」
ケイブバットの群れが、一斉にこちらへ向かってきた。
「ヒョロ!」
ぽんっ。
ヒョロが現れる。
同時にアトリエポケットから大盾を取り出して渡す。
「前を頼む!」
ヒョロが大盾を構えた。
「全員、ヒョロの後ろへ!」
俺たちは一斉に集まる。
次の瞬間。
ガンッ!
大盾に一体目がぶつかった。
ガンッ!
二体目。
三体目。
次々に飛んでくるコウモリの衝撃が伝わってくる。
「うおっ……!」
ヒョロの身体が後ろへ押される。
咄嗟にヒョロの背中が流されないように、両手で支えた。
大盾は突進してくるコウモリの群れを何とかしのいでくれていた。
「すごい数なのです!」
「まだ来るぞ!」
正面はヒョロが止めてくれる。
でも。
全部が正面から来るわけじゃない。
「右か!?」
チョコが激しく手を振った。
「分かった!」
盾を回り込んできた一体を斬る。
もう一体。
さらに上。
「くっ!」
爪が頬をかすめた。
ひりっとした痛み。
次は肩。
服が裂ける。
「リュート!」
「大丈夫だ!」
傷は深くない。
けれど、間髪入れずに次々と襲い掛かって来る。
ベルが左から入り込んできた一体を斬り落とす。
スゥが触手包丁で、別の一体を切り裂いた。
それでも減らない。
「多すぎる!」
一体を倒している間に、二体が来る。
二体を防いでいる間に、横からもう一体。
また腕を爪がかすめた。
「っ!」
浅い傷。
次は首元。
さらに手の甲。
ひとつの傷はそれほど深くない。
それでも。
少しずつ。
少しずつ、身体中に傷が増えていく。
痛い。
だが。
昨日の傷に比べれば。
「まだいける!」
剣を振る。
ケイブバットが落ちる。
でも、その後ろからまた来た。
「一体ずつなら、大したことないのに……!」
数が違うだけで。
まるで別の脅威だ。
これが、数の暴力か。
「ガーリ!」
ぽんっ。
ガーリを呼び出す。
同時に自作の杖を渡す。
ガーリが杖を構えた。
「ついにお前が活躍できる、晴れ舞台がやってきたぞ。あいつらをまとめていけるか?」
ガーリが力強く頷く。
「ヒョロ! もう少しだけ耐えてくれ!」
大盾に次々とケイブバットがぶつかる。
ヒョロの足が後ろへ流される。
それでも。
守り続けている。
「ガーリ!」
ガーリが杖を前へ突き出した。
火が灯る。
小さな火。
それが一気に膨れ上がった。
「いけっ!」
ヒョロがわずかに盾を傾ける。
その隙間から。
炎が噴き出した。
轟ッ!
「うわっ!」
思わず顔を背ける。
真っ赤な炎が横へ大きく広がり、ケイブバットの群れをまとめて飲み込んだ。
ギィィィッ!
甲高い鳴き声。
次々と黒い影が落ちていく。
「すげえ……!」
一体。
二体。
そんな数じゃない。
一気に十数体。
炎が消える。
視界が戻る。
「ガーリ、もう一発だ!」
ガーリが杖を地面につき、肩を落としていた。
ふるふる。
首を横に振る。
「あ……無理?」
首を縦にこくこく。
「ですよね!」
あれを連発できたら、それこそチートだ。
さすがに、俺のスキルはそこまで都合よくいかないようだ。
「ガーリ、大手柄だ! 残りは任せろ!」
炎から逃れたケイブバットは、まだ十体近くいる。
でも。
さっきまでとは違う。
「ベル!」
ベルが前へ出る。
一閃。
一体。
もう一体。
「スゥ!」
包丁状の触手が走る。
俺も剣を振る。
ヒョロが正面を守る。
ベルとスゥと俺で、左右から抜けてくる敵を潰していく。
チョコは常に周囲を見ている。
背後。
天井。
右。
左。
手を振り、指を差し、危険を知らせてくれる。
「後ろなのです!」
リィルの声。
「おおっ!」
振り返る。
一体。
剣を振る。
落とす。
やがて。
最後の数体が、洞窟の奥へ逃げていった。
「……はぁ……はぁ……」
静かになった。
いや。
遠くでは、まだ羽音が聞こえている。
「終わった……のか?」
「逃げていったのです」
「全部倒したわけじゃないか……」
それでも。
目の前には大量の魔水晶が転がっていた。
「何体倒したんだ、これ……」
「いっぱいなのです!」
「それは……そうだな」
数える気にもならない。
「そういえば……」
魔水晶を一つ拾う。
「昨日のロックリザードは死体が残ったのに、こいつらは水晶になるんだな」
「ケイブバットは魔獣なのです!」
「ああ。それは分かってるんだけどさ」
ロックリザードは魔物。
ケイブバットは魔獣。
「トカゲは魔物で、コウモリは魔獣って……見た目だけじゃ全然分かんないよな」
「当たり前のことなのです」
「魔獣と魔物。この世界、奥が深いぜ……」
魔水晶を拾っていく。
そして。
「……あ」
俺は思い出した。
せん人様。
そういえば。
戦闘が始まった時。
せん人様は少し離れた壁際に腰を下ろしていた。
途中。
戦いが激しくなった頃にちらっと見たら、壁にもたれかかっていた。
さらにガーリを呼んだ頃には。
確か。
「……おい」
振り返る。
せん人様は。
頬杖をついて寝そべっていた。
「…………」
近づく。
「せん人様?」
反応なし。
「こらっ」
反応なし。
「……寝てる」
「寝てるのです!」
「俺たち、必死に戦ってたんだけど?」
せん人様が、むくりと起き上がった。
眠そうに目元をこするような仕草をする。
「完全に寝てただろ!」
せん人様が肩をすくめた。
そのせん人様の様子を、リィルがじっと見る。
「リィル……どうした?」
「きっと……」
リィルが少し考えたあと。
「私が出るほどの戦いではなかった……と言ってる気がするのです!」
「絶対そんな格好いいこと言ってないだろ!」
せん人様が、こくりと頷いた。
「乗っかるな!」
このせん人。
どんどん仙人から遠ざかっている気がする。
「まあ……いいか」
実際。
俺たちだけで倒せた。
傷は増えたし、怖かった。
何度も危ないと思った。
それでも。
誰も大怪我はしていない。
一体ずつなら、もうそれほど怖くない。
でも。
同じ敵でも。
数が揃えば、まるで別物になる。
俺は洞窟の奥を見る。
暗闇の向こうから。
まだ微かに。
バサバサと羽音が聞こえていた。
「第四層か……」
どうやら。
ここから先は、今までのようにはいかないらしい。




