終幕
……チッ、チッ、マッチをする音が聞こえる。
………ボゥッ、マッチに火がつく。
…………ヂヂヂ、ボゥ…、ローソクに火が灯された。
「おやおや、まだお帰りではなかったのですか。…なに、カーテンコールを御所網と?。」
「流石の道化もお客様の強欲には少々呆れるばかりでございますよ。」
「ですが、丁度いい、実はあの演目にはまだ続きがございまして。」
蝋燭の炎に照らされ、額縁がその姿を現す。額縁にはまっている絵はまだ黒一色のままであった。
「よいしょっ…と」
額縁の絵を入れ替える。絵は回収される死体、その中には笑った顔の仮面や怒った顔の仮面、泣いた顔の仮面が混じっている。
「3人の男達はその命に終わりが告げられましたが、その命を失った体はまだ終わりを得る事ができなかったのです。」
「3人の男達を含む戦場に転がる死体は何者かに残らず回収されました。」
「あのうず高く詰まれた死の山も、ガスマスクを持った敵兵も、敵戦車の砲撃で吹き飛ばされた小隊の兵も」
「そして、3人の男達も、皆、平等に、状態の関わり無く、回収可能なモノは皆回収されました。」
額縁の絵を入れ替える。絵は精密な人体絵図。だが、所々機械に変えられたかのような部分がある。
「死体を回収した目的は、死体の再利用、実験、実験、実験、実験。」
「つまるところ、黄泉還り、及び不死の軍の研究のための資材として使うためでした。」
「実験は蘇生実験から始まり、部分的な機械への置換、脳以外の機械への置換、そして最後は記憶をダビングした全身機械の兵への研究へとステップアップしていきました。」
「その過程で、蘇生された死体達の人権は考慮されることはありませんでした。」
「なにせ、既にこの世に存在していない、存在するはずがない人間でしたので、隠蔽も容易だったのです。」
「彼女も、泣き叫びながら切り刻まれていきました。」
「私は彼女を助けたかったのですが、その時の私は破損した脳と眼球だけでしたので、ただ、見ているしかできませんでした。」
「唯一の救いは、敵も味方も身内も老若男女全く問わず、皆平等に実験に使われた事くらいでしょう。」
「ええ、本当にそれくらいしか救いはありませんでした。」
「あの場所では、ある意味で真の平等が与えられていました。全ての権利の消滅、という形でですが。」
「なまじ希望を持てない場所でしたので、幾分かココロは平坦なまま楽に過ごすことができました。」
「自殺すら、許されなかったのです。自殺などすれば嬉々として蘇生実験に使われるだけでした。」
「私は、そこで魂の存在などというものを全く信じなくなったのです。」
「なにせ、何度も死んで、殺され、その度にどこか一部が機械に変わる。それこそ、脳ですら。」
「脳も心臓もなにもかも機械で代用できるのであるならばワタシとは一体なんなのですか?」
「少なくとも、僕はあそこで何度も黄泉還って、その度にまた死の無へと送られ、ただその間を漂うだけでした。そしてその生と死の間だけが僕の精神の安息の場所でした。」
額縁の絵を入れ替える。絵は異形の機械達。その中には道化の姿もある。
「完全機械化型の量産兵が完成したところで実験は次のステップへと進みました。」
「人間の精神と異形とを融合したシステムへの開発へと進んだのです。」
「機械の体がまだかろうじて人の形をしていましたから、まだ自分は人間だ、と自覚することが出来ていた私達にとって」
「その実験は人間としての最後のアイデンティティを奪うものでした。」
「あるものはケダモノの体に押し込められ」
「あるものはそのまま戦車や飛行機や潜水艦の人口知能となり」
「あるものはそれらに消費されるミサイルや自立型偵察機となりました」
「怪人のような姿の擬体や愛玩用の体に入れられたモノはまだ幸福でした。人の形を保っているのですからね。」
「人からまるきり外れた体に押し込められたモノ達の末路は常に悲惨なものでした。」
「ある者は消耗品として恐怖を持ったまま散り」
「ある者は人外の体に押し込められたことにより発狂し」
「ある者はまるきり無機物の体に押し込められたことにより完全な機械へと成り果てました。」
「消耗品に振り分けられたモノはまだ幸福だったのかもしれません。」
「なにせ、この狂った世界から早々に消える事ができたのですから。」
「戦闘機やケダモノの体に入れられたモノに要求されるのは『人の判断能力を持った』戦闘機械でした。」
「それの意味するところは、少々狂ったり、停まったりしたとしても、すぐに機械的に記録が巻き戻され正気に返らされるという事を意味していました。」
「そう、壊れていた間の記憶はそのままに。」
「そして完全に壊れたならば、新しいデータを入れればいい。彼らにとってはもはやワタシ達はただの物でした。」
額縁の絵を入れ替える。そこにはもう何も無い。額縁の底木が見えているだけだ。
「以上、演目の残りの部分でした。」
「人など本当は物と大差無いということ、それでも人は物ではないと抗うこと、抗ったところで全くもって無駄だったこと」
「結局のところ、人などというものは喜劇そのもの、なのでございます。」
「ぽっと発生した何かが自分たちこそが高尚なモノだと思い込んでいるのでございます。」
「結局のところ、自分達とてそこらに転がっている石ころや道具と大差無いことなどに欠片も気付くこと無く…ね。」
「以上で真に演目は終了でございます。」
「最後に、私の名前を…言って終わりたいのですが」
「その私の名前そのものも、もう、全くわからなくなってしまったのでございます。」
「私は、ワタシは、俺は、僕は、笑い男?怒り男?泣き男?」
「それとも、切り刻まれるところをただ見続けることしかできなかった彼女?」
「それとも、俺達が毒ガスで殺したあの村の酒場の親爺?」
「それとも、僕がボロクズにしたあの満身創痍の敵兵?」
「そう、本当のワタシなどというモノは」
「とっくの昔に全くもって、わからなくなってしまったのでございます。」
「これにて、真に全ての演目はお終い。」
「道化の一人芝居は全て終わりでございます。」
「観客の皆々さま、長らくお付き合いいただき、まことにありがとうございました。」
「それでは、皆様、もう二度と会うことはございませんが、なごり惜しい別れと相成りましょう。」
「それでは、さよなら、さよなら、さよなら。ワタシ達はそこへ行けませぬ故、未来永劫の別れと相成りますれば。」
「…それでは。」
フッ。
道化が唯一の明かりであった蝋燭を吹き消す。
気がつけば東の空が青白んでいた。
もう広場には道化の姿はない。
あれほど目立っていた額縁も姿を消している。
太陽が昇る。広場を照らす。
広場にはいくつかの人影があった。
前列には上品そうなスーツや勲章の付いた軍服を着ている。
そして後列に向かうほど服は新しくなっている。
それらは服装こそばらばらだったもののの共通点が2つある。
一つはあるべき場所に首がないのだ。
首は持ち主自身の膝の上に置かれていた。
そしてそれら頭蓋骨達の視線はある一点にまとめられていた。
それはさも劇場で演目を観る観客たちのごとく…
彼らが見ている場所はかつてうず高く死体が積み上げられていたあの広場の中央だった。
とある大陸から2つの国家がその姿を消した。
噂では、両国の間には秘密協定が交わされており、戦争そのものが両国首脳によるヤラセだったとも言われている。
しかし、そのヤラセだったはずの戦争が激化、自動化が進みすぎ、いつしか自動兵器が一方的に人間を狩るようになったという。
そもそもの戦争の開始目的は全く不明。
今現在はその2つの国があった土地は野良化した機械兵器達の楽園となり、その大地の全てが立ち入り禁止区域となっている。
「ぜッ、ゼッ、ハッ、ゼィッ、ゲホッ。」
この平原を越えた先に、僕の生まれ故郷があるという。
父と母は同じ村で育った幼馴染だったそうだ。
僕の父は兵士だったと母に聞かされている。
赤ん坊だった僕は戦争が始まった時に母に連れられてその地を出たのだそうだ。
その母は一月前に死んだ。最後に、あの村に帰りたいと、ぽつりとつぶやいて。
僕はどうにも今の地に馴染めない。だから故郷と言う物に実感ができない。
なにせ子供の頃からあちらこちらへと逃れ続けて、一つ所で留まれた試しが無いのだから。
だから、僕にも望郷の念と言うものが湧くのかどうか。
いくらかの旅装と、母の骨と共に、今は滅んだという地へと脚を踏み入れた。
この地でスカベンジャーをやっていると言う男に案内を頼み、旧国境線を越えるまでは良かった。
国境を越えてしばらく、まだ形を残した廃墟で少し休憩を挟んだところで襲撃された。
案内の男はそこで死んだ。首が胴体から離れて生きれる人間が居るのなら話は別だが。
襲撃してきたのは幾つもの機械だった。
形は様々、種類もばらばら。
人型、車両型、ドローン型、果ては建物に設置された自販機の残骸に至るまで、全てが襲ってきた。
人工物の塊の廃墟は文字通り、奴らの腹の中だったわけだ。
がさがさと草をかき分ける音が幾つも聞こえる。
まだ僕を追ってきているらしい。
幸い、空には何も居ないから、上からの目が無い事だけが救いだ。
僕の体はなんとか草で隠れている。
ゆっくりでも良いから、逃げなくては。
右へ、左へ、前へ、とどまり、進む。
かさかさと、草を掻き分ける音におびえながら、兎に角、見つからないように。
草むらを掻き分けてゆっくり進むうちに急に視界が開けた。
そこだけ奇妙に円形に開けて、中央に人型が一つ。
背後からは無数にかさかさと草を掻き分ける音。
何のことはない。僕は追い立てられ、ここに誘導されていたのだ。
目の前の人型は顔が三つある道化のように見えた。
片脚が壊れているのか、それは脚を引きずりながら、一歩ずつ、僕へと歩み寄ってくる。
その手には、死神が持ってるような大鎌が携えられている。
一歩、笑い
一歩、怒り
一歩、泣き
一歩、一歩、一歩。
1つ歩む毎に顔をクルクルと入れ替えながら近づいて来る。
道化の歩みと揃って、円形の簡易劇場に幾つもの壊れた人型が、観劇でもするかのように揃っていく。
僕はそれの一体に押し出され、道化と対面するハメになった。
カシャン。と音がして、道化の顔は笑ったそれになった。
道化の顔に瞳は無いはずなのに、目が合った感触があった。
カシャン、カシャン。一瞬、怒りの顔になって、また笑顔になった。
ぎりぎりと、死刑執行の音が聞こえる。
弓でも引き絞るように、大鎌をもった腕が振るえている。
「……せめて、一目だけ。故郷という物を見たかったな。」
諦めて、そう呟いた瞬間。
カシャン、という音とともに、浮遊感が襲った。
最期に見たのは、泣いた顔の道化と、紅い噴水になった胴体。
その場から、肉の鼓動は一つとして無くなった。
道化と、その他の人型どもは首と胴体を担いで歩みだす。
青年の荷物から、骨壺がこれ落ちる。
人型どもは何も気にしない。
そのうちに、骨壺は移動する人型のうち一体に踏み砕かれた。
胴と首が運ばれるのは、道化が独り語るあの村だ。
道化にとっての舞台で、胴と首は新しい観客だった。
そしてまた一つ、席が埋まる。
オシマイ




