第11話 肩の上の案内人
肉入り鍋を食べた翌朝、俺はほんの少し人間に戻った気がした。
いや、人間ではある。
少なくとも種族欄はヒト族だったはずだ。
でも、ここ数日の生活は、だいぶ人から遠ざかっていた気がする。
森。
雨。
キノコ。
魔獣。
半壊拠点。
牙ウサギ鍋。
こうして並べると、俺の異世界生活、だいぶ野性味が強い。
「……そろそろ、周囲のことをちゃんと把握したいよな」
拠点は復旧した。
罠も少し強化した。
食事も、キノコ鍋から肉入り鍋へ昇格した。
だが、まだ何も分かっていない。
予備の水場の確保。
キノコ以外の食材探し。
「牙ウサギ美味かったぁ……」
思い出すだけで、腹の虫が鳴る。
その牙ウサギの生息地はどこ?
ヤツはただの獣?
それとも魔獣?
あと拠点の周囲の安全確認もしておきたい。
分からないことだらけだ。
現代なら、地図アプリを開けば終わりだ。
コンビニ、病院、駅、トイレ、全部分かった。
なんなら口コミ評価まで見られた。
スマホもない。
お金もない。
店もない。
あるのは、大自然と、愉快な仲間たち、それと俺の頼りない力だけ。
「これは……地図がいるな」
俺は、焚き火跡から硬めの炭を拾った。
ボーたちが、せっせと拾ってきてくれた枝。
その中でも、特に硬い枝を燃やしてできた炭だ。
ちなみにお知らせ罠にもこの枝を使っている。
「この枝、よく響くんだよな」
書きつける木の皮は、誰が拾ってきたか分からないが、薄くて平らなものを使う。
地図に絵心はいらない。
だが……不安しかない。
地図なら大丈夫なはずだ。
棒と丸でどうにかなる。
むしろ棒人間しか描けない俺にとって、地図は適性ありかもしれない。
「よし。では、森の地図作りを始めますか」
誰に宣言したわけでもない。
言葉にした方が作業っぽくなる。
まず、木の皮の真ん中に丸を描く。
「ここが拠点」
丸の横に、へろへろの四角を描く。
拠点に見えない。
でも俺には分かる。
俺が分かればいい!
次に、今使っている水場の位置。
キノコを採った場所。
木の実があった場所。
昨日の牙ウサギがどっちから来たのかを思い出し、矢印を入れておく。
「たぶん、こっち方面から来たんだよな……」
確証はない。
だが、足跡の向きや音のした茂みの方から推察する。
拠点の東側。
いや、この世界で方角の常識が通用するのかも微妙だ。
とにかく右手側の森から来た可能性が高い。
俺はそこに小さく書いた。
【牙ウサギ出没注意】
一気に観光地の看板みたいになった。
「いや、観光というよりは、サバイバルだな」
あの牙は観光客に向けるものじゃない。
前の世界なら連日ニュースになるレベルだ。
さらに、まだ行っていない方向には大きく書いておく。
【未探索】
この二文字が、妙に怖い。
ゲームならワクワクする。
現実では、死角でしかない。
何があるか分からない場所は、希望よりも恐怖が勝る。
「今日は、この未探索を少しだけ潰す」
全部は無理だ。
遠くまで行きすぎれば帰れなくなる。
魔獣に出くわせばゲームオーバーだ。
だから、拠点から離れすぎない範囲で、水場と食材ポイントを増やす。
それが今日の目的だ。
俺は地面に指を走らせた。
ぽぽぽんっ。
ボー、ヒョロ、ガーリが現れる。
最近は頼れる作業員兼護衛に、なりつつある三人だ。
「今日は探索だ。ボーは前方確認。ヒョロは邪魔な枝払い。ガーリは後ろの警戒を頼む」
もちろん、一分もすれば三体はぽぽぽふんっと消える。
そのたびに呼び直す必要があるが、周囲を警戒しながら歩くには、それでも十分ありがたかった。
三体はそれぞれ、くるりと腕を上げた。
返事をしているように見える。
スゥも足元でぷるんと応えた。
「スゥは食材の判定を頼んだ」
ぷるん。
頼もしい。
この森で一番信頼できるグルメ博士だ。
ただし本人、というか本スライムはだいたい何でも食べられそうなので、判定基準は甘そうだ。
そして、せん人様は――
神座にいた。
今日も当然のように神座に寝そべっている。
しかも、昨日より神座周りが少し整っている気がする。
誰が整えた?
俺か。
俺だな。
「せん人様、今日は拠点警備をお願いします」
返事はない。
「これは……神座警備員だな」
やはり返事はない。
くるりと巻いた腕が、ほんの少し伸びた気がした。
「今の了承ってことか?」
せん人様は動かない。
まあ、たぶん大丈夫だろう。
拠点に何かあれば、何となく反応してくれる。
たぶん。
きっと。
これぞ神頼みだ。
俺は木の皮の地図を、拠点の乾いた場所に置いた。
濡らしたら終わりだ。
帰ったら、分かったことを書き足せばいい。
――森は昨日より明るかった。
雨のあとだからか、葉の表面が濡れていて、光を受けるときらきらと反射する。
空気には湿った草と土の匂いが混じっている。
それと、ずっと思っていたことだが――森臭い。
自然特有の青臭さ、と言い換えた方が分かりやすいかもしれない。
数日前なら、それだけで不快だったと思う。
でも今は、少しくらいは分かる。
この匂いは、森が生きている証拠だ。
「……俺もだいぶ感性が、サバイバルに寄ってきたかな」
当然だが、俺の言葉はすべての仲間からスルーだ。
まず向かったのは、今使っている水場とは別方向だ。
水場がたった一つだと危ない。
もしそこで魔獣と出くわしたら終わり。
水が飲めなくなっても終わり。
(毒キノコを食べても……まぁ、終わり)
ゲームオーバーの結末が多すぎる。
「水場は複数確保だ……これは前の世界でも大事だよな、断水した時とか」
俺は水不足のニュースを見ても、どこか他人事だった。
だが今なら分かる!
水は命だ!
蛇口をひねれば出る水を、神の奇跡と呼ぶのだ。
(……疲れた)
しばらく歩くと、スゥがぷるんと跳ねた。
そのまま少し先へ進んでいく。
「何かあるのか?」
スゥの後を追うと、草の奥からかすかな水音が聞こえた。
ちょろちょろ、という小さな音。
茂みをかき分けると、木の根元から水が染み出していた。
湧き水というほど立派ではないが、地面に小さな水たまりを作っている。
「おお……第二水源、確保!」
両手ですくってみる。
冷たい。
匂いは……悪くない。
念のため、スゥに水を確かめてもらう。
スゥは水に少し触れ、ぷるんと震えた。
「飲めそう?」
ぷるん。
「スゥのお墨付きが出た。ありがとう」
帰ったら地図に書き足しておこう。
【第二水場】
水場の近くには、小さな足跡がいくつか残っていた。
丸い足跡。
そして、地面を削るような細い爪跡。
「……これ、昨日の牙ウサギに似てないか?」
小さな蹴り跡が、いくつも水場へ向かい、また茂みの奥へ戻っている。
群れ、とまでは言えない。
だが、少なくとも一匹だけではなさそうだ。
「このあたり、牙ウサギの水飲み場か?」
あの牙がいっぱい……嫌な情報だ。
だが、飢えた時には仕方がない。
ここも後で地図に追記しよう。
【牙ウサギ出没注意】
【第二水場の近辺】
覚える場所が増えていく。
次に、キノコの採取場所を確認する。
スゥが食べられるものを判定し、俺の脳裏の図鑑に記憶する。
木の実の場所も同じだ。
けれど、全部を取り尽くすわけにはいかない。
今日必要な分だけ取る。
残して悪くなると、もったいない。
「山菜とか鶏肉、調味料なんかもあれば完璧なんだが」
誰も答えない。
ボーが首を傾げた。
「お前ら食べる口、無いもんな……」
俺が口を作れたら、一緒に食べられるようになるのかな。
そうなら、ボーたちが強くなったり、制限時間が伸びたりするのだろうか。
ボーはさらに首を傾げる。
可愛い。
くそ! 可愛いな。
探索を続けていると、木々の密度が少し変わってきた。
奥へ進むほど、まだ足を踏み入れていない場所が増える。
地図には書いたが未探索領域だ。
俺は立ち止まった。
「今日はここまでだな」
無理はしない。
調子に乗ると死ぬ。
これは森の生活で学んだ最重要ルールだ。
その時だった。
「きゃっ……!」
小さな悲鳴が聞こえた。
「ん?」
俺は反射的に周りを見渡す。
声の主は分からない。
「今、女の子の声が聞こえなかったか!?」
スゥとボーたちに尋ねる。
ボーたちはきょろきょろと辺りを見渡す。
正面の茂みの奥を示した。
危険をはらんだ叫び声だった。
俺はスゥを抱えて、急ぎ向かう。
正面の茂みをかき分けた瞬間、視界がわずかに開けた。
ぽっかりと空いた小さな空間。
その中央に、周りより少し背の高い木が一本立っている。
その上で、がさり、と枝葉が大きく揺れた。
「上か……!?」
反射的に見上げる。
木に人がぶら下がっている。
幹から伸びる細い枝葉につかまり、今にも落ちそうだ。
「女の子……?」
「まずい!」
俺は慌てて木の下に走った。
「た、助け……っ!」
「待ってろ! 今行く!」
枝が折れた。
「あっ……!」
小さな身体が落ちてくる。
俺は両手を広げ、タイミングを計る。
落下する小さな身体を、間一髪で受け止めた。
ドスンッ!
あれ、軽い。
思ったよりも彼女は軽かった。
少し誇張するならちょっと大きめの小動物か、人形くらいではないだろうか。
「大丈夫ですか?」
腕の中を覗き込む。
そこにいたのは、小柄な女の子だった。
淡い緑がかった髪、透明感がある。
(透き通ってないか……!?)
時折、その髪は鈍く光って、脈打っているようにも見える。
俺の腕にちょうど馴染むくらいのサイズ感。
だが、顔立ちは驚くほど整っていた。
あれ!?
小さな女の子……だよな?
けれど、幼いというより、人形みたいに完成された美少女――そんな印象だった。
これほど美少女という言葉が似合う子も、そうはいないだろう。
イレーネといい、この子といい、この世界には顔立ちが整った人が多い。
彼女はしばらく呆然としていたが、すぐに小さく頭を下げた。
「助けていただき、ありがとうございます」
声は小さく、少し怯えているようだ。
けれど、その言葉ははきはきとしていた。
思ったよりも落ち着いた丁寧な話し方だった。
「大丈夫だった? 怪我はない?」
「はい。大丈夫なのです」
「それならよかった」
小さな声なのに、不思議と落ち着いて聞こえた。
森の子って、しっかりしてるんだな。
そんなことを考えながら、俺はそっと地面に彼女を降ろした。
スゥが足元でぷるんと震える。
その瞬間、彼女の視線がスゥに止まった。
「……魔物!?」
小さな声に、はっきり警戒が混じった。
「あ、この子はスゥという名前で、俺の連れです」
「魔物が、連れ……ですか?」
「はい。たぶん、俺よりしっかりしてるから大丈夫」
スゥがぷるんと震えた。
少し誇らしげに見える。
彼女は不思議そうにスゥを見つめた。
「この子、スライムさんですよね? 誰かに懐くなんて……珍しい」
「やっぱり、この子は珍しいんですか?」
「はい。少なくとも、リィ……私は初めて見たのです」
なるほど。
スゥ、やっぱり普通じゃなかった。
いや、初対面でスライムが足元にいる。それは普通のことではない。
「スライムついでで申し訳ないんですけど、この世界ではピンク色のスライムって普通なんですか?」
彼女は少し首を傾げた。
「このあたりで見るスライムは、緑や青の個体がほとんどです。ピンク色のスライムは……私も初めてなのです」
「やっぱり珍しいんだな」
スゥがぷるんと震えた。
今度は完全に得意げだった。
「お前、珍しいって言われて嬉しいのか?」
ぷるん。
嬉しいらしい。
小さな女の子――彼女の名前を聞いていなかった。
「俺はリュート。こっちはもう紹介したね。で、あっちにいるのがボーたち……俺のスキル」
ぽんぽん、と指差すと、ボーたちがくるりと手を上げた。
彼女は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに丁寧に頭を下げた。
ボーたちのことは、どういう種族として受け入れたのだろう?
「私はリィルと言います」
丁寧に話そうとしているのは分かる。
けれど、ところどころに素の幼さが混じる。
背伸びしている子ども……なのかな。
「リィル……いい名前だね」
「ありがとうございます」
女の子はほんの少し頬を赤くしたように見えた。
「リィルは、ここで何を……?」
「この木に登って、木の実を採っていたのです」
再び樹木を見上げた。
よく見るとゴルフボールくらいの木の実がたわわに実っている。
「このあたりの実は、私たちの生活に欠かせない食材なのです」
昔、サクランボとか取って食べてたなぁ。
サクランボの木よりも高いかもしれない。
「少し高い場所にしか実らなくて……」
「それで木に登ってたんだね」
「はい。ですが、足を滑らせてしまったのです」
しっかりしているように見えて、やっぱり子どもっぽいところもある。
そう思った。
リィルは少し迷ったあと、こちらを見上げた。
「あの、できれば助けてくれたお礼をさせてください。この近くに、私たちの里があります。よろしければ、来てもらえないですか?」
「里……?」
俺の中で、何かが跳ねた。
里。
つまり、人がいる。
会話できる相手がいる。
やった!
最近の話し相手と言ったら、せん人様やスゥ、ボーなど打っても響かないやつばかりだったからな。
「行きます」
即答だった。
リィルが少し驚いたように瞬きをする。
「あ、いや、すみません。俺まともに会話したのが久しぶりで」
「そう、なの?」
「はい。気づいたら森にいたというか……説明すると長いんですけど」
「それは……大変でしたね」
リィルは真面目に頷いた。
「里まではどれくらいかかりますか?」
「私の足で、一時間ほどです」
「君の足で一時間か……」
俺はリィルの身体の大きさを見る。
未就学の年長クラスくらいだろうか、それよりも小さい?
この子が一時間で歩く距離なら、俺の足ならだいぶ短縮できるかもしれない。
悠長にしてたら、日も暮れてしまう。
「その……迷惑でなければ、俺の肩に乗っていきますか? その方が早いと思うので」
言ってから、はっと気づいた。
これではまるで、人さらいの人間タクシーだ。
警戒されてしまっただろうか。
「肩……ですか?」
リィルは少しだけ戸惑った。
無理もない。
見知らぬ男の肩に乗れと言われているのだ。
「無理なら大丈夫。俺が君に歩幅を合わせるから……」
そういうと、彼女は少し考えたあと、小さく頷いた。
「実は少し急いで、伝えなきゃいけないことができたのです。お願いしてもいいですか?」
「分かりました。では、ゆっくり持ち上げますね」
俺は体を屈めてできる限り、慎重に手を差し出した。
リィルがその手に乗る。
軽い。
やっぱり軽い。
そのまま、ゆっくりと右肩の上に乗せた。
「大丈夫ですか?」
「はい。少し高い……ですが、大丈夫なのです」
肩の上から聞こえる小さな声。
彼女は右手を俺の肩に添え、左手は髪の毛を掴んでバランスをとっているようだ。
俺は妙に緊張した。
想像以上に華奢な体つきだ。
森での生活は想像以上に過酷なのだと感じた。
女の子の肩車、未経験者だ。
いや、微妙に肩車ではないけど。
歩く衝撃に注意しないと。
俺が転んだら大怪我をしてしまう。
スゥが足元でぷるんと進み、ボーたちが前後に散り、周囲を警戒する。
「それじゃ、案内お願いします」
「はい。あの、里はあっちです」
リィルが小さな手で森の奥を指す。
俺は、その方向へ歩き出した。
彼女の案内は的確だった。
この木を右。
この小川を越えた先を左。
苔の多い岩のところで少し曲がる。
俺には全部同じ森に見える場所を、迷いなく進んでいく。
やっぱり、この森で暮らしているのだろう。
途中、何度か地図作りのために記憶しようと試みたが、複雑すぎて覚えきれない。
どこも一様に同じように見えた。
ここに次来るのは難しいだろうな。
「森の道、どうですか? 迷ってませんか?」
「正直、分からない。今も同じ場所を繰り返しているような感覚だな」
「それは大変ですね」
リィルが真面目に頷く。
「この辺りは似たような地形が、いっぱいあります」
「だから迷うのか」
「一度、迷い込むと簡単には抜け出せないから、注意してね」
さらっと怖いことを言ってのけた。
「過去に遭難した人はいるのですか?」
怖い物見たさとは、このことを言うのだろう。
「うん、何人かは道に迷って、そのまま戻らないのです。この前も、里の子が数日間、道に迷ったことがあったのです」
「……俺は無事に帰れるのか?」
魔獣以外にも命の危険が増えたことに、戦々恐々とした。
だが、ようやく言葉の通じる相手とまともな会話ができる。
今まではカードと独り言、スライム語と棒人間の身振り手振りだけで生きてきた俺には、それだけで心が躍りだしそうだ。
独りでも生きられると思っていた時期もありました。
まさか、コミュニケーションに感動を得られる日が来るとは……。
しばらく歩くと、大きな樹が見えてきた。
根が地面から盛り上がり、壁のようにうねっている。
幹は太く、見上げても上の方が葉に隠れて見えない。
「着いたのです」
「え?」
俺は周囲を見渡した。
村はない。
家もない。
人もいない。
そうか、木の上か!?
見上げるが、やっぱり何もない。
「里って、このあたりなんですか?」
「はい。そこです」
リィルの指が、極端に下を向けている。
「……そこ?」
俺は視線を落とす。
大樹の根と根の間。
湿った土と落ち葉の隙間。
そこに、何かが並んでいた。
葉と木の皮で丁寧に作られた、小さな家々。
細い枝で組まれた柵。
豆粒みたいな人影。
小さな煙。
最初は、精巧な模型かと思った。
でも違う。
そこには確かに、人が暮らしていた。
俺の足元に、村があった。




