3 世界の中心でロリを叫んだけもの・2
「いまやロリ化は世界を一変させ、今尚先進各国を駆動する大きな力の一つです。先進国の多くがロリ化に賛同し推進してますし、それによってそうした国家が得たものは多い。健康寿命の大幅な増進、難病の快癒、知性の向上、それに――」
「クオリア共有」
自然とその単語が口をついて出た。兼田は僕の呟きに頷き、後を続ける。
「世界を変えた奇跡。真なる相互理解……大脳ロリ野の存在意義。色んな名前で呼ばれるそれ。人が数千年以上抱え続けてきた空虚な敵意をいくらか沈め激化しかかっていた国際社会の熱を冷ました技術」
唱えるように語るその声を聞きながら、僕は想像する。
ロリ化技術の基礎が世界の中に見え始めたのは、二十年代だという。僕やイデアの生まれる少し前のことだ。
その頃世界は混沌の中にあった。はっきりとした出来事があったわけでも、何か分かりやすい境界を超えたわけでもない。徐々に、少しずつ、テロが日常化し第三世界の紛争が数を増やし過激な言動がネット上でも現実でも多くなり次第にそれらはいくらかの市民権まで獲得し……経済・環境・資源といった現実的で物質的な問題が思想や観念の問題と結びつきを強くして、その結果として凄まじい数の国がいくらかの被害を被ることになったという。
僕もイデアも、そして年齢から言えばキャロルだって言葉でしか知らない過去の出来事だ。
それから十五年ほどでロリ化は世界に広がり、それと同時に世界的騒乱の予兆は沈静化した。街中に点在する慰霊碑や記念碑、半世紀前の地図と異なるえぐれた海岸線の形、無くなった国の名前、そういうものだけが今は残っている。
「ロリ化は、クオリア共有は、それだけの力を持った存在です。美しく、病や老いのストレスから解放され、突発的な暴力に向かない少女の身体をわが身とし、その上で他者の心を直接自らのものとして感じる。そこから相互理解と協調や尊重が始まり、更にクオリア共有を行っていない他者への想像力も増強される……先進国から始まったロリ化による安定はロリ化がほとんど行われていない貧しい国にまでも波及しました」
理性的な意識と、そこに宿る想像力の賜物。差別偏見が衰え、替わりに現われたささやかではあるがはっきりとしたロリ化人たちの意志。思いやりという意識が連鎖的に沸きあがり、倫理がクオリアという感触と共に交換され補完され、社会は平和と共存、より理性的な未来に向かう梯子に手をかけた。
未だに世界には貧しい国がたっぷり存在しそこでは幼い子供がライフル片手に民族紛争をやらかしていたりするが、それでもその数は減ったのだ。完全には程遠いが、ロリ化は社会を、世界を変えている、その証左の一つだった。途上国でもロリ化を進める国はいくつかある。世界にロリは広がり続けているのだ。
「それだけの影響力を持った技術に関して、世界的に指折りの技術研究を行っているんです、炉学研究所は。それに加えてここ数年は、クオリア・パッケージの実用化も進められています」
「それをハンバートは恐れている?」
「ええ」
キャロルの声に兼田は一つ息をついて、首を縦に振った。
「ハンバートはロリ化関連だけでなく、様々な分野で儲けている企業です。反ロリ国家や反ロリ地域ですら企業活動を行っているんです。世界各地の社員も非ロリ人が半分以上を占める。炉学研究所やその他ロリ化関連技術の最先端を行く組織は、現状の社会を再度一変させかねません。その時、この大企業はそうした変化の流れに上手く乗れないかも知れませんし、振り落とされる事だってありうる。それで、徐々に炉学研究所が優れた組織になるにしたがって、その手綱を握りたがるようになったんです」
研究内容への干渉、他者との提携への妨害工作、技術共有に関する取り決めへの違反……少しずつそうしたものが積み重なり、研究所とハンバートはとうとうつい最近になって手を切ることになった、と兼田は淡々とそう語った。そしてその後も軋轢は残り、両者の確執は続いている、とも。
「表向きの関係が切れた後も、両者は『やりあって』いるらしいですよ。証拠となるような記録は残念ながら手に入れられていませんが」
やりあって――未だに嫌がらせめいた妨害や攻撃が飛び交っているということか。
「それだけ聞くと、どうにもハンバート側が過度に炉学研究所に拘りすぎているようにも聞こえるな」
僕は視界から研究所を外してキャロルと兼田に向き直りそう言った。ロリ化は確かに社会を一片させ世界を変える、誰にとっても救いにも脅威にもなりえるある種ひどく危険な代物だ。
だが、ロリ化関連技術の研究機関も炉学研究所だけではない。提携の終了後も馬鹿げた喧嘩を続ける理由はどこにあるのか。
「そうですね……考えられる理由としては、炉学研究所の研究内容の高度さとその機密性が上げられるかもしれません」
「機密性?」
兼田はテーブルの端末に視線を落とすと指先を軽く走らせ、そこに何かを新たに表示させた。近寄って見ると、それは炉学研究所の施設内部のマップだった。
マップは二種表示されていた。片方はネットの炉学研究所公式サイトや施設内部の拡張現実の案内表示などにも載せられているものだ。もう片方はそれと同じようでいて、一部が異なる。3Dマップとして表示されたそれには、余分な通路や空間が追加されている。
「研究所には特殊研究用の機密区画が存在します。存在自体は一応公表されていますが内部構造や立ち入りに関するデータ、研究内容も関係者名簿も内部の人間ですら通常手に出来ない特殊な区画です」
「これはまた、秘密結社めいて」
冗談めかした口調でキャロルが苦笑した。
「区画だけじゃない。研究内容にも機密が多いんです。公にしていないのみならず、組織として政府や関連組織にひた隠しにしているような研究すら存在するんです。私が掴めたのはほんの一部、データの断片くらいのものですが」
先にお渡ししておきます、と付け加え、兼田は僕とキャロルに自らが収集したデータを送信すると同時に、端末から指先サイズの大容量メモリークリスタルを抜き出して差し出す。受け取って中身を機械脳に送り確認すると、言葉通りいくつかの機密研究――どこにも報告のないものだ――や存在しないはずの区画の混ざりこんだ施設マップが詰め込まれていた。
「例えば一番最近の気になる研究は、新型のクオリア・パッケージらしきものの研究です。これもまた機密扱いで一末端職員の私では通常触れ難いものなんですが、どうやら革新的な新しい形のパッケージの製作を行っているようで」
「新しいパッケージ?」
送られたデータを機械脳に収めつつ鸚鵡返しする。データの中にはその研究の詳細は存在しなかった。
「現在のパッケージよりも格段に安上がりに、広く普及することが可能なクオリア・パッケージ。概要としてはそういうものらしいです。現在調査中で、まだ詳しいことはなんとも」
手の平を宙で振り、彼はそれがなかなかの難業であることをジェスチャーしてみせた。
「安価に普及可能なパッケージって。そんなのWLOでもあまり手を付けられてないのに」
キャロルが訝しげに顔をしかめる。その言葉通り、パッケージは未だオーダーメイドの高級品で、その便利さや大きな有用性と裏腹に社会への浸透は全く進んでいないしその目処もあまり立っていない。パッケージの各人の脳構造への最適化のコスト回避策は、暗中模索といった感じで、研究は世界中で行われているが、実際の「新しいパッケージ」といえるようなものを作る段階に至った組織はWLOを含め存在していない――はずだった。
「ハンバートは何かを掴んでいるのかもしれません。炉学研究所について、その研究について、新たなパッケージについて」
これはなんとも、きな臭いというべきか胡散臭いというべきか。WLOでも手の付けられない研究、秘密の研究とは。
そうした内心が顔に出ていたのだろう。兼田は僕のほうを見て軽く苦笑した。
「唐突というか、突飛な話かなとは私も思いますよ。けれど、炉学研究所は調べれば調べるほど、職員として日々働いているだけでも、ちょっと尋常じゃあないってことが感じられます」
それから彼は、僕の手の平の上に置かれたメモリークリスタルに視線を向けた。
「中を見てもらえれば、多少は分かるかと」
じっとその大容量記録媒体を僕が眺めていると、横からひょいと手が伸びてそれをさらっていった。
「どうも」
キャロルはあっけらかんとした口調で言って、立ち上がる。どこぞの女スパイよろしく胸元に角ばったメモリークリスタルを放り込もうとしたので視線で制止し、僕も立ち上がった。
それから僕ら二人と兼田章太郎情報要員は、シーリン統括官の示す今回の事態に関するあれこれの方針を伝えたり安全な通信手段を交換した。兼田はロリ化はしていないが補助機械脳は僕らと同じく使いこなしている。すぐに作業は終わった。
さてそれじゃあお邪魔しました、と退室するその寸前に、キャロルがふと、今更気がついたように囁いた。
「兼田さんってさ」
「はい?」
「ロリ化、してないよね?」
その一言に、僕は何故だか一瞬息を止めた。ロリ化していない。WLOというロリの巣窟の中にいるせいか、それとも日本という世界最大のロリ化率を誇る国にいるせいか、その一言は嫌に耳に引っ掛かる一言だった。
「……ええ、まあ。小さい頃はロリ化があまり進んでいない国にいたこともあって、日本に来てからもずるずると。で、気がついたら非ロリのまま大人になってしまいまして、惰性ですね」
「不便じゃない? 色々」
「それほどは。日本も炉学研究所もロリだらけですが、ロリ化した方々は理性的で想像力に富む人達ばかりですから。私のような非ロリ人でもあまり不自由は感じませんよ」
「そう」
兼田の答えに、自分から尋ねておきながらキャロルはさほど興味もなさそうに適当に納得し、玄関へと向かう。僕を一瞥しながら。
「じゃあ、また」
何と言うべきか分からずそんな間の抜けた声を吐いて、僕はキャロルの後に続いて部屋の外へと向かった。




