第5話 都内緊急すり抜けの行方
その日、私は運良く、メットインに予備のジェットヘルメットを持ってきていた。私には年の離れた妹がいて、名前は春乃。今は高校1年生だが、たまに妹を乗せて買い物に行くことがあるため、メットインに入れていたのだ。
ちなみに、XMAXのメットインは45リットルあり、ヘルメットが2つも入る。
季節は8月。梅雨が明けて盛夏になり、気温がぐんぐん上昇。
さすがにライダースジャケットでは暑いので、夏用の薄いジャケットだけを着てきていた。
その日は土曜日で、仕事は休み。私はこのXMAXを買った、都内にあるバイク屋で整備をお願いする予定で、少し早めに大田区の家を出ていた。
バイク屋が開店するのは、午前10時。午前11時に予約を入れていたので、私は午前9時頃に時間潰しと、喫煙休憩を兼ねて、都内の港区にあるお台場に来ていた。
ここにある建物は、バイク駐輪場が広く、4時間まで無料な上に、施設内に喫煙所があったからだ。
そして、喫煙休憩を終えて、バイクに戻り、ヘルメットを被り、またがったところで。
「あー、ちょっとそこのお姉さん!」
遠くから可愛い声が聞こえてきた。
振り返ると、小柄な女性が何かに追い立てられるように、駆け足でこちらに向かってきていたのがわかった。
よく見ると、どこか見覚えがある。
テレビかインターネットで見た気がする。
いや、それ以前に、めちゃくちゃ可愛い子だった。
小柄な体躯に、引き締まった細い体。顔なんかありえないくらい小さいし、髪も肌もツヤツヤで、足も細くて美脚。羨ましいくらい可愛い美少女と言っていい。
年齢的には20歳前後だろう。
サイドテールに纏めた髪型まで可愛らしい。まるでアイドルのような容姿だった。
「な、何ですか?」
「ちょっと、後ろ乗せて!」
「え、えっ!」
いきなりすぎて、びっくりして判断がつかない。
よく見ると、彼女のはるか後ろの方には黒いスーツ姿の若い男の人がいて、こちらに走って向かってきているようだった。
「急いで!」
「でも、ヘルメットが」
「ないの? 使えないわね」
「いや、あるんだけど、サイズが」
「そんなもん、この際どうでもいいわ。早く!」
仕方がないから、私は一旦、バイクを降りて、シート下を開けてメットインから予備のジェットヘルメットを取り出して、彼女に手渡した。私はシートを元に戻して、再びバイクにまたがる。
「ちょっと、待って! 凪ちゃん!」
その声に逡巡する私に対し、彼女は素早く私の後ろに乗り込んで、ヘルメットを被った。
妹用にサイズを合わせているが、どうやらサイズ的には彼女の頭には大きすぎるらしい。ブカブカだったが、彼女は顎紐を締めていた。
「行って!」
仕方がない。発進した。
私は、後ろから迫る「凪ちゃん」という声に戸惑いながらも、彼女を乗せたまま、都内の道に出る。
というか、これから一体どこに行けばいいんだろう。
と、思っていると。
「行き先は、新宿。よろしくね!」
大きな声で後ろから彼女が叫ぶようにして言ってきた。
(はいはい、新宿ね。タクシーじゃないんだけど)
と、思いながらも、まだバイク屋に行くまでは時間があるからいいや、と思うのは、我ながらお人好しだと思ってしまう。
しかし、さっきの「凪ちゃん」という声。
凪、凪、凪。どこかで聞いたことがある。
と思っていると、新宿に向かう途中の信号待ちで止まっていると。
「あ、言い忘れていたわ。私は、大谷凪。名前くらい聞いたことあるでしょう?」
「えっ、大谷凪って、あのアイドルの!」
「そ。アイドルグループ、「Luminuex」でセンターをしているわ」
唖然として、私は声を出せずにいた。
大谷凪。現在20歳。
現在、日本で人気のアイドルグループ「Luminuex」のアイドルにして、絶対的なセンターとも言われ、若者を中心に絶大な人気を誇るアイドルだった。
アイドルマニアではない私でさえ知っていた。
実は、妹がその大谷凪のファンらしく、「推し活」をしている影響もあったが。
しかも、この信じられないくらいの可愛らしい容姿に、完璧なプロポーション、そして不思議なオーラのような雰囲気を見る限り、嘘は言ってないようだった。
しかし、疑問なのは、その動機だ。
仕方がないから、走りながら、その辺りについて聞いてみることにした。
「それで、その大谷凪さんが、何故逃げてたんですか?」
私より年下の彼女だが、アイドル特有のオーラのような物を感じるからか、私は少し物怖じして、敬語を使っていた。
「ああ、あれは私のマネージャーね」
「マネージャーですか?」
「そ。私が反対してるのに、あまりにもしつこいから頭に来て逃げちゃった」
「いや、それ色々と問題があるんじゃ……」
具体的なことはわからないが、アイドルがマネージャーに反対して、勝手に逃走している時点で普通じゃないことはわかる。
「ああ、大丈夫、大丈夫。私って、ほら可愛いじゃん。可愛ければ何でも出来るから。可愛いは正義よ」
どうでもいいけど、自分で可愛いって言うとは。しかも、正真正銘のアイドルだから否定できない。彼女はすごい自信家だった。
そして、彼女は思った以上に「破天荒」な人でもあった。
そこで私は、今さらながら改めて「しまった」と思い直した。
何しろ、相手は日本のトップアイドル。その彼女をバイクに乗せて、もし事故でも起こして、ケガをさせたりしたら。
恐らく私は、ファンから一生恨まれるだろう。
それどころか、事故って、万が一にも大谷凪が亡くなったら、もう私は人生が詰む。
そのビクビクと躊躇した、私の感情というより心の機微に気づいたのか。
彼女は敏感に、私を気遣うように告げてきた。
「どうしたの、お姉さん? 何だかさっきより動きが硬いよ」
「いやだって、あなたをバイクに乗せて、もし事故ってケガでもさせたら……」
しかし、私の心配とは裏腹に、彼女はあっけらかんと、笑っていた。
「大丈夫、大丈夫。私はこれでもアイドルだから。運動神経にもバランス感覚にも自信があるわ。だから、思いきり走って。すり抜けしてもいいから」
「はい」
とは言いつつ、私は頭が真っ白になりかけていた。
まさかバイクでトップアイドルを運ぶことになるとは思わなかったからだ。
だが、結局、土曜日とはいえ、この時間帯の都内の道はそこそこ混み始めており、私はスクーターの特性を生かして、途中からすり抜けを敢行。
とは言っても、後ろの彼女のこともあるから、決して無理な運転はしなかったが、後ろのトップスターは、本当に口だけではなく、抜群のバランス感覚を持っていた。
私の動きに合わせてカーブでは自然に体を傾けてくれるし、それが絶妙に上手かった。とても初めてバイクに乗ったとは思えない。というより乗ったことがあるのかもしれないが。
結局、私は港区の台場から、彼女が走って欲しいと言うから、わざわざレインボーブリッジを通過し、芝に抜けて、六本木から外苑前、そして甲州街道から新宿へ向かうのだった。
途中から彼女が指定した、東口にある、とあるライブハウス前に到着した時には、およそ40分ほど経っていた。
「ありがと、お姉さん」
バイクを停めると、彼女は後部座席から降りて、そう言ってヘルメットを返してくれた。
そして。
「そう言えば、名前も聞いてなかったわ」
「山本春香です」
「そ。春香ね。覚えたわ。何かあったら連絡するから、連絡先教えてくれる?」
年下なのに、呼び捨てにされていたが、相手は数千万円とも1億円とも言われる年収を稼いでいるトップアイドル。悪い気はしなかった。そこからはまさかの展開になっていた。
トップアイドルと、連絡先を交換。いや、これガチなファンが知ったら、ファンから殺されるんじゃないだろうか、と私は危惧するのだった。
無事、スマホで連絡先を交換。
最後に彼女は、振り返って飛びきり眩しい、トップアイドルの顔を見せてくれた。輝くような笑顔で、
「春香。あなた、運転が上手だったから安心して乗っていられたわ。良かったら、私のライブ、見に来てね」
ひらひらと手を振って彼女は何事もなかったかのように、ただし変装をするように、小さなバッグから取り出した、サングラスをかけて帽子をかぶって、ライブハウスに入って行った。
(夢でも見ていたのかな)
と、思うくらい現実離れした話だったが、これは夢ではない本当の話。
そして、妹の春乃にこの一連の話をすると。
「ええっ、マジ! お姉ちゃん、凪ちゃんに会ったの? 私、そのヘルメット、一生洗わない!」
そんな衝撃的なことを興奮気味に語っていた。大谷凪に貸したヘルメットは、普段妹が使っているとはいえ。
いや、妹よ。ヘルメットは洗え、とは思うのだが。
こうして、私とアイドル、大谷凪は出会ったのだった。トップアイドルにして、可憐ながらも破天荒。アイドル、大谷凪は、ステージで見る姿とは違った、素の姿を見せてくれるのだった。
ちなみに、後で家に帰って、動画で彼女のライブ映像を見てみた。私が会ったのは、正真正銘の大谷凪だった。私はとんでもない人と知り合いになってしまった。
ある意味、「バイク乗り」ではないが、彼女もまた「変人」ではあったが、トップに立つ人というのは、どこか普通の人とは違うのかもしれない。




