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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第2章 天翔専門学校1年生
80/140

80:クラス分け

 春の気配がまだ遠い、白い息の立つ朝。

 校舎の廊下には、ひときわ張り詰めた空気が漂っていた。

 天翔専門学校の掲示板に、進級試験の成績順位表と新年度のクラス分け結果が掲示された。

 教室の外に貼り出された新しい紙の前には、緊張に包まれた生徒たちが次々と集まってくる。

 1年次の成績上位20名がAクラス、21位から下がBクラス。 2年生からの授業内容はさらに専門的になり、舞台に直結する配役にも直接影響する。

 その一覧のなかに、自分の名前を見つけたとき―― 鷹宮あかりは、ごく小さく息を吸い込んだ。


 「……あった……!」


 鷹宮あかりは、震える指で自分の名前を探す。

 見つけたのは、「15位」という数字。

 それを見た瞬間、心臓が跳ねた。 声にならない歓喜が、胸の奥で弾けた。 ぎりぎりではあったが、確かに自分は上のクラスに入ったのだ。


(15位……20番以内に入れた……! 上のクラスに行ける……!)


 けれど、安堵と喜びの奥で、ほんの少しだけ疼くものがあった。 それは、自分が選ばれ“誰かが選ばれなかったという、重さだった。

 顔を上げると、周囲のざわめきの中で、喜ぶ生徒や、俯く生徒の姿が交錯していた。

 このひと月、授業、選抜レッスン、そして自主練……すべてをかけて努力してきた。 聖子との時間、澪との絆、そして焦りや嫉妬までも、すべて自分の力に変えた。


(やっと……やっと少し、報われた気がする)


 その背後から、視線を感じて振り向くと―― 廊下の少し離れたところに、紫堂エリカが立っていた。無表情に見えるその目は、まっすぐにあかりを見つめていた。


(……なにを考えているんだろう)


 あかりが少し視線を外すと、エリカは静かに踵を返し、その場を去っていった。

 言葉はなかった。

 でもその瞳には、淡い苛立ちとも焦りともつかぬ光が宿っていた。


 掲示板の前では、綾小路澪が佇んでいた。

 11位という順位。

  Aクラス入りには充分な成績だった。

 なのに――なぜだろう。

  喜びよりも先に、胸に広がったのは、罪悪感に近い不安だった。


(……私は男役でこのまま進むの?それとも、本当は……)


 迷いの霧はまだ胸の奥に残っていた。

 娘役としての憧れ、男役としての期待、そしてあかりと一緒にいたいという曖昧な想い。

 全部を曖昧なまま抱えたまま、澪は「Aクラス」の自分の名前を見つめていた。


 紫堂エリカは、名簿を一瞥するだけで立ち去ろうとした。

 1位。

 当然の結果。


(これでいい。この位置から、何も譲る気はない)


 だが――その瞬間、掲示板のすぐ横で名前を見つけて小さく息を呑む鷹宮あかりの姿が目に入る。

 あの子も、Aクラスにいる。 いつの間にか、あかりは下から這い上がってきた。


(また、視界に入ってくる……)


 胸の奥がざわついた。 それは怒りでも羨望でもない。けれど、静かに燃えるような嫉妬と焦燥。

 澪に寄り添うあかり。舞台上で存在感を増していくあかり。 それらが、自分の王座を脅かす“何か”に思えた。


(……負けるわけにはいかない)


 何も言わず、エリカは背を向けてその場を離れる。


 掲示板には、1位から24位までの名前が並ぶ。


1位 紫堂エリカ

2位 一ノ瀬ゆら

4位 橘颯真

6位 結城さら

……

11位 綾小路澪

……

14位 水城ひまり

15位 鷹宮あかり

……

22位 神田麻琴

……

24位 水瀬大河

……


 この結果により、あかりはぎりぎり上位Aクラス入りをした。澪も同じAクラスになった。

 少し離れたところで、神田麻琴が無言で成績表を見ていた。 彼女の肩に手を置いたのは水瀬大河。 ふたりは言葉なく、静かにその現実を受け止めていた。

 小さな階段をひとつ登ったような感覚。 その感覚が、あかりに未来へと続く何かを確かに感じさせていた。



***


 神田麻琴は、一覧表を遠巻きに見つめていた。

 自分の名前がBクラスにあることは、すでにわかっていた。 けれど、それを再び紙で見ると、やはり胸が痛んだ。


(……努力が足りなかった)


 特別レッスンを求めて宝生聖子にすがったあの日。

 断られ、何も得られず、それでも自分を奮い立たせたつもりだった。 けれど届かなかった。


(なにが足りなかったの……?)


 その隣に立った水瀬大河が、軽く麻琴の肩を叩いた。


 「渡したり、同じクラスだね」


 気の抜けたような言葉に、麻琴はつい笑ってしまった。


 「……うん、そうだね」


 背を向けてしまえば楽かもしれない。

 でも、まだやり直せる―― そんな想いを、麻琴はわずかに抱きながらその場に立っていた。


**


 そんな張り詰めた空気の中、一ノ瀬ゆらは、他の誰よりも静かにそこに立っていた。 金木犀のように控えめで、それでいて自然と視線を引き寄せる気品と知性をまとっている。

 掲示された名簿をひと通り眺めたあと、彼女は何も言わず、すっとその場を離れた。


 「二位……また、か」


 誰にも聞こえないほどの小さな声で、ゆらはつぶやいた。

 外部レッスンで舞台経験もあり、実力にも自信があった。

 だが――紫堂エリカには、今回も届かなかった。


 「前回も今回も、あと一歩足りない。……何が足りないの?」


 薄紅色の春の光が差し込む窓辺に佇み、ゆらは静かに思考を巡らせた。 エリカの強さは技術だけではない。舞台に立ったときの圧のようなもの。 観客の視線を集め、支配する力。 その何かが、まだ自分にはない。

 けれど――悔しさの奥で、静かに闘志が灯っていた。


 「いいわ。次は、負けない」


 口元にわずかに笑みを浮かべ、ゆらは背筋を伸ばして歩き出した。


**


 一方、クラス分け発表の掲示板の前に遅れて姿を現したのは、橘颯真だった。

 前回5位。今回――4位。


 「やっと、一歩前に進めたか」


 つぶやいた声には、抑えきれない達成感が滲んでいた。

 けれど、それはまだ通過点にすぎないと、颯真は自分に言い聞かせる。


 「ゆら、また2位だったんだな。あの人、本当に崩れない……」


 颯真は、掲示板から離れていくゆらの後ろ姿に目をやった。 どこか、ひとりでいるように見えるその背中。 選抜試験には望まず、外部レッスンを受け切磋琢磨してきた間柄。 ゆらは颯真にとって、常に先を歩く存在だった。

 だけど今は、もう背中だけを追っているわけじゃない。 ほんの少しだけ近づけた気がした。


 「次は――もっと上を狙う」


 颯真は自分の拳を軽く握りしめると、名簿からそっと視線を外した。


  進級後、二人とも当然のように上位クラスへ進むことになった。

  ゆらは静かな闘志を、 颯真は地道な努力の先にある光を、 それぞれの胸に秘めながら。



***


 クラス分けの発表が貼り出された朝、結城さらは、どこか居心地の悪い思いで掲示板を見つめていた。


「6位……」


 目を疑うわけではない。 目の前にある現実は、確かに自分の名前の隣に刻まれていた数字だ。

 前回の選抜では4位。 安定した立ち位置にいたはずだった。 それが、今回は順位を落とした。


 「――まあ、悪くない。上位クラスにはいられるんだし」


 さらはそうつぶやきながらも、胸の奥にかすかに刺さるものを感じていた。

 それが“悔しさ”だと気づいたのは、掲示板の前で立ち尽くす鷹宮あかりの名を目にした瞬間だった。


 「15位……? 本当に?」


 入学時、36位。

 ぎりぎりで滑り込んだような成績だった彼女が、今では堂々とAクラス入り。

  努力の末、着実に実力をつけてきたあかりの名前が、さらのすぐ下にあることに、さらは驚きとともに、ある種誇らしさを感じていた。


 ――そうだ、鷹宮さんはすごい人だ。


 誰よりもまっすぐで、不器用で、でも舞台が好きでたまらないという情熱が、全身からあふれていた。

 さらがこの学校に入った理由は、娘役トップになりたいから、ではなかった。

  ただ、天翔歌劇団という世界に憧れて。

  子どものころ、舞台を観たときに感じた、あの眩しさと感動。 その一員になれたら、と思ってこの門を叩いた。

 けれど。

 やるからには、やっぱり、上を目指したい。

 そう思うようになったのは、あかりの存在があったからだ。


 「さら、いたいた! ねえ、見た? 私、Aクラス入れたよ!」


 後ろから聞き覚えのある声がして、さらが振り返ると、あかりが息を弾ませて立っていた。

 目を輝かせ、ほっぺを赤らめて、今にも飛び跳ねそうな勢いで。


 「ほんとに?よかったね、鷹宮さん!」


 さらは自然に笑顔になった。 その笑みは、強がりでも気遣いでもない。 心からの祝福だった。

 あかりは、さらの手を両手で握ってきた。


 「さらのおかげだよ。あのとき、選抜に一緒に入れたことがすごくうれしくて、それからずっと追いつきたかったんだ」


 ――そんなふうに言ってくれるんだ。


 さらは、ほんの少しだけ目を伏せた。

 そして、あかりの手をぎゅっと握り返す。


 「じゃあ、これからは、並んで走れるね。……私も、鷹宮さんに負けないように頑張るから」


 その言葉には、にじむような焦りと、あかりへの尊敬と、そして心の奥にある小さな対抗心がこもっていた。

 春の風が、校舎の窓から吹き込んできた。

 あかりの髪がふわりと揺れ、その笑顔に、さらはふと心があたたかくなるのを感じた。


 ――負けたくない。けれど、あなたとなら、競い合える。


 心の奥に芽吹いたばかりのその想いは、やがてこの春の新たな物語の種になるのかもしれない。



**


 春の光はまだ淡く、冷たい風が廊下を抜ける。

 誰もがそれぞれの思いを抱えて、新たな学年へと歩みを進めようとしていた。 そして、その道の先には、さらに厳しい舞台と、 まだ言葉にできない感情と関係が、ゆっくりと待ち構えているのだった。

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