3 世界の中心でロリを叫んだけもの
3 世界の中心でロリを叫んだけもの
炉学研究所。
日本国内に存在する研究機関の一つで、区分としては独立行政法人として活動する組織だ。
ロリ化技術が世界に広まって後、ロリ化を受け入れ推進したロリ化賛同国は、各々がロリ化を制御し社会に活かし、そして更に発展させるために無数の研究機関を発足させ、時にそれは民間企業として活動し、また政府お抱えの公的機関として活動し、それぞれがロリ化という一大技術を進歩させるための推進剤となった。
日本もまた幾つものロリ化関連技術研究機関をその列島の各所に抱えている。突飛な夢想を追う者たちから堅実な技術の発展を狙うものまで、ロリ化という果実が次に生み出す一滴の果汁をものにすることで世界に貢献しようと――そしてついでに自国や自組織の経済的発展を得ようと――する者たち。炉学研究所もまたそうした組織の一つだった。
ひどく地味な名前そのままに、この組織の知名度はさほどでもない。ハンバートもまたロリ化技術に手を出しているが、そちらに比べれば極東の国の小さな研究所でしかない。
しかし一方で専門家の間での評価は高い。ロリ化に関し複数の革新的な技術を研究し、その中には実際に世界中のロリ化に影響を与え、そればかりか今日のロリ化に関してスタンダードにまでなった技術も少なくないというのだ。ロリ化に際しての免疫系の問題や神経再構成における深刻な問題の解消、よりクオリア共有を行いやすくするロリ的外見デザインと脳内構造の創出など、深い部分で世界のロリ化に噛んでいる。
そしてそこは――これはひどく個人的な話になるが――僕にとっては、古い友人がWLOの庇護を抜けて選んだ、新たな人生の場所だった。
『日本で研究機関に入ることにする』
というメッセージを僕はニンフォレプトに入ってすぐの頃に受け取った。差出人はイデア・ニンフェット。ちょうど、施設での暴動から三年がたった頃だった。
忘れ難い混乱の記憶、暴動の記憶……WLOの施設で突如起きた破滅的な騒乱。
その原因は、結局集団的なロリ・コンフリクトと結論付けられた。僕らの過ごしていた施設、WLOが身寄りのない子供への慈悲と、将来の人材育成という実益を両立していたその施設に突如怒った悲劇だった。その悲劇の後、施設はあっさり解体が決まった。死者の数は二桁に昇っていたし、その三分の二以上は大人の施設職員ではなく、子供たちだったからだ。
それはちょっとした事件だった。コンフリクトの恐怖はよく知られていたけれど、この一件はそれを加速させた。
僕はそんな暴動に巻き込まれ、しかし指先ほどの傷も負わずに済んだ。自分がコンフリクトを起こすこともなかった……その時はまだロリ化をしていなかったのだから、当たり前だ。
イデアはそんな僕の目の前で撃たれた。回転しながら飛翔する昔ながらの拳銃弾が彼女の頭蓋を砕きその中身を溢れるエネルギーでいくらか潰しかき混ぜた。銃創は、傷と表現するのも馬鹿馬鹿しいものだった。血と血以外の多くのものを零す彼女を前に僕は何も出来ず、意識も記憶も混乱し、そして気がつけば全て終わっていた。
僕は別の施設へと移動し、そしてイデアはいくつかの米国内医療機関を転々とした後で、いつの間にか海外に渡っていた。当時から既にロリ化とそれに関連して医療面で世界トップクラスの地位に立っていた日本へと、意識も戻らぬままに。現代でも人の脳を再建したり、大規模に機械化で補ったりする事は出来ない。だからイデアは奇跡を求めて海を渡ったことになる。
僕はロリ化処置を受け、そして更にクオリア・パッケージのテストを受け訓練を受ける日々を続けた。WLOで働くことが一番手近な人生の進路であったし、なによりロリという存在にとにかく近い場所にいたかった。失ったイデアの残り香のようなものを求めていたともいえる。
そうしてがむしゃらに日々を過ごし、ニンフォレプトとなった時、メッセージが届いた。イデアが少し前に目覚め、社会へと、日本社会へと入り勉学に励んでいることを知った。
そうしてそこから五年以上が経過し、僕は変わらずニンフォレプトとしてロリと安寧と進歩のためにほうぼうで戦い、調べ、目を光らせてきた。
イデアはその間に日本のとある研究機関へと入ることに成功した。
「やったよ、ヴォロージャ。私ね、炉学研究所で働くことになったの」
映像つきの通話で飛び跳ねんばかりに喜びながらイデアは僕にそう報告し、笑みを振りまいていた。
そして今現在。
僕は、窓の外、一キロも離れていない位置にその研究所の建築物の群を見ていた。
都市中心部から大きく離れた場所にそれらは存在する。何度と無く天災や戦争で廃墟となりかけた日本の都市部はそのたびに姿を変え、現代ではほとんどSFコミックか何かのような現実感のない美しいビルの壁面が無数に・複雑に・立ち並び入り組む森と化しているが、炉学研究所は摩天楼とはやや縁遠い景色の中にあった。周囲には穏やかな住宅と、広い道路とが見え、遠く背後には野山の鮮やかな色合いが見える。
緩い斜面に広く土地を取り、複数の研究棟や宿舎の立ち並ぶ、いっそ退屈と言ってもいい外見。それが炉学研究所の姿だった。正確には国内に複数存在する基幹施設の内の一つ、ロリ化中央研究所だ。
「あまり、特別な場所には見えないでしょう」
と、僕の内心を読んだような言葉を、僕の背後に立つ青年がかけてくる。
「ええ」
正直に僕は頷き、振り返る。
そこに立つのは、端正な顔立ちをした男だった。日本人に近い、しかしどこか中東系の血も感じさせる容貌で、赤茶の瞳と少しばかり癖のついた黒髪、そして縦に長く横に細い体型が特徴的な男だった。
「実際、特別な組織ではなかったんですよ。少なくとも、設立当初はね」
彼はどこか演技臭い、芝居がかった仕草と声で話した。キザったらしい見た目と合わせて鼻についてもよさそうな気がするが、不思議と不快には感じなかった。それはそもそも彼がこの国では少ない男性の若者だからかもしれないし、芝居そのものが上手いからかもしれなかった。
彼は薄手のジャケットを羽織っていた。その胸元には小さなプレートが取り付けられている。昔ながらのネームプレート。拡張現実込みで見れば様々なパーソナルデータが見れるその名札には、「兼田 章太郎」と明朝体で書かれていた。
僕がじっとその名札を注視すると、彼が炉学研究所の職員であること、その担当部署や仕事用の連絡先などがずらずらと現実の視界に重ねて表示される。
補助機械脳が現実の視界に情報として追加して視覚に送り込まれるその表示には多くのことが記されていた。が、しかしそこには載っていない彼の情報を僕とキャロルは所持していた。そしてそれこそが、僕らがここにいる理由だった。
「あなたが潜入したときには既に、優れた研究組織になってたの?」
と、キャロルが問う。ええ、そうですね、と兼田は首を縦に振って答えた。
「私が入所したのは二年半ほど前ですが、既にその頃にはロリ化関連界隈では一定の地位を築いていました。というより順序としては、有名になっていたからこそWLOが私を送り込んだ、と言うべきでしょうね」
薄く貼り付けたような笑みを浮かべて兼田はキャロルに話した。
と、そういうわけで、彼はWLOの情報要員だった。炉学研究所の職員という身分は正式に研究所の求人に応募して得たものだが、それ以前に彼はWLOに唾をつけられていたのだ。
まるで昔のスパイ映画のようだが、こうしたほとんど非合法な、というか単純にえげつないやり方をWLOはいくらか抱えている。
炉学研究所という単語をシーリン統括官から聞いた時、勿論想起したのはイデアだった。
ニンフォレプトとしての仕事というものはロリ化に関する酷い厄介事の防止と後始末であり、その仕事に友人である彼女の勤め先の名が上がる事態というのは、驚きと共にショックを受けるべき出来事だった。だが統括官の口から彼女の名が告げられることはなかった。当然だった、イデアは今はWLOから離れた一個人に過ぎない。
代わりに――というわけでもないだろうが――命じられたのが、この兼田氏との接触である。
「元々半官半民の組織で、ロリ化が猛烈に広がる中で多くの企業と提携して成果を上げてきたんです。件の……ハンバートも、その一つですね」
僕の背後から僕と同じように窓越しに研究所を見つめ、そう呟く。
部屋は、表向きはWLOとも炉学研究所とも関係ない人物の名義で借りられていた。僕らのいるリビングはほどほどの広さで、綺麗ではあるが無個性的なガラステーブルやソファーやキャビネットが雑誌の中の見本写真のように置かれている。本来は核家族向けの貸しマンションであり、実態としてはセーフハウスじみた使い方をされているというわけだ。
「実際のところ」
ソファーに深く腰掛けてややだらけた様子のキャロルを視界の端に捉えつつ、僕は尋ねる
「ハンバートとの仲というのは、どんな状態なんだ? 仲の悪いところがあるとは聞いているが」
来日したばかりの僕にとって日本の一研究機関の立ち居地というものはやや遠い場所での出来事だ。
兼田は薄く笑って、自分もキャロルと同じようにソファーに腰掛けた。
「よくある話ですよ。ハンバートは炉学研究所の提携先企業の一つで、研究技術の実用化や共同研究などを行っているんですが、何年か協力し合ううちに徐々に噛み合いが悪くなっていったんです」
言って、兼田はテーブルの上に無造作に置かれていたノートサイズの板――ややレトロなタブレットシート端末を手に取り内部に保存されているデータを表示する。ちらと見ると、ネット上のニュース・新聞・個人サイトその他諸々。どれも炉学研究所がらみのものだ。革新的な研究成果を報じる記事、讃える記事がずらずらと並ぶ
「言ってしまえば、優秀すぎるんですよ、炉学研究所は。ロリ化関連技術界隈じゃちょっとしたもので、研究成果の中には基幹技術として広がってるものもある。協力体制の細々とした不備やトラブル、特許料の問題、いろいろ摩擦の原因はありますが、一番の不仲の原因は、ハンバートが恐れていることです」
「恐れてる? 研究所を?」
キャロルが首を傾げる。ハンバートのような巨大企業が何を、といった顔で。
「正確には、その研究成果を、です」
肩をすくめて兼田は答えた。




