梟の図書委員と開かれたページ
二年B組の教室の最奥、壁際に置かれた教卓の上には、一冊の分厚い本が置かれていた。
革表紙は長年の湿気で柔らかく湿り、ページは水分を含んで波打ち、ところどころに青緑色の苔が薄く生え広がっている。
かつて百科事典か、あるいは図鑑であったろうその本は、誰かが最後にページを開いたまま、この教室に置き去りにされたものだった。
その本のすぐ上、半ば崩れかけた棚の角に、フクロウはいつも留まっていた。
まるで、この水没した教室の図書委員であるかのように、一日中動かず、ただ静かに見守っている。
太陽が少しずつ傾き、光の角度が変わると、窓から差し込む斜光が開かれた本の上に一直線の帯を描いた。
濡れたページの上に浮かび上がるのは、かつて人間が印刷した精密な図版やインクの文字。
そしてその上を這うように伸びる、本物の植物の繊細な脈線。
紙という素材がもともと木であったことを思い出したかのように、本は再び森の一部へと還ろうとしていた。
フクロウは羽を少しだけ膨らませると、音もなく翼を広げ、棚から教卓の端へと降り立った。
『フワリ』という羽音すら立てない見事な着地。
フクロウの黄色い鋭い瞳が、足元にある開かれた本へと向けられる。
フクロウはクチバシを少しだけ動かし、ページの端をツンと突いた。
濡れた紙は重く、めくられることはない。けれど、フクロウにとってその本を読む必要はなかった。
紙の表面に根を張る小さなコケの胞子や、そこに集まる微小な虫たちの動き、そして紙が放つ古い木材の匂いこそが、フクロウにとっての「物語」だったからだ。
フクロウが本の上に留まっていると、水面からひょっこりと顔を出したのは、一匹の大きなヒキガエルだった。
ヒキガエルは『のそり……のそり……』と机の脚を登り、教卓のすぐ下の段へとやってくる。
フクロウとヒキガエル。
捕食者と被食者になり得る二匹だったが、この教室の中では不思議な休戦協定が結ばれているようだった。
ヒキガエルは水滴を滴らせながら、フクロウの足元で静かに鳴いた。
『グッ……グッ……』
その低い声は、教室のコンクリート壁に反響し、水面を伝って静かに広がる。
フクロウは鳴き声に合わせるように、首を傾げてヒキガエルを見下ろした。
教卓の上の本には、人間が積み重ねてきた知識や物語が閉じ込められている。
しかし、人間がいなくなった今、その物語を解読する者はいない。
代わりに、フクロウの静かな視線と、ヒキガエルの濡れた肌、そしてページを侵食する苔の生長が、新しい歴史を上書きしていた。
文字の上に落ちた一滴の水滴が、虫眼鏡のように下の文字を大きく拡大する。
そこには「自然」という言葉が印刷されていたかもしれないし、あるいは「時間」という言葉だったかもしれない。
けれど、そんな記号の意味など、今のこの空間には何の関係もなかった。
窓の外で、カラスが短く鳴いた。
フクロウはゆっくりと首を巡らせ、窓の外の深い緑を見つめる。
開かれたままの本は、今日も風に吹かれて少しだけページを震わせながら、水没した教室の中で、だれも読まない美しさをたたえ続けていた。
教卓の下で波紋が静まり、水底の魚たちが再び沈黙の中にまどろみ始める。
図書委員のフクロウは、満足したように再び目を細め、静かな午後の眠りへと落ちていくのだった。




