53:文化祭稽古と小道具作り
配役が発表されてから数日後。劇場講堂には、熱を帯びた空気が満ちていた。リハーサルが本格的に始まり、生徒たちはそれぞれの役に向き合っていた。
主役ロミオを演じる紫堂エリカは、台本を片手に誰よりも早く舞台に立ち、すでにセリフと動きを完璧に頭に入れていた。ジュリエット役の一ノ瀬ゆらもその隣で、落ち着いた声で台詞を重ねる。
「ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」
その声に、講師席に座る如月玲奈の目がわずかに細まった。
「エリカ、一ノ瀬、二人とも安定感はある。ただ……もっと感情を乗せてなさい」
玲奈の静かな指摘に、エリカは小さくうなずいたが、どこか苛立ちを隠せない様子だった。彼女の視線は、遠く舞台袖で控えている鷹宮あかりの方に向いていた。
その日、あかりはロミオを見送る役の衛兵2として、エリカと舞台で交差するシーンに参加していた。ほんの一言、「そこまでだ」というだけの台詞。
けれど、あかりの一言には、舞台全体の空気を引き締めるような力があった。
エリカの胸に、ざわりとした感情が広がる。
(……なんなの、あの目。脇役のくせに)
演技に対する情熱とプライドが高いエリカには、あかりの無意識な存在感が脅威となりはじめていた。
一方、舞台裏では別の緊張が走っていた。
ティボルト役の志貴なつきと、マキューシオ役の佐久間凪が対立していた。劇中でも対立する役どころの二人は、稽古中もそのまま感情をぶつけ合ってしまう。
「もっと本気で来なさいよ、佐久間!」
「……なに、張り合ってるんだよ」
感情のコントロールを失った志貴がセリフ以上に声を荒げ、周囲の空気がピリつく。
それを止めに入ったのは、ジュリエット役のゆらだった。
「なつき、もう少し冷静に……舞台の上じゃ、怒りじゃなくて制御が必要なの」
その一言で、志貴はようやく肩の力を抜いたが、睨み合う視線はしばらく消えなかった。
舞台の端では、あかりと澪が立ち位置の確認をしていた。
「ここで私が剣を抜いて、あなたが『待て』って言うのよね」
「あ……うん、そう……澪、ありがとう」
その言葉に、澪はふと笑った。
「私たちは脇役だけど、舞台の空気を作る側でもある。油断できないよ」
あかりも小さくうなずいた。彼女の胸の奥には、聖子に言われた言葉が残っていた。
『主役でなくても、観客の心をさらうことはできるわ。』
リハーサルの最後、玲奈が全体に向けて言った。
「今日の稽古はここまで。まだ演技が台詞に頼りすぎている。皆さん、もっと心で演じなさい」
その視線が一瞬だけ、あかりの方に向けられたのを、誰も気づかなかった。
(文化祭まで、あと少し)
小さな衝突、芽生える嫉妬、すれ違う感情。
舞台の幕が上がる前から、物語はすでに始まっていた。
***
文化祭の配役が発表され、主役や目立つ役を得た生徒たちは稽古に熱を入れる一方、端役に回ったあかり、澪、麻琴は自分たちにできることを探していた。出番の少ない三人は、舞台で使う小道具作りの担当を申し出て、空いている時間を使って作業場に集まった。
午後の穏やかな光が差し込む教室の隅。工作机の上には紙や布、木材、絵の具などが広げられ、三人は黙々と手を動かしていた。
あかりはロミオの剣の装飾を担当しており、細かな金の模様を筆で描いている。麻琴は舞台の階段部分に使う木枠の補強をし、澪はジュリエットの部屋に飾られる造花のアレンジをしていた。
「……ねえ、あたし、ちょっと悔しいんだ」
麻琴がふと口を開いた。金槌を持った手を止め、まっすぐに前を見つめている。
「うん、わかるよ」あかりも筆を置いて、うなずく。
「私も。頑張ったつもりだったけど、まだまだなんだなって思い知らされた」
澪は少しだけ目線を落とし、静かに言葉を継いだ。
「……わたしも。成績も下がったし、役も端役。でも、こうして小道具を作ってると……少しだけ、心が落ち着くの」
あかりは澪の言葉に頷きながら、
「うん。そうだよ。今、こうして一緒に舞台を支えてる。それって、すごく大事なことだと思う」
澪も小さく頷いた。
「舞台は、出る人だけじゃなくて、みんなで作るものだから」
三人の間に、静かな一体感が生まれた。ほんの少しの寂しさと、舞台への愛情。それを胸に抱えながら、それぞれが再び手を動かし始めた。
やがて、夕方のチャイムが鳴る頃には、剣も花も装飾された階段も、舞台の一部として輝く準備が整っていた。




