第一章 9 美しい思い出前
カイルはヴァイス伯爵家の三男として生まれた。
上には二人の、年の離れた兄がいた。カイルが生まれる前、両親は今度こそ女の子が欲しいと話していたが、生まれたのが男の子だったからといって、がっかりすることはなかった。性別がわかる前から大量に用意されていた女物の赤ちゃん服も、無駄にはならなかった。
なぜなら生まれた子供が、天使のように愛らしかったからだ。
カイルは男だったが、その容姿の愛らしさにメイドたちは沸き立った。用意されていた可愛らしい衣装をとっかえひっかえ着せられ、すくすくと育った。
二人の兄は年齢が離れていたこともあり、カイルには比較的優しい遊びばかりをしてくれた。……かわいらしい衣装を汚すような遊びをすると、母とメイドたちの視線が鋭くなるから、という理由もあったのだが。
カイルは、優しさに囲まれて育った。
物心がつくと、王都の貴族が通う幼年学校へ入れられた。そのころには、女の子に間違えられるほどの美貌に加え、若木がすんなりと成長していくような眩しさも備わっていた。
そこで待っていたのは、婚約者探しに躍起になる女たちと、カイルの容姿をからかう男たちだった。
女もうんざりだったが、男もうんざりだった。
成績はそこそこよく、身体能力も悪くない。そんなカイルをけなすには、かわいらしい容貌をからかうくらいしかなかったのかもしれない。あまりの面倒くささに、拳で黙らせたこともあった。
拳を使えば、一瞬で黙らせることができる。カイルはそれまで年の離れた兄とは喧嘩にはならなかったので全力の拳を使ったことが無かったからその結果は意外だった。だが、その拳をふるってみた結果、親が学校へ呼び出される。一度やってみて、カイルは理解した。確かにその場の解決としては早いが、その後のことを考えると気軽に使える手段ではない。
一方、女たちはまとわりついたり、触ったり、周囲で勝手に争ったり。こちらはこちらで、鬱陶しいことこの上なかった。虫の羽音のようで、迷惑だった。
結果、カイルの周囲には、羽音にも似た煩わしさがいつまでもまとわりついていた。
顔のせいかと気づいたカイルは、少しでもましになるかと思い、周囲の煩わしさから隠れるために前髪を伸ばしてみた。だが、アンニュイな雰囲気が加わっただけだった。
そんなカイルは、学校の長期休みを利用して、夏の避暑地として人気のセルリアへ遊びに来ていた。
王都の自宅にいると、日替わりで突撃してくる学校の人間にうんざりしていたのだ。
セルリア。それは、かつて王国が存在していた土地だ。
百年前、ノワル王国との戦争でゲリラ戦を仕掛けたことで、王国は徹底的に破壊された。当時のセルリア王族も殺され、戦争が終わった今も自治は認められていない。特徴的な青い髪を持つセルリアの民は、今なお差別の対象となっていた。
そんな過去を持つ土地だが、セルリアには豊かな自然が残っている。
観光名所となっているのは、青く透き通った大きな湖。その周囲には狩場も多く、かつては大型の魔獣も数多く生息していたらしい。しかし、戦争やその後の狩猟によって大型の魔獣はほとんど狩り尽くされ、現在では小型の魔獣が残っている程度だ。そのため危険も少なく、今では避暑地として人気の場所になっている。
カイルがその少女と出会ったのは、避暑に来た先で同級生に見つかり、追いかけられて逃げ込んだ先でのことだった。
湖畔に、一人の少女がいた。
いや、正しく言うと、少女は湖にぷかりと浮かんでいた。しかも、しくしくと泣いている。
いつも冷静だと評されることの多いカイルだったが、そのときばかりは動揺した。
自殺しようとしている人間に遭遇したと思ったのだ。
「……死ぬ気か?」
さすがに無視するわけにもいかず、声をかけた。
すると、青く透き通った湖面に溶け込んでいるように見えた髪を、少女はぱっとかき上げながら起き上がった。カチューシャの位置を整え、こちらを向く。
水に溶けて青く見えていた髪は、ノワル王国ではよく見かける灰色だった。
「死ぬ? 私が?」
少女は心底不思議そうな顔で涙をぬぐった。
「そんな愚かなことはしない」
独特な話し方をするな、と思った。
心底、想定外のことを言われた。そんな表情が、少女の顔には浮かんでいた。
「ただ、周囲の愚か者のことを思って、この世界でこれからも生きていかなければならない事実に悲嘆に暮れ、涙を流していただけだ」
「お、おう。そうか」
カイルは、とりあえず頷いた。
「私は魔術の行使がしたいんだ」
少女は勝手に話し始めた。
「なのに師匠はそれを理解しない。増幅魔石についてばかり言及してくる。まあ、その魔術の才のおかげで私は地獄の孤児院から抜け出せたわけだが……」
少女はそこで一度、ため息をついた。
「私の作った増幅魔石がなければ、結界魔術もろくに運用できなかったくせに。あの頭でっかちめ」
魔術を使うには、魔術学園に行く必要があった気がするけど……。
カイルがそう考えている間にも、少女は勢いよく話し続けていた。とても口を挟める雰囲気ではない。
「魔術を使用するのはステッキを手に入れるまで待て、などと。そんな時間の無駄を過ごすことだとは思わないか?学園に入学が認められる年齢になるまでは退屈な本だけ読んで過ごせと? すでに読み切って頭に入っているものから、何を学べと言うのだ。知っていることを実践するのが大切だと、先人たちも言っている」
独特な言い回しではある。
だが、言っていることそのものは、それほど外れていないような気もした。
カイルは、びしょ濡れの少女が風邪をひかないのか心配になった。しかし、少女は水に入ったまま話し続ける。
「だからね、代替品の魔石で魔術を行使できないか試したんだ」
とりあえず、水から上がらないかな。
カイルはそう思った。
火を起こしたら、少しは火に当たってくれるだろうか。そう考え、近くの枝葉を集め始めた。
「私の使える魔力はそう多くないから、実験できる頻度が限られることが問題だが、仕方がない」
少女は真剣な顔で続けた。
「まずは周囲に迷惑をかけにくい、水を基本とする魔術で、水を呼ぶ魔術が使えないか試した」
「……」
「のだが、うまくいかなかった」
人に迷惑をかけないように気を使った、という部分だけはやたらと声が大きかった。どうやら、彼女のアピールポイントらしい。
「魔石に魔力回路を刻めばいいのかと思ったが、うまくいかない。呪文を直接書いてみるのもやったがね……何がいけないのか」
そんなことを繰り返していたらしい。
「魔石の失敗作が百を超えたあたりで、師匠に露見した。最悪だ。鈍いなら鈍いらしく、気がつかなければいいものを……チッ」
「……百!?」
話を聞き流しながら小枝を燃えやすい形に組んでいたカイルは、耳を疑った。
魔石は貴重だ。遊びに使ったりなどしたら、怒られるどころではない。以前、貴族ばかりが通う幼年学校の同級生が、家から魔石を持ち出して遊びに使ったという話を聞いたことがある。その同級生はその日、地下室に入れられた上夕食を出してもらえなかったそうだ。
貴族の家であっても、魔石は貴重品なのだ。カイルの家も貴族だが、魔石は大切に使うように言われている。資源は有限だからだ。
(そりゃ怒られても仕方がないのでは?)
そんなカイルの思いとは裏腹に、少女はまだ不満そうだった。
「魔術の発展のために必要なことなのに、分からず屋め」
少女は、はあ、とため息をつく。
「まあ、あの師匠は可哀想な人だからな……多少は目をつぶってやらないといかんのだが」
少女はぷりぷりと怒っている。
「だが、まるごと取り上げる必要はないはずだ。まったく、研究経過の記録に必要な魔石を持っていくなんて、何を考えているんだ」
カイルは思った。
全部、本人が悪くて怒られているじゃないか。
師匠は、そんなに悪いことをしていないのではないだろうか。魔力を使うステッキも与えないわけではなく、年齢になったら手に入れるように言っているらしい。この様子からすると、実験用の魔石も与えていたのだろう。
カイルには、この少女が悪魔のように思えた。
しかし、悪魔とは得てして魅力的なものだ。
結果的にカイルは少女に興味を惹かれ、つるむようになった。悪魔に魅入られるように、あっという間に夢中にさせられ、悪の道に踏み込んでいったと言ってもいい。
悪魔のような女の子は、シェリルといった。
そして、カイルはあっという間にシェリルに夢中になった。
それまでのカイルは、わりと優等生的に生きてきた。大人の手を煩わせるようないたずらはしなかったのだ。しかし、シェリルとつるむようになってから、怒られることが増えた。
メイドや家族、庭師。
町の人。
その他、エトセトラ、エトセトラ。
何か実験で失敗して大人に怒られそうな気配がするたびに、シェリルは眉をハの字にして、
「そんなつもりはなかったの……ごめんなさい」
と、誰もが思わず許してしまいそうな、好奇心でいっぱいの無邪気な子供の顔をする。
反省しているように見える。
実に素直に謝る。
だが――カイルは知っていた。
こいつ、まったく罪悪感なんて持っていない。
怒られるたびにカイルは、シェリルの隣で長く垂らした前髪の陰に顔を隠し、笑わないようにするのに必死だった。せいぜい、自分も申し訳なさそうな顔を作ることくらいしかできない。
どうせシェリルにとって、謝ること自体はたいした意味などないのだ。
謝罪はただなんだから相手を満足させてあげるために言っておけばいいなどと言っているようなワルガキだ。
(……最低だな、こいつ)
そう思いながらも、カイルはまた笑いそうになる。
そして、次の実験に誘われれば、結局ついていってしまうのだった。
だが、あるとき、シェリルに聞かれた。
その日は、実験に失敗してまちの大人にちょっとだけ怒られた日だった。
「カイルは自分の顔が嫌い?」
「……は?」
「それとも、有用性に気がついていないだけ?」
ぐいっとシェリルが近づいてきて、カイルの前髪をどけた。
「ふむ……」
シェリルは、まじまじとカイルの顔を眺めた。
「君は、とてもきれいな顔をしていたんだね」
「……」
カイルは不満だった。
シェリルも結局、顔かよ。そう思ったのだ。
「そうだね……君の顔は、とても整っていて綺麗だと思うよ」
シェリルは真面目な顔で続けた。
「黄金比って知っているかい? 人間が好む比率だそうで、美しいと言われる人の容姿は、これにどのくらい近づけるかが大切だと、師匠の本に載っていた。君は、その比率にぴったりだね。特に目尻から鼻にかけての……」
長い。
とにかく長い説明だった。
カイルは顔について言われることは多かった。主に称賛されてきた。だが、こんなふうに語られたのは初めてだった。
「それに、君の瞳は私が好きな新緑の色だ。日差しが差し込んだように光彩が散っているのもいい」
シェリルによるカイルの容姿の評価は、今まで聞いたことのない内容だった。
カイルは目を白黒させる。
「君が涙を浮かべて申し訳なさそうな顔をしたら、大人はみんな許すのに、実にもったいない。せっかく使えるものがあるのだから、生かさないでどうするんだい」
「……」
シェリルは、にやりと笑った。
「次は、私たちの研究の有用性に気がつかない鈍くて、目の前のことを怒るしか脳のない大人たちを、せいぜいいい人気分にしてやってくれ」
「……つまり?」
「申し訳ない顔をして逃げよう、ということだよ」
カイルは思った。
つまり、何が言いたいのかというと――。
シェリルは、子供のころから筋金入りの悪ガキなのだ。
しかし、悪ガキにも善行を積むことはある。




