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天翔の星  作者: 嵯峨野遼
第2章 天翔専門学校1年生
43/140

43:夢と残響

 まぶたの裏に差し込む光があった。

 それは朝日のようでも、舞台照明のようでもあり――

 何か、あたたかくも鋭いものだった。


 あかりは、舞台に立っていた。

 広く、高く、どこまでも荘厳で、息を呑むような講堂の舞台。

 だけど、見慣れたはずのその舞台は、どこか異様だった。


 幕がまだ下りきっていない。

 赤いベルベットの隙間から、強すぎる光がこぼれている。

 あかりは制服姿のまま、舞台中央に立ち尽くしていた。


 (……なんでここに?)


 客席は闇に沈んでいて、誰がいるのかはわからない。

 けれど確かに「視線」がある。それは評価する目であり、値踏みする目であり、

 ――そして、ときに愛でる目だった。


 「鷹宮あかり」


 柔らかな声が響いた。

 舞台奥、黒いヴェールを纏うようにして現れたのは、宝生聖子だった。

 まるで劇中の妖精のように、夢と現実の狭間からすべり出てきた彼女は、赤いドレスをふわりと揺らし、舞台を歩いてくる。


 「さあ、演じて。あなたの恋を、あなたの渇きを」


 聖子が手を差し出すと、客席がざわめいた。

 いや、あれは風の音?

 それとも――誰かの笑い声?


 あかりが何かを言おうとした瞬間、脇から白い光が差した。

 振り返ると、綾小路澪がいた。

 深い青の燕尾服に身を包み、舞台の端からゆっくり歩いてくる。その姿はまるで、劇中の王子そのものだった。


 「あなたを守るのが、私の役だから」


 そう言った澪の目には、柔らかさと寂しさが同居していた。

 けれど、すぐ背後に別の足音が重なった。


 ――カツ、カツ、とヒールの音。


 今度は紫堂エリカが現れた。

 黒いドレスコートに身を包み、瞳に炎のような光を宿している。


 「そのセリフ、私に譲ってくれない?」


 エリカが澪に向かって冷たく言い放つと、澪は静かに視線をそらす。けれど、どこか苦しそうだった。

 あかりは何かを言いたいのに、言葉が出てこない。目を見開いて口を開こうとしても、声にならない。

 胸が痛く、喉が詰まるようだった。


 そのとき、天井から薔薇の花びらが降ってきた。

 深紅、白、薄紫。花びらはゆっくりと舞い降り、舞台を染める。

 照明が消え、舞台が闇に沈む。


 ざわ……ざわ……誰かの呟きが耳元で鳴る。


 「違う、私はただ……うまくなりたかっただけで」


 「それだけで、誰かを傷つけたの?」


 声は、あかりの内からも、外からも聞こえた。

 舞台が、傾く。


 どこかで幕が切り裂かれる音がして、背後から冷たい風が吹く。


 あかりは、誰かの手を求めて振り返る。

 そこには――いなかった。


 澪も、エリカも、聖子さえも、いない。

 ただ、あかり一人が、舞台に取り残されていた。


 (誰か……)


 その時、ふいに客席の奥が明るくなった。

 一人の影が、椅子に座っている。

 見覚えのある姿――それは、過去の自分だった。声も出せず、身動きも取れず、あかりはただその「幼い自分」に見つめられていた。


 「あなた、変わっちゃったね」


 その声に、胸が締めつけられた。


**


 「……っ!」


 あかりは弾かれるように目を覚ました。

 胸が早鐘のように鳴っていた。

 暗い部屋の中、隣のベッドでは澪が静かに眠っている。

 その寝顔はどこか神秘的で、けれど触れれば崩れてしまいそうな繊細さを宿していた。


 (夢……だったのか……)


 額に汗が滲んでいる。

 けれど、夢の中の言葉や視線や、何より自分の罪悪感のようなものが、

 あかりの胸の奥にしこりのように残っていた。


 (私、ほんとに、正しいやり方で……うまくなってるのかな……)


 澪の寝息を聞きながら、あかりは静かにまぶたを閉じた。

 そして、自分の手を、胸に当てた。

 どくん――どくん――。

 夢の中と同じ、鼓動がそこにあった。



***


 カーテン越しのやわらかな朝陽が、あかりの頬をなぞっていた。

 目を覚ました瞬間、現実に戻ったはずなのに、胸の奥はまだ夢の中のようだった。


 (あの夢……やけに鮮明だったな……)


 舞台の上、宝生聖子の妖しい声。

 澪の切ない目。エリカの鋭い視線。

 そして、過去の自分が呟いた「あなた、変わっちゃったね」という言葉。


 (変わったのかな、私……)


 澪の眠る横で静かに着替えながら、あかりはまだ少し胸の奥にざらついた感情を抱えていた。


 寮の朝食の席では、ひまりが冗談を飛ばし、さらが「今日の髪型、変えてみたの」と笑い、颯真が「眠い」とぼやいている。

 あかりも普段通りに笑って答えてはいたが、心はどこか雲に覆われていた。


 校門へと続く坂道を登りながら、澪、さら、颯真、ひまりと並んで歩く。

 空は青く、蝉が少し早く鳴き始めている。


 (…現実は動いてるのに、私はまだ夢の中みたい)


 と、そのときだった。


 「鷹宮さん、最近どう?」


 後ろから穏やかで低い声がかかった。

 振り返ると、すらりと背の高い上級生――芦原右京が、朝の光を背に立っていた。


 2年生の成績トップ。研ぎ澄まされた存在感を持ち、あかりたち1年生の間でも一目置かれている生徒。

 決して媚びない涼やかな視線。制服の着こなしさえ洗練されている。


 「う、芦原先輩……おはようございます」


 あかりが少し戸惑って答えると、彼の視線は一瞬、あかりの表情をとらえた。

 次の瞬間、右京の唇がほんの少しだけ、わずかに上がった。


 「昨日の放課後、ずいぶん楽しそうだったね」


 その言葉に、さらとひまりが「あ、じゃあ……」と小声でささやき合い、空気を読んで自然とあかりの隣から数歩離れる。

 颯真も「じゃ、先に行ってる」とあかりの肩を軽く叩いて離れていく。


 あかりと右京、ふたりきりになった道。

 朝の風がふと吹き抜け、あかりの髪が揺れた。


 「浮かれるのは悪いことじゃないよ」


 右京の声は優しい。だがその奥にある冷静さは鋭く、あかりの胸の奥を刺す。


 「でもね……」


 彼は足を止め、あかりの目をまっすぐに見た。


 「もうすぐ中間試験だ。あなたは今、自分のどこに立っているのか、それを忘れないように」


 柔らかい口調だった。けれど、その言葉は曖昧な夢の残り香を一気に現実へと引き戻した。


 「……はい」


 あかりはそう返すしかなかった。


 右京はそれ以上何も言わず、ほんのわずかに頷いて、その場を去っていった。すらりと伸びた脚で静かに歩き、振り返ることなく校門の向こうへ消えていく。


 (芦原先輩……)


 その背中を見つめながら、あかりは胸の内で呟いた。


 (あの人は……全部見透かしてるみたいだ)


 夢の中で迷っていた心。

 聖子への憧れと畏れ。

 澪の揺れる眼差し。エリカの怒り。

 自分自身の、ふらふらと揺れる“初心”と“野心”。


 (しっかりしなきゃ。浮かれてなんて……いられない)


 ゆっくりと深呼吸をして、あかりは再び歩き出す。

 まぶしい朝陽の下。

 自分が立つ舞台は、現実という名の世界だった。

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