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第六章 乙女の死/ユニコーンについて part4

 怒れるユニコーンの突進から、キャンディスを庇った結果――


 ザルツの体は角に貫かれていた。


 あたかも熱した鉄の棒を突っ込まれたかのようだった。


 皮膚を裂かれ、筋肉を穿たれ、内臓を破られ、腹から背まで穴を開けられて、ザルツは焼けつくような激しい痛みに襲われていたのである。


 本来ならば、一刻も早く治療を始めなければいけない。それほどの重傷を負った、非常に危険な状況だろう。


 しかし、ザルツはこの状況にこそ勝機を見出していた。


 木の幹でやったことを、自分の体でやればいいのだ。


 角が抜けないように、自分の体と左腕を使って押さえ込む。これでもうユニコーンは逃げることはできない。


 そうして相手の動きを止めたところで、右腕のマチェーテを振り下ろす。


 だが、ザルツの一撃は、ユニコーンの角にわずかな傷をつけただけに終わった。


 それどころか、攻撃の反動を受けて、ザルツの方が痛手を喰らったくらいだった。マチェーテを地面に落としてしまったのだ。


 強化魔法は肉体の耐久力も向上させることができる。しかし、キャンディスを助けるために不意に飛び込んだせいで、半端な出来になってしまっていた。そのせいで、受けたダメージは想像以上に大きく、右腕に力が入らなくなってしまっていたのである。


 それは当然、角を握り締める左腕にも当てはまった。拘束から逃れようと、ユニコーンが頭を激しく振ろうとするのを止めきれない。傷口が左右に大きく広がり、内臓がかき回されてずたずたになる。


 ユニコーンはこのまま頭を振って、こちらの胴体を切断するつもりなのだろう。早く後ろへ下がって、体から角を抜かなくてはいけない。


 しかし、ザルツは逆に角の根元の方へと突っ込んでいった。


 角を抜いても、ユニコーンはまた突進を仕掛けてくるだけだろう。そうなったら、負傷した今の自分ではかわしきれない可能性が高い。


 だから、ザルツはユニコーンを殺すことを考えたのだ。


 落としたマチェーテを拾う余裕はない。ユニコーンの方へ向かっていきながら、ザルツは右手で腰のナイフを抜く。


 そして、角の根元までたどり着くと、それを相手の目に突き刺した。


 横ではなく縦に突くことで、脳の損壊を目論む。


 だが、腹の傷が広がった影響で、腕にはさらに力が入らなくなっていた。ナイフの刃は脳まで達しなかったのだ。


 もっとも、絶命こそしなかったものの、ユニコーンは相応にダメージを受けたようだった。たじろいだように、自発的にザルツの体から角を抜いていた。


 ユニコーンが無防備になったこの好機に、追撃を加えて殺し切る――


 普段なら間違いなくそうしていたことだろう。ただ、今のザルツにはそれだけの体力はもう残っていなかった。キャンディスが居合わせていることも考慮して、この場から逃げ出すことを優先する。


 まだユニコーンがひるんでいる隙に、ありったけの発煙弾に火をつけて煙幕を張る。香水の瓶も一緒に投げたが、これは相手をなだめるためというよりも、鼻を利かなくさせるためだった。


 あとから血の跡をたどられないように、ザルツは包帯で止血を行いながら走る。途中からは、キャンディスが貸してくれた肩も頼った。


 だが、それも短い間のことだった。


「もうここでいい」


 ザルツは足を止めて、近くの木にもたれかかる。


 腹に巻いた包帯は、出血を抑えきれないように早くも真っ赤に染まっていた。


「もっ、申し訳ありません。わたくしのせいでこんな……」


「嬢ちゃんが謝ることじゃない。俺のミスだ。怪我なんか角で治せるんだから、あのまま嬢ちゃんを襲わせておいて、その隙に殺せばよかったんだ」


 慰めだけで言っているわけではない。咄嗟の判断に失敗したのは事実だった。ずっとソロでやってきた弊害で、パーティ戦の感覚が鈍ってしまっていたようだ。


 だから、今回は可能なかぎり冷静に判断を下すようにする。


「嬢ちゃんはさっさと街まで戻れ。それで、他の冒険者に依頼の引継ぎを頼むんだ。ユニコーンの居場所が分かってるから、今から冒険者を探しても間に合う可能性はある」


 これを聞いたキャンディスは、訝しむような不安がるような表情をするのだった。


「ザルツ様はどうなさるおつもりですか?」


「この怪我だ。俺はもう助からんだろう」


 包帯で塞いだだけで、腹には大きな風穴が開いている。それどころか、内臓がぐちゃぐちゃに潰れてしまっている。強化魔法で再生力を高めたり、ポーションを飲んだりしたくらいで治せるような状態ではない。


 今は魔法を使って無理矢理延命しているだけだから、魔力が尽きたら命も尽きることになるだろう。


「そんな……」


「いいから聞け。血の匂いでじきにユニコーンがここまで来る。この場に残っていたら、嬢ちゃんも巻き込まれるんだ。そうなればマチも助からない。嬢ちゃんが今引き返せば、死ぬのは俺だけで済むんだ」


 三人死ぬか、一人だけ死ぬか。どちらがマシかは簡単な計算だろう。


 しかし、その簡単な計算がキャンディスにはできないようだった。いつまで経っても、返事をしようとしない。


「初めて会った時に言ったよな。『実際の冒険と冒険譚は違う』と。『誰でも死ぬ時は死ぬ』と。俺にとっては、今がその時だったってだけのことなんだ」


 あれからキャンディスは何度も冒険をしていた。弓矢でモンスターを狩る経験もしていた。もうお城のベッドで本を読んでいただけの頃とは違う。


 今なら身をもって、自分の言葉を理解できるはずである。


 そうザルツに諭されると、ようやく彼女は口を開いた。


「……ユニコーンの角があれば、ザルツ様の怪我も治せるでしょうか?」


「お前、何を言って――」


わたくしが博物誌を編纂しようと思い至ったのは、冒険者の方たちを死なせないためです。ここでザルツ様を見捨てるのは、その目的に反します」


 記録では、ちぎれた足が繋がったとか、破れた肺が塞がったとか、致命傷レベルの怪我から回復した例が残っている。ユニコーンの角が手に入れば、確かに自分の命が助かる可能性は高い。


 だが、それはあくまで角が手に入ればという話である。


「無茶だ。あれは嬢ちゃんの手に負えるようなモンスターじゃない」


 もっと動きやすい服に着替えろ。重いから槍はやめておけ。体作りのために夜は寝た方がいい…… いつものキャンディスなら、熟練者の自分の意見に大人しく従っただろう。


 けれど、今日は頑として譲らなかった。


わたくしが考えて、わたくしが決めたことです」


 ここで逃げれば、最低でもキャンディスの命だけは助かる。もしかしたら、マチの命まで助かるかもしれない。逃げた方が間違いなく賢明だろう。


 しかし、賢明な行動だと思ったから、自分は彼女の博物誌作りに協力することにしたのだったか。


 むしろ、賢明とはとても言えないからこそ、協力することにしたのではなかったか。


 自分と違って、彼女は冒険に夢を見ている。


 だが、彼女の見る夢に、夢見られる彼女に、自分は惹きつけられたのではなかったのか。


「……分かったよ」


「本当ですか!」


「普段ならぶん殴ってでも言うことを聞かせるところだが、この怪我じゃあそういうわけにもいかないからな」


 腹の傷を抑えながら、ザルツはさらに話を続けた。


「だが、せめて作戦くらいは俺の指示を聞いてくれよ」


「はい!」



          ◇◇◇



 血の匂いを嗅ぎつけて、ユニコーンは敵の居所を見つけ出す。


 しかし、そこに立っていたのはザルツではなく、キャンディスだった。


『まず俺が移動するのを手伝ってくれ。代わりに、元の場所には嬢ちゃんが立つんだ。これで嬢ちゃんの姿をわざとユニコーンに見つけさせる』


 キャンディスは作戦に従って、ザルツの寄りかかっていた木の前で待機しておいた。さらに足下には血の染みついた包帯を置いておいた。それにユニコーンはまんまと引っかかったのである。


 だが、そもそも二人とも殺す気でいたのだろう。


 キャンディスの姿を発見した瞬間、ユニコーンはいっそう速度を上げて迫ってきたのだった。


『騙された恨みで、ユニコーンは嬢ちゃん相手でも構わず突進してくるだろう。怒りで我を忘れて真正面から向かってくるから、狙いをつけやすいはずだ』


 ザルツの助言通り、ユニコーンの動きは単純だった。右に左に蛇行したり、加速減速したりといったフェイントはしてこない。ただ最短距離を全速力で走ってくる。


 そうやってユニコーンがあっという間に近づいてきたので、作戦も早くも最終段階に突入した。


『あとはユニコーンの目を射抜くだけだ』


 キャンディスは構えに入った。


 足を肩幅ほどに開く。左手で弓を突き出し、右手で矢を引く。そして、両目で射るべき箇所をしっかりと見据える。


わたくしの力で射抜けるでしょうか?』


『無理だろうな』


『えっ』


『正確には目を狙うわけじゃない』


『あ、ナイフですね』


『そうだ。嬢ちゃんの矢で押し込むんだ』


 ユニコーンの左目に刺さったままのナイフに、キャンディスは狙いを定める。


 ザルツは作戦を考えてくれた。ナイフでチャンスも作ってくれた。


 しかし、助けを借りられるのはここまでだった。


 作戦が失敗した場合のことを考えて、ザルツはほど近い場所に控えてくれていた。だが、もう限界が近いようで、いつの間にか地面に膝をついてしまっている。これではフォローは期待できそうにない。


 ここから先は、自分一人でやるしかないのだ。


 長く尖った角を閃かせながら、ユニコーンが猛然と向かってくる。


 指が、腕が、体が震えそうになるのを、キャンディスは必死に押さえ込む。決して恐怖心で矢から手を離すような射ち方だけはしない。


 そうして放たれた矢は――


 正確にナイフに命中し、それをユニコーンの頭部深くまで押し込んだ。


 にもかかわらず、ユニコーンの走りは止まらない。脳にナイフの刃を喰い込ませながら、最後の力を振り絞って迫ってくる。


 だが、キャンディスを突き殺す直前で、とうとう倒れ伏したのだった。



          ◇◇◇



「――という感じで、なんとかユニコーンを討伐することができました」


「すごーい!」


 マチは感嘆から大きな声を上げる。


 ……だけでは済まなかった。


「それでそれで?」


「病み上がりなんだから、あんまりはしゃぐなよ」


 ユニコーンの角の効果で、赤変熱が治まったばかりだった。念のため、まだベッドから出ないように言いつけていたくらいである。


 しかし、ザルツが注意しても、マチはろくに聞く耳を持たなかった。少し声量を抑えただけで、相変わらずキャンディスに話の続きをねだっていたのだ。


「それで?」


「そのあとは、角を削って、ザルツ様にお飲みいただきました。それから、血が足りないとおっしゃるので、お肉も召し上がっていただいて」


「マチ知ってる。ユニコーンは肉にも治す力があるんだよね」


「よくご存じですね」


 マチの言う通り、角ほどではないが、肉にも怪我や病気を治癒する効果があった。肉を一緒に取ると、角の持つ回復力がさらに高まるという伝承も残っている。


「ちょうど来たな」


 キッチンワゴンを押しながら、ムスカートが部屋に入ってくる。ユニコーンの肉でスープを作ってきたのだ。


 病み上がりのマチは当然として、ザルツも大怪我が癒えたばかりだったし、キャンディスは博物誌にユニコーンのことを書く必要がある。だから、スープは全員に振る舞われた。


 ユニコーンのスープは、風邪をひいた時の定番であるチキンスープを応用して作られていた。


 具材にはユニコーンの肉の他に、栄養バランスを考えてニンジンやタマネギなど、たくさんの野菜が使われている。また、消化しやすいように、それぞれが小さく切られ、さらにはじっくりと煮込んであった。


 味つけは塩とハーブだけのシンプルなものだった。しかし、野菜の甘味や、馬肉よりもいっそう深いユニコーンの肉の旨味が溶け出して――


「おいしい!」


「よかったなぁ」


 はしゃぐ娘の頭を、ムスカートは優しげになでた。


「本当によかった……」


 何度も、本当に何度もなでた。


 赤変熱はもうすっかり回復したらしい。マチはスープはもちろん、冒険の話の方までおかわりしていた。


「ユニコーンを食べたあとは? 何かあった?」


「あとは……」


 キャンディスは一瞬言いよどんだ。


「あとは何事もなく街まで戻ってきました」


 一応、モンスターを見かけることは見かけた。だが、幸いにもトレントやホーンラビットのような大人しいものばかりで、戦闘になるようなことはなかったのだった。


「ザルツの血の匂いで、モンスターが寄ってきたりしなかった?」


「恐ろしいことを言うな」


 確かに、負傷した動物は捕食者に狙われやすいものだが、帰る時にはすでにユニコーンの角と肉のおかげで傷が塞がっていたから関係なかった。


「本当に何もありませんでしたよ」


 キャンディスはわざわざそう念を押す。


 その頬には赤みが差し、口元には笑みが浮かんでいた。



          ◇◇◇



 キャンディスが悪戦苦闘の末に粉にしたユニコーンの角を飲む。


 また、傷が塞がっても血が足りないと動けないので、肉も切り分けて持ってきてもらった。


 肉を食べる最中、キャンディスが不安げな顔をするので、ザルツは「豚や鶏と違って、馬肉は生でも比較的安全」という話を聞かせた。しかし、彼女はそういう心配をしていたわけではなかったらしい。


「戻るか」とザルツが立ち上がったのを見ても、彼女の心配事はまだ解消されなかったようだった。


「お体はもうよろしいのですか?」


「歩くくらいなら問題ないだろう」


 マチの病状が急変するかもしれないし、帰路でトラブルが起きて時間を取られるかもしれない。だから、なるべく早く出発しておきたかった。


 これを聞いて、キャンディスもようやく納得したようだった。


「それでは、すぐに着替え直しますね」


 そう答えて、体を隠せそうな木を探し始める。ユニコーンをなつかせるために着替えてから、彼女はずっとドレス姿のままだったのだ。


 大きく膨らんだスカート、窮屈なコルセット、高過ぎるヒール…… 舞踏会で踊るのにも苦労しそうなくらいで、森の中を歩くにはまったく向いていないだろう。


 というような感想を、そういえば以前にも抱いたことがなかっただろうか。


「その服、初めて会った時にも着てたか」


「そうですね」


 先程の既視感は、初対面の時に同じ感想を思い浮かべたことが原因だったようだ。


 しかし、ザルツは同時に、当時とは別の感想も抱いていた。


「初対面の時は似合ってると思ったが、今見たらそうでもないな」


「そ、そうですか?」


「ああ」


 否定してほしそうなのを無視してザルツは頷く。


「ドレスが似合わなくなったな」


 庭にすら出たことがないのかと思うほど白い肌は、連日森を歩き回ったことで日に焼けた。


 スプーンすら持ったことがないのかと思うほど細い腕と指には、弓術の訓練で筋肉がついた。


 未だに御伽話を読んでいそうなくらい幼さの残る顔立ちには、一つのことを成し遂げた人間らしい凛々しい表情が浮かぶようになった。


 今のキャンディスは乙女でも、お姫様でも、小娘でもなく――


 冒険者の姿をしていた。


「行きましょう!」


 木の陰から出てきたキャンディスは、もういつものパンツルックに戻っていた。


 そして、着替えの仕上げに、自分で自分の髪を結わうのだった。




(了)

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