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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第2章 天翔専門学校1年生
88/140

88:三者三様の夕食

 映画館を出ると、夕暮れの風が心地よく吹いていた。

 3人は近くの大型ショッピングモールのフードコートへと足を運ぶ。

 あかりは元気よくメニューを見て、オムライスのセットを選んだ。澪はパスタに決める。エリカは少し迷った末に、和食のほっけ定食を選ぶ。

 席に戻ると、あかりの横に澪がすっと腰を下ろした。

 エリカは一瞬、澪の真正面に座ろうとしたが、澪と目が合った瞬間、咄嗟にあかりの前へと座り直す。


 3人の間に微かな緊張が走るが、食事は和やかに進んでいく。

 エリカは食べながらも、澪の方を何度もちらちらと見ている。澪の美しい横顔や、ふと見せる柔らかな表情に惹かれているのだ。

 澪はその視線に気づくと、軽く眉をひそめて思う。


(また、私のことをじっと見ている……)


 その瞬間、あかりが笑いながら口元にケチャップをつけてしまったのに気づく。

 澪はすっとあかりの手元にあるナプキンを取り、自分の手で優しく拭ってあげた。


 「あ、ありがとう……」


 あかりが少し顔を赤らめて、澪を見上げる。

 澪も照れくさそうに目を伏せて、ささやかに微笑む。 

 その二人のやりとりを見ていたエリカの心は、内側からざわついた。


 「……仲がいいんだね」


 エリカはわずかに声を震わせながら口を開いた。


 「うん、そうだよ。エリカも、同室の颯真とは仲いいでしょ?」


 あかりが明るく返す。

 澪はエリカの問いには答えず、静かに黙ったままだった。


 「──エリカも、同室の颯真とは仲いいでしょ?」


 あかりの問いかけに、エリカは一瞬フォークの動きを止めた。その手元には、まだ半分も手をつけていないほっけの切り身。


 「……どうだろう。仲がいいって言われると……ちょっと違うかも」


 ゆっくりと箸を取るエリカの動きには、どこかためらいがあった。

 焼き魚の皮を端に避け、骨を外す動作に神経を集中させながらも、視線は澪の動きをちらりと追っていた。

 澪はパスタをゆっくりと巻き取って口に運ぶ。フォークを使う手には迷いがなく、姿勢も美しい。だが、食べるスピードはとてもゆっくりで、まるで何かを噛み締めるようだった。


 「颯真って、よく喋るタイプじゃないから……あんまり部屋でも話さない」


 エリカが続けた言葉に、澪がようやく目を上げた。


 「そうなんだ。意外。エリカのこと、すごく気にしてるように見えるけど」

 

 「……え?」


 その言葉に、エリカの箸がわずかに止まり、澪と目が合った。

 澪は、それ以上何も言わず、また静かにフォークを持ち直した。

 あかりは、そんな二人の間に流れる微妙な気配にまったく気づかず、笑いながらオムライスを頬張っていた。

 ケチャップがまた少し端についているのも気づかないまま、まるで空腹と好奇心をそのまま食欲に転化したように、パクパクと食べ進めていく。


 「澪は颯真のこと、どう思ってる?」


 ふいにエリカが問いかけた。

 フォークの先に絡めた麺を止めたまま、澪がわずかに考える。


 「え?私?……正直、まだよく分からない。ただ、たぶん──彼女は、誰よりも見てる人だと思う。舞台の上でも、外でも。黙ってるけど、見てる」 


 その言葉に、エリカの指先がぴくりと震えた。

 まるで、自分のことを言われているような錯覚。


 「そっか……澪って、見透かすよね。人のこと」


 エリカがぽつりと言って、箸を置いた。

 焼き魚の中骨がきれいに皿の端に並べられている。もう、食事を終えた合図だ。


 「ねえ、エリカ。今日ってさ、誘ってよかった?」


 あかりが、やっと食べ終わった皿を見ながら尋ねた。その声には屈託のない優しさと、ほんの少しの不安が混ざっていた。

 エリカはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。


 「うん。ありがとう。……行けてよかった」


 それは、エリカの本音だった。

 たとえ澪の隣に座れなかったとしても、澪の素直な言葉に少し傷ついたとしても、この時間は、確かにエリカの中で何かを動かしていた。

 静かに流れる食後の時間。

 フードコートの窓の向こうには、春の夕闇がやさしく滲み始めていた。

 3人はまだ、それぞれの距離を保ったまま。

 でも、ほんの少しずつ、誰かの言葉や仕草が、誰かの食べる速度や視線が、関係という名の橋を伸ばし始めていた。



***


 フードコートを出ると、夜の空気はすっかり肌寒くなっていた。

 春の風は甘く、でもどこか切なさを帯びていて、3人の頬をそっと撫でていく。


 「寒いね」


 あかりがそう言って腕をさすった。


 「うん、でも気持ちいい。……冬の終わりの匂いがする」


 澪がそう応える。


 3人はモールから最寄りの駅へと、ゆっくり歩き出す。街灯の光が、彼女たちの影を長く伸ばしていく。

 あかりは真ん中、澪は右、エリカは左。3人は肩を並べるでもなく、少しずつ間を空けて歩いていた。

 ふと、あかりはポツリと呟いた。


 「今日ね……映画の最後のシーン、すごくよかったよね」


 「うん。ああいう静かな終わり方、すごく余韻が残るよね」


 澪が静かに応じる。


 「……あの目線の演技、難しいのよ」


 エリカが続けた。


 「何かを言わずに伝えるのって、言葉より怖い。目って……隠せないから」


 その言葉に、あかりは不思議と胸がざわついた。

 さっきの食事中。エリカが何度も澪を見ていたこと。澪はそれに気づいていたようだったこと。そして、澪はその視線に──応えていなかった。


(……なんだろう。なんか、変だった。2人とも)


 あかりは一歩だけ後ろに下がって、2人の背中をそっと見る。

 歩幅も違う。

 でも、何かが似ている。

 エリカの張り詰めた沈黙と、澪の無言の静けさ。

 両方とも、なにか大切なことを言い出せないまま、時間だけが流れているような。


 「……ねえ」


 あかりが呼びかけた。2人の足がぴたりと止まる。


 「2人って……どういう関係なの?」


 それは、本当にぽろりとこぼれた問いだった。意図もなければ、詮索でもなかった。

 けれど、その一言に、沈黙が落ちた。

 澪が先に笑った。けれど、どこか苦笑に近い。


 「どういうって……ただの同級生よ。それ以外に何があるの?そんなふうに聞かれると、困っちゃう」


 エリカは言葉を発さずに、横を向いていた。

 夜風がそっと彼女の前髪を揺らしている。

 あかりは、その沈黙の意味を考えようとして、やめた。

 自分が知らないことが、この二人の間にはあるのだと。

 そして、それは「問いかけてはいけない何か」なのだと、体が察していた。


 「……そっか。変なこと言って、ごめんね」


 あかりは無理に笑った。

 3人は再び歩き出す。

 でも、さっきまでと違って、あかりの心の中には言葉にならない違和感が小さな棘のように残っていた。

 澪の微笑みの裏にある、距離を測るような静けさ。

 エリカの目の奥に宿る、何かを押し殺すような熱。


 ──どちらにも、自分は踏み込めていない。


 それを痛感する春の夜だった。 

 駅のホームに着いたとき、あかりはふと澪の手を握りたい衝動に駆られた。

 けれど、できなかった。

 代わりに、空を見上げた。

 春の星は淡く、どこか遠くて、掴めなかった。

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