68:育てる者と染める者
午後の選抜レッスンが終わり、静まりかえった講師棟の教室。玲奈は教壇の前に立ち、窓の外で夕日に染まる校庭を眺めていた。
――今日のあかりは、声も、立ち姿も、確かに変わっていた。
バレエも日舞も、未熟ながら芯が通ってきた。声楽は霧島の教えが効いているのだろう。
そして演技――。
何よりもそこに、玲奈は鷹宮あかりの真実を見つけ始めていた。
(まだ、ぎこちない。でも……)
心の奥で、あの夜のことがふとよぎる。
静まりかえった教室で、月も灯らない夜。
澪と二人で、ロミオとジュリエットを演じていた、あのあかりの姿。
――あの一瞬。
彼女の身体のすべてが「ロミオ」になっていた。
あの煌めきは、誰にでも出せるものではない。
玲奈はそっと瞳を伏せる。
(光は確かに宿っている。それを、どう導けるか……)
それが、今の自分の役目だと感じていた。
だからこそ、聖子の存在が気がかりでならない。
あかりが演技において突然飛躍した理由。その中に、宝生聖子の「影」があるのは明らかだった。
玲奈の中で、胸の奥にひりつくような違和感が残っていた。それは、かつて舞台で並び立った仲間としてではなく——教育者としての感覚だった。
(あの人は、子どもを育てるような指導者ではない。あかりの“光”に、手を伸ばしている)
そのことを、玲奈は直感していた。
**
講師棟の最上階。
静かに夜の帳が下り始めた部屋の中で、聖子はソファに身体を預けていた。
赤ワインのグラスをゆっくりと揺らしながら、目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、あの夜、ベッドのそばに立っていた鷹宮あかりの姿。
――瞳を伏せて、顔を紅く染めながら、それでも自分の意思でここに来た少女。
あの脆さと、芯の強さ。
自分に触れられたときの、あの小さく震える指先。
「……ふふ。もう逃げられないわね」
独りごちるように唇を歪める。
あかりはもう、自分の手の中にいる。
演技という名の「魔法」で、彼女を揺らし、惑わせ、焦がしてゆく。
(あの子は火なの。真面目で、努力家で、誰かに導かれたいと願ってる)
でもその火は、誰が灯すかで色を変える。
玲奈のように「正しさ」で光らせるか。
自分のように「欲望」で熱を加えるか。
(私は、もっと熱い炎にしてあげるわ)
その炎が、やがて舞台を焼き尽くすほどのスターになることを、聖子は確信していた。そしてそのとき、あかりの瞳の中に誰が映っているのか――それは、如月玲奈ではないと信じていた。
グラスの縁を指でなぞる。ゆるく笑みを浮かべながら、独り言のように呟いた。
「私が育てる。彼女を、舞台の恋人にふさわしい女優に……」
**
玲奈は「育てる者」。
聖子は「染める者」。
――その差は決して小さくない。
かつて同じ舞台に立ち、同じ栄光を目指し、そして、袂を分かった二人。
今、鷹宮あかりという火種をめぐり、かつての名優たちの静かな戦いが始まろうとしていた。
どちらがあかりを導くのか。
どちらが彼女の光を手にするのか。
――それは、あかり自身の選択に委ねられていた。




